● LINEでつながってるのは奥様だけ。奥様の方はぼく以外にも何人かいるらしいが。Viberでつながっている人が1人いる。それだけ。
メールアドレスを知っている人,ケータイ番号を知っている人も,他にはいない。
こちらが二度ほどケータイ番号を変えているので,ぼくの番号を知っている人もいないと思われる。過去にはLINEでつながっていた人もいたけれども,これで全部消えた。
● 年賀状も出さなくなった。来ても返さない。ゆえに,儀礼的なやり取りもなくなった。
それで困っていることもない。ストレスの発生源を減らす効果もあるだろう。むしろ,いいことではないか。スッキリする。
● が,本当の本当にそれでいいのか。たとえば,高校時代の友人E君とのやり取りは復活させたいと思わないのか。U君はどうか。中学校の同窓生の何人かのメアドは知りたいと思わないか。
その種の情報を得たいのであれば,同窓会の幹事をやるのが一番いい。それは一度やって経験済み。そのときの情報はどうしたかというと,すべて消えた(消した)。
● まぁ,現状で良いという結論になる。そう思わせる最大の理由はインターネットだ。ブログやTwitterでともかく発信しており,少ないながらも反応があり,読んでもらえていると実感できること。
それがリアルのコミュニケーションに対する欲求を下げている。それは自分でも感じている。
● リアルよりむしろネット上のコミュニケーションの方が重くなっているようにも思われる。ネットでは自分を作り込むことができる。リアルを写す鏡というより,作り込んだ自分をはめこむところがネットであるかもしれない。
だから,リアルよりネットの方が大事だとも考えられる。素の自分よりも作り込んだ自分の方が重要になる。作り込むという点において,ぼくはまだまだその境地には至れていないが。
● コミュニケーションの核は,相手から刺激を受けることよりも,自分を開陳し,私はこういう人間ですよと伝える方にありそうだ。とすると,その核はネットで満たすことができるのだ。
反応が少ないことは,あまり支障にならないようなのだ。
● もちろん,ネットがあるから友だちがいないのではない。ネット以前から友だちはいなかった。既存の友人関係を維持することに熱心ではなかった。君子の交わりは水のごとし,というのを若い頃から信条にしていたのでね。
熱く議論するとか,ちょっとやだなと思ってた。ちなみに,議論の効用はないと思っている。
そこにブログやSNSがやってきた。ぼくはだいぶ遅れて乗り込んだ乗客だけれども,リアルの友人がいないことのマイナス(もしあるとして)をネットがだいぶ相殺してくれているかもしれない。
● ま,ネット以上に配偶者の存在が大きいかもしれないんですけどね。ただ,何らかの事情があって,配偶者と別の場所で暮らすようになっても,リアルの友人を欲しいとは思わないような気がするんですよね。
よくいえば,孤独に強い。悪くいえば,非孤独に弱い。ワイワイガヤガヤが好きじゃない。
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