2018年2月20日火曜日

2018.02.20 FBの使い方は依然として試行錯誤中

● 特にTwitterとの切り分けが悩むところ。FBのタイムラインへの投稿は,Google検索にひっかからないわけだから,情報の受発信に使うには不向き。情報の受発信にはTwitterが向く。
 FBは基本,閉じた世界で,“友だち”とのコミュニケーションを楽しむもの。

● とはいっても,いわゆるオピニオンリーダーと目される人たちの中には,FBをメインに使っている人もいるので,そこはFBでフォローするしかない。
 そうした友だち申請をするには畏れ多すぎる人たちについて,フォローしてはやめるを繰り返してきた。現在のところ,成毛眞さん,疋田智さん,仲野徹さんの3人をフォロー中。これはこれで落ち着きそうな感じ。
 いや,正直なところ,FBを使っている理由の半分は,成毛さんをフォローするためだ。

● FBではほとんどの人が,自分中心主義というか,自分周りのことを書いている。そうならざるを得ないわけで,FBはリア充自慢をするのに向く構造になっている。
 それを免れるには,世間の事象に対する意見を述べることを投稿のメインにするしかないが,それで読ませる投稿にするには,相当な力量が要求される。何か言えばマスコミ的正義から一歩も出ないような人が,FBにマスコミと同じことを書いたところで仕方がない。

● こういったことはTwitterでもブログでも同じことではあるんだけれども,TwitterのフォロワーとFBの友だちでは,だいぶ風合いが違っていて,そのため“FBは閉じた世界”感が強くなる。
 ぼくらのリアルのコミュニケーションも,自慢と人の噂話(陰口)とどうでもいいことのやり取りでできあがっている。だからこそコミュニケーションがコミュニケーションたり得るのであって,どうでもよくないことをやり取りしなければならない局面は,多少なりとも緊張感をはらむものになる。

● しかしねぇ,仲間内でどうでもいいことを言い合って,互いに「いいね!」し合ってっていうのが,すこぶる幼稚に映るのも事実。
 いくらリアルもそうなのだからといっても,FBは文字に残ってしまうのでね。

● “友だち”とのコミュニケーションを楽しむといっても,その“友だち”の数をむやみに増やさないのが,FBを運営していく上での基本になるだろう。いかにして繋がるかではなくて,いかにして繋がらずに済ませるかの方が重要。
 人によってFBの使い方に濃淡があるのは当然だが,そこを踏まえても,投稿に対して“いいね”の数が平均して友だち数の2割を割り込んだら,無用なつながりが多すぎるのだ。

● ぼくの友だちは14人で,これはいくら何でも少なすぎるけれども,自分のリアルを反映した結果なので仕方がない。しかし,それでもどんどん友だち申請して,友だちを増やしてみても,いいことは何もないと思う。
 特に,地方議会の議員や首長と友だちになるのは,絶対に不可。友だちが多すぎる人(おおよそ500人以上)と友だちになるのも不可。

● というわけで,FBはけっこう面倒くさい。上に書いた3人をフォローするためだけに用途を限定しようかと思わないでもない,今日この頃。
 ただ,FBでコメントのやり取りをする中で,ぼんやりと思っていただけのものに形を与えられることがあるんだよね。そういうときって,けっこうな快感を感じるんだよ。
 だものだから,やめちゃおうかと思っても,踏みとどまってしまう。

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