● 自分のことではないんですよ。若い人たちのFacebook離れが進んでいるっていうのは,だいぶ前から言われていて,ぼくがFBを使い始めたのは1年半ほど前なんだけど,その頃にはもうだいぶ進行していたと思う。
その前にFB疲れということも言われていましたね。先日もFBが頭打ちになっているという記事に接した。
● ぼくはTwitterとFBをほぼ同時に使い始めた。で,思うのは,FBがなくなっても痛痒は感じないけれど,Twitterには残ってほしい,ということだ。
Twitterで気軽につぶやき,まとまったものにしたいときにはブログを使えばすむ。
● Twitterには140字という制約があるといわれる。けど,FBでも140字を超える投稿はあまりない。むしろ,140字を超えると億劫がって読まない人が多いのじゃないかと思ったりもする。
つまり,140字は制約じゃない。充分に広い。ほとんどの人はスマホでやっているんだろうから,そんなに長い文章は打てないわけでね。
● FBには向かない投稿というのもありそうだ。意見表明的なものはだいたいそうじゃないかと思う。和を乱す,無用に空気をかき乱す的な受け取られ方をすることが多いはずだ。
つまり,FBって村社会をそのままネット化したものという側面がわりかし強いという印象がある。限られた「友だち」どうしで「いいね!」をやり取りして,それで完結している。閉じている。閉鎖的な空間。
● どうしてそうなるかといえば,理由は非常にハッキリしている。それがFBというものだからだ。
FBの肝は“つながる”にある。“つながる”を持ちこめば,そのつながりを揺さぶるものは,排除の対象になる。とは言わないまでも,忌避の対象にはなる。
絆は束縛の別名でもある。ぼくらにまず必要なのは,絆じゃなくて,孤に耐え得る耐性の方だろう。それを持たないやつが絆を求めると,ろくなことにならない。そうしてできた絆やつながりは,醜さの別名にもなる。
● 「友だち」って5,000人まで登録できるんだったかな。けれども,いくらネットでの交流とはいえ(あるは,ネットだからこそ),そんな数を捌けるはずはない。普段交流する人だけの「リスト」を作って,自分のタイムラインに流れてくる情報量を大幅に制限しているはずだ。
となると,FBの「友だち」というのも,ゴミの集合体に過ぎなかったりするのではないか。ぼくの場合は違うけどね。なにせ「友だち」は9人しかいないんだから。
● FBをやるときに大事なのは,自分の投稿を広く拡散させたいと思うあまり,「友だち」をむやみに増やさないことでしょうね。FBって個対個のコミュニケーションに向くSNSなんだから。
特に,政治家(県会議員とか首長とか)を入れないこと。これは大事だと思いますよ。
● ときどき,出会い系の女性から友だち申請があったりするしね。こういうところも,FBの煩わしさのひとつ。あからさまにそれとわかる広告もあるし。
というわけで,Twitterの方が風通しが良くていいかなぁと思っている。
● ところで,若い人たち(特に娘たち)はFBから逃げ出してどこに行くのかというと,Instagramらしい。忌々しいことに,FBとInstagramは同じ会社が運営しているんだねぇ。
ぼくはInstagramの世界には興味がない。というか,若者はオッサンやジジイを嫌ってFBを逃げ出したのに,それを追いかけちゃいけないや。
大昔から世代間の棲み分けはあった。SNSでもそれがあって当然だ。世代間で協力し合わなければというのは,それ自体が年寄りに都合のいい話であって,若者にしたらとんでもないことだろう。
若者の自由は尊重しないと,ぼくらの未来がなくなってしまう。
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