● サイゼリヤを安い居酒屋として使うっていうのをやめられなくなった。500mlで399円のワインに惹かれて,また行ってしまった。短期間の間に二度。
この安いワインは,悪くいえば濃くがない。普通にいえば軽い。ので,わりと抵抗なくスイスイと入っていく。ぼくはこういうワインのほうが好きだ。
● 好きというか,そういうワインしか飲んだことがないというか。ソムリエに付き添われて重々しく首を縦にふるような思いをして飲むワインは(飲んだことがないのにこういっては何なのだが),ワインの本然からは外れていると思う。
ワインに限らず,酒というのは食事を旨くするための工夫であり,食事を楽しくするための工夫であるだろう。食事を重くするようなことがあってはならないものだ。
● 酒が主で食事が従(酒を飲むための食事)という逆転現象は,日本をはじめ,ロシアでもアメリカでもスペインでも韓国でも見られる。その行き着く先はアルコール依存症ということになる。
でも,この酒主食従であれば,なおのこと,酒が重々しいものであってはならない。酒は気楽に飲めてこそ,気持ちよく酔えるとしたものだ。
● 看板にはイタリアワインとあるんだけど,実際にイタリア産であるのか南米のチリかアルゼンチンでできたワインなのか,そういうのは問うところではない。どうでもよろしい。
軽い=安っぽい,という受けとめ方もあるかもしれない。安っぽくていいではないか。
● ソーセージやマルゲリータピザを肴にして,その安くて軽いワインを飲む。で,勘定は1,500円もあればすむ。
大酒飲みだと,これでは足らないかもだけど,これからどんどん歳をとって,飲めなくなったのに酒好きはそのまま残ってる的な爺になったとき,もし今のままサイゼリヤがあってくれれば,かなり重宝するんじゃないかなと思っている。
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