● 短い間だったけれども,職場を同じくしたK君がFacebookで,自身が飲んだ日本酒について語っている。それを次々に読んでいった。
羨ましいと思った。羨ましいと思った所以を以下に述べる。
● K君も一介のサラリーマンで,自由に使える資金はそんなにはないはずなのだ。ひょっとしたら,資産家の息子で,こちらがうかがい知れない資金ルートを持っているのかもしれないけどね。でもまぁ,そういうことはないと思うね。
その限られた資金からどれだけの質量の楽しみ,愉しみを引きだせるか。それはその人の器量による,といっても言い過ぎじゃないでしょ。
● この点について一般論を語れば,若いときのほうが器量が大きいとも言えちゃうんだけどね。既知が少なくて,丈夫な胃腸と肉体を持っている。それは相当な強みだ。
彼らが1万円を使って得られる享楽の質量と,ぼくが10万円を使って得られるそれを比べれば,彼らの1万円のほうがはるかに大きいに違いないのだ。
● お金の使いでは若いときの方が大きい。ゆえに,お金は若いときに使っておけ,というテーゼはほぼ例外なく成立するのではないかと思う。
若いときに貯金なんて考えているようではどうにもなるまいよ。と言いたくなるんだけど,ことはそれほど単純ではなくて,貯蓄の習慣は若いときじゃないと身につかないかもしれないけど。
● ともかく。同じ額のお金を使っても,使い方によって,あるいはその人の器量によって,そこから引きだせる楽しみの質量は違ってくるよ,と。
で,K君は日本酒のあれやこれやを貪らずに,ゆっくりとじっくりと楽しんでいるようなのだ。
● 貪らない,ゆっくり,じっくりというのが,引きだせる質量を増やす秘訣かもしれない。
もちろん,日本酒の世界の奥の深さが前提としてあるだろう。深いから追求する気になれる。
● でね,ぼくも30代の前半くらいまでは日本酒党だったんですよ。将棋の故芹沢博文九段が「旨いウイスキーより不味い日本酒のほうが100倍旨い」と書いていたのを読んで,そうなのかぁと思ってね。
でも,その後の焼酎ブームに抗することができなかった。ぼくはけっこう量を飲むので,日本酒だと翌日に残ってしまう。それを避けようとした。蒸留酒の方が体内にとどまっている時間が短いようなのだ。錯覚かもしれないけれど。
● あと,当時の日本酒ってベタベタしてて,いくら不味い日本酒のほうが旨いと言われても,なかなかつらいものがあったかなぁ。当時だって,探せばそうじゃない酒もあったはずだけどね。
ある時期を境に,純米吟醸っていうのがこちらの手の届く範囲に降りてきたっていう印象があるんだけど,当時は日本酒はこういうものだ,これじゃサントリーのズングリした黒いやつに駆逐されるのは当然だ,と思っていたね。
● でも決定的だったのは,味わうよりも手っ取り早く酔えればいいと思ってたことだろうね。酔うのが楽しかったんだな。酔えればよかったみたいな。
そうなると,蒸留酒系だよね。乙類焼酎を濃いめのお湯割りにして飲むと,あっという間に酔えるもんね。
● 要するに,だ,ゆっくり,じっくりの真逆をやっていたんだなぁ。
で,どうも自分の酒歴が貧しいものに思えてきてね。K君のFacebookからはいい日本酒を慈しむ姿勢が感じられて,とても好感が持てる。
対して,自分の場合,酒は飲むものであって,慈しむ対象にはしてこなかったと思う。そういうところも大きいね。
● というより,そういうところだけなんだろうな。酒そのものの問題じゃないわけでね。日本酒かワインかビールかウィスキーか焼酎か。それは好きなものを飲めばいいという結論にしかならない。あなたの好きなものをどうぞ。
が,どう飲んできたか。大げさにいえば,酒に向かう姿勢ってやつ。それがK君とぼくの違いだな。
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