● 経産省のいわゆるエリート官僚。28歳で課長補佐。鬱病でそれでも仕事に行かなければと覚醒剤に救いを求めた。
東大を出て経産省に就職を決めたところまでは,完全なる勝ち組人生。おまえ凄いなぁ,の世界だったろう。
● 経産省で国家の進路を決める仕事をしている自分,のイメージを持っていたろう。キャリアは激務だということも知っていたはずだ。が,自分ならできるだろう。意欲に燃えて霞ヶ関の門(そんな門はないが)をくぐったのだろう。
しかし,待っていたのは想像を超える月300時間の残業。こんなのやらなくたっていいじゃん,何の意味があるの,としか思えないムダな作業。本当に今は21世紀なのかと思えてくる泥臭い作業。
● 霞ヶ関のリーダー集団は日本を代表する頭脳の持ち主たちのはずなのに,民間企業ならとっくにやめているだろう前時代的な風習がなぜ残っているのか。
労働組合が支持母体のはずの野党議員が平気で深夜に質問通告を出してくる。何なのだ,これは。おまえらは言ってることとやってることが真逆じゃないか。
● それやこれやの現実の前に,意欲を維持するのが難しくなってしまった。これがずっと続くのだと思うと,とてもじゃないが先行きに希望は持てない。
月に1冊の本を読む時間すらないじゃないか。これでは消耗するばかりだ。こんな生活をするために自分は経産省に入ったのか。
● 本当なら,ここで“経産省で国家のために働く自分”を捨てることができればよかった。が,そういうのは,部外者の後付け講釈。なかなかそうは考えられないことは,比較にはならないが,ぼくにも覚えがある。
● もちろん,経産省が悪い。ここまで職員を追い詰めるのははっきり加害者だ。キャリア官僚の自殺率が高いのは,昔から言われていたことだ。報道されないだけだよ,と。あまりの激務と責任の重さと重箱の隅を突いているとしか思えない膨大な作業が作る徒労感が理由だろう。
しかし,そういうのを乗り越えてきた人が,国会議員になったりオピニオンリーダーになったりして,この国を引っぱっている。乗り越えられる強さあるいは鈍感さを,基本的にぼくらの社会は良しとしている。若いときに仕事だけの数年間を経なかったものは,結局,使いものにならない,という言い方もされる。そしてそれは真理を含んでいる。
● では,われら凡俗の徒はどうすればいいか。その人に合った場が必ずあるとも言われるけれど,凡俗を自覚してプライドを捨てることができるかどうかだろうか。
上を見ない。生きてるだけで大したものと居直ってしまう。エリート官僚を全うして功なり名を遂げたとしても,凡俗の徒と何程の違いがあるか。そこに居直る。
● が,東大に合格するという成功体験をしてしまうと,自らを恃む方向に強く引っぱられるか。若さが居直ることを邪魔する。
何だかね,「日本人を不幸にする日本というシステム」に至って,そこで思考停止してしまうなぁ。
● でもね,本当に優秀な人というか,凄い人は,そういう環境にあっても残業なんかしないでさっさと帰っているかもしれない。国会対策にしても大臣説明にしても,そんなの適当でいいんだよ,と割り切れているかもね。
実際ね,適当じゃダメという局面はエリート官僚の世界においても,そんなにはないと思うんですよ。たいていのことはどんぶり勘定が合ってればいい。
● ただ,そうだからといって周りにかまわず独自に動けるかとなるとね。適当でいいと気づくのはそんなに難しいことじゃない。周りは周りと割り切ることが難しいのだ。
● この官僚氏はこれで人生を終わってしまうわけではない。巻き返しの機会はたぶんあると思う。しかし,・・・・・・人の人生って,ほんと,わからない。
人間到る処青山あり,とは「どこにでも自分の力を発揮する働き場所はある」という意味らしい。
男児立志出郷関 男児,志を立てて郷関を出づれば
学若無成死不還 学若(も)し成る無くんば死すとも還らず
埋骨豈惟墳墓地 骨を埋むる,豈(あに)惟(ただ)墳墓の地のみならんや
人間到処有青山 人間到る処青山有り
のだが,人生にはいたるところに墓場があって,いつそこに墜ちてしまうかわかったものではない,せいぜい気をつけろ,と解釈したくなる。人生にはマサカという坂があるという意味だ,と。
● 東大を出ても,出世しても,栄華を極めても,大富豪になっても,明日は何が起こるかわからない。備えたつもりでも,その備えの外に青山はある。
災害で命を落とす人がいる。家を失う人がいる。東日本大震災を持ちだすまでもない。災害は一例にすぎない。何が起こるかわからないのだから,備えようがない。人生とはそういうものなのだ。
● 一寸先は闇。先はわからないものだ。ということは,一寸先は光かもしれない。だから,何があっても絶望はするな。この2つは表裏なのだと思う。
件の官僚氏も絶望するには及ばない。人並みはずれた努力家であることは,世間の広く知るところとなった。誰かが見ているはずだ。
● 先はわからないことから来るもうひとつの必然。今を楽しめ。確実なのは今しかないのだ。
ある程度の年齢になったら,現在を将来の犠牲に供することをやめよ。将来などという不確定なもののために確実な現在を捨ててはいけない。
心を鬼にして,今を楽しめ。真面目すぎる人は,心を鬼にするくらいじゃないと,今を楽しむことはたぶんできないだろう。真面目もすぎれば及ばざるがごとしであることも,心に留めておいた方がよいだろう。
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