● 右は5月6日の読売新聞。何を言いたいのかいまいちわからない。中間層が上流層と下流層に流れていて,いわゆる中流が細っている。階層を問わず,普段は節約志向ながら,これというところにはお金をかける。ということか。
ゆえに,百円ショップは上中下の各階層が顧客になる。って,これ,前からそうじゃないか。
● 節約志向が成り立つのは,安価でも質が良くなっているからだ。安かろう,悪かろうではない。節約志向一辺倒でも何の問題もなく生活できる,実際は。
フェラーリだって中古ならサラリーマンでも買える(たぶん,バカが買う)。上中下と分けることに何か意味があるのか,という時代になりつつあるような気がする。経済格差の拡大と言われるが,「経済? どうだっていいんじゃね?」となるのではないか。
● 若者が憧れる大人になれ,なんぞとほざくヤツがいるが,いわゆるお金持ち・富豪は,若者を惹きつけるだけの吸引力を失う。いや,もう半ば失っていると見る。富裕の価値は右肩下がりに下がると予想しておく。
なれっこないと端から諦めているんだよ,今の若者は,ということではない。資産も収入も古くさいものになるのだ。すでに学歴と知識の価値は地に墜ちた。富裕もそれに続く。
● 若者が憧れる大人というのは,アクターとして見事な演技をしているというか,生きっぷりの活きがいい人になるのかねぇ。有名ということではない。有名の価値も下がる(これまたすでに下がり始めている)。
このあたりはいささか掴みかねるけれども,年収300万円でも可能な何かだ。根拠はない。何となくそう思うだけだ。
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