● TwitterもFBも使い方は人それぞれだ。それでいいわけだ。決まった使い方などない。自由に使えばいいわけだ。
たとえば,自転車を趣味としている人は自転車のことしか書かないとか,音楽をやっている人は音楽のことしか書かないというのが,けっこうあるようだ。ブランディングというと大げさだろうけれども,最もアピールしたいことに特化した使い方。
● 一方で,何でもありという人もいる。ぼくもその派に属する。日記のようなもので,その日の出来事ややったこと,食べたもの,思ったことを時系列であげている。
TwitterもFBも写真が使えるのだから,日記として使う場合でも,より詳細な記録を残せるだろう。
● そうした使い方をすると,まとまりがないというか,とりとめがないというか,散漫というか,ツイート(投稿)の水準が揃っていないというか,そういうものになる。特に,FBではこんなもの書くなよと言われることもあるかもしれない。
が,そうしたバラツキはあっても,全体として自分の水準や性格が現れたものになっているだろう。
● SNSはリアルの交際と同様に(ひょっとするとそれ以上に)飾りや気取りはそれとバレる。飾る人だ,気取る人だ,とバレてしまう。リア充自慢も自慢だとわかってしまう。
知らぬは本人ばかりなり。お里は知れるものなのだ。ここは隠しようがない。SNSでは自分の素が晒される。そういう意味でSNSは怖いものだ。
その怖さに無頓着だと損をする。場合によっては取り返しのつかない結果を招くことがあるかもしれない。バレバレなのにバレていないと思って演じているなぁ,と思えてしまうのに,時々出くわす。
● ぼく一個は,サラリーマンの場合は,仕事のことは書かない方がいいと思っている。職場の誰かを告発することが目的でもない限り,仕事や職場のことはSNSにはあげないと決めておいた方がいい。
書いてはいけないことを書いてしまうかもしれないからだ。何が書いてはいけないことなのかは,事前に決まっているわけではない。書いて問題になった後に,書いてはいけないことだったのだとわかるのだ。というか,書いてはいけないことだったことにされるのだ。会社とか世間というのは,そうしたものだろう。
● が,その怖さよりも,自分を晒すこと,自分を語ることの快感の方が勝るのだろう。少なくとも,ぼくはそうだ。その誘惑にはなかなか抗しがたい。
ここまでSNSが普通になると,個人情報の保護というのは,もはや過去のものになったと考えるしかない。自分から積極的にばらまいているんだから,それはもはや保護するに値しない。個人情報の保護,思えばはかない寿命であったな。
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