2018年2月26日月曜日

2018.02.26 下野新聞の高根沢町特集

● 右は今日の下野新聞。高根沢町の広告特集。
 この宝積寺駅東口のちょっ蔵広場の景観はかなりいい。高根沢町の顔になっている。電車で通勤,通学している人にとっては,毎日利用するところだ。
 言うなら,それまでそこに存在していた“自然”を使って,人工的に作りあげた景観。古い大谷石蔵を取り壊すのではなくて,それを素材にして新たな空間を作りあげた。

● 町をアピールする場合,どうしても特産品,名産品に偏る。あるいは(もしあれば)名所旧跡とか。
 名産品にいたっては,ゼロから作ろうとする場合すらある。高根沢町だと焼きちゃんぽん。
 これはねぇ,そろそろ失敗だったと総括すべき時期に来ているのじゃないか。あまり引きずらない方がいい。なぜって,旨くないもん。思いつきの域を出ていない。
 思いつきから始めるのはいいんだけど,見切り千両という言葉もある。相場だけの話ではないはずだ。

● ゼロから作るんだったら,できあがったものが圧倒的な魅力を放っているのでなければならない。何でもいいんだけど,とにかく圧倒的でなければ。
 個人的にはさくら市の氏家うどんには可能性を感じている。モノがいいからだ。
 ただし,あと一段の企業努力が必要。つまり,もっと安くすること。今のままではなかなか販路は拡大しない。売れなければ存在していないのと同じこと。だから,あと一段の企業努力。

● 街おこしというときには,文字どおり街が問題なのだ。名物や特産品,名所旧跡ではなく,街の魅力度をどう上げるかの勝負なのだ。
 従来型の観光資源をどうこうする話ではないのだ。

● その典型が東京だ。国内最大の観光地は東京。定期観光バスで圧倒的な集客を誇るはとバス。そのはとバスは名所旧跡を回るものは少ない。というか,東京に江戸以前につながる観光資源はさほど多くはない。
 東京という街の魅力だ。商業施設の集中。食堂,レストラン,屋台の連たん。そうしたものが放つ魅力。

● だから地方は大変なのだ。それでも,街の魅力を付加すること。その典型的な成功例が宇都宮市の餃子だろう。餃子は宇都宮の名物だったわけではない。
 が,知恵者がいて,餃子にスポットをあてた。宇都宮を餃子の街にした。ヨソから餃子を食べに宇都宮に来るのだ。宇都宮の街に来る。そこが肝要。

● 街おこしという手法がそもそも有効性を持つのか。どこも同じようなことをやっている現状は,壮大な消耗戦に過ぎないのではないか。
 何もしないでいると不安だからという消極的な理由で,そもそもやらなくてもいいことをバタバタとやっているだけなのではないか。
 と思うこともある。座して死を待つのが最善の策かもしれないんだよね。実際に街が死ぬことはないわけで,底に着けばいやでも何かが変わっていくだろうから。底に着く前に変えようとするのは,膨大なエネルギーの浪費を強いられそうにも思える。

● 高根沢に関していえば,名物をゼロから作るのは民間(たとえば朝日屋本店)に任せればいい。公共から出てきたものはだいたいダメだ。生産者の都合しかカバーしていないから。
 高根沢町の魅力,ヨソから人を呼べる魅力,は何か。まだどの市や町もやっていないことで,高根沢がやれることは何か。

● ぼくにわかるはずもないが,住民のひとり一人がヨソから人を呼べる人になるといいんだよね。もしそうなったら最強だよね。
 たとえば,高根沢に住んでいるAさんに会いたいという人がヨソからやってくる。Aさん宅で会ってもいいんだけども,そこはちょっ蔵食堂を会議室代わりに使うことにして,ちょっ蔵食堂で待ち合わせる。BさんもCさんも同じようにする。
 それだけでわずかながら賑わいが生まれる。そうなったら凄いんだが,街おこしよりも難しいわなぁ。

● でも,そういう魅力的な人って,高根沢にもいるよね。あるいは,ヨソから高根沢に働きに来ている人の中にいるよね。

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