2020年11月28日土曜日

2020.11.28 池波正太郎記念文庫

● 2,340円で泊まったビジネスホテルをチェックアウトして,日比谷線で小伝馬町から入谷まで移動。入谷で降りるのは初めてかもしれない。三ノ輪なら何度か降りたことがあるのだが。
 言問通りをスカイツリーに向かって進むこと,しばし。台東区生涯学習センターに着いた。図書館を中心にした複合施設だ。宇都宮でいえば,市立南図書館を大きくしたようなものだと考えていいだろう。


● その中に池波正太郎記念文庫がある。その池波正太郎記念文庫を拝観に来た。地元の人はあまり来ないのかもしれない。この時間帯,拝観者はぼくひとりだった。
 池波正太郎の時代小説はひとつも読んでいないのだが(これから読もうと思っている。老後の楽しみに残しておいたのだが,もうその老後にさしかかっている。ウカウカしていると,老後の楽しみを果たさないままあの世に行くことになってしまう。そろそろ,そういうことを真剣に思わないといけない時期になってきた),エッセイは若い頃にけっこう読んだ。

● 食,映画,芝居,銀座などを話材にしたものが多かったと思うが,何を話材にしたところで,結局は自身を語ることになるのがエッセイだ。自分の来し方,価値観,育ち方。そういったものを食や映画や銀座に事寄せて語る。そういうものだと思う。
 それを熱心に読んでいた記憶がある。自分には縁のない都会的なるものを求めていたんだろうか。
 で,それに影響を受けたかというと,たぶん,それはない。影響を受けられるだけの水準に,当時の自分は達していなかった(今も達していないと思うが)。単純に読むだけの読者であって,それ以上ではあり得なかった。


● 自筆原稿も展示されているが,こういう施設で最も惹きつけられるのは書斎だ。仕事場。ここで書いていたのかという,その現場。
 それをわかっているから,漱石山房記念館もそうだったけれども,書斎はそのままの状態で復元されることが多い。
 圧倒されるのは辞書。狭義の辞書ではなく,いわゆるレファレンスブックだ。調べ抜いて書いていたのだな,という。今ならネットで検索することになるのだろうか。レファレンスブックは不要になっているんだろうかな。

● しかし,こういうものは残らなくなるだろう。愛用の万年筆も自筆の原稿も,今の作家は残すことがない。パソコンで書いているだろうから(自筆派もまだ生存しているようだが)。
 ファミレスやカフェを仕事場代わりにしている人もいるかもしれない。であるなら,決まった仕事場は存在しないことになる。

● 台東区生涯学習センターの隣にあるのが金竜公園。普通の公園なのだが,土地単価が高い分,貴重だよ。
 合羽橋道具街はここから始まる。

2020.11.28 馬喰町界隈

● 宿泊料が2,340円のコンフォート東京東日本橋に宿泊したので,ホテルの周辺を歩いてみた。地名でいえば日本橋馬喰町。

● 宿泊しているホテルの隣が「トレインホステル北斗星」。だいぶ前(正確には2016年の大晦日)になるが,泊まったことがある。大晦日にどこも空いてなくて。外国人のバックパッカーが多かった。日本人の若者も。
 簡易宿泊施設だが清潔だし,これでいいやと思ったことだった。ぼくのようなロートルに来られては迷惑かもしれなかったけどね。
 が,現在は臨時休業している。ここのところのコロナ拡大を受けてのものか。あるいはずっとこの状態なのか。

● このあたり,なんだかアパホテルが密集しているようなのだが。ぼくが泊まっているコンフォートもすぐ近くにもう1軒あるんだけど。
 「北斗星」がここにあるくらいだから,このあたりは安宿街なのかもしれない。アパを安宿と言ってしまってはまったく正確さを欠くことになるけれど。
 日本橋はけっこう広くて,日銀本店や三越本店があるセレブっぽいエリアもあれば,人形町のような上質な下町と呼びたいエリアもある。東日本橋と通称されるこのあたりは場末感も漂わせている。場末感というのが,でも,ぼくは嫌いではない。

● この界隈で最も目立つのはこれだ。エトワール渡海。ファッション館だのリビング館だの,やたらに○○館があるんだけど,何をしている会社なんだ? ググればわかるんだけどさ。

● わが地元の烏山にサカゼンという縫製所があって,地元の女性を雇用していた。縫製の専門学校まで持っていたのではなかったか。花嫁修行の場にもなっていたかもしれない。今は昔の話になってしまったが。
 会社とすれば,地元貢献のためにやったのではなく,利益の最大化を目指しただけなのだとしても,地元の娘たちを雇用してくれてありがとうという思いは残っている。本社はここにあったのかと,うたた感慨をもって臨むなり。

2020.11.28 2,340円のホテルに宿泊してみた

● 銀座(といっても新橋寄り)に銀座グランドホテルがあって。ここが朝食付きで税込み5千円で泊まれる。銀座で朝食付きで5千円ですよ。何年か前,上野のカプセルホテルで朝食を食べたら7千円近く取られたことがあった。大晦日だったけど。
 安さは正義。これなら用がなくても泊まりに行かなきゃ。わが家のホテル奉行に注進に及んだところ,彼女がもっと安いのを探してきた。もちろん,自分で泊まるつもりは端からない。

● 銀座じゃないけど,朝食付きで2,340円。塩むすび2個だけの朝食だとしても,この料金はあり得ない。
 どうなっているのか,明日,実際に泊まって確かめることにした。

● というわけで,27日の金曜日。その2,340円のコンフォート東京東日本橋にチェックイン。
 ベッドはセミダブルだし,カウンターデスクも立派。充分に仕事もできる(ぼくはしないけど。てか,仕事を持ってない)。
 ラウンジもありますよ。ラウンジというか,朝食会場になっている食堂でコーヒーを無料で飲める。部屋に持ち帰るのもOK。

● 風呂はさすがにユニットバス。要するに,普通のビジネスホテルだね。
 朝食はバイキングらしいっす。真岡のビジネスホテルで朝食を食べると6千円超のお金を取られたもんですがなぁ。っていうかさ,それが普通の値段ってものでしょうよ。

● 途中,コンビニで買ってきた缶酎ハイとツマミをデスクに広げて酒盛り。これがけっこう楽しみでね。家でやってるのと同じことを場所を替えてやっているだけなんだけども,グッと非日常感が増して,けっこう気分も高揚してくるんだよね。
 安上がりだし,コロナ感染の心配もないしで,酒は個室で飲むのが吉。いつもとは違う部屋なら,すなわちそこが極楽浄土。

● 昔の歌謡曲を聴いてみたくなって,スマホで YouTube を起ちあげて画面をいじっていたら,ハニー・ナイツの「ふりむかないで」が出てきた。大昔の,シャンプーのCMソングだったやつね。
 懐かしくなって聴いてたんだけど,これって福島・関東篇とか北陸地方篇,関西篇など,全国各地のローカルバージョンも出ていたんですね。けっこう売れた曲だから,全国から隈なくお金を吸いあげてやれということだったんでしょうね。商魂の逞しさが気持ちいいね。
 今みたいにインターネットなんてない。CDのレンタルショップもなかった。だから,この曲を聴こうとすればレコードを買うしかなかったわけでね。商売はしやすくったというか,あまり手を読まなくてもすんだ時代でしたね。

● さて,翌日の朝食。和食はないが,サラダ,卵,肉と,全種類あり。卵とサラダは複数。スムージーやスープも複数用意されている。マンゴーなどフルーツもある。
 旨いかと言われれば,そりゃ素人が作っていることは歴然としているし,食材も安いのを使っている。が,宿泊料が2,340円であることを忘れちゃいけない。ここまでやって黒字になるのかと心から心配になる。

● リゾート系のホテルだと宿泊客がやってくるのは9時頃がピークになるのだが,ここではお客さんの出足は早い。
 男女比は7:3。年齢はバラバラ。後期高齢の単身男性もいれば,若い女性もいる。総じて単身者が多い。
 基本的に沈黙が支配している。そそくさと食べて部屋に戻る。が,長居する豪の者もいる。そういうのって,たいてい女性ね。

● 80歳に届いているのではないかと思われる男性が1人で食べていた。そして,食べ終えて出ていった。手慣れている。
 ひょっとすると,彼はここに住んでいるのかもしれない。終の住処にしているのかも。ここなら切り詰めれば10万円/月でやっていけるかもしれない。厚生年金でまかなえる。
 部屋にこんなNOTICEがあった。長期滞在者が多いのだろう。ウィークリーマンション的に使われているっぽい。

● というわけで,朝食が付いて2,340円で泊まれるホテルはごく普通のビジネスホテルでありました。
 人手を省くべくいろんな工夫をしている。たとえば,冷蔵庫はあるけれど,中は空っぽ。ゆえに,冷蔵庫の精算の必要なし。チェックアウトは,カードキーを返却ボックスに放りこめば,それで終わり。

● じつは,これで終わりではない。1,000円分のクーポンが返ってくるのだ。GoToの威力だね。
 この1,000円は奥さんが使ってくれるだろう。

2020年11月27日金曜日

2020.11.27 ATELIER MUJI GINZA Gallery

● 銀座の無印良品には何度か来ているが,ぼくの場合は3階と4階で完結。他のフロアはほぼ素通り。たまに1階の食品売場でレトルト食品を物色するくらい。
 ちなみに,3階は文具売場で4階は MUJI BOOKS。

● MUJI BOOKS は普通の書店じゃなくて,無印がこしらえた本,無印について書かれた本が中心。もちろん,それ以外の本もあるが,かなり絞っている。もとより,ビジネス書なんぞという無粋なものはない。
 アカデミックではなく,スタイリッシュというのでもなく,適度に軽く,適度にポップで,しかし垢抜けている感じといいますか。
 これを参考に棚を作っている書店は少ないかもしれないが,本も扱っている雑貨店的なところでは,無印を調査対象にしているのではないか。

● 今日はまっすぐ6階に来た。このフロアにはギャラリーがある。見ている途中で休憩できるカフェがあり,「MUJI HOTEL GINZA」のフロントもこの階にある。
 このホテルは無印良品の世界にどっぷりと浸るには格好のものだろう。無印に囲まれた衣食住の風合いを体験してみたいとぼくも思わなくもなく,一度は泊まってみたいと思っていた。のだが,その機を得ず,今に至る。

● ちなみに,一番狭い14㎡の部屋に1人で泊まる朝・夕食付のプランが20,400円。もちろん,GoTo適用後の料金。
 夕食というのが,前菜5品,お造り(真鯛と甘えび),焼き物盛り(鰆の味噌幽庵焼き),煮物(ふぐ小鍋),羽釜ご飯(赤出汁付き),甘味(自家製WA三盆プリンと最中アイス),お茶,という和食のフルコースといった感じ。
 これを銀座で食べられて2万円で泊まれるとは安い。GoToの恩恵,受けざるべからず。と,とりあえずは思うのだけども,この部屋にシャワーはあるがバスタブはない。
 部屋でマッタリしたいという過ごし方には向かない。活動的な人がエネルギーを充填するための部屋という感じがするね。

● その6階のギャラリーで2つの展示が開催中。ひとつは「名前が消えるとき 展」。アノニマス・デザインがテーマ(らしい)。デザインを感じさせないデザインというのだろうか。
 「優れたデザイナーが関わっているからこそ,卓越したアノニマスも誕生する」と案内リーフレットにも書かれているが,それはそのとおりなのだろう。

● 「会場には年代,作者名,メーカー名などは記載せず,モノは並列に配置されます。名前が消え,モノの機能とかたちを無意識の眼で見るとき,私たちの対象との関係性はどのように変わるのでしょうか」というのが問題意識。
 と言われても,ぼくなんかはそんなことを考えてモノに向き合ったことなどないから,そもそも関係性を作れていない。

● もうひとつは「動詞の森 『MUJI IS』を携えて 編」。こちらは無印良品の哲学・商品開発の指針を15の動詞に集約して伝えようとするもののようだ。
 15の動詞が何かというのは下の写真のとおりなのだが,「引く・省く」や「飾らない」は無印っぽいと思うわけだが,「見立てる」や「受けつぐ」も言われてみればなるほどな,と。
 詳しく知りたければ『MUJI IS 無印良品アーカイブ』を読んでください,というわけだが,もちろん4階で販売中でしょう。

● 無印は自分で工場を持っているわけではない。仕様を決めてメーカーに発注する。無印がやっているのは,大きくデザインということになるのだろうが,そのデザインに関しては創業以来の試行錯誤の積み重ねがある。他のメーカーが
無印の後を追おうとしても,追いつくのは容易ではない。まして追い抜くのは,仮にあるとしても,はるか先のことになるだろう。
 しかし,コロナでアメリカの店舗が壊滅するなどして,厳しい打撃を受けた。株価も大きく下げた。だいぶ持ち直してはきたが,これからどう立て直していくのか,商品開発力ではなく経営力が試される時期がしばらく続くのだろう。









2020.11.27 銀座にもイルミネーション

● 銀座を8丁目から1丁目まで歩いてみた。トワイライトタイムの中央通りにはイルミネーションが登場していた。そういう時期だものな。
 銀座に限らずどこの商店街でも,今年はコロナのせいで人出が減り,売上げも減り,例年よりも元気がないのかもしれないが,ぼくはわりと機嫌がいい。中国人のいない静かな銀座は,静かであるがゆえの気品のようなものを感じるからだ。

● 途中から並木通りに入ってみた。銀座のいわゆるクラブは壊滅的な打撃を受けているに違いない。少し前は黒服が路上に出て客引きをする姿も見かけたが,今はそれもなくなった。そういうことをする元気もなくなったと見るべきなのだろう。
 一般人には法外と見られるお金を取って,酒ではなく接待を売っていたはずだから,こうなるとどうしたって脆い。加えて,世間もこうしたクラブには冷たいだろう。自分たちには縁がないところだからね。

並木通り
● ぼくも一度も行ったことはないし,行きたいと思ったことも,行けると思ったこともない。決してやせ我慢で言うのではなく,酒席は気のおけない友人と安い酒を酌み交わすのをもって最上とする。
 酒席に接待は必要ないし,接待が絡むような酒席には出なくてすむようになるのが,男子の甲斐性というものだろう。

● 冬ですよ。鍋が美味しい季節ですよ。昔なら熱燗が旨くなるねぇと言ったところなんだけど,今は空調が格段に良くなっているからね,冬だってキリッと冷えたハイボールを飲みたいねぇ,ぼくは。
 ところがコロナだ。その鍋をつついて安酒を酌み交わすこともままならなくなっている。最も安全なのは家飲みということになる。

● 酒類メーカーの売上げは増えているのだろうと思っていた。飲食店向けの売上げは減っても,それ以上に個人向けが増えたろうから,悪くてもトントンじゃないか,と。が,どうもそんなものではなさそうだ。相当減らしているらしい(そりゃそうか。夏のビアガーデンが成立しなかったのだから)。
 清涼飲料水がさらに売れない。人は動かないと清涼飲料水を飲まないものらしいのだ。てか,言われてみるとそうだなと思いあたる。

● しかし,冬になった。酒は夏より冬のものだ。夜が長いんだから。ドクターストップがかかってはいるんだけれども,安ウィスキーのハイボールを家で飲むしかないかなと,イルミネーションの銀座を歩きながら思ってみた。

2020.11.27 旧新橋停車場鉄道歴史展示室で食堂車の企画展を見る

● 今日も東武電車でコロナ感染者が急増中の東京に来た。ぼくはこの状況を危機と感じない鈍い人間なのだ。
 密室での接待を伴うような店に行かない,個人宅に人を集めない,集団で盛りあがっているところに近づかない,集団でカラオケボックスに行かない。そうしたことを守っていれば,そうそう感染はしないでしょうよ。
 要するに,濃密な交際,人付き合いを封印するという,それだけを実行していれば,まずコロナ感染は避けられるものだと思っている。

● コロナ恐怖が今より強かった頃,感染しているのに夜行バスに乗って帰省した女子大生が叩かれたことがあった。で,その夜行バスからクラスターが発生したとすれば,世界に冠たる日本のマスコミが,鬼の首を取ったかのようにその女子大生を叩くいじめ記事を書きまくったことだろう。
 その記事が出なかったところを見ると,夜行バスからクラスターが発生することはなかったのだろう。業務用の車両は自家用車とは比べものにならないほどに換気が優れているんだろうか。

● 結局,出歩く出歩かないではなく,各人の24時間から “交際” を消し去ってしまえば,コロナに感染する可能性をミニマムに抑えこむことができるということになる。だからそれをやればよい。
 交際を伴わない外出はほぼ問題なし。と勝手に考えて,浅草から銀座線に乗って新橋に出た。地下鉄も乗っているだけなら感染は発生しないことが,これまでの経験から実証されていると言っていいだろう。

● 旧新橋停車場鉄道歴史展示室に来た。食堂車の企画展。ここに来るのは二度目。前回来たときは駅弁特集だった。特に駅弁に付いてくるお茶の容器(土瓶)。
 そのときも,この時代に列車に乗れて駅弁を買って食べることができた人は,日本国民の中の何割くらいだろうかと思った。何割っ
て,1割に満たなかったはずだと思うんですが。


● 今回も同じことを思いましたね。昭和33年のこだまビュッフェのコーヒーが50円。ちょっくらちょっと飲めるものじゃなかったわけですよね。
 しかも,当時のコーヒーって今のより不味かったと思うんですよ。今なら120円で買える缶コーヒーの方が旨いんじゃないでしょうか。
 当時の上位1%の富裕層より,今のぼくらの方が生活水準は上位だと思いますよ。問題は絶対水準じゃなくて他者との比較で満足度が決まってしまうってことでしょうけどね。


● 戦前は1等車,2等車,3等車とあって,食堂車が連結されたのは1等車と2等車。後に3等車にも連結されるようになる。
 で,3等車の食堂車は和食を出したらしい。1等車と2等車は洋食を出したんでしょうね。洋が和より上という感覚があたりまえにあったんでしょうねぇ。今は街場のレストランでは和の方が高くなってますけどねぇ。


● しかも,この頃は1等車であっても食堂車にいられる時間はかなり短く制限されていたらしい。
 乗せてやってるって感じでしょうかねぇ。鉄道省があった頃だものな。役人におもてなしの精神はない。
 あと,労働組合が強いところもダメね。分割民営化前の国鉄は国労の傍若無人ぶりを乗客に示すためにあったようなものだもんな。バカに力を持たせてはいけないと思わせる典型例だったよ。

● 明治時代のイラストも展示されていてね。目が細いんだよね,当時の日本人。パッチリまぶたの人はいなかったんですかねぇ。
 てか,細めが美人の条件だったのか。浮世絵もそうだしねぇ。あるいは,目は細めに描くのが約束ごとだったんですか。


● 鉄道発祥の頃は,ここが鉄道網の起点だった。その遺構がほんの一部だけれども残っている。関東大震災,太平洋戦争を経てきた東京で,一部といえどもそれが残っているのが凄い。
 当時の街並みを頭の中で想像するには,しかし,良くも悪くも東京は変わりすぎている。その想像はなかなか難しい作業になる。

2020年11月25日水曜日

2020.11.25 “青春18きっぷ” の季節になりましたよ

● 来月10日から使えるよぉ。使用期間は夏より短い1ヶ月。その代わり,すぐに春の “青春18” がやってくるからね。
 街がクリスマス飾りで埋まることによって年末を知るよりも,“青春18” のポスターで12月が来るのかと思うのが,われら鉄人18号の悲しきサガでありますなぁ。


● 今年の冬は “青春18きっぷ” で四国に行ってみようかと思って,時刻表をめくっている。わが家からだと上りの宇都宮線の始発は5:26。それに乗ると,その日のうちに坂出,高松には着ける。
 どうせなら松山まで行けないかと思うのだけども,これは無理。坂出には20:51に着くのだが,そこまでだ。

● 米原に15:16に着く。15:17の新快速に乗り継げるのなら,坂出着は20:21になる。それなら坂出から先を特急に乗ってしまえば,その日のうちに松山に着けるんだけど,普通列車で松山まで行くのはそれでも無理。
 っていうか,四国内を “青春18” のみで動こうとするのは,そもそも無理があるかもしれない。結局,松山は諦めることにした。

● 静岡駅で降りたことがないので(1回あるかもなんだけど,確たる記憶がない),往きは1時間ほど静岡の街をブラついてみる。
 高松では安いビジネスホテルに2泊する。丸1日は高松に滞在できるから,讃岐うどんを食べまくる。可能ならば,1日3回,同じ店に通いたい。


● 復りは京都で過ごす時間を作ろうと思う。京都は人を選ぶ。ぼくは遂に選ばれることはなかったのだが,せっかくなので京都で下車してみよう。
 といって,高松発4:35の始発の瀬戸大橋線に乗ったとしても,京都散策に取れる時間は2時間。2時間で何ができるか。嵐電に乗って嵐山の渡月橋を見に行くのもいいし,京都駅から離れるのが不安なようなら東寺をふらつくのもいいなと思う。


● 冬になったら,ほんとにこれを実行する気になるかどうか。問題はそこのところ。

2020年11月23日月曜日

2020.11.23 富士そば,3連チャン

● 11月21日。東武電車で浅草に着いた。浅草をあっちにフラフラ,こっちにフラフラということは,しない。まず,駅前にある富士そば浅草店に行く。今日もそうした。
 紅生姜天そば,430円。ちょっとした贅沢ですよ。

● 紅生姜天なんて普通のそば屋にはないんでしょ。立食いそば店にしか行かないからわからないんだけど。
 寿司だって回転寿司が開発したネタがあるし,蕎麦も立食いそばが作りだしたネタがあるね,ということね。

● 11月22日は池袋に来た。で,富士そばの池袋西口店。王道の天ぷらそば,430円。
 東海林さだおに富士そばの全メニュー制覇に挑んだ(?)顛末を綴った『偉いぞ! 立ち食いそば』(文春文庫)がある。もちろん,読んでいる。
 その頃にはあったメニューが今はないということもあると思うのだが,新しいメニューがどんどん出て,トータルでは今の方が多くなっているだろう。ネットを見ていると,富士そばを精力的に食べ歩いている人がけっこういる。全メニュー制覇は多くの人が達成しているんでしょうねぇ。

● 11月23日は再び浅草店。つまり,帰りがけに寄ってみたというわけね。
 ミニ豚シャブ丼セット,550円。いわゆるひとつのご馳走であることは間違いない。晩飯がこれでも,ぼくはまったく文句がない。

● “いろり庵きらく” のミニ豚丼セットとどうしたって比べたくなる。むこうは640円だったか。豚丼だけをとれば,いろり庵の方が旨いかなぁ。固形醤油がなかなかのものだからなぁ。
 90円の価格差をどう見るかだねぇ。富士そばを採るかなぁ。

2020.11.23 岡本太郎記念館

● さて,今日はもうひとつ,岡本太郎記念館に立ち寄ってから帰ろうと思う。ので,銀座線虎ノ門駅まで歩いていく。
 虎ノ門駅の渋谷方面ホームにある壁画(とは言わないと思うが)。これってアレだよね,どこから見るかによって表情が変化するってやつだよね。中谷ミチコさんの「白い虎が見ている」という作品。
 日中のあまり混んでいない時間帯に行って,移動しながら眺めてみるしかないでしょうね。

● こうした駅のホームに展示されているパブリックアートとしては,同じ銀座線の京橋駅にも中西信洋「Stripe Drawing – Flow of time」がある。知られた存在。
 って,偉そうに語っているけれども,ネット情報で知っているだけで,実物を見たことはない。近い将来にその機会はあると思うけど。

● 銀座線で表参道へ。A5出口を出るとすぐに赤い鳥居がある。ほんと,東京ってどこに行っても稲荷社があるねぇ。都民こぞって稲荷教の信者のようだな。といって,稲荷教に教義はない。ご利益だけがある(ないかもしれない)。
 ちなみに。性は稲荷,名は麻紀という女の子がいたとしよう。絶対にヒダリマキってあだ名が付くぞ。ぜんぜん関係のない話だけどさ。

● 岡本太郎記念館に着いた。入館料は650円。岡本太郎が84歳で亡くなるまで,50年近く暮らしたアトリエ兼住居を公開したもの。実際にここで暮らしていたのだから,自ずと濃密な空気感が残っているだろう。
 で,そのとおりだった。まず庭だ。これでもかというほど作品が置かれている。ギッシリと詰め込まれているという印象。

● 1階にはアトリエが生前のままの状態で残されている。記念館の中で最も長く見ていたくなるのも,このアトリエだろう。ここであの膨大な作品群を構想し,制作したのかと感慨に浸れるからだ。
 しかし,岡本太郎はずっとこのアトリエにこもって,作品を作り続けるというふうではなかったらしい。「絵を描いていたかと思ったら,庭先の彫刻の作業場へバーッと走り出て彫刻を彫り始めたりと」しょっちゅう動き回りながら,複数の事柄を同時進行させていたようだ。
 多動の人だったのだな。天才にはこのタイプが多いのかもしれない。落ち着きがあるようではダメなのだ。

● 玄関からアトリエに行く途中には,岡本太郎の等身大のマネキンが立っている。小柄な人だったようだ。かなりリアルだけれども,不気味さを漂わせるほどではない。ありがたいことに,マネキンだとわかる程度にとどまっている。

 この小柄な身体からどれほどのエネルギーを迸らせていたのか。ほんとにねぇ,脳神経回路がぼくとはどう違っているんだろうかなぁ。基本的に違いはないはずだろうになぁ。

● 2階は企画展の展示に充てられている。現在は「退治する眼」というタイトルの企画展を開催中。館長の平野暁臣さんの挨拶文をコピペしておく。
岡本太郎は“洋画家”としてキャリアをスタートさせたけれど、絵の内容は普通の洋画家とは大きく異なるものでした。風景画、人物画、静物画、裸婦画……など、一般的な西洋画題をまったく描いていないからです。
ではいったい太郎はなにを描いていたのか? 残念ながら、それがなにを表しているのかは、絵を見ただけではわかりません。ただ、ひとつだけはっきりしていることがあります。「眼」です。太郎の絵にはかならず眼が描かれている。しかも多くは複数の眼です。
具体的なことはわからないけれど、少なくとも太郎が描いていたのは“生きもの”であり、“いのち”だった、ということだけは疑いありません。岡本太郎はいのちを描いた作家だった、ということです。
とりわけモチーフとして頻出するのが「対峙する眼」です。ふたつの“いのち”が語りあい、睨みあい、笑いあう。そしていつのまにか、複数の眼が生命力をたぎらせ、群れをなして鑑賞者を睨みつけてくる。
● 抽象画とは違うんだろうけど,他者からの理解を拒むというのが,岡本太郎の真骨頂ですか。
  「太陽の塔」が注目された時期は,ぼくは中学生だった。まるでわかりませんでしたよ。どこかの玩具メーカーが出した金属製の人形かと思ったくらいで。
 世間でも毀誉褒貶があって,誉褒より毀貶が勝っていた。大衆が理解しないのはいいとして,その道の専門家だってかなり怪しかったのではなかったか。

● 鑑賞するという行為は受動態では成立しない。こちらから対象に向かうのでなければ何も始まらない。
 が,この濃密な空間にいても,ぼくの感性はピクリとも反応しない。ベタッと地面に寝そべったまま,起き上がってくる気配がない。何だかね,情けないですよ。
 とはいっても,わざわざここに来ているのだ。全く何も感じないのなら,今ここにいるはずがない。自分の中で何かが引っかかっているのは間違いないと思う。しかし,それが何なのか,どうやったらそれをズルズルと引っぱり出せるのかがわからない。

● 帰りは骨董通りを歩いてみた。これが名にし負う南青山か。港区女子のフランチャイズか。日本の最先端か。
 といっても,ちょっと歩いたくらいでそうしたものを体感できるわけでもないだろう。かつ,それを体感することは諦めた方が賢いような気がする。ぼくには無理だと思う。