● 昨今,魅力を失ってきてるものはいろいろあるな。
まず,平均寿命の長さ。平均寿命の限界効用はすでに大きく逓減している。平均寿命がさらに延びたとニュースで聞いても,それがどうしたってなもんだ。香港に抜かれた? イイじゃねーか別に。
● それから,豪邸。今どき豪邸に住みたいなんぞと考えるのは,よっぽど貧乏に育ったか,損得計算もできない馬鹿に決っている。
総じて,豪華絢爛は魅力なし。黒塗り車も嘲りの対象に変わりつつあるか。
● 黒塗り車が嘲りの対象になりつつあるのは,それが年寄りの象徴だからでもある。つまり,一番価値が下がったのは年寄り,特にジジイだろうな。
黒塗り車でゴルフなんてのは,ジジイのシンボル。洟もひっかけられない。
● 数が増えすぎたのと,退くことを知らないのが,価値が暴落した理由。なぜ退かないのかといえば,自分の考え方のすべてがとっくに時代に取り残されていることを自覚できないからだろう。
生涯現役なんて老害の元凶なんだよ。社会の迷惑だよ。トットと消えろよ。というのが,現役世代の本音だろうよ。ぼくもそう思っていたもん。
● 最も問題だと思うのは,彼らジジイが,いい年こいてもなお,若さをもって良しとする若さ第一主義からまったく脱却できないどころか,いよいよそこにこだわろうとするところだ。
この浅薄な価値観って,いったい何なんだろう。死を認めたくないというところから来るのかね。死を受容できない,と。
だとすれば,一番肝心なところから目をそむけて,営々と馬の年齢を重ねてきたということだぞ。
● 老いてなお,若々しくあることを価値の優先順位の第1位に置いているのが歴然としているジジイって,ほんとに迷惑だし,哀れだ。
案山子がアルマーニを着て歩いてみたってしょうがねーだろーと思う,今日この頃なのでした。
● とはいうものの,だ。若くありたいという思いから自由になるのは至難だ,ってことはわかるんだよね。
死の受容の問題のほかに,広く文化というものは若者から勃興し,それが上の世代に浸潤していくもので,逆は絶対にない,ということがある。年寄りは文化を生みだせない。
年寄りのライフスタイルを象徴的にいうと“いいものを少し”となるだろう。主には食生活について言われることだが,その“いいもの”を作るのは,たいてい若者だ。
文化の近くにいたいという潜在的欲求があるのかもしれない。
● そのジジイの一員としての自分が,さてではこれからどうしていくか。若く装うことはしないでいられる自信がある。世間にしゃしゃり出ないでいられる自信もある(っていうか,そんなの面倒だもんね)。
のだが,若者とのつながりは保っていたいよね。彼らからパワーを分けてもらうっていうんじゃなくて,世間知らずになることは避けたいと思うからだ。世間に口を出すつもりはないけれども,世間がどうなっているのかは知っていたい。
新聞やテレビからはその情報は得られない。SNSにも少数の賢者と大量のバカしかいないので,中間がわからない。
● そのためには若者に嫌われないジジイでありたい。媚びるのではなく,自然体でいて嫌われないという。
そこがつまり,ぼくの課題のほとんどすべてだと言っていいと思っている。
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