● まずい。昼寝をしてしまった。寝たのは15時から16時の間。起きたのは19時過ぎ。3時間以上寝てしまった。今夜は寝れないだろうなぁ。
おまけに妙な夢を見た。宇都宮で迷子になっている夢だ。
● 宇都宮のGセンターにいる。最近,移転したらしい。なぜ自分がそこにいるのかはわからない。センター長のTさんと以前の職場の上司だったKさんが親しそうに話している。リアルで知り合いのはずはないのだが。
次の瞬間,センターの内部にいる。5階か6階。階段で下に降りていくのだが,物売りがしつこくて閉口した。どうしてここに物売りがいるのだ?
● エレベーターがあったのでそこからはエレベーターを使うことにした。が,中に座席があるのだ。エレベーターではなくてマイクロバスだった。それがジェットコースターのような急坂を降っていくのだ。
乗っているのはよく知っている人(しかし,名前は憶えていない)とぼくの2人。とあるところで,バスは泊った。知り合いの彼がデマンドした場所らしい。そこに用事があるのだという。
ぼくも一緒に降りた。全然知らない場所だ。
● 駅に行きたいのだが,現在地がわからないので,どのバスに乗ればいいのかもわからない。が,何とかなるだろうとバス停まで歩くことにした。
駅に行くのは反対側の車線に出なければいけないようだ。ので,そうして,来たバスに乗った。たくさん来たので,適当なのに。
ら,バスというバスが道路の途中でUターンして反対側に出るのだ。道路は先まで続いているのに。これじゃ,わざわざこちら側に来る必要はなかったわけだ,と思ったところで目が醒めた。
● ぼくが乗ったバスは駅に向かうバスだったんだろうか。全然違う方に連れて行かれたんだろうか。何だか妙に気になっている。
2018年5月26日土曜日
2018.05.26 烏山の「クローバー」
ぼくとしては,それくらいだったらとにかく寝てればいいと思う。薬なんか要らない。病院というのは病気をもらうところであって,治すところじゃない。
食欲がないときに無理に食べるのは最も良くない。まして肉を入れてしまうとは,身体に余計な負荷をかけるだけだ。
● と思うんだけど,本人が食べたいというんだからな。
というわけで,烏山の「クローバー」で昼食。11:20に着いた。土曜日,予約なしではだいぶ待つことになる。ここは原則,予約すべし。
● が,「クローバー」では待つことが苦にならない。待合室に自転車雑誌がいくつかあるからだ。特に「自転車人 別冊山と渓谷」のバックナンバーがけっこうあるのは貴重。
平野勝之さんの連載エッセイも読めるしね。これ,単行本になってるんだろうか。なってないだろうな。見たことないもん。
● 黒服の男性にサーブしてもらった。申しわけない。何が申しわけないかというと,こちらは短パンにTシャツで来ているからだ。いくら何でもこの格好はなかったか。
● 「クローバー」の窓から見える風景は充分に秘境感(?)がある。わざわざそういうものを求めて自転車を漕がなくても,ここにあるじゃないか。
このあたりはパラグライダーにも適したところらしく,鳥人間を何度も窓外に見かけた。あれで高さや方向を調整して,降りるべきところに着地できるのが不思議で仕方がない。不思議だと思うのは無知だからだが。
2018.05.25 氏家「みやこ家」で“まぜめん”
● 相方と氏家の「みやこ家」へ。金曜日の夜ゆえか,今日はしばらく待たされた。
● “まぜそば”の小さい方と“ライス”を注文。残った“まぜそば”の具をご飯に載せて喰う。貧乏喰いと言われるかもしれない(たしかに品はない)。
が,でき得るなら合理的な食し方と言ってほしい。これが旨いのだ。
● 食べる前に具をご飯に移せばいいじゃないか,って。そういうわけには参らない。
“まぜそば”なんだから,好みの調味料を加えてよく混ぜなければならない。しかる後に麺だけ食べて,残った具をご飯に載せるのだ。
つーか,全部食べようとしても,具は残ってしまうのだ。具も残さず食べようとすれば,左で皿を持って,皿の縁を口につけて,丼飯を喰う要領で食べなきゃいけなくなるね。
● 蕎麦屋の天抜き(天ぷら蕎麦から蕎麦を抜いたもの)と同じだ。通はそれを肴に日本酒をやるらしい。
日本酒にはピッタリのアテになるだろう。日本酒と汁物は相性がいいのだ(ぼくはやったことがないので,伝聞で申しあげている。蕎麦屋に行って,蕎麦を抜いてくれと言うのは,なかなか勇気がいる)。
● だったら天ぷらに汁をかければいいじゃないか,って。そうはいかない。あくまでも天ぷら蕎麦から蕎麦を抜くのだ。そうじゃないと蕎麦の香りが汁に移らない。
したがって,天ぷら蕎麦より手間がかかる。天抜きの値段は,最低でも天ぷら蕎麦と同額だ。
● それと同じで(じつは,まるで同じじゃないんだけど),混ぜないで具だけをご飯に移すのは邪道なのだ。たとえ見た目が汚くても,その工程を省略してはならぬのだ。
● “まぜそば”の小さい方と“ライス”を注文。残った“まぜそば”の具をご飯に載せて喰う。貧乏喰いと言われるかもしれない(たしかに品はない)。
が,でき得るなら合理的な食し方と言ってほしい。これが旨いのだ。
● 食べる前に具をご飯に移せばいいじゃないか,って。そういうわけには参らない。
“まぜそば”なんだから,好みの調味料を加えてよく混ぜなければならない。しかる後に麺だけ食べて,残った具をご飯に載せるのだ。
つーか,全部食べようとしても,具は残ってしまうのだ。具も残さず食べようとすれば,左で皿を持って,皿の縁を口につけて,丼飯を喰う要領で食べなきゃいけなくなるね。
● 蕎麦屋の天抜き(天ぷら蕎麦から蕎麦を抜いたもの)と同じだ。通はそれを肴に日本酒をやるらしい。
日本酒にはピッタリのアテになるだろう。日本酒と汁物は相性がいいのだ(ぼくはやったことがないので,伝聞で申しあげている。蕎麦屋に行って,蕎麦を抜いてくれと言うのは,なかなか勇気がいる)。
● だったら天ぷらに汁をかければいいじゃないか,って。そうはいかない。あくまでも天ぷら蕎麦から蕎麦を抜くのだ。そうじゃないと蕎麦の香りが汁に移らない。
したがって,天ぷら蕎麦より手間がかかる。天抜きの値段は,最低でも天ぷら蕎麦と同額だ。
● それと同じで(じつは,まるで同じじゃないんだけど),混ぜないで具だけをご飯に移すのは邪道なのだ。たとえ見た目が汚くても,その工程を省略してはならぬのだ。
2018年5月24日木曜日
2018.05.24 那須クラシック音楽祭
● 那須クラシック音楽祭実行委員会からプログラムが届いた。ファンディングが成立したのは,慶賀の至り。
期間は9月の1ヶ月。会場は主催者がオーナーを務める弦楽亭を中心に,那須町のあそこやここ。
● ぼくが漠然と思っていたのより充実の内容。弦と管に分けて,“ジュニア音楽コンクール”までやるのだ。
大ホールにガサッと集めてというのじゃないから,それを踏まえると料金も控えめ。ホテルなどが出資する無料コンサートもあり。
● ここまで準備が整えば,第1回の音楽祭は半ば成功したも同然。じつは整っていなくて,アナウンスを先にしちゃってる部分もあるのかもしれないけれど,そうであってもここまでくれば大丈夫だと思う。
第2回以降につながるかどうか。そこがわかる人は現時点では一人もいない。わかっているのは,1回やればいろんなノウハウが身につくということだけだ。
● ところで。主催者側にも会場を提供する側にも無料コンサートの費用を負担するホテルにも,地場者がいない。革新を起こすのはいつだってよそ者だ。
だから,よそ者が住みつきたくなるようなところにはポテンシャルがある。栃木県だと那須と益子。
● 不思議だ。那須も益子も交通の便がいいわけではない。他の町と何が違うんだろ。
那須にはよそ者が住み着くけれど,塩原にはそれがない。高原はよくて山あいはダメ? 益子にはよそ者が来るけれど,真岡には来ない。益子には陶芸という文化・芸術の代表が集積しているから? そういう単純な話?
● そんなのはわからないけど,外に向かって開かれているというか,よそ者を受け入れる素地がないとダメでしょうね。
従来の居住者が強固すぎるつながりを作ってしまってて,よそから来た人をはじくようなところはダメなんだろう。自治会加入率が100%に近いようなところもダメだろうね。閉鎖性が強すぎる。
● 地域振興ってそこに都会を持ち込むってところがどうしたってあるから,すでに強すぎる絆(ありていに言えば,相互監視)が存在するところは,まずその“絆”を壊さないと出発点に立てないだろう。
那須にしたって益子にしたって,最初から今の那須や益子ではなかったはずだ。開拓者がいたんだろう。地元の抵抗や嘲笑を受けながら,自分の周囲に小宇宙を作っていった人が。
期間は9月の1ヶ月。会場は主催者がオーナーを務める弦楽亭を中心に,那須町のあそこやここ。
● ぼくが漠然と思っていたのより充実の内容。弦と管に分けて,“ジュニア音楽コンクール”までやるのだ。
大ホールにガサッと集めてというのじゃないから,それを踏まえると料金も控えめ。ホテルなどが出資する無料コンサートもあり。
● ここまで準備が整えば,第1回の音楽祭は半ば成功したも同然。じつは整っていなくて,アナウンスを先にしちゃってる部分もあるのかもしれないけれど,そうであってもここまでくれば大丈夫だと思う。
第2回以降につながるかどうか。そこがわかる人は現時点では一人もいない。わかっているのは,1回やればいろんなノウハウが身につくということだけだ。
● ところで。主催者側にも会場を提供する側にも無料コンサートの費用を負担するホテルにも,地場者がいない。革新を起こすのはいつだってよそ者だ。
だから,よそ者が住みつきたくなるようなところにはポテンシャルがある。栃木県だと那須と益子。
● 不思議だ。那須も益子も交通の便がいいわけではない。他の町と何が違うんだろ。
那須にはよそ者が住み着くけれど,塩原にはそれがない。高原はよくて山あいはダメ? 益子にはよそ者が来るけれど,真岡には来ない。益子には陶芸という文化・芸術の代表が集積しているから? そういう単純な話?
● そんなのはわからないけど,外に向かって開かれているというか,よそ者を受け入れる素地がないとダメでしょうね。
従来の居住者が強固すぎるつながりを作ってしまってて,よそから来た人をはじくようなところはダメなんだろう。自治会加入率が100%に近いようなところもダメだろうね。閉鎖性が強すぎる。
● 地域振興ってそこに都会を持ち込むってところがどうしたってあるから,すでに強すぎる絆(ありていに言えば,相互監視)が存在するところは,まずその“絆”を壊さないと出発点に立てないだろう。
那須にしたって益子にしたって,最初から今の那須や益子ではなかったはずだ。開拓者がいたんだろう。地元の抵抗や嘲笑を受けながら,自分の周囲に小宇宙を作っていった人が。
2018年5月19日土曜日
2018.05.19 都市伝説
● 今日の昼食はセブンイレブンのカツカレー。コンビニは街の大衆食堂にとっても驚異であろうな。
以前からコンビニ弁当には保存料がどっさり入っているという風評がある。コンビニ側は一切の抗弁をしない。頑なに沈黙を守っている。大人の対応としてはそれしかない。いちいち抗弁してたら,その度に話題になってしまう。痛くもない腹を探られることになる。
支持を受けているがゆえの余裕かもしれない。財布を開いてお金を払ってくれるお客さんがたくさんいるのだ。風評など放っておけばいいと考えるだけの余裕があるのだろう。
● コンビニ弁当には保存料が入っているから食べない方がいい。そういう風評がなぜ広まったのかというのは,検討に値する問題かもしれない。
そういう風評が立つことで得をする側の人間がいる。いつ行ってもコンビニには弁当が並んでいるんだから,保存料をいれて長くもつようにしているのだろうと単純に思ってしまう人がいる。
● かつて船井幸雄という経営コンサルタント会社の社長がいた。著書もたくさん書いた人で,似非科学の普及に功績があった。彼が著書で紹介した人は次々にお縄になったり失脚するという,曲がりやでもあった。
その彼が,機内食は食べてはいけないと書いていた。航空会社の人に食べない方がいいと言われたというのだ。理由は同じだ。食中毒は絶対に出してはいけない機内食となれば,保存料なしですますわけにはいかないだろうと誰でも考えるだろう。
しかし,だ。保存料の害というのがいかほどのものであるかちゃんと知っている人がどれだけいるか。少なくとも,喫煙者や酒を飲む人や甘いものに目がない人が,保存料の害を心配する必要はないのではないか。
ともあれ。保存料が入っているものは身体に悪いので自分は食べない,とCAに言えるほどのエゴイストが,自分の半径3m以内にいたとすると,自分の居場所を変えたくなる人もいると思う。
● 機内食に保存料が使われているのかどうか,ぼくは知らない。が,コンビニ弁当となると話は別だ。
SNSでもコンビニを告発する投稿を見ることがある。自分はコンビニ弁当をつくる工場で働いていたことがある。マニュアルにしたがって保存料を振りかけたところ,そんな量じゃダメだ,もっと大量に使え,と上司に怒られた。と書かれている投稿を読んだことがある。もちろん,匿名だ。かなり悪質だ。
● はるかな昔。ぼくがまだ青年のはしりだった頃に,家電量販店(栃木県だとコジマ)が広がっていった。そのときもこういうことが言われた。コジマで売ってるものは安いけれどもすぐに壊れる。
ぼくの親などもその話を信じていた。信じていると,それに適う事例を集めてしまう。たまたまであろうが,他に理由があってそうなったのであろうが,やはりそうかという根拠になってしまう。
この場合も,そういう風評で得をする側の人間がいた。同じ商品をこれだけ安く売れるわけがないと単純に信じてしまう大衆がいた。
● 最近の小学校では運動会でも順位をつけない,ゴール前で後続者を待って皆で同時にゴールするのだ,という話もひと頃は流布した。今でもそう思っている人がいるかもしれない。
しかし,不思議なことがある。目撃者がいないのだ。自分の通っている小学校の運動会ではそうしているという児童は一人もいない。自分が勤務している小学校ではそうしているという教師も一人もいない。自分の子供が通っている小学校の運動会でそういう光景を見たという保護者も一人もいない。
ここから導かれる結論はひとつだ。実際にはそういう事実はなかった。つまり,これは都市伝説の類だった。口裂け女(古い!)の話と同じだ。
● 誰かが言いだした。あるいは,同時多発だったかもしれない。今の小学校ならいかにもありそうなことだと考えた人が多かったのだろう。それを聞いてそうなのだと信じてしまう。
“いかにもありそうなことだ”から信じるのは,思考停止の典型だ。都市伝説は多数者の思考停止から生まれるのだ。
以前からコンビニ弁当には保存料がどっさり入っているという風評がある。コンビニ側は一切の抗弁をしない。頑なに沈黙を守っている。大人の対応としてはそれしかない。いちいち抗弁してたら,その度に話題になってしまう。痛くもない腹を探られることになる。
支持を受けているがゆえの余裕かもしれない。財布を開いてお金を払ってくれるお客さんがたくさんいるのだ。風評など放っておけばいいと考えるだけの余裕があるのだろう。
● コンビニ弁当には保存料が入っているから食べない方がいい。そういう風評がなぜ広まったのかというのは,検討に値する問題かもしれない。
そういう風評が立つことで得をする側の人間がいる。いつ行ってもコンビニには弁当が並んでいるんだから,保存料をいれて長くもつようにしているのだろうと単純に思ってしまう人がいる。
● かつて船井幸雄という経営コンサルタント会社の社長がいた。著書もたくさん書いた人で,似非科学の普及に功績があった。彼が著書で紹介した人は次々にお縄になったり失脚するという,曲がりやでもあった。
その彼が,機内食は食べてはいけないと書いていた。航空会社の人に食べない方がいいと言われたというのだ。理由は同じだ。食中毒は絶対に出してはいけない機内食となれば,保存料なしですますわけにはいかないだろうと誰でも考えるだろう。
しかし,だ。保存料の害というのがいかほどのものであるかちゃんと知っている人がどれだけいるか。少なくとも,喫煙者や酒を飲む人や甘いものに目がない人が,保存料の害を心配する必要はないのではないか。
ともあれ。保存料が入っているものは身体に悪いので自分は食べない,とCAに言えるほどのエゴイストが,自分の半径3m以内にいたとすると,自分の居場所を変えたくなる人もいると思う。
● 機内食に保存料が使われているのかどうか,ぼくは知らない。が,コンビニ弁当となると話は別だ。
SNSでもコンビニを告発する投稿を見ることがある。自分はコンビニ弁当をつくる工場で働いていたことがある。マニュアルにしたがって保存料を振りかけたところ,そんな量じゃダメだ,もっと大量に使え,と上司に怒られた。と書かれている投稿を読んだことがある。もちろん,匿名だ。かなり悪質だ。
● はるかな昔。ぼくがまだ青年のはしりだった頃に,家電量販店(栃木県だとコジマ)が広がっていった。そのときもこういうことが言われた。コジマで売ってるものは安いけれどもすぐに壊れる。
ぼくの親などもその話を信じていた。信じていると,それに適う事例を集めてしまう。たまたまであろうが,他に理由があってそうなったのであろうが,やはりそうかという根拠になってしまう。
この場合も,そういう風評で得をする側の人間がいた。同じ商品をこれだけ安く売れるわけがないと単純に信じてしまう大衆がいた。
● 最近の小学校では運動会でも順位をつけない,ゴール前で後続者を待って皆で同時にゴールするのだ,という話もひと頃は流布した。今でもそう思っている人がいるかもしれない。
しかし,不思議なことがある。目撃者がいないのだ。自分の通っている小学校の運動会ではそうしているという児童は一人もいない。自分が勤務している小学校ではそうしているという教師も一人もいない。自分の子供が通っている小学校の運動会でそういう光景を見たという保護者も一人もいない。
ここから導かれる結論はひとつだ。実際にはそういう事実はなかった。つまり,これは都市伝説の類だった。口裂け女(古い!)の話と同じだ。
● 誰かが言いだした。あるいは,同時多発だったかもしれない。今の小学校ならいかにもありそうなことだと考えた人が多かったのだろう。それを聞いてそうなのだと信じてしまう。
“いかにもありそうなことだ”から信じるのは,思考停止の典型だ。都市伝説は多数者の思考停止から生まれるのだ。
2018年5月18日金曜日
2018.05.18 Facebook雑感
● 友だちが「いいね」した投稿を表示しなくなっている。いずれ復活するのだろうと思っているのだが,今のところはその気配がない。
したがって,情報を拡散させるためのツールとしてはだいぶ弱くなっている。拡散させるためには「シェア」しなければならないわけだから。「いいね」ボタンをクリックするのと,シェアするのとでは,明らかに後者の方が障壁が高い。
● 「いいね」の対象記事が自分のタイムラインに表示されないのは,ありがたくもある。これ,どちらがいいのかは,ぼくには判断しかねる。
ただ,「○○さんがこのイベントに興味があると言ってます」を表示してもらうよりは,「いいね」の対象記事を表示してもらった方がありがたいかな。
● FBの機能はてんこ盛りだ。が,ほとんどの人は,投稿と「いいね」とコメントとメッセしか使っていないだろう。それでいいのだと思う。
それ以上の機能を多用すると,だいたいは嫌われるんじゃないか。うるさい!ってね。
● それ以上に気になるのは,占いをはじめとする診断アプリが依然として猖獗をきわめていることだ。
ぼくの場合だと,“昭和○○年生まれの人は,今年大きく人生が転換します。特に△月生まれの人は2ヶ月以内にその転換が訪れます。詳しくはこちら”というのが表示される。4月当初から同じものが出ている。ひと月半経っても“2ヶ月以内”は変わらないんだけどね。
それを「いいね」したりシェアする人の数も減る気配がない。ネットリテラシーを決定的に欠く人が相当数いる(中高年に多いはずだと思っている)。ネットリテラシーを欠くと,その影響は本人にとどまらず,他人に迷惑をかけてしまうことになる。
● あと,広告の表示だ。表示される広告を見ていると,FBが追跡しているのはFBに投稿したものに限らない。
GoogleアカウントでFBにログインしているんだけれども,スマホ(Android)じたいをGoogleアカウントで使っているわけだし,パソコンもブラウザはChromeなので,同様にGoogleアカウントが基本になる。そうしなければ,不便でしょうがないという程度にはGoogleに依存している。
その結果どうなるかというと,TwitterにツイートするとFBに表示される広告がそれに沿ったものに変わる。アマゾンのサイトに行って,何かの商品を参照すると,FBの広告がそれを反映する。
具体的に実害はないんだけれども,あまりいい気分のものではないよね。
● ちなみに,FBに表示される企業の広告に「いいね」すると,その「いいね」は半永久的に使われるからね。その広告に載っている商品に限定されず,半永久的に。
3年後や5年後,10年後の当該企業の広告にも「××さんがいいねしました」と表示され続けるんだよ。これまた,実害はないと思うけれども,「なんだ,こいつ,こんな商品をいいと思ってるのか」と思われるかもよ。
一時の気迷いで半永久的な禍根を残してしまう可能性があるってことね。
● それやこれやを考えると,無料の代償はけっこう高いのかもしれないねぇ。
● Twitterには140文字という制約がある。FBにはそれがない。が,140字を超える投稿はFBでもかなり少ない。スマホを使っている人が多いからだろう。
日本語の140字は相当に広い空間でもあるのだろう。400字詰め原稿用紙で7行分だもんな。かなりの長さだよね。
● そこで考えなければならないことは,あまり長いとスマホでは読むのも大変だということだ。基本,長文投稿は嫌われると思うべきだろう。ぼくなんかはFBではわりと長さを気にせずに書いてしまうんだけど,よくないね,これはね。
FBでも簡潔を旨とすべし。難しいけれども,簡潔にしてなお意を尽くす文章を追求すべし。
したがって,情報を拡散させるためのツールとしてはだいぶ弱くなっている。拡散させるためには「シェア」しなければならないわけだから。「いいね」ボタンをクリックするのと,シェアするのとでは,明らかに後者の方が障壁が高い。
● 「いいね」の対象記事が自分のタイムラインに表示されないのは,ありがたくもある。これ,どちらがいいのかは,ぼくには判断しかねる。
ただ,「○○さんがこのイベントに興味があると言ってます」を表示してもらうよりは,「いいね」の対象記事を表示してもらった方がありがたいかな。
● FBの機能はてんこ盛りだ。が,ほとんどの人は,投稿と「いいね」とコメントとメッセしか使っていないだろう。それでいいのだと思う。
それ以上の機能を多用すると,だいたいは嫌われるんじゃないか。うるさい!ってね。
● それ以上に気になるのは,占いをはじめとする診断アプリが依然として猖獗をきわめていることだ。
ぼくの場合だと,“昭和○○年生まれの人は,今年大きく人生が転換します。特に△月生まれの人は2ヶ月以内にその転換が訪れます。詳しくはこちら”というのが表示される。4月当初から同じものが出ている。ひと月半経っても“2ヶ月以内”は変わらないんだけどね。
それを「いいね」したりシェアする人の数も減る気配がない。ネットリテラシーを決定的に欠く人が相当数いる(中高年に多いはずだと思っている)。ネットリテラシーを欠くと,その影響は本人にとどまらず,他人に迷惑をかけてしまうことになる。
● あと,広告の表示だ。表示される広告を見ていると,FBが追跡しているのはFBに投稿したものに限らない。
GoogleアカウントでFBにログインしているんだけれども,スマホ(Android)じたいをGoogleアカウントで使っているわけだし,パソコンもブラウザはChromeなので,同様にGoogleアカウントが基本になる。そうしなければ,不便でしょうがないという程度にはGoogleに依存している。
その結果どうなるかというと,TwitterにツイートするとFBに表示される広告がそれに沿ったものに変わる。アマゾンのサイトに行って,何かの商品を参照すると,FBの広告がそれを反映する。
具体的に実害はないんだけれども,あまりいい気分のものではないよね。
● ちなみに,FBに表示される企業の広告に「いいね」すると,その「いいね」は半永久的に使われるからね。その広告に載っている商品に限定されず,半永久的に。
3年後や5年後,10年後の当該企業の広告にも「××さんがいいねしました」と表示され続けるんだよ。これまた,実害はないと思うけれども,「なんだ,こいつ,こんな商品をいいと思ってるのか」と思われるかもよ。
一時の気迷いで半永久的な禍根を残してしまう可能性があるってことね。
● それやこれやを考えると,無料の代償はけっこう高いのかもしれないねぇ。
● Twitterには140文字という制約がある。FBにはそれがない。が,140字を超える投稿はFBでもかなり少ない。スマホを使っている人が多いからだろう。
日本語の140字は相当に広い空間でもあるのだろう。400字詰め原稿用紙で7行分だもんな。かなりの長さだよね。
● そこで考えなければならないことは,あまり長いとスマホでは読むのも大変だということだ。基本,長文投稿は嫌われると思うべきだろう。ぼくなんかはFBではわりと長さを気にせずに書いてしまうんだけど,よくないね,これはね。
FBでも簡潔を旨とすべし。難しいけれども,簡潔にしてなお意を尽くす文章を追求すべし。
2018年5月17日木曜日
2018.05.17 結婚制度は空洞化する
● 今日は古紙回収の日なので,古紙をゴミステーションに持っていく。新聞を取らなくなっているから新聞紙と折り込みチラシはなくなった。その分,ダンボールが大きく増えた。ネット通販のせい(?)だ。どちらのご家庭でも同じでしょう。
洗濯物を干して掃除機をかけ,かたわら朝食の準備をして,食べたら洗って片づける。
● 何というか,家事って楽だ。これなら,男やもめにも蛆がわくこともあるまいし,若い独身男性が自分でお弁当を作って会社に持っていくのもむべなるかな,と思う。
何を言いたいのかというと,男が生活していくのに女手は要らなくなったということ。
● 女が生きていくのにも男手を必要としない。かなり以前からそうなっている。女性は結婚したら退職するものという風潮はとっくに消えている。
今は女性でも自分の食い扶持を稼ぐことは難なくできる。男性の稼ぎに頼る必要はない。
● こうして男女とも互いを必要としなくなったのに,結婚が廃れないのが不思議だ。
晩婚化,非婚化は以前から言われていて,実際にそういうことになっているのだけれども,結婚という制度じたいは盤石のように思える。
● 最も古い女性の職業は売春だと聞いたことがある。叱られるのを覚悟で申しあげるんだけど,ぼくは結婚も売春の一形態だと思っているのだ。結婚が通常の売春と異なるのは,相手が不特定多数ではないことと,行為の度に金銭の授受が行われるわけではないことだ。
女性が結婚しないで生存を確保することは難しかった時代が長く続いた(そうじゃなくなったのはさほど昔ではない)。その時代の結婚は,行為の度に金銭で精算するのではなく,自らの生存と生活を確保するという報酬と引替に性を提供する長期売春であったろう。
● もはや女性がそんなことをする必要はなくなった。にもかかわらず,結婚は祝祭であり続けている。
その理由はひとつしか考えられない。子供が欲しいということだ。これがなくなると,結婚という社会制度は崩壊していくはずだ。
● ぼくは少子化を問題視するのは問題だと思っている。向かうべくして向かっている方向のように思う。ので,今後当分の間は,子供を持ちたいという欲望も希薄化するのではないかと予想している。
それが非婚化・晩婚化なのであるけれども,それがさらに進行するだろう。結婚という制度は存続するけれども,その制度を利用する人は減り続ける。
● それで困るのは,じつは年寄りだけだ。支えてくれる人が減り続けるわけだから。が,年寄りが困ることによって誰が困るか。誰も困らない。放っておけばいい。
が,年寄りはすでに社会のマジョリティーであって,選挙制度の下では彼ら年寄りの利益が優先されがちになるだろうことも,容易に予測できる。
● さて,このせめぎ合いはどうなるか。ぼくは少子化はメカニカルなものだと考えているので,年寄りの利益がどうであろうと,選挙結果がどうであろうと,少子化は進行し,結婚制度は空洞化すると思っている。
洗濯物を干して掃除機をかけ,かたわら朝食の準備をして,食べたら洗って片づける。
● 何というか,家事って楽だ。これなら,男やもめにも蛆がわくこともあるまいし,若い独身男性が自分でお弁当を作って会社に持っていくのもむべなるかな,と思う。
何を言いたいのかというと,男が生活していくのに女手は要らなくなったということ。
● 女が生きていくのにも男手を必要としない。かなり以前からそうなっている。女性は結婚したら退職するものという風潮はとっくに消えている。
今は女性でも自分の食い扶持を稼ぐことは難なくできる。男性の稼ぎに頼る必要はない。
● こうして男女とも互いを必要としなくなったのに,結婚が廃れないのが不思議だ。
晩婚化,非婚化は以前から言われていて,実際にそういうことになっているのだけれども,結婚という制度じたいは盤石のように思える。
● 最も古い女性の職業は売春だと聞いたことがある。叱られるのを覚悟で申しあげるんだけど,ぼくは結婚も売春の一形態だと思っているのだ。結婚が通常の売春と異なるのは,相手が不特定多数ではないことと,行為の度に金銭の授受が行われるわけではないことだ。
女性が結婚しないで生存を確保することは難しかった時代が長く続いた(そうじゃなくなったのはさほど昔ではない)。その時代の結婚は,行為の度に金銭で精算するのではなく,自らの生存と生活を確保するという報酬と引替に性を提供する長期売春であったろう。
● もはや女性がそんなことをする必要はなくなった。にもかかわらず,結婚は祝祭であり続けている。
その理由はひとつしか考えられない。子供が欲しいということだ。これがなくなると,結婚という社会制度は崩壊していくはずだ。
● ぼくは少子化を問題視するのは問題だと思っている。向かうべくして向かっている方向のように思う。ので,今後当分の間は,子供を持ちたいという欲望も希薄化するのではないかと予想している。
それが非婚化・晩婚化なのであるけれども,それがさらに進行するだろう。結婚という制度は存続するけれども,その制度を利用する人は減り続ける。
● それで困るのは,じつは年寄りだけだ。支えてくれる人が減り続けるわけだから。が,年寄りが困ることによって誰が困るか。誰も困らない。放っておけばいい。
が,年寄りはすでに社会のマジョリティーであって,選挙制度の下では彼ら年寄りの利益が優先されがちになるだろうことも,容易に予測できる。
● さて,このせめぎ合いはどうなるか。ぼくは少子化はメカニカルなものだと考えているので,年寄りの利益がどうであろうと,選挙結果がどうであろうと,少子化は進行し,結婚制度は空洞化すると思っている。
2018.05.17 氏家のブックオフで
● ブックオフで,特に百円になった本が並んでいる棚を見て,思うことは,経済的価値に限定すれば,本も生鮮食品と同じだということだ。買ったらサッサと読まないといけない。放っておくと短期間で腐る。腐って捨てるしかないものになる。
わが家の書庫にも昔から積ん読にしている本が,千冊か2千冊かわからないけれども,かなりの数,ある。その中にはブックオフに百円で並んでいるものがいくつもある。大半は百円の価値すらなくなっているだろう。
● 本は読み終えたら処分すべきものだとも思う。保存しておくものではない。それをやっていいのは,その道の専門家が仕事で使う本や資料に限られるだろう。
娯楽としての読書,消費としての読書,暇つぶしとしての読書の場合は,そのために買った本はサッサと読んでサッサと処分するのが原則だ。
● もう一度読むかもしれないなどと考えない方がいい。また読みたくなったら,それこそブックオフで百円になっているのを買えばいいのだし,図書館で借りればいいのだ。
ぼくが買うような本はいわゆる駄本であって,多くの人が買うものだ。そういうものは,無料の貸本屋である市町村立の図書館にたいていある。御用とお急ぎでなければ,図書館でだいたい読める。
● というか,読み返すような本は滅多にないことは,経験則に照らしてわかっていることではないか。だから,百円の価値もなくなったものに屋内の空間を占拠させておいてはいけないのだ。
わが家の書庫にも昔から積ん読にしている本が,千冊か2千冊かわからないけれども,かなりの数,ある。その中にはブックオフに百円で並んでいるものがいくつもある。大半は百円の価値すらなくなっているだろう。
● 本は読み終えたら処分すべきものだとも思う。保存しておくものではない。それをやっていいのは,その道の専門家が仕事で使う本や資料に限られるだろう。
娯楽としての読書,消費としての読書,暇つぶしとしての読書の場合は,そのために買った本はサッサと読んでサッサと処分するのが原則だ。
● もう一度読むかもしれないなどと考えない方がいい。また読みたくなったら,それこそブックオフで百円になっているのを買えばいいのだし,図書館で借りればいいのだ。
ぼくが買うような本はいわゆる駄本であって,多くの人が買うものだ。そういうものは,無料の貸本屋である市町村立の図書館にたいていある。御用とお急ぎでなければ,図書館でだいたい読める。
● というか,読み返すような本は滅多にないことは,経験則に照らしてわかっていることではないか。だから,百円の価値もなくなったものに屋内の空間を占拠させておいてはいけないのだ。
2018年5月13日日曜日
2018.05.13 ロイヤルパークホテルに投宿 2
● ラウンジで朝食。和食があれば,それを選ぶことが多くなった。味噌汁から卵焼き,タクアンに至るまで,すこぶる美味。
ラウンジでもオムレツサービスはあった。けど,今回,ぼくはパス。相方によれば,美味しいよとのこと。
● 一周してまたここを定宿にすることになるかもしれない。絶対神(相方)のお考え次第だけれども,そうなりそうな予感がする。
理由の第一は,安いから。第二に地の利がいいから。東京のどこにあれば地の利が悪いというのかは,ここでは考えないでおく。
● このホテル,今年で開業30年になるらしい。バブルが弾ける前にできている。ので,バブルの香りがけっこう残っている。無駄に豪奢なロビーとか,宴会場が過剰なところとか。
過剰を活用しきれなくて,まるごと眠らせてしまっているフロアもある(今回はたまたまそうだったのかもしれないが)。ラウンジも宴会場を転用したものだけれども,スペースの有効活用は言うほど簡単じゃない。
● この値段で利用できるわけだから,エグゼクティブラウンジという名称にも関わらず,ぼくらが典型的にそうなんだけど,安さに惹かれてやってきた人しかいない。客層は田舎の大衆食堂のそれと変わらない。
社会人になりたての若者のカップルや専門学校で勉強中とおぼしきカップルもいて,逆にいうと緊張しなくてすむ。
● この傾向は他のホテルでも似たようなものだ。ぼくらが想像するエグゼクティブというのは,この世に存在しないのかもしれないね。キッチリとお洒落して,所作がきれいで,物静かで,教養があって,温厚で,控えめで,っていうのは,架空のドラマとか小説とか漫画にしか存在しないものなんでしょうかねぇ。
日本はサラリーマン社会で,学歴も収入も価値観も似たような人たちが集まって集団を作っていて,他の集団と交わることがあまりない。ので,自分たちの集団はそうじゃないけれど,きっと世の中には“エグゼクティブ”な集団が存在するんだろうと思ってしまいがちなのかもね。
● 朝食後はロビーをウロウロしたり,サウナに入ったりしているうちに,時間はスルスルと過ぎて,チェックアウトの時刻(正午)になった。
手続きはラウンジでできる。こちらはコーヒーを飲んでいればいい。
● 来るときには東京駅から歩いた。ぼく一個は歩くことをあまり苦にしないから,このホテルは東京駅から徒歩圏内だと言い切りたいが,人には勧めづらいかも。
帰りは錦糸町に出る予定。となると,東京駅まで歩いて秋葉原で乗り換えるか,人形町駅から日比谷線に乗って上野に出るか,どちらがいいかなぁと考えてしまう。JRで行くことをまず発想しちゃうんですよね。
このホテルは半蔵門線の水天宮前駅と直結してて,半蔵門線で3駅目が錦糸町だ。
ラウンジでもオムレツサービスはあった。けど,今回,ぼくはパス。相方によれば,美味しいよとのこと。
● 一周してまたここを定宿にすることになるかもしれない。絶対神(相方)のお考え次第だけれども,そうなりそうな予感がする。
理由の第一は,安いから。第二に地の利がいいから。東京のどこにあれば地の利が悪いというのかは,ここでは考えないでおく。
● このホテル,今年で開業30年になるらしい。バブルが弾ける前にできている。ので,バブルの香りがけっこう残っている。無駄に豪奢なロビーとか,宴会場が過剰なところとか。
過剰を活用しきれなくて,まるごと眠らせてしまっているフロアもある(今回はたまたまそうだったのかもしれないが)。ラウンジも宴会場を転用したものだけれども,スペースの有効活用は言うほど簡単じゃない。
● この値段で利用できるわけだから,エグゼクティブラウンジという名称にも関わらず,ぼくらが典型的にそうなんだけど,安さに惹かれてやってきた人しかいない。客層は田舎の大衆食堂のそれと変わらない。
社会人になりたての若者のカップルや専門学校で勉強中とおぼしきカップルもいて,逆にいうと緊張しなくてすむ。
● この傾向は他のホテルでも似たようなものだ。ぼくらが想像するエグゼクティブというのは,この世に存在しないのかもしれないね。キッチリとお洒落して,所作がきれいで,物静かで,教養があって,温厚で,控えめで,っていうのは,架空のドラマとか小説とか漫画にしか存在しないものなんでしょうかねぇ。
日本はサラリーマン社会で,学歴も収入も価値観も似たような人たちが集まって集団を作っていて,他の集団と交わることがあまりない。ので,自分たちの集団はそうじゃないけれど,きっと世の中には“エグゼクティブ”な集団が存在するんだろうと思ってしまいがちなのかもね。
● 朝食後はロビーをウロウロしたり,サウナに入ったりしているうちに,時間はスルスルと過ぎて,チェックアウトの時刻(正午)になった。
手続きはラウンジでできる。こちらはコーヒーを飲んでいればいい。
● 来るときには東京駅から歩いた。ぼく一個は歩くことをあまり苦にしないから,このホテルは東京駅から徒歩圏内だと言い切りたいが,人には勧めづらいかも。
帰りは錦糸町に出る予定。となると,東京駅まで歩いて秋葉原で乗り換えるか,人形町駅から日比谷線に乗って上野に出るか,どちらがいいかなぁと考えてしまう。JRで行くことをまず発想しちゃうんですよね。
このホテルは半蔵門線の水天宮前駅と直結してて,半蔵門線で3駅目が錦糸町だ。
2018年5月12日土曜日
2018.05.12 ロイヤルパークホテルに投宿
● 日本橋蛎殻町のロイヤルパークホテルに投宿。今から20年前,何度か泊まってた。じつにもって久しぶり。
わが家の東京での宿は,このホテルからウェスティン→インターコンチネンタル東京ベイ→シェラトン都,と変遷してるんだけど,そうなったのは理由がある。というのは...(以下,略)
● 今回の宿泊料金は2万円。1人あたりなら1万円。この場所なら素泊りでも安いかも。上野のカプセルホテルでも4千円なんだから。それでラウンジまで使えるんだから,破格であります。
相方がネットで見つけた。黄金週間の翌週だとお客が退くんでしょうね。あり得ないプランが飛びだしてくる。
● 今日は天気がいいので,自転車日和。できれば自転車でどこかに出かけてみたかった。が,わが家の絶対神のおっしゃることに,こちらが異議を申し立てることは許されない。
とはいえ,本当にイヤなら拒否するだろうから,ぼくも自転車よりこちらを選んだということね。
● まずは20階のラウンジでハイボールを。2時間ほど席を占めてしまった。最長記録だ。つまり,眼下の景色を含めて居心地がいいということ。
部屋は1449号室。広い部屋にアップグレードされていた。ひょっとすると,この部屋番号が嫌われていて,アップグレード用になっているのかもしれない(ま,そんなことはないんだろうけど)。もしそうなら,49をシク(死苦)と読んでしまうからいけない。ヨク(なる)と読むべきなのだ。アメニティはロクシタン。
● 20年前の楽しみは朝食だった。落合さんというシェフがいらして,目の前でオムレツを作ってくれた。
その種のサービスは今は普通になっていると思うんだけど,落合さんのオムレツほど旨いのは,その後,食べたことがない。ただし,そのときの記憶が美化されてしまっているかもしれない。
● 夜,相方と人形町を歩いてみた。いろんな店(飲食店)があって,歩いているだけでも楽しい。酒場に入って酒を飲めばもっと楽しいだろう。が,ラウンジでハイボールを5杯飲んで,ぼくはかなり酩酊気味だ。相方は下戸に近い。っていうか,下戸だ。
ので,ラーメンを食べてホテルに戻った。パキスタンかバングラデシュ出身とおぼしき若者が麺を茹でていた。
わが家の東京での宿は,このホテルからウェスティン→インターコンチネンタル東京ベイ→シェラトン都,と変遷してるんだけど,そうなったのは理由がある。というのは...(以下,略)
相方がネットで見つけた。黄金週間の翌週だとお客が退くんでしょうね。あり得ないプランが飛びだしてくる。
● 今日は天気がいいので,自転車日和。できれば自転車でどこかに出かけてみたかった。が,わが家の絶対神のおっしゃることに,こちらが異議を申し立てることは許されない。
とはいえ,本当にイヤなら拒否するだろうから,ぼくも自転車よりこちらを選んだということね。
● まずは20階のラウンジでハイボールを。2時間ほど席を占めてしまった。最長記録だ。つまり,眼下の景色を含めて居心地がいいということ。
部屋は1449号室。広い部屋にアップグレードされていた。ひょっとすると,この部屋番号が嫌われていて,アップグレード用になっているのかもしれない(ま,そんなことはないんだろうけど)。もしそうなら,49をシク(死苦)と読んでしまうからいけない。ヨク(なる)と読むべきなのだ。アメニティはロクシタン。
その種のサービスは今は普通になっていると思うんだけど,落合さんのオムレツほど旨いのは,その後,食べたことがない。ただし,そのときの記憶が美化されてしまっているかもしれない。
● 夜,相方と人形町を歩いてみた。いろんな店(飲食店)があって,歩いているだけでも楽しい。酒場に入って酒を飲めばもっと楽しいだろう。が,ラウンジでハイボールを5杯飲んで,ぼくはかなり酩酊気味だ。相方は下戸に近い。っていうか,下戸だ。
ので,ラーメンを食べてホテルに戻った。パキスタンかバングラデシュ出身とおぼしき若者が麺を茹でていた。
2018.05.12 「さぼてん」のトンカツ
● これから相方と東京に行く。昼時だったので,宇都宮で何か食べていきましょということになった。
駅から大きく離れるわけにはいかないから,丸亀製麺のうどんか,銀だこでたこ焼きを買って駅のホームで食べるか,おおよそそんなところではないかと思っていた。
● ら。「さぼてん」に入ることになった。ぼく一人ならまずやらない贅沢に属する。吉野家かモスバーガーにしたはずだ。吉野家で牛丼並みと生卵にすれば440円なのに対して,「さぼてん」でトンカツ定食を食べれば1,500円になるんだからね。
相方はすでにバカンスモードになっているようだった(1泊2日なのだが)。バカンスなんだからお金を使っていい。
● かつて,トンカツはビフテキと並んで,一度は食べてみたい憧れの食べものだった。その時代を知る人はだんだん少なくなっているかもしれないけれども,確実にそうだったのだ。そういう時代があったのだ。
トンカツの名店は全国各地にあるに違いない。それらの店は,贅沢を満たしてくれるハレの場でもあったはずなのだ。
● ただ,ぼく一個は食に対する訴求点が高くないこともあって,それらの名店を探して訪ねるという情熱は持っていない。それもあってか,トンカツなら全国のどこにでもある「さぼてん」でいいじゃないかと思っている。
しかも,店で食べるまでもなく,弁当を買えばいい,と。なぜなら,弁当の方が安いから。ま,ぼくの食へのこだわりはそんなものでしかない。
● というわけなので,「さぼてん」の店内で食べるのは数年ぶりのことになる(数年前にここでビールを飲んだことがあった)。何度か来ているから勝手はわかっている。
千切りキャベツがお代わり自由なのだよね。このキャベツ,旨いよね。このキャベツが食べたくて「さぼてん」に来る人がいるのじゃないかと思うほどだ。ドレッシングは2種。
味噌汁とご飯もお代わり自由。おかずがトンカツなんだから,そんなには食べられないはずだけどね。味噌汁は赤味噌。旨い味噌汁だと思う。普段,味噌汁は食べないから,なおのことおう思うのかもしれないんだけど。
● スタッフはバイトでしょ。にしては,対応はほぼ完璧。明日からでもホテルスタッフが務まりそうに思えるんだけども,そうは問屋が卸さないものなんですかね。
いやいや,そんなことはないと思うな。やれるはずだな。
● テーブルは二人用のものが多くて,これなら一人で来ても申しわけなさを感じなくてすむと思う。こういうところ,チェーン店はきっちり対応している。ファミリーや友人たちと5,6人で利用するなんて,居酒屋以外にはなくなっているもんね。少人数での利用を想定しなければいけない。
個人営業のところは,団欒を提供したいという店側の思いが先行しているのか,現実にそぐわないレイアウトだなと思うことが多いんだけど,チェーン店はそのあたりに抜かりはない。
● というわけで,満足して店を出た。が,ぼく一人で来ることがこの先あるかどうか。やっぱ,吉野家にしちゃいそうだ。
駅から大きく離れるわけにはいかないから,丸亀製麺のうどんか,銀だこでたこ焼きを買って駅のホームで食べるか,おおよそそんなところではないかと思っていた。
● ら。「さぼてん」に入ることになった。ぼく一人ならまずやらない贅沢に属する。吉野家かモスバーガーにしたはずだ。吉野家で牛丼並みと生卵にすれば440円なのに対して,「さぼてん」でトンカツ定食を食べれば1,500円になるんだからね。
相方はすでにバカンスモードになっているようだった(1泊2日なのだが)。バカンスなんだからお金を使っていい。
● かつて,トンカツはビフテキと並んで,一度は食べてみたい憧れの食べものだった。その時代を知る人はだんだん少なくなっているかもしれないけれども,確実にそうだったのだ。そういう時代があったのだ。
トンカツの名店は全国各地にあるに違いない。それらの店は,贅沢を満たしてくれるハレの場でもあったはずなのだ。
● ただ,ぼく一個は食に対する訴求点が高くないこともあって,それらの名店を探して訪ねるという情熱は持っていない。それもあってか,トンカツなら全国のどこにでもある「さぼてん」でいいじゃないかと思っている。
しかも,店で食べるまでもなく,弁当を買えばいい,と。なぜなら,弁当の方が安いから。ま,ぼくの食へのこだわりはそんなものでしかない。
● というわけなので,「さぼてん」の店内で食べるのは数年ぶりのことになる(数年前にここでビールを飲んだことがあった)。何度か来ているから勝手はわかっている。
千切りキャベツがお代わり自由なのだよね。このキャベツ,旨いよね。このキャベツが食べたくて「さぼてん」に来る人がいるのじゃないかと思うほどだ。ドレッシングは2種。
味噌汁とご飯もお代わり自由。おかずがトンカツなんだから,そんなには食べられないはずだけどね。味噌汁は赤味噌。旨い味噌汁だと思う。普段,味噌汁は食べないから,なおのことおう思うのかもしれないんだけど。
● スタッフはバイトでしょ。にしては,対応はほぼ完璧。明日からでもホテルスタッフが務まりそうに思えるんだけども,そうは問屋が卸さないものなんですかね。
いやいや,そんなことはないと思うな。やれるはずだな。
● テーブルは二人用のものが多くて,これなら一人で来ても申しわけなさを感じなくてすむと思う。こういうところ,チェーン店はきっちり対応している。ファミリーや友人たちと5,6人で利用するなんて,居酒屋以外にはなくなっているもんね。少人数での利用を想定しなければいけない。
個人営業のところは,団欒を提供したいという店側の思いが先行しているのか,現実にそぐわないレイアウトだなと思うことが多いんだけど,チェーン店はそのあたりに抜かりはない。
● というわけで,満足して店を出た。が,ぼく一人で来ることがこの先あるかどうか。やっぱ,吉野家にしちゃいそうだ。
2018年5月10日木曜日
2018.05.10 プチひさしぶりで「みやこ家」
● 今日は自転車で烏山の小木須から茂木を走ってきた。どうも調子が良くなくて,家に戻ったときには寒気もした。さっさと風呂に入って,寝てしまいたい。
が,相方が外に食べに行こうという。ので,車を運転して出かけた。
● 行くとすれば,氏家の「みやこ家」か「登竜」か「魚べい」。宇都宮(岡本)の「宇都宮スパ屋」。昼間なら烏山の「クローバー」と宇都宮の「いづつや」も選択肢に入るけれども,ま,そんなものだ。
ちょっと足をのばすことが多くて,地元の店にはほとんど行かない。こちら側(主には相方)にそうしたくない事情があって。
● 美味しい店があると耳にすれば千里の道も遠しとしないで出かけていく,というほどグルメではない。選択肢がたくさんあると決めかねてしまうというのもあるけれども,食べものなんて食べられるものであればいいと思ってしまっているゆえでもある。
上に挙げたのは,ラーメン屋であったり回転寿司であったりするわけだけど,だから不味いとかB級だと言われるのは心外だ。旨いか不味いかの話になれば,旨い店だと思う。グルメではないからといって,わざわざ不味い店に行くはずもないのだ。
● で,「みやこ家」へ。濃厚煮干しつけ麺を注文。中太麺(平打麺)を食べたくなったので。しかも,大盛り。寒気がしているというのに,食欲はあるのだ。
中太麺を食べるなら,煮干しつけ麺か“まぜそば”になる。石焼きつけ麺は極太麺がデフォルト。頼めば中太麺にもしてもらえるので,そうしてみたこともあるんだけど,極太麺がデフォルトになっているのは理由があってのことなのだと知る結果になった。
● 完食した。これで,明日は大丈夫だと思った。が,帰宅後は風呂に入ってすぐに寝た。
が,相方が外に食べに行こうという。ので,車を運転して出かけた。
● 行くとすれば,氏家の「みやこ家」か「登竜」か「魚べい」。宇都宮(岡本)の「宇都宮スパ屋」。昼間なら烏山の「クローバー」と宇都宮の「いづつや」も選択肢に入るけれども,ま,そんなものだ。
ちょっと足をのばすことが多くて,地元の店にはほとんど行かない。こちら側(主には相方)にそうしたくない事情があって。
● 美味しい店があると耳にすれば千里の道も遠しとしないで出かけていく,というほどグルメではない。選択肢がたくさんあると決めかねてしまうというのもあるけれども,食べものなんて食べられるものであればいいと思ってしまっているゆえでもある。
上に挙げたのは,ラーメン屋であったり回転寿司であったりするわけだけど,だから不味いとかB級だと言われるのは心外だ。旨いか不味いかの話になれば,旨い店だと思う。グルメではないからといって,わざわざ不味い店に行くはずもないのだ。
● で,「みやこ家」へ。濃厚煮干しつけ麺を注文。中太麺(平打麺)を食べたくなったので。しかも,大盛り。寒気がしているというのに,食欲はあるのだ。
中太麺を食べるなら,煮干しつけ麺か“まぜそば”になる。石焼きつけ麺は極太麺がデフォルト。頼めば中太麺にもしてもらえるので,そうしてみたこともあるんだけど,極太麺がデフォルトになっているのは理由があってのことなのだと知る結果になった。
● 完食した。これで,明日は大丈夫だと思った。が,帰宅後は風呂に入ってすぐに寝た。
2018年5月9日水曜日
2018.05.09 観光客が増えているのに,宿泊客は減っている
● これも今日の下野新聞。観光客が増えているのに,宿泊客は減っている問題。
地の利がいいから日帰りですむのかもしれないし,“ちょっと途中下車して”的な観光客が多いのかもしれない。目的は栃木以外なんだけども,ついでに栃木にも立ち寄る,というか。
が,それだけでは,栃木だけ突出して減少している理由としては弱いね。
● 結局,泊まるだけの魅力はないと見られている。そういうことになってしまう。本当に魅力がないのかどうか。それはわからない。わからないけれども,それは市場が決めることだ。つまり,お客さんが決める。
ここで大事なことは,PR不足だという逃げにいかないことだ。この情報時代にPR不足などあるわけがない。PR不要の時代だ。
実力がないということなのだ。だから,実力をつけなければいけない。
● 率直に申しあげると,供給側のスクラップ&ビルドがないのが,宿泊したいと思わせるだけの魅力が高まってこない最大の理由だと思っている。供給側の既得権を維持するためのディスティネーション・キャンペーンになっていないか。
魅力を高めたいなら,その能力か意欲を欠く業者は淘汰されなければならない。それがないから実力がつかない。十年一日のごとき仕事をしながらお客さんに来てもらおう,泊まってもらおうというのは,虫がよすぎないか。
優勝劣敗を利かせなければ魅力は高まらない。その覚悟がサプライヤーから伝わってこない。変わろうと努力し続けなければ変わらないでいることすらできない。その気概がサプライヤーから伝わってこない。
● いや,供給側の選手交代はこれまでにもあることはあった。バブル期にバカをやったところと,そもそも業界に参入してはいけなかった業者(“かんぽ”のことだ)は,退場を余儀なくされた。
けれども,バブル期にバカをやったところと何もしないで指をくわえて見ていたところでは,結果は後者に良しとなったが,ともかく動いた分だけ前者を買いたいと,ぼくなんぞは思う。
● 観光というから間違える。要は物見遊山なわけでね。日光に来たからといって,東照宮を仔細に見学するとか,中禅寺湖の景観を長時間愛でるという具合にはならない。
来た,見た,という事実があれば充分だ。外国人も同様だろう。あとは土産を物色したり,友だちとお喋りして過ごすのだ。
● その遊山に対応できなければいけないんだけど,そのためには観光資源の周辺がものを言う。第一には食。このあたりが昭和の宴会宿泊時代のままになっている。
もし,旅館やホテルが客を館内に囲い込もうとするなら,よほど上手くやらないと,藪蛇になる。「ホテルサンバレー那須」のやり方が上手いと思っているけれど,もう10年以上行っていないから,今もそうなのかはわからない。
● 日光では「リッツ・カールトン」に期待している。地元から湧いてくるものより,よそ者が持ち込むものの方が,地元に裨益する。たいてい,そうだ。
鬼怒川や川治だって,星野リゾートが来てくれて,魅力の総体はあがったのではないか。
地の利がいいから日帰りですむのかもしれないし,“ちょっと途中下車して”的な観光客が多いのかもしれない。目的は栃木以外なんだけども,ついでに栃木にも立ち寄る,というか。
が,それだけでは,栃木だけ突出して減少している理由としては弱いね。
● 結局,泊まるだけの魅力はないと見られている。そういうことになってしまう。本当に魅力がないのかどうか。それはわからない。わからないけれども,それは市場が決めることだ。つまり,お客さんが決める。
ここで大事なことは,PR不足だという逃げにいかないことだ。この情報時代にPR不足などあるわけがない。PR不要の時代だ。
実力がないということなのだ。だから,実力をつけなければいけない。
● 率直に申しあげると,供給側のスクラップ&ビルドがないのが,宿泊したいと思わせるだけの魅力が高まってこない最大の理由だと思っている。供給側の既得権を維持するためのディスティネーション・キャンペーンになっていないか。
魅力を高めたいなら,その能力か意欲を欠く業者は淘汰されなければならない。それがないから実力がつかない。十年一日のごとき仕事をしながらお客さんに来てもらおう,泊まってもらおうというのは,虫がよすぎないか。
優勝劣敗を利かせなければ魅力は高まらない。その覚悟がサプライヤーから伝わってこない。変わろうと努力し続けなければ変わらないでいることすらできない。その気概がサプライヤーから伝わってこない。
● いや,供給側の選手交代はこれまでにもあることはあった。バブル期にバカをやったところと,そもそも業界に参入してはいけなかった業者(“かんぽ”のことだ)は,退場を余儀なくされた。
けれども,バブル期にバカをやったところと何もしないで指をくわえて見ていたところでは,結果は後者に良しとなったが,ともかく動いた分だけ前者を買いたいと,ぼくなんぞは思う。
● 観光というから間違える。要は物見遊山なわけでね。日光に来たからといって,東照宮を仔細に見学するとか,中禅寺湖の景観を長時間愛でるという具合にはならない。
来た,見た,という事実があれば充分だ。外国人も同様だろう。あとは土産を物色したり,友だちとお喋りして過ごすのだ。
● その遊山に対応できなければいけないんだけど,そのためには観光資源の周辺がものを言う。第一には食。このあたりが昭和の宴会宿泊時代のままになっている。
もし,旅館やホテルが客を館内に囲い込もうとするなら,よほど上手くやらないと,藪蛇になる。「ホテルサンバレー那須」のやり方が上手いと思っているけれど,もう10年以上行っていないから,今もそうなのかはわからない。
● 日光では「リッツ・カールトン」に期待している。地元から湧いてくるものより,よそ者が持ち込むものの方が,地元に裨益する。たいてい,そうだ。
鬼怒川や川治だって,星野リゾートが来てくれて,魅力の総体はあがったのではないか。
2018.05.09 研究者も楽ではない
● 今日の下野新聞。高被引用論文。名誉なことなんでしょうねぇ。FBで“いいね”がたくさん付くのとはわけが違う。
● そういう論文を書く人が,40歳で助教というのもなぁ。上が詰まっててどうしようもないのか。
もっとも,教授や准教授になっても雑用が増えるだけだから,助教のままでいるのが正解なのか。事情が許せばずっと院生でいたい,という人もいるかも。
● 研究に没頭できるのは,院生や助手,つまり教授会だの委員会だの入試業務だの文科省に提出する書類の作成だの,研究以外の雑用に煩わされないですむその時期だけだろうから。
准教授になって教授会のメンバーになれば,その辺のサラリーマンと変わらない業務内容になる。学生の就職の面倒も見なければならない。
だから,研究だけをしていたい人にとっては,40歳になっても助教でいられるのは福音なのかもしれない。
● この記事の研究者は上位1%に入るだけの高被引用論文をすでにいくつも書いているんだから,才能や資質は証明されている。ポストで処遇される以上の名誉をすでに手にしている。「仕事の報酬は仕事」という境地に達しているんじゃないか。
将棋でいえば藤井六段のようなもので,順位こそC1で,格上の人がたくさんいるけれども,実力はトップクラス。しかも,そのことを多くの人が認めている。
● 仕事の報酬としてお金や昇進を求めてしまう人は,そもそも研究者になってはいけないのだ。といっても,稼がなければ喰っていけない。この記事の助教のような人は,その世界でも例外的な存在なのだ(たぶん)。
大学は構造不況業種だ。少子化は大きな津波のようだ。すべてを飲み込む。受験生をそっくり入学させても大学全体の定員を満たすところまで行かないのではないか。早稲田・慶応クラスでも現在の学生定員を維持するのは不可能だろう。
学生が減れば大学の収入も減る。潰れる大学がすでに出ているし,これからも出る。大学の教職員は,これまでも,そしてこれからはいっそう顕著に,リストラの対象だ。
● となると,研究を業として生きていきたいという人は,企業の研究所やシンクタンクを狙うのが現実的ということになりそうだ。が,企業は博士号取得者(あるいは大学院の博士課程修了者)を採用したがらないという現実がある。
その理由を推測するに,彼らは企業では使いものにならないという経験則があるからだろう。30歳近くまで社会から隔離された状況に置かれれば社会への適応力を失っているだろうということのほかに,もう少し根源的な理由がありそうな気がする。
● 研究への才能や資質の有無は,その道の先達にしかわからないだろう。したがって,遅くとも修士修了の時点で,おまえは研究には向かないから方向を変えた方がいいと言える人が必要なのだ。
将棋界の奨励会は26歳で四段に上がれなければ強制退会になる。厳しいようだが,これは温情だ。26歳ならギリギリ転身が可能だ。これと同じような仕組みが研究者の卵の世界にもあるといい。
● が,そういう憎まれ役を買ってでる人はいないだろう。院生は授業料を払ってくれる金づるだということのほかに,研究には向いていないけれども,他のものにはもっと向いていないという院生が少なからずいそうだからだ。
そういうことは企業もわかっている。だから採用したがらない。
● 才能や資質を保持している人は,多目に見積もって院生の2割と見る。その2割については,上記はあてはまらない。
また,理系と文系では様相がかなり異なるだろう。博士号取得者は企業が採用したがらないというのは理系の場合であって,文系ではさらにハンデになる。無駄に年をとったと思われるだけだ。
まぁ,就職戦線は売り手市場だ。あまり企業のご機嫌をとってばかりでも仕方がないから,文系の人でも大学院に行きたければ行けばいい。自分の人生だ。
● ぼくが学生だった頃は,才能や資質に欠けるところがあっても,どうにかこうにか大学の教職に潜り込める人が少なからずいたような。
大学の先生は楽な商売の典型でもあった。週に数時間の講義をしていれば,あとは何をしてても,誰にも何も言われない。学生は自分で勝手に就職先を決めていく。教授というだけで世間も一定の敬意を払ってくれた。高等遊民でいることができた。
● しかし,そういう長閑な時代は終わっている。学歴と知識(を保有していること)の価値が地に墜ちたからだ。インターネットがそうした。どの分野でも世界の先端を開く論文はネットにある。英語さえ読めれば誰でもアクセスできる。大学人に限られない。
当局からの締めつけや管理は強くなる一方だろう。教授会自治などという言葉はとっくに死語だ。大学は世間に対応できない人の収容先でもあった。これからどうなっていくのだろう。
● そういう論文を書く人が,40歳で助教というのもなぁ。上が詰まっててどうしようもないのか。
もっとも,教授や准教授になっても雑用が増えるだけだから,助教のままでいるのが正解なのか。事情が許せばずっと院生でいたい,という人もいるかも。
● 研究に没頭できるのは,院生や助手,つまり教授会だの委員会だの入試業務だの文科省に提出する書類の作成だの,研究以外の雑用に煩わされないですむその時期だけだろうから。
准教授になって教授会のメンバーになれば,その辺のサラリーマンと変わらない業務内容になる。学生の就職の面倒も見なければならない。
だから,研究だけをしていたい人にとっては,40歳になっても助教でいられるのは福音なのかもしれない。
● この記事の研究者は上位1%に入るだけの高被引用論文をすでにいくつも書いているんだから,才能や資質は証明されている。ポストで処遇される以上の名誉をすでに手にしている。「仕事の報酬は仕事」という境地に達しているんじゃないか。
将棋でいえば藤井六段のようなもので,順位こそC1で,格上の人がたくさんいるけれども,実力はトップクラス。しかも,そのことを多くの人が認めている。
● 仕事の報酬としてお金や昇進を求めてしまう人は,そもそも研究者になってはいけないのだ。といっても,稼がなければ喰っていけない。この記事の助教のような人は,その世界でも例外的な存在なのだ(たぶん)。
大学は構造不況業種だ。少子化は大きな津波のようだ。すべてを飲み込む。受験生をそっくり入学させても大学全体の定員を満たすところまで行かないのではないか。早稲田・慶応クラスでも現在の学生定員を維持するのは不可能だろう。
学生が減れば大学の収入も減る。潰れる大学がすでに出ているし,これからも出る。大学の教職員は,これまでも,そしてこれからはいっそう顕著に,リストラの対象だ。
● となると,研究を業として生きていきたいという人は,企業の研究所やシンクタンクを狙うのが現実的ということになりそうだ。が,企業は博士号取得者(あるいは大学院の博士課程修了者)を採用したがらないという現実がある。
その理由を推測するに,彼らは企業では使いものにならないという経験則があるからだろう。30歳近くまで社会から隔離された状況に置かれれば社会への適応力を失っているだろうということのほかに,もう少し根源的な理由がありそうな気がする。
● 研究への才能や資質の有無は,その道の先達にしかわからないだろう。したがって,遅くとも修士修了の時点で,おまえは研究には向かないから方向を変えた方がいいと言える人が必要なのだ。
将棋界の奨励会は26歳で四段に上がれなければ強制退会になる。厳しいようだが,これは温情だ。26歳ならギリギリ転身が可能だ。これと同じような仕組みが研究者の卵の世界にもあるといい。
● が,そういう憎まれ役を買ってでる人はいないだろう。院生は授業料を払ってくれる金づるだということのほかに,研究には向いていないけれども,他のものにはもっと向いていないという院生が少なからずいそうだからだ。
そういうことは企業もわかっている。だから採用したがらない。
● 才能や資質を保持している人は,多目に見積もって院生の2割と見る。その2割については,上記はあてはまらない。
また,理系と文系では様相がかなり異なるだろう。博士号取得者は企業が採用したがらないというのは理系の場合であって,文系ではさらにハンデになる。無駄に年をとったと思われるだけだ。
まぁ,就職戦線は売り手市場だ。あまり企業のご機嫌をとってばかりでも仕方がないから,文系の人でも大学院に行きたければ行けばいい。自分の人生だ。
● ぼくが学生だった頃は,才能や資質に欠けるところがあっても,どうにかこうにか大学の教職に潜り込める人が少なからずいたような。
大学の先生は楽な商売の典型でもあった。週に数時間の講義をしていれば,あとは何をしてても,誰にも何も言われない。学生は自分で勝手に就職先を決めていく。教授というだけで世間も一定の敬意を払ってくれた。高等遊民でいることができた。
● しかし,そういう長閑な時代は終わっている。学歴と知識(を保有していること)の価値が地に墜ちたからだ。インターネットがそうした。どの分野でも世界の先端を開く論文はネットにある。英語さえ読めれば誰でもアクセスできる。大学人に限られない。
当局からの締めつけや管理は強くなる一方だろう。教授会自治などという言葉はとっくに死語だ。大学は世間に対応できない人の収容先でもあった。これからどうなっていくのだろう。
2018年5月7日月曜日
2018.05.07 セクハラ雑感
● セクハラがまた一段とうるさくなったように思える。うるさくなったというか,細かくなった。被害者=女性,加害者=男性,シロクロを決めるのは女性側の印象,という図式だから,男性側としては防御を怠ってはならない。
ぼくは職場の女性が髪を切ってきても反応しない。気づいても何も言わない。
● かつては,セクハラになるかならないかギリギリのところを突いていくのが紳士の嗜みというものじゃないかと思ったりもしてた。そのギリギリを押し広げていけるのが,つまりモテるということではないのか。
だけど,加齢とともに,突いていける範囲が狭まっていくのを実感する。そんなことをしても面白くも何ともなくなった。ジジイになると何を言ってもセクハラになってしまうのだ。ので,専守防衛に努めている。
● 問題はここからだ。髪を切ってきたのに職場の男性が何も言ってくれないっていうのは,女性側としてもつまらないだろうとずっと思っていたのだ。
ところが,そうでもなさそうなのだ。そういう話って必ず女性どおしで交わすことになるから,女性としてはそれで充分なのかも。男性が専守防衛でガチガチになってくれた方が,少なくとも今までよりはマシなのかも。
今頃気がついたの? バカね! という声が聞こえてきそうだ。
● ともかく。セクハラの汚名を着るのは,痴漢の濡れ衣の次にバカバカしい。次の2つは必須だ。
容姿に関しては一切言及しないこと。ほめるのであれ茶化すのであれ,例外を作ってはいけない。靴やバッグ,アクセサリーを話題にするのも御法度。
名前をちゃん付けで呼ばないこと。
基本中の基本のはずだが,中高年の男はそこを外してしまうことが今でもある。セクハラという言葉もない時代の空気を吸ってしまっているからだ。が,その時代の空気はアンラーニングの対象だ。
● ぶっちゃけ,世の中に美人は圧倒的に少ないのだ。そこは男性も同じなのだが,男性にとって容姿など問題になるまい。男性に対する評価軸はそこではないからだ。
が,女性にとって容姿の比重は男性の比ではない。誰でも知っていることだ。知っているんだから,知っているとおりに行動すればいいだけだ。
● 自分の容姿が論外だと思っている女性は一人もいない。なぜなのかはわからない。なぜなのかはわからないけれども,そういうものだということは,これまた誰でも知っているだろう。
ここでも知っていることを踏まえて動けばいいだけだ。真実を知らしめようなどと余計なことをするのは犯罪に近いNGである。
● なぜ犯罪なのか。理由は2つだ。
まず,容姿に関しては本人の罪科は皆無だからだ。持って生まれたものだ。如何ともしがたい。
もうひとつ。容姿の良し悪しの基準は曖昧模糊としたものだからだ。時代によってもだいぶ違うのではないか。今日の美人は明日のビー・ユー・エス・ユーかも知れず,今日のビー・ユー・エス・ユーは明日の美人かもしれないのだ。
● ただね,以下は余談なのだが(今までは余談じゃなかったのか),現状は圧倒的多数のビー・ユー・エス・ユーによる残り数%の美人迫害が目立つような気がしている。異端迫害的な。きれいなバラにはトゲがあるのよ,とかね。なぜ美人をトゲのあるバラにたとえる?
セクハラも美人の方が受けやすい。美人は男なんてそんなものと見切れているだろうと思うのだが,それが男性側に美人なら大丈夫と思わせてしまっているかもしれない。美人なら茶化しても大事にはならない,という安心感を与えてしまうというかね。
● どうも,美人は損をしているような気がするのだ。というわけなので,ぼくは断然,美人を擁護する側に立つ。やむにやまれぬ大和魂というやつだ。
ぼくは職場の女性が髪を切ってきても反応しない。気づいても何も言わない。
● かつては,セクハラになるかならないかギリギリのところを突いていくのが紳士の嗜みというものじゃないかと思ったりもしてた。そのギリギリを押し広げていけるのが,つまりモテるということではないのか。
だけど,加齢とともに,突いていける範囲が狭まっていくのを実感する。そんなことをしても面白くも何ともなくなった。ジジイになると何を言ってもセクハラになってしまうのだ。ので,専守防衛に努めている。
● 問題はここからだ。髪を切ってきたのに職場の男性が何も言ってくれないっていうのは,女性側としてもつまらないだろうとずっと思っていたのだ。
ところが,そうでもなさそうなのだ。そういう話って必ず女性どおしで交わすことになるから,女性としてはそれで充分なのかも。男性が専守防衛でガチガチになってくれた方が,少なくとも今までよりはマシなのかも。
今頃気がついたの? バカね! という声が聞こえてきそうだ。
● ともかく。セクハラの汚名を着るのは,痴漢の濡れ衣の次にバカバカしい。次の2つは必須だ。
容姿に関しては一切言及しないこと。ほめるのであれ茶化すのであれ,例外を作ってはいけない。靴やバッグ,アクセサリーを話題にするのも御法度。
名前をちゃん付けで呼ばないこと。
基本中の基本のはずだが,中高年の男はそこを外してしまうことが今でもある。セクハラという言葉もない時代の空気を吸ってしまっているからだ。が,その時代の空気はアンラーニングの対象だ。
● ぶっちゃけ,世の中に美人は圧倒的に少ないのだ。そこは男性も同じなのだが,男性にとって容姿など問題になるまい。男性に対する評価軸はそこではないからだ。
が,女性にとって容姿の比重は男性の比ではない。誰でも知っていることだ。知っているんだから,知っているとおりに行動すればいいだけだ。
● 自分の容姿が論外だと思っている女性は一人もいない。なぜなのかはわからない。なぜなのかはわからないけれども,そういうものだということは,これまた誰でも知っているだろう。
ここでも知っていることを踏まえて動けばいいだけだ。真実を知らしめようなどと余計なことをするのは犯罪に近いNGである。
● なぜ犯罪なのか。理由は2つだ。
まず,容姿に関しては本人の罪科は皆無だからだ。持って生まれたものだ。如何ともしがたい。
もうひとつ。容姿の良し悪しの基準は曖昧模糊としたものだからだ。時代によってもだいぶ違うのではないか。今日の美人は明日のビー・ユー・エス・ユーかも知れず,今日のビー・ユー・エス・ユーは明日の美人かもしれないのだ。
● ただね,以下は余談なのだが(今までは余談じゃなかったのか),現状は圧倒的多数のビー・ユー・エス・ユーによる残り数%の美人迫害が目立つような気がしている。異端迫害的な。きれいなバラにはトゲがあるのよ,とかね。なぜ美人をトゲのあるバラにたとえる?
セクハラも美人の方が受けやすい。美人は男なんてそんなものと見切れているだろうと思うのだが,それが男性側に美人なら大丈夫と思わせてしまっているかもしれない。美人なら茶化しても大事にはならない,という安心感を与えてしまうというかね。
● どうも,美人は損をしているような気がするのだ。というわけなので,ぼくは断然,美人を擁護する側に立つ。やむにやまれぬ大和魂というやつだ。
2018.05.07 経済格差といわれるけれど
● 右は5月6日の読売新聞。何を言いたいのかいまいちわからない。中間層が上流層と下流層に流れていて,いわゆる中流が細っている。階層を問わず,普段は節約志向ながら,これというところにはお金をかける。ということか。
ゆえに,百円ショップは上中下の各階層が顧客になる。って,これ,前からそうじゃないか。
● 節約志向が成り立つのは,安価でも質が良くなっているからだ。安かろう,悪かろうではない。節約志向一辺倒でも何の問題もなく生活できる,実際は。
フェラーリだって中古ならサラリーマンでも買える(たぶん,バカが買う)。上中下と分けることに何か意味があるのか,という時代になりつつあるような気がする。経済格差の拡大と言われるが,「経済? どうだっていいんじゃね?」となるのではないか。
● 若者が憧れる大人になれ,なんぞとほざくヤツがいるが,いわゆるお金持ち・富豪は,若者を惹きつけるだけの吸引力を失う。いや,もう半ば失っていると見る。富裕の価値は右肩下がりに下がると予想しておく。
なれっこないと端から諦めているんだよ,今の若者は,ということではない。資産も収入も古くさいものになるのだ。すでに学歴と知識の価値は地に墜ちた。富裕もそれに続く。
● 若者が憧れる大人というのは,アクターとして見事な演技をしているというか,生きっぷりの活きがいい人になるのかねぇ。有名ということではない。有名の価値も下がる(これまたすでに下がり始めている)。
このあたりはいささか掴みかねるけれども,年収300万円でも可能な何かだ。根拠はない。何となくそう思うだけだ。
ゆえに,百円ショップは上中下の各階層が顧客になる。って,これ,前からそうじゃないか。
● 節約志向が成り立つのは,安価でも質が良くなっているからだ。安かろう,悪かろうではない。節約志向一辺倒でも何の問題もなく生活できる,実際は。
フェラーリだって中古ならサラリーマンでも買える(たぶん,バカが買う)。上中下と分けることに何か意味があるのか,という時代になりつつあるような気がする。経済格差の拡大と言われるが,「経済? どうだっていいんじゃね?」となるのではないか。
● 若者が憧れる大人になれ,なんぞとほざくヤツがいるが,いわゆるお金持ち・富豪は,若者を惹きつけるだけの吸引力を失う。いや,もう半ば失っていると見る。富裕の価値は右肩下がりに下がると予想しておく。
なれっこないと端から諦めているんだよ,今の若者は,ということではない。資産も収入も古くさいものになるのだ。すでに学歴と知識の価値は地に墜ちた。富裕もそれに続く。
● 若者が憧れる大人というのは,アクターとして見事な演技をしているというか,生きっぷりの活きがいい人になるのかねぇ。有名ということではない。有名の価値も下がる(これまたすでに下がり始めている)。
このあたりはいささか掴みかねるけれども,年収300万円でも可能な何かだ。根拠はない。何となくそう思うだけだ。
2018年5月6日日曜日
2018.05.06 JR線で発想しちゃう
● 最終日。朝飯食べて,サウナに行って,ロビーをうろつき回って,さて,そろそろ出るか。部屋は14時まで使えるので,相方はギリギリまでいるはずだ。荷物は送ってしまう。
はい。というわけで,今回最後のラウンジで軽く腹ごしらえ。
● このあと,四谷に出る。新宿か東京から中央線でと考えてしまうんだけど,白金台駅から南北線で乗り換えなしで行けるんだよね。実際,去年の夏もこのホテルに泊まってて,南北線で四谷から帰ってきたことがあるんだけど,忘れちゃうんだなぁ。
JR線で発想しちゃうんだよねぇ。ぼくの地元にはJRしか走ってないから,東京に行くにはJR以外の選択肢がない。その延長で,東京に着いてもJRで移動することを考える。
● 拍車をかけるのが,JRの「休日おでかけパス」とか「青春18きっぷ」だ。これさえあればどこにでも行けるという頭があるから,JR以外の私鉄を利用するなんて,チラッとも思わない。
私鉄や地下鉄を使うのは,具体的な目的がある場合に限られる。昨日は“府中の森芸術劇場”に行くという用事があったので,経路を調べているわけだ。私鉄や地下鉄はそうやって乗るものだと思っているのだ。
● 京王や小田急,西武,東武と,JRは同列ではない。JRは特別な存在なのだ。田舎者にとってはそういうことなのだ。
それからこういうこともある。地下に潜っていくのが億劫なのだ。幼い頃は,地下鉄=都会であって,地下鉄に乗るのは晴れがましい出来事だった。田舎にはないものなのだ。地面の下を電車が走っているのだ。その地下鉄に乗れるのだ。
が,地下に潜ったり,地下から這い出てくるのは,けっこう億劫なものになった。
● 栃木県でも東武線があるところは,このあたりの感覚が違うのかね。東武で東京に出るとなると,北千住で千代田線に乗り換えるか,浅草で銀座線に乗り継ぐことになる(と思う)。
JRはかなり薄い存在になるのかね。どうもそうも思えんが。
はい。というわけで,今回最後のラウンジで軽く腹ごしらえ。
● このあと,四谷に出る。新宿か東京から中央線でと考えてしまうんだけど,白金台駅から南北線で乗り換えなしで行けるんだよね。実際,去年の夏もこのホテルに泊まってて,南北線で四谷から帰ってきたことがあるんだけど,忘れちゃうんだなぁ。
JR線で発想しちゃうんだよねぇ。ぼくの地元にはJRしか走ってないから,東京に行くにはJR以外の選択肢がない。その延長で,東京に着いてもJRで移動することを考える。
● 拍車をかけるのが,JRの「休日おでかけパス」とか「青春18きっぷ」だ。これさえあればどこにでも行けるという頭があるから,JR以外の私鉄を利用するなんて,チラッとも思わない。
私鉄や地下鉄を使うのは,具体的な目的がある場合に限られる。昨日は“府中の森芸術劇場”に行くという用事があったので,経路を調べているわけだ。私鉄や地下鉄はそうやって乗るものだと思っているのだ。
● 京王や小田急,西武,東武と,JRは同列ではない。JRは特別な存在なのだ。田舎者にとってはそういうことなのだ。
それからこういうこともある。地下に潜っていくのが億劫なのだ。幼い頃は,地下鉄=都会であって,地下鉄に乗るのは晴れがましい出来事だった。田舎にはないものなのだ。地面の下を電車が走っているのだ。その地下鉄に乗れるのだ。
が,地下に潜ったり,地下から這い出てくるのは,けっこう億劫なものになった。
● 栃木県でも東武線があるところは,このあたりの感覚が違うのかね。東武で東京に出るとなると,北千住で千代田線に乗り換えるか,浅草で銀座線に乗り継ぐことになる(と思う)。
JRはかなり薄い存在になるのかね。どうもそうも思えんが。
2018.05.06 “絆”の賞味期限は切れかかっている
● この3日間,ホテルでも目黒駅でも,結婚披露宴に来た人たちや披露宴帰りの人たちをよく目にする。目黒雅叙園もあるしねぇ。
GW中に結婚式を催行するほどの反社会的行為があるだろうか。会場は取りやすいのかもしれないけどね。
● ぼくはもう冠婚葬祭のうちの冠婚には出ないつもり。呼ばれることもないだろうけど,呼ばれても行かない。
今年から年賀状もやめた。偏屈爺になったのだ。
● 年を取ると,半自動的に社会から隔離されることになり,したがって冠婚葬祭が数少ない社会との接点になって,そういうものにいそいそと出かけていくような爺になったらやだなぁと思ってるんだけど,今のところは大丈夫そうだ。
って,まだ勤務中の身だから,かろうじて社会とつながっているんだけどね。
● “絆”だの“つながり”だのってのにも賞味期限はあって,そろそろその賞味期限切れが近づいているように思う。TwitterもFBもつながるためのツールだけれど,若者のFB離れがいよいよハッキリしてきたように,“つながり”の負の側面が顕になってきた。
これからはネットでも,つながりたくない人とはつながらなくてすむ,切りたい人と切れる,というのがサービスの中核になるだろう。
● 要は,孤に強くならないといけない。人と群れていないと不安だという人には厳しい時代が来る(と予想しておく)。ぼくはいい時代になるのだと思っているが。
GW中に結婚式を催行するほどの反社会的行為があるだろうか。会場は取りやすいのかもしれないけどね。
● ぼくはもう冠婚葬祭のうちの冠婚には出ないつもり。呼ばれることもないだろうけど,呼ばれても行かない。
今年から年賀状もやめた。偏屈爺になったのだ。
● 年を取ると,半自動的に社会から隔離されることになり,したがって冠婚葬祭が数少ない社会との接点になって,そういうものにいそいそと出かけていくような爺になったらやだなぁと思ってるんだけど,今のところは大丈夫そうだ。
って,まだ勤務中の身だから,かろうじて社会とつながっているんだけどね。
● “絆”だの“つながり”だのってのにも賞味期限はあって,そろそろその賞味期限切れが近づいているように思う。TwitterもFBもつながるためのツールだけれど,若者のFB離れがいよいよハッキリしてきたように,“つながり”の負の側面が顕になってきた。
これからはネットでも,つながりたくない人とはつながらなくてすむ,切りたい人と切れる,というのがサービスの中核になるだろう。
● 要は,孤に強くならないといけない。人と群れていないと不安だという人には厳しい時代が来る(と予想しておく)。ぼくはいい時代になるのだと思っているが。
2018年5月5日土曜日
2018.05.05 イチロー
● 右は今日の読売新聞。
事実上の終わり。50歳現役というのは,イチローの才能とストイックをもってしても,難しかった。チームは勝たなくちゃいけないものなぁ。
だとしても,こういう花道が用意されるとは。メジャーってこういうところはドライに割り切るものだと思っていたけど。
過去のイチローの業績に対しては,球団は年俸で報いていた。それでチャラだ。活躍できなくなったイチローに対して,過去の業績に配慮して特別扱いする理由はない。
● もっとも,球団は1年契約を途中で反故にしたのだともいえる。イチローはそれを蹴飛ばすこともできたはずだが,そうすれば今シーズンですべてが終わってしまう。賢明な判断をしたのだろう。
● 「選手は選手を信頼する」という,マリナーズのGMの言葉が紹介されている。監督やコーチではなく,選手を信頼する。そうだよなぁと思った。
イチローは主力選手から信頼されていたらしい。そりゃそうだ,これだけの実績を作って,なお現役へのこだわり,その準備に手抜きがないんだから。
● これからはアドバイザーに回る。かといって,イチローから積極的にああしろこうしろと言うことはないだろう。それをやるとコーチ陣と対立するかもしれないし。選手に訊かれたら答えるというスタンスでしょうね。
● しかし,ひょっとしてひょっとすると,来シーズンもグラウンドに立つイチローを見られるかもしれない。数年後に,50歳になったイチローを球団がグラウンドに送りだすかもしれない。
けれども,イチローはそういう温情を潔しとしないだろうな。50歳現役というのは,現役として実績を残せるというのが前提だろうから。
50歳現役を公言しているのは,自分ならそれができると自負するところがあるからだろう。それができないと自ら悟ったときは,自らグラウンドに立つ途を断つだろう。
● 日本球界に戻るつもりはないよ,という宣言でもある。メジャーへのこだわりは以前から表明していた。その理由をイチロー自身が語ったことはないと思う。
いずれは忌憚のないところを,自身の言葉で語ってくれるのだろう。日本の野球を辛辣に批判するものになるかもしれない。ファンのレベルの低さというのも取りあげられるかもしれない。
事実上の終わり。50歳現役というのは,イチローの才能とストイックをもってしても,難しかった。チームは勝たなくちゃいけないものなぁ。
だとしても,こういう花道が用意されるとは。メジャーってこういうところはドライに割り切るものだと思っていたけど。
過去のイチローの業績に対しては,球団は年俸で報いていた。それでチャラだ。活躍できなくなったイチローに対して,過去の業績に配慮して特別扱いする理由はない。
● もっとも,球団は1年契約を途中で反故にしたのだともいえる。イチローはそれを蹴飛ばすこともできたはずだが,そうすれば今シーズンですべてが終わってしまう。賢明な判断をしたのだろう。
● 「選手は選手を信頼する」という,マリナーズのGMの言葉が紹介されている。監督やコーチではなく,選手を信頼する。そうだよなぁと思った。
イチローは主力選手から信頼されていたらしい。そりゃそうだ,これだけの実績を作って,なお現役へのこだわり,その準備に手抜きがないんだから。
● これからはアドバイザーに回る。かといって,イチローから積極的にああしろこうしろと言うことはないだろう。それをやるとコーチ陣と対立するかもしれないし。選手に訊かれたら答えるというスタンスでしょうね。
● しかし,ひょっとしてひょっとすると,来シーズンもグラウンドに立つイチローを見られるかもしれない。数年後に,50歳になったイチローを球団がグラウンドに送りだすかもしれない。
けれども,イチローはそういう温情を潔しとしないだろうな。50歳現役というのは,現役として実績を残せるというのが前提だろうから。
50歳現役を公言しているのは,自分ならそれができると自負するところがあるからだろう。それができないと自ら悟ったときは,自らグラウンドに立つ途を断つだろう。
● 日本球界に戻るつもりはないよ,という宣言でもある。メジャーへのこだわりは以前から表明していた。その理由をイチロー自身が語ったことはないと思う。
いずれは忌憚のないところを,自身の言葉で語ってくれるのだろう。日本の野球を辛辣に批判するものになるかもしれない。ファンのレベルの低さというのも取りあげられるかもしれない。
2018.05.05 黄金週間の後半は今年もシェラトン都ホテルで 2
● シェラトン都ホテルの客室は2~12階。11,12階がクラブレベル。2階が“雅”フロアってことになっている。
両方ともラウンジ(2階にある)とヘルスクラブの全施設を利用できる(ヘルスクラブを利用できるかどうかは,そのときの宿泊プランによるらしい)。
違うのは朝食。雅はラウンジに限定されるのに対して,クラブレベルだとラウンジのほかに管内のレストランとルームサービスを利用できる。
あと,コスメが違ってたり(クラブフロアはMIKIMOTO),トイレが独立ユニットになってたりっていう違いはあるんだけど。
● ので,クラブレベルの宿泊客は,ぼくらも必ずそうだったんだけど,館内レストランを利用する人が多い。
だから,朝食時,ラウンジは空いている。空間としてのクオリティはラウンジの方が高いから,これはこれでなかなかよろしかっちゃんだ。
● 今回は外国人宿泊客が少ない印象。彼らはパソコンをラウンジに持ち込んで長時間何ごとかをやっているのが多い。察するに,大したことはやっちゃいないのだと思うが。
日本人の高齢者が多い。彼らはスマホやパソコンには無縁だ。ラウンジに備え付けの雑誌を読んだり,持参の本を持ち込んで読書している。それはそれで絵になる光景だ。
● ぼくらはといえば,飲みに行ったのならサッサと飲み,食べに行ったのならサッサと食べる。ラウンジの滞在時間は短い方だと思う。長居したくなる空間ではあるのだけど,パソコンや読書は部屋でやればよろしかろうと思ってしまう。
一方で,ゆっくりできない自分たちはどんだけ貧乏性なんだとも思う。
● ホテルは24時間眠らないのがわかりやすく見える。5時過ぎに起きて廊下に出たら,スタッフが朝食用の温野菜をワゴンで運んでいた。中の人にとっては大変な仕事で,自分にはできない。機械化やAIで置き換えられる部分もかなりあると見るが,ホテルが成立していること自体が,ひとつの奇跡なのではないか。
病院もそうだなぁ。警察もそうか。鉄道もそうだ。その機能を途切れさすわけにはいかないところ。中の人は大変だと思うわなぁ。
両方ともラウンジ(2階にある)とヘルスクラブの全施設を利用できる(ヘルスクラブを利用できるかどうかは,そのときの宿泊プランによるらしい)。
違うのは朝食。雅はラウンジに限定されるのに対して,クラブレベルだとラウンジのほかに管内のレストランとルームサービスを利用できる。
あと,コスメが違ってたり(クラブフロアはMIKIMOTO),トイレが独立ユニットになってたりっていう違いはあるんだけど。
● ので,クラブレベルの宿泊客は,ぼくらも必ずそうだったんだけど,館内レストランを利用する人が多い。
だから,朝食時,ラウンジは空いている。空間としてのクオリティはラウンジの方が高いから,これはこれでなかなかよろしかっちゃんだ。
● 今回は外国人宿泊客が少ない印象。彼らはパソコンをラウンジに持ち込んで長時間何ごとかをやっているのが多い。察するに,大したことはやっちゃいないのだと思うが。
日本人の高齢者が多い。彼らはスマホやパソコンには無縁だ。ラウンジに備え付けの雑誌を読んだり,持参の本を持ち込んで読書している。それはそれで絵になる光景だ。
● ぼくらはといえば,飲みに行ったのならサッサと飲み,食べに行ったのならサッサと食べる。ラウンジの滞在時間は短い方だと思う。長居したくなる空間ではあるのだけど,パソコンや読書は部屋でやればよろしかろうと思ってしまう。
一方で,ゆっくりできない自分たちはどんだけ貧乏性なんだとも思う。
● ホテルは24時間眠らないのがわかりやすく見える。5時過ぎに起きて廊下に出たら,スタッフが朝食用の温野菜をワゴンで運んでいた。中の人にとっては大変な仕事で,自分にはできない。機械化やAIで置き換えられる部分もかなりあると見るが,ホテルが成立していること自体が,ひとつの奇跡なのではないか。
病院もそうだなぁ。警察もそうか。鉄道もそうだ。その機能を途切れさすわけにはいかないところ。中の人は大変だと思うわなぁ。
2018年5月4日金曜日
2018.05.04 黄金週間の後半は今年もシェラトン都ホテルで
● 今日から6日まで,白金台のシェラトン都ホテルで過ごす。1泊36,000円(もちろん,夫婦2人分)。これでラウンジもサウナもプールも使い放題なんだから,申しわけないくらいのものだ。GWも終盤になると,ここまで安くなる。
● 208号室。相方はスタンダードルームで予約した。そこを,ホテル側がデラックスルームにアップグレードしてくれたようだ。
おまけに,15時チェックインのところ,13時に荷物を預かってもらおうとしたら,すぐに部屋に入れるとのことだった。これもありがたい。
● ぼくの知る限り,休むあるいは憩うには,ホテルは最上の装置かと思う。ホテルで“まったり”するのは,家でのんびりくつろぐのとは,質的に違った何かがある。それも帰るべき家があるというのが前提にあっての話だけれど。
が,「休む」や「憩う」は「遊び呆ける」とは別物。少し欲求不満が残りそうだ。この連休は遊び呆けたいと思っていたので。
が,とりあえずラウンジで焼きそばを食べた。これからサウナに行こうと思う。
● このホテルのロビーが好きだ。用もないのにロビーをフラフラしている時間が長い。そうして,外の空気が吸いたくなると,庭園に出てみる。ホテルの敷地内で完結する。何日でも過ごせそうだ。
相方はラウンジ以外はずっと部屋にいる。何をしているかといえば,ベッドに寝転んでiPhoneかパソコンで動画を見ている。
要するに,家でいつもやっていることをホテルでもやっている。
ぼくも同じで,こうやってパソコンを開いてSNSなんかやってたりする。
● だったら家にいても同じじゃん,ということではまったくない。場所を変えて同じことをやるというのが,つまりは贅沢ということなんだろう。そこでしかできないことを探すのではなくて。
● 夜はラウンジで飲む。ハイボールを3杯。最近,家飲みも減っている。そのせいではないと思うんだけど,けっこう酔って,22時前に寝てしまった。
メニューはあまり変わらないんだけど,今回はエビの天ぷらがあった。嬉しかったね。
● ただし,断言するけれども,酒は居酒屋で飲む方が旨い。それはおまえが場に応じた飲み方をしていないからだ,と言われるか。だいたい,ホテルで何でハイボールなんだよ,ワインにしとけよ,みたいな。
そうかもしれないが,たとえひとりで飲むにしても,居酒屋がいい。酔っ払えるからだ。ホテルやレストランでワインを飲んで酔っ払うというのはあり得ない蛮行だ。日本的庶民性の発露は居酒屋じゃないと許してもらえない。
つまるところ,自分は居酒屋に相応するということだ。それを恥ずかしいことだとはまったく思わない。
● 208号室。相方はスタンダードルームで予約した。そこを,ホテル側がデラックスルームにアップグレードしてくれたようだ。
おまけに,15時チェックインのところ,13時に荷物を預かってもらおうとしたら,すぐに部屋に入れるとのことだった。これもありがたい。
● ぼくの知る限り,休むあるいは憩うには,ホテルは最上の装置かと思う。ホテルで“まったり”するのは,家でのんびりくつろぐのとは,質的に違った何かがある。それも帰るべき家があるというのが前提にあっての話だけれど。
が,「休む」や「憩う」は「遊び呆ける」とは別物。少し欲求不満が残りそうだ。この連休は遊び呆けたいと思っていたので。
が,とりあえずラウンジで焼きそばを食べた。これからサウナに行こうと思う。
● このホテルのロビーが好きだ。用もないのにロビーをフラフラしている時間が長い。そうして,外の空気が吸いたくなると,庭園に出てみる。ホテルの敷地内で完結する。何日でも過ごせそうだ。
相方はラウンジ以外はずっと部屋にいる。何をしているかといえば,ベッドに寝転んでiPhoneかパソコンで動画を見ている。
要するに,家でいつもやっていることをホテルでもやっている。
ぼくも同じで,こうやってパソコンを開いてSNSなんかやってたりする。
● だったら家にいても同じじゃん,ということではまったくない。場所を変えて同じことをやるというのが,つまりは贅沢ということなんだろう。そこでしかできないことを探すのではなくて。
● 夜はラウンジで飲む。ハイボールを3杯。最近,家飲みも減っている。そのせいではないと思うんだけど,けっこう酔って,22時前に寝てしまった。
メニューはあまり変わらないんだけど,今回はエビの天ぷらがあった。嬉しかったね。
● ただし,断言するけれども,酒は居酒屋で飲む方が旨い。それはおまえが場に応じた飲み方をしていないからだ,と言われるか。だいたい,ホテルで何でハイボールなんだよ,ワインにしとけよ,みたいな。
そうかもしれないが,たとえひとりで飲むにしても,居酒屋がいい。酔っ払えるからだ。ホテルやレストランでワインを飲んで酔っ払うというのはあり得ない蛮行だ。日本的庶民性の発露は居酒屋じゃないと許してもらえない。
つまるところ,自分は居酒屋に相応するということだ。それを恥ずかしいことだとはまったく思わない。
2018年5月2日水曜日
2018.05.02 GW中の旅行者数が過去最高になるらしいのだが
● GW中の旅行者数が過去最高になるらしい。海外に出る人は58万人。
このニュースを見て,費用が高くなるこの時期に海外に行けるやつらってどんだけ金持ちなんだよとか,どこに行っても混んでるときにわざわざ出かけなくてもいいんじゃね的なコメントがネットに溢れることになる。
● でもさ,会社勤めだとこの時期しか行けるときがないよな。高いのも混んでるのもわかってるけどさ。
小さな子供がいればさ,連れてけるのはこの時期だけだ。実際は,奥さんが子供にかこつけて自分が行きたがるのが多いかもしれないけど,奥さんの気持ちもわかるよね。
何だか不自由なんだけど,しゃーないよ。
● 日本人って,混んでるのを苦にしないっていうか,かえって安心するっていうか,皆と一緒なのを好むっていうか,そういうところがあるのかもしれない,とも思う。
ブツブツ言いながらも,わりとこの不自由さを気に入ってるんじゃないか,とも思える。
● 一方で,この時期は休んでいるどころじゃないという人たちも多い。
まず,農家。田植えだ。連休は田植え。昔に比べれば,機械のおかげでかけなければならない労力は激減しているだろうし,自分はやらないで人に頼むという例も増えているとは思うんだけど,ともかく行楽はありえないような。
あと,サービス業の人。書き入れ時だ。公共交通機関が休みになることはあり得ないし,流通やホテルで働く人がこの時期に休暇を申請するのは,私をクビにして下さいと言っているようなものだろう。それ以前に,休暇なんか申請できる雰囲気は皆無だろう。代替休暇はあるのかもしれないけれども,人と同じ時期に休むわけにはいかない。
● ぼく,若い頃はその方がいいんじゃないかと思っていた。人が休むときに働いて,人が働いているときに休んだ方が,気が利いているじゃないか,と。
半ば自動的に自分が休むのはオフシーズンになるんだから,空いているし,料金は安くなるし,大事にしてもらえるしで,いいことづくめじゃないか。
● けれども,音楽のコンサートなんかは休日に集中する。人が休むときに休めないと,なかなかコンサートにも行けない。
なかなか単純に割り切れるものではない。
● 黄金週間に行楽する人と,行楽地でそれを支える人。数はどちらが多いんだろうか。
この時期に海外に行く人は58万人。1億2千万人の0.5%に過ぎない。微々たるものだ。国内旅行を含めても2,443万人。20%でしかない。
スーパーやデパート,コンビニ,警察,鉄道会社,バス会社,公共図書館,美術館や博物館,動物園や遊園地,新聞やテレビ,旅行代理店などなど,この時期に休むわけにはいかない人たちはもっと多いのではなかろうか。
● 黄金週間というのは幻想なのかもしれない。もっと言うと,庶民にお金を使わせるために誰かが仕組んだ巧妙な搾取装置であるのかもしれない。
このニュースを見て,費用が高くなるこの時期に海外に行けるやつらってどんだけ金持ちなんだよとか,どこに行っても混んでるときにわざわざ出かけなくてもいいんじゃね的なコメントがネットに溢れることになる。
● でもさ,会社勤めだとこの時期しか行けるときがないよな。高いのも混んでるのもわかってるけどさ。
小さな子供がいればさ,連れてけるのはこの時期だけだ。実際は,奥さんが子供にかこつけて自分が行きたがるのが多いかもしれないけど,奥さんの気持ちもわかるよね。
何だか不自由なんだけど,しゃーないよ。
● 日本人って,混んでるのを苦にしないっていうか,かえって安心するっていうか,皆と一緒なのを好むっていうか,そういうところがあるのかもしれない,とも思う。
ブツブツ言いながらも,わりとこの不自由さを気に入ってるんじゃないか,とも思える。
● 一方で,この時期は休んでいるどころじゃないという人たちも多い。
まず,農家。田植えだ。連休は田植え。昔に比べれば,機械のおかげでかけなければならない労力は激減しているだろうし,自分はやらないで人に頼むという例も増えているとは思うんだけど,ともかく行楽はありえないような。
あと,サービス業の人。書き入れ時だ。公共交通機関が休みになることはあり得ないし,流通やホテルで働く人がこの時期に休暇を申請するのは,私をクビにして下さいと言っているようなものだろう。それ以前に,休暇なんか申請できる雰囲気は皆無だろう。代替休暇はあるのかもしれないけれども,人と同じ時期に休むわけにはいかない。
● ぼく,若い頃はその方がいいんじゃないかと思っていた。人が休むときに働いて,人が働いているときに休んだ方が,気が利いているじゃないか,と。
半ば自動的に自分が休むのはオフシーズンになるんだから,空いているし,料金は安くなるし,大事にしてもらえるしで,いいことづくめじゃないか。
● けれども,音楽のコンサートなんかは休日に集中する。人が休むときに休めないと,なかなかコンサートにも行けない。
なかなか単純に割り切れるものではない。
● 黄金週間に行楽する人と,行楽地でそれを支える人。数はどちらが多いんだろうか。
この時期に海外に行く人は58万人。1億2千万人の0.5%に過ぎない。微々たるものだ。国内旅行を含めても2,443万人。20%でしかない。
スーパーやデパート,コンビニ,警察,鉄道会社,バス会社,公共図書館,美術館や博物館,動物園や遊園地,新聞やテレビ,旅行代理店などなど,この時期に休むわけにはいかない人たちはもっと多いのではなかろうか。
● 黄金週間というのは幻想なのかもしれない。もっと言うと,庶民にお金を使わせるために誰かが仕組んだ巧妙な搾取装置であるのかもしれない。
2018.05.02 プロ棋士・長谷部さんのインタビュー記事
● 右は今日(5月2日)の下野新聞。プロ棋士になった長谷部さんのインタビュー記事。
● 奨励会が26歳で強制退会にしているのは,奨励会員を思ってのことだろう。それがなければ,延々と奨励会に居残って,それこそ人生を棒に振ってしまう人が大勢出てしまうだろう。26歳ならギリギリやり直せる。
26歳というのは絶妙の足切線だと思う。藤井六段じゃないけれど,若くして登場し,猛スピードで駆け上がっていった棋士が,トップを極め,長くその地位にとどまる。26歳を過ぎてから四段に上がれたとしても,その先があるかどうか。
● 長谷部さん,これからも小山に住むと言っている。大きなお世話ながら,東京に住んだ方がいいのでは。
小山なら新幹線で数十分で東京に出れるから,さしたる支障もないのだろう。けれども,実家で親と住むっていうのは,気安いだろうけど,それじゃダメなんじゃないかな。気安くなくても,ダメだと思う。
どうしても小山にこだわるというなら,それはそれでいいけれど,アパートを借りて一人暮らしに移行することが最低限だと思う。いや,それはもう実行済みなのかもしれないけれど。
● 将棋界への協力も東京にいた方がたくさんできるんじゃないか。将棋界というとき,栃木県の将棋界と限定を加えない方がいいのでは。県という意識は外した方がいいと,ぼくは思うのだが。
早い話が,県域などは大昔に人工的に決められたもので,そんなものに縛られているのはバカらしい。
● ちなみに,大学も同じで,自宅から通ったのでは大学に行ったことにならないという意見だ。今は新幹線通学という手もあるので,栃木から東京の大学に通うことは充分に可能だけれども,それをやってしまっては大切な何かを取り逃がしてしまうような気がする。
というと,東京で生まれ育って東京の大学に行く人はどうなるんだ,ということになるんだけど,そんなもん知るかい。
● まぁ,大学は行かなくたってべつにかまわない。いや,行かない方が賢いかもしれない。要は,その年代では親から離れていないといけないということを言いたいわけなのだが。
● 奨励会が26歳で強制退会にしているのは,奨励会員を思ってのことだろう。それがなければ,延々と奨励会に居残って,それこそ人生を棒に振ってしまう人が大勢出てしまうだろう。26歳ならギリギリやり直せる。
26歳というのは絶妙の足切線だと思う。藤井六段じゃないけれど,若くして登場し,猛スピードで駆け上がっていった棋士が,トップを極め,長くその地位にとどまる。26歳を過ぎてから四段に上がれたとしても,その先があるかどうか。
● 長谷部さん,これからも小山に住むと言っている。大きなお世話ながら,東京に住んだ方がいいのでは。
小山なら新幹線で数十分で東京に出れるから,さしたる支障もないのだろう。けれども,実家で親と住むっていうのは,気安いだろうけど,それじゃダメなんじゃないかな。気安くなくても,ダメだと思う。
どうしても小山にこだわるというなら,それはそれでいいけれど,アパートを借りて一人暮らしに移行することが最低限だと思う。いや,それはもう実行済みなのかもしれないけれど。
● 将棋界への協力も東京にいた方がたくさんできるんじゃないか。将棋界というとき,栃木県の将棋界と限定を加えない方がいいのでは。県という意識は外した方がいいと,ぼくは思うのだが。
早い話が,県域などは大昔に人工的に決められたもので,そんなものに縛られているのはバカらしい。
● ちなみに,大学も同じで,自宅から通ったのでは大学に行ったことにならないという意見だ。今は新幹線通学という手もあるので,栃木から東京の大学に通うことは充分に可能だけれども,それをやってしまっては大切な何かを取り逃がしてしまうような気がする。
というと,東京で生まれ育って東京の大学に行く人はどうなるんだ,ということになるんだけど,そんなもん知るかい。
● まぁ,大学は行かなくたってべつにかまわない。いや,行かない方が賢いかもしれない。要は,その年代では親から離れていないといけないということを言いたいわけなのだが。
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