● セクハラがまた一段とうるさくなったように思える。うるさくなったというか,細かくなった。被害者=女性,加害者=男性,シロクロを決めるのは女性側の印象,という図式だから,男性側としては防御を怠ってはならない。
ぼくは職場の女性が髪を切ってきても反応しない。気づいても何も言わない。
● かつては,セクハラになるかならないかギリギリのところを突いていくのが紳士の嗜みというものじゃないかと思ったりもしてた。そのギリギリを押し広げていけるのが,つまりモテるということではないのか。
だけど,加齢とともに,突いていける範囲が狭まっていくのを実感する。そんなことをしても面白くも何ともなくなった。ジジイになると何を言ってもセクハラになってしまうのだ。ので,専守防衛に努めている。
● 問題はここからだ。髪を切ってきたのに職場の男性が何も言ってくれないっていうのは,女性側としてもつまらないだろうとずっと思っていたのだ。
ところが,そうでもなさそうなのだ。そういう話って必ず女性どおしで交わすことになるから,女性としてはそれで充分なのかも。男性が専守防衛でガチガチになってくれた方が,少なくとも今までよりはマシなのかも。
今頃気がついたの? バカね! という声が聞こえてきそうだ。
● ともかく。セクハラの汚名を着るのは,痴漢の濡れ衣の次にバカバカしい。次の2つは必須だ。
容姿に関しては一切言及しないこと。ほめるのであれ茶化すのであれ,例外を作ってはいけない。靴やバッグ,アクセサリーを話題にするのも御法度。
名前をちゃん付けで呼ばないこと。
基本中の基本のはずだが,中高年の男はそこを外してしまうことが今でもある。セクハラという言葉もない時代の空気を吸ってしまっているからだ。が,その時代の空気はアンラーニングの対象だ。
● ぶっちゃけ,世の中に美人は圧倒的に少ないのだ。そこは男性も同じなのだが,男性にとって容姿など問題になるまい。男性に対する評価軸はそこではないからだ。
が,女性にとって容姿の比重は男性の比ではない。誰でも知っていることだ。知っているんだから,知っているとおりに行動すればいいだけだ。
● 自分の容姿が論外だと思っている女性は一人もいない。なぜなのかはわからない。なぜなのかはわからないけれども,そういうものだということは,これまた誰でも知っているだろう。
ここでも知っていることを踏まえて動けばいいだけだ。真実を知らしめようなどと余計なことをするのは犯罪に近いNGである。
● なぜ犯罪なのか。理由は2つだ。
まず,容姿に関しては本人の罪科は皆無だからだ。持って生まれたものだ。如何ともしがたい。
もうひとつ。容姿の良し悪しの基準は曖昧模糊としたものだからだ。時代によってもだいぶ違うのではないか。今日の美人は明日のビー・ユー・エス・ユーかも知れず,今日のビー・ユー・エス・ユーは明日の美人かもしれないのだ。
● ただね,以下は余談なのだが(今までは余談じゃなかったのか),現状は圧倒的多数のビー・ユー・エス・ユーによる残り数%の美人迫害が目立つような気がしている。異端迫害的な。きれいなバラにはトゲがあるのよ,とかね。なぜ美人をトゲのあるバラにたとえる?
セクハラも美人の方が受けやすい。美人は男なんてそんなものと見切れているだろうと思うのだが,それが男性側に美人なら大丈夫と思わせてしまっているかもしれない。美人なら茶化しても大事にはならない,という安心感を与えてしまうというかね。
● どうも,美人は損をしているような気がするのだ。というわけなので,ぼくは断然,美人を擁護する側に立つ。やむにやまれぬ大和魂というやつだ。
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