2016年3月31日木曜日

2016.03.31 母は強し

● 宇都宮市内でバスに乗ったら,おやっと思わされる母子と乗り合わせた。
 男の子が二人。一人は西洋顔。もう一人は日本顔。日本顔がお兄ちゃんで,西洋顔が弟かとおもわれた。
 母親は弟と話すときは英語(だったと思う)で,お兄ちゃんと話すときは日本語を使っている。
 弟は英語しか解せず,お兄ちゃんは日本語しか解さないようだった。つまり,兄弟どおしではダイレクトにコミュニケーションはできないようだ。

● この母親,完璧なバイリンガルなんだけど,どういう事情があるんだろうなぁ。想像力を刺激する女性だね。

● 宇都宮駅に着いて降りるときには,運転手にありがとうございましたと言って,降りていった。こういう母親に育てられる子供は幸せなんだろうな,と思った。
 にしても。日本人男性と結婚して子供を生み,その後離婚。アメリカ人男性と再婚して子供が生まれた。と考えるのが最も普通かと思うんだけど,そうなのかそうではないのか。ミステリアスな女の人だ。

● 傍から想像するには,これからけっこう大変なんじゃないかなと思うんだけどね。日本で住むにしてもアメリカに移るにしても。
 子供たちはまだ小さいから言語的な対応能力は相当高いのだろうけど。子供たちは両方とも,母親同様に英語も日本語もペラペラになるんだろうか。

● ただ,彼女ならフロンティアを拓くがごとくに,道を切り開いていくんだろうなと思わせるものを持っていた(ように感じた)。
 普通の人はあまり経験しない人生を,スッスッスッと進んでいくのかなぁ,と思わせるもの。

2016.03.30 那須エリア周遊パス

● 6月30日まで使える「那須エリア周遊パス」が出たようだ。2月1日から使えたようだから,出たのはだいぶ前になるんだろう。
 「塩原渓谷フリーきっぷ」と「那須高原フリーパス」の2種。東野交通とJRバス関東が出している。

● 2日間有効の切符と1年間有効の「お・も・て那須手形」がセットになっている。「お・も・て那須手形」を持っていると,「1冊で温泉入浴施設7ヵ所に無料で入浴でき」る。
 ほとんどの人は車で行くだろう。それができない人,しづらい人(主に遠方からの人ってことになるか)は,電車でやってくる。新幹線なら那須塩原駅から塩原と那須へのバスがある。西那須野駅からも塩原への,黒磯駅からも那須高原へのバスが出ている。
 で,その営業所で周遊パスを販売中。

● 塩原はあまり行かさんないんだけど,那須へはしばしば行った。と過去形なのは,ここ数年はあまり出かけていないからだ。
 で,当然にして車で行くことになる。周遊するのであれば,車ほど便利なものはない。

● でも,だね,この切符でバスに乗って,効率悪く,時間を合わせながら,塩原や那須をブラブラするっていうのも,考えようによっては贅沢だ。自分で運転しなくていいんだから,朝から飲むことだってできる。
 車があると自由に好きなところに行ける。が,酒は飲めないし,運転しながら居眠りするわけにはいかない。行為の態様はわりと制限される。

● その点,電車やバスならば,行きたいところに自在に行けるわけではないし,待たされることを覚悟しなければいけないけれども,飲もうが寝ようが勝手たるべしという自由さを満喫できる。
 考えようによっちゃ,運転手を雇っているようなものだ。運転はお金を払って任せているのだ。自分は気ままに過ごしていいのだ。

2016年3月27日日曜日

2016.03.27 さくら市氏家の「登竜」

味噌ラーメン
● この店は地元の人たちに愛されてるように思う。そう思わせる雰囲気のようなものが店内に満ちている。
 この地で長くやっているせいもあるだろう。

● 店員も若い人は少なくて(いないわけではない),もうずいぶん長く務めているのじゃないかと思えるおばちゃん店員が多いのも,そう思わせる理由になっているかも。
 こうしたおばちゃんって,お客さんをかなり熟知しているっぽい。お客さんをして長く通わせる役割を果たしていそうだ。

● 店も店員も長い。このあたりに「登竜」の肝があるかもしれない。では,長くやれるための要件は何か。
 地道に旨い麺を出すこと。飽きられないこと。そのための工夫を怠らないこと。このあたりが難しいのだろうけど,工夫と意識した工夫ではダメなのかもしれない。工夫と思わないでやっている工夫が結果的にお客を呼ぶのかもしれないな。

醤油ラーメン
● ウリはたぶん味噌ラーメンなのではないか。ぼくも何度か食べている。ラーメンはしかし,醤油が基本。その醤油ラーメンも何度も食べている。
 どちらも旨い。劇的に旨いというわけではない。劇的に旨いのは,かえってよろしくないようにも思う。ほのかに旨い。結果,飽きない。

● 旨さのほどがいい。こればまた長く続いている理由のひとつかもしれない。“ほど”は狙って得られるものではないだろう。やはり難しい。

2016年3月26日土曜日

2016.03.26 世界のどこでも使えるSIMがあれば

● SIMフリーであれば,海外でも使える。キャリア製品であっても,SIMを交換すればすむわけだけれども。

● 次なる問題はSIMカードの使用エリアが国境に縛られていることだ。国境を越えるたびにSIMを交換しなければいけない。これ,面倒くさくない?
 ま,ぼくがこれから国境を次々に越えて異動するような生活をする可能性は絶無なので,そんなことを心配する必要はないんだけどさ。

● 日本なら日本,香港なら香港でSIMを装着すれば,どこに行ってもそのSIMが使えるようにならないものかね。
 国を越えれば料金が異なってくるのはぜんぜんかまわない。そんなことは当然だからね。でも,それを1枚のSIMが認識してくれて料金を支払えることができるようにならないものか。
 そうなってくれたら,移動がさらに楽になる。

● いきなり,そこに行くのが難しければ(って,難しいに決まってますな),プリペイド式でいい。香港にいるときは香港の料金体系にしがたって引かれ,ベトナムに移ったらベトナムの料金体系にしたがって引かれる。
 カードの差し替えは必要ない。チャージはどこでもできる。そういうふうにならんもんかなぁ。

2016.03.26 ヨドバシのスマホ売場にささやかな変化

● だいぶ前からだと思うんですけどね。ケータイ(スマホ)の売場に変化が起きている。SIMフリースマホの売場が大きくなっている感じ。
 具体的にはFREETELだね。「ヨドバシカメラはプラスワン・マーケティングの「FREETEL」ブランドのスマートフォンやSIMを販売する専用のコーナーを,全国の店舗に展開」しているらしい。

● FREETEL以外にもacerやASUS,HTC,ZTEなど,中国や台湾の端末メーカーがかなり製品を供給しているようだ。
 Windows Phoneは国内のキャリアからは出ていないけれども,SIMフリーだといくつかあるようで。マウスコンピューターもWindows Phoneをだしている。
 かのBlackBerryもSIMフリーで日本市場に再参入(ただし,製品価格が高いなぁ)。

● SIMフリー端末は従来からあったわけだけど,キャリア製品に比べると,どうもスペックが見劣りする印象だった。
 加えて,ワンセグやオサイフなどの日本仕様は備えていない。このあたりがどうだかなと思ってた。ので,目下のところは,docomo製品にOCNのSIMを挿して使用中。

● なんだけど,個人的にワンセグはもう完全に要らないと思える状態になったし,となれば,日本仕様にこだわることもない。
 一方で,SIMフリー端末も防水防塵に対応したり,ものによっては音楽のハイレゾ再生に対応するのも出てきた。4000mAhのバッテリーを備える機種もあるようだ(ただし,交換はできないようだ)。

● 選択肢がけっこう広くなっているんですね。であれば,次に買うのはSIMフリー端末にしたほうがスッキリする。
 Windows PhoneやBlackBerryにも興味はあるけれど,やはりAndroidを買うことになるだろうね。

2016年3月25日金曜日

2016.03.24 足利銀行に茨城県の観光パンフレットが置いてある

● 氏家支店のATMのところにね,2種類の観光パンフが置いてあった。ひとつは,茨城の県北地域の観光地図。もうひとつは,茨城空港のパンフ。
 ひょっとして,常陽銀行には栃木県の観光パンフが置かれているのかなぁ。

● 常陽銀行との合併がアナウンスされている。もう,一体感の醸成に向けて動いているってことですか。
 って,そんなことはないよね。行員にしてみれば,まだ実感できないんじゃないかねぇ。

● 地銀の合併は全国的に発生するようだ。その理由は,ATMの高機能化によって窓口を縮小することが可能になったからか。資金需要が細っているからか(3大メガバンクは外国企業からの借金申込みが殺到しているらしいけど)。

● 合併後,すべての店舗が残るなんてことはありえないわけだから,たぶんリストラが行われる。
 過去に足銀も倒産しているけれども,金融機関でリストラだなんて,以前には考えられなかった。銀行に就職できれば定年まで安泰っていうのが常識だったもん。

● 地銀の県域を越えての合併がどんどん進んでいくと,県のプレステージが下がっていくだろうね。そもそも県なんてのを維持する必要があるのかっていう機運が高まりそうだ。
 行政府としての県もそうだけれども,県境っていうのが曖昧になっていきそうだ。今は県境がわりと人の意識を縛っているような気がするんだけど。

2016.03.23 高根沢の焼きちゃんぽん,氏家の氏家うどん

● 高根沢にはもうひとつ,官民一体となって(どちらかといえば,行政主導か)進めているプロジェクトがある。食に関するもので,その名も「焼きちゃんぽん」だ。
 高根沢高校の生徒さんたちの考案によるらしい。

● 現在,町内のいくつかの店でメニュー化している。申しわけないんだけど,ぼくはまだ食べたことがない。今度,「元気あっぷむら」に行ったら,絶対に食べてこようと思っている。

● お隣の氏家には「氏家うどん」ができた。できたっていうか,うどんはどこにだって昔からあるものだけれども,それをブランド化するっていう発想はどこから出てきたものか。
 氏家の在住者に訊くと,麺はそれぞれの店で打っているのではないかとのこと。氏家のスーパーでも氏家うどんが販売されている。地元の製麺屋が作っているもの。

● 氏家うどんに関しては,ぼくも何度か食べたことがある。駅前の「ワカゾー」という居酒屋で,焼きうどんを。
 不味いはずがない。うどんなんだから。が,どこが氏家うどんなのかっていうのが,正直わからなくて。今度,店主に店で打っているのかどうか訊いてみるとしよう。氏家うどんの特徴は何なのかも。

● 高根沢の焼きちゃんぽんに戻る。何せ食べたことがないんだから,どうにもならない。ただ,「高根沢通信」っていうのがあって(誰が作っているものか),宝積寺駅東口のちょっ蔵広場に行くと置いてある。
 それによると,基本の色は緑らしい。緑色のちゃんぽん。小松菜のペーストを使っているからのようだ。そうじゃないのもあるんだろうけどね。

● 喰ってみないと始まらない。麺類は麺そのものが最も肝要で,そこを自分の(敏感とはとてもいえない)舌で確かめてみたい。

2016.03.23 高根沢町の「まちなか再生」-宇大生の提案

● 今日の下野新聞の記事。今回の記事は,成案を町長に報告したという内容。実際には,以前から彼ら(宇大生)の活動ぶりが町の広報誌に載ったりしてた。
 若い学生に提案を求めるって,高根沢町だけじゃなくて,よそでもけっこう行われていて,ある種の流行のような感じも受けるんだけど,高根沢町の場合は,学生が町に住みこんで調査を進めたらしい。学生の入れ込みようが特徴か。

● どれだけ有効な提言なのかはわからない。が,ずっと地元にいた人にはあたりまえだったことを,あたりまえじゃないという視点で取りあげてくれているかもしれない。
 いい意味で常識に染まっていない若者の提言なら,その可能性がいっそう高まるか。

● しかし,すれてしまった年寄りは,どうせなぁと思ってしまう。諦めがいいというか,先が見えるつもりになっているというか。
 ぼくにもそのケはありすぎるほどにあって,自戒せねばと思っている。思っているんだけど,自戒が効いたことはあまりないな。

● 一気に画期的に変わるような劇薬があるはずもない。あったとしても劇薬を服用するのはいいことなのか。
 地道に少しずつ。見えないくらいのわずかな変化を重ねていくしかないものだろうし,そのキッカケを若い学生さんが作ってくれているのだ。

2016.03.22 ワサビ丼

● 駅に貼ってある伊豆の観光ポスターを見ていた,ら。ワサビ丼なるものの写真が載っていて。

● それってどうやら,丼にご飯を入れて,カツ節をかけて,ワサビを載せただけっぽい。これなら自分で作れるんじゃないか。
 これだけのワサビはなかなか手に入らないだろうけど,なぁに,スーパーで売っているチューブ入りのワサビでもいいじゃないか。

● たぶん,ワサビの上から醤油をかけてかき込むように食べればいいのだろう。

● と,ここまで書いてきて,これ,前にも試みたことがあるのを思いだした。忘れていたくらいだから,あまりうまくいかなかったのかもしれない。
 チューブ入りのワサビだと,予め醤油に溶いておいてからご飯にかけることになるかな。うーん,それだとたしかにあまり旨そうじゃないなぁ。

2016.03.21 はま寿司に行ってみた

● 寿司屋といえば,回転が付きものだ。そんなことはないっていう人も多いこととは思うけれども(廻る寿司なんて寿司じゃないよ,と言われそうだな),わが家はそうだ。そうじゃない寿司屋には長らく行ったことがない。
 廻らない寿司屋には苦手意識がある。ネタの良し悪しがわかったうえで,カウンターを挟んで大将と話ができなくちゃいけないと思いこんでいるせいか。何となく気ぶっせいだ。おれ,味がわかるほうじゃないし,的なコンプレックスもあるんでね。その点,廻る寿司屋なら気楽なものだ。

● どうも,あらゆる場面において,個対個で言葉を交わす必要がないようにすることがサービスになっているように思える。
 口をきかなくてもすむというのが,最大のサービスになる。

● ともあれ。廻る寿司で一番旨いのは,何だかんだいって「元気寿司」だと思っている。で,行くたびに感じるのは,廻っているレーンから取っているお客さんはほとんどいないってこと。誰もが注文して握ってもらっている。
 ということは,レーンはなくたってかまわないことになるよね。普通の寿司屋のごとく注文を受けて提供する方式でも,回転寿司の値段でできるということだ。

● が,さらに合理化を追求している回転寿司屋もある。百円均一のところがそうだね。
 レーンを有効活用する。デジタルのタッチパネルから食べたいものを注文すると,レーンを流れてくる方式。しかも,近づいてくるとそのことを音声で知らせてくれる。じつに声を出さなくてもすむシステム。

● その代わり,“自分の部屋でひとり飯”の趣も強くなる。餌を喰ってる感が出てくる。隣の人に話しかけるのはタブーっぽい雰囲気もあるしね。
 まぁ,隣の人に話しかけるのはタブーってのは,廻る寿司屋に限らず,ファストフード店であれ高級レストランであれ,あるいは居酒屋であれ,むやみに隣のお客さんに話しかけるのはルール違反なんだけどさ。

● で,さくら市氏家にある「はま寿司」に行ってみた。広告に「あんきもと根菜の味噌汁」が載ってて,これ食べてみたいと思ったんですよね。250円。
 いの一番に注文。もっと熱くてもいいかなぁと思ったんだけど,まぁ贅沢な味噌汁ですな。

● この店の特徴は,すべてサビ抜きで出てくること。ワサビが欲しい人は自分で小袋に入ったワサビを載っける。たいていの人は醤油にワサビを溶いて,それに付けて食べているだろう。
 小さい子ども連れをターゲットにしているってことなんですかね。それとも,もともとそういうお客が多くて(サビ抜きの注文が多くて)それに対応した結果なのだろうか。

2016.03.17 まちなか元気News

NO.6
● 「栃木県まちなか元気会議」が発行しているこのフリーペーパー,宝積寺駅東口のちょっ蔵広場の「ちょっ蔵食堂」に置いてある。
 ま,ほかにも置いてあるところはあるんだろうけどさ。

● NO.6は芳賀町と那須烏山市。
 芳賀といえば,まず“にっこり梨”。もちろん,芳賀以外にも梨園はたくさんあるけれど。梨でも苺でも同じだと思うんだけど,スーパーなんかでは売られているのは,熟する前に収穫して,流通過程に乗せてから擬熟状態になったものだと聞いたことがある。

● そうではなくて,植わっている状態で完熟したのを食べてみないと,その果物を味わったことにならない。
 となると,ぼくが味わったことのある果物は,苺とサクランボくらいになってしまうか。

NO.7
● 那須烏山市の名物は,山あげ祭りと烏山和紙(程村紙)。それから,どういうわけだか烏山というと蕎麦が出てくる。十割蕎麦の店とかあるのは知っているんだけど,そうか烏山といえば蕎麦なのか。

● NO.7は矢板市とさくら市。
 矢板市の刀工が紹介されている。玉鋼から一振りの日本刀を紡ぎだす。たぶん,職人は彼ひとりしかいないんだろうな。
 さくら市からは指輪職人が紹介されている。希少価値があるんだろうな。

● 矢板の果物はりんご。北部の長井地区が産地。ここのりんごは旨い。さくら市の果物っていうのは特にないか。旧喜連川町の穂積にはやはりりんご園があったと思うけど。

● というわけで,小さな冊子だけれども,わりと楽しめる。

2016.03.16 吉野家の変化

● アルコール関連が充実した。つまりは酒を売ろうということ。売れるものは何でも売るっていうか,牛丼だけでは頭打ちになっているのだろうね。

● 以前の吉野家は,アルコールメニューは瓶ビールだけだったように思う。肴になるのは牛皿のみ。
 それが次のように変化している。

● アルコールは生ビール(ジョッキ)と角ハイボールが,それぞれ350円。“吉吞みチョイメニュー”と題するつまみは,枝豆(150円),さば味噌(250円),牛煮込み(350円),玉子焼(200円),ウインナー(250円),ピリ辛青ネギ(350円)など。
 これなら居酒屋吉野が成立する。

● ただ,居酒屋吉野を利用しようと考えるのは,ぼくのような中高年のオヤジが多いのではないかね。安く飲めるとなると目の色が変わるやつ。
 もし,そいういう人たちが多くなると,若者や女性は居酒屋吉野でもある吉野家には近づかなくなるかもなぁ。
 しかも,アルコールを出すと滞在時間が長くなる。回転率が落ちる。

● あるいは,むしろ若者たちが居酒屋吉野を使うようになる? それはちょっと考えづらい。
 吉野家の客席はカウンターのみだから,ひとり飲みに向いている。友だちとワイワイガヤガヤしながら飲むには不向きだ。

● というわけで,これが吉と出るのか凶と出るのか。吉野家のことだから,結果を見て素早く変えるべきところは変えていくんだろうけど。

2016年3月23日水曜日

2016.03.15 久しぶり。吉野家の納豆定食を食べた



● 某日。吉野家の納豆定食を食べた。360円。
 これを初めて食べたのは,20年くらい前,渋谷の吉野家だった。
 吉野家はこういうのもやっているのかと,大いに感激し,吉野家があれば生きていけるんじゃないかと本気で考えた。

● メニューはご飯のほかに,納豆,生卵,海苔,漬物,味噌汁。
 自分で作れば原価80円でできそうだと気がつき,あまり行かなくなったんだけど。っていうか,平日は朝食を食べない習慣がもう40年近く続いているしね。

● ホテルや旅館でも,朝食の用意が最も難しいというか,負荷が高いものではないかと思う。ビジネスホテルなんかでは前の晩に準備しておくところが多いのではないかね。仕方がないとは思うものの,作りおきだから,朝食に関してはご家庭で奥さま方がお作りになるもののほうが,ずっと旨い。

● 価格も600円くらいのところが多いのじゃないか。これで600円もするのかと思うわけだけど,提供する側としては,600円じゃ割りがあわないかもしれないよね。
 そこはさすがに吉野家はノウハウがあって,360円で提供しますよ,と。

● 納豆定食に調理しなければいけないものはない。味噌汁はお湯をかけるだけか。火を通すのはごはんだけだ。
 それでも人件費をかけてこの値段で提供して,しかも利益を出すというのは,ノウハウの塊がなければできないワザのように思える。

2016.03.15 駅にある観光パンフ

● 地元のパンフが以外に役に立つ。栃木県のあれやこれやについて知らないことはいくらでもある。
 ので,駅に置いてある観光パンフをひとつもらってきて,ザッと見ていくとけっこうな数の発見がある。こんなところがあったのか,と。

● そこに行ってみるってことにはなかなかならないで終わるんだけれども,知るだけでも悪くはない。
 JTBのるるぶシリーズの地元版をぼくは何度か買っているんだけど,それも同じ理由による。

● ぼくは栃木県でも北で育ったので,南には馴染みがない。宇都宮より南に行くと,もういけない。栃木,佐野,足利,壬生,小山,野木,下野,上三川。自分には未知の地域だ。
 知識だけでも仕入れておこうかと思っている。

● ところで,同じ観光パンフでも,栃木県のものと富山県のものを比較すると,読んでもらえるのはどちらか。考えるまでもない。
 はばかることなく真似すればいいと思うんだけどな。

2016年3月14日月曜日

2016.03.14 紙トチナビ3月号

● 「栃ナビ!」というサイトがあって。栃木県のお店情報を流しているんですが。その「栃ナビ!」から「紙トチナビ!」というA3を八つ折りにしたリーフレットが月刊で出ている。
 県内の主だったお店には置いてあるのだろう。ぼくは和菓子の高林堂で1部もらってきた。

● コマーシャルペーパーだ。売らんかなが横溢している。が,信頼できる情報って,公的部門とか,新聞のような社会の木鐸を自称している部門から提供されるのかっていうと,どうもそうでもないようだ。
 役立つ情報はコマーシャルベースからしか出てこないのではないか。売らんかな情報だからダメということじゃないよね。気を張った紙面作りになるしね。

● 「うさぎやTSUTAYA」の本の紹介記事は参考になる。文庫本が取りあげられることが多い。3月号では,重松清『卒業』(新潮文庫)と西加奈子『さくら』(小学館文庫)を取りあげている。
 うさぎやTSUTAYA本部門統括のTakadaさんが紹介者のようなんだけど,彼は「1ヵ月で100冊の本を読破。うさぎやTSUTAYAの中で,最も本に詳しい本マスター」と紹介されている。
 月に100冊か。1日1冊なら何とかなるかもしれないけれども,1日に3冊以上をどうやって読んでいるのか,ちょっと見当がつかないね。

● あとはネットの「栃ナビ!」の紹介記事。「栃ナビ!」に来てね,というね。
 このペーパーで少なくとも5分間は楽しめる。それで充分ではなかろうか,ね。

2016.03.12 秋葉原のヨドバシを覗く

● 1階の混雑は田舎者には辛すぎるぞ。いつ行っても混んでますよね。ケータイ(スマホ)売場ね。一番集客力のある売場を1階に置くってのは大事なことなんだろうな。
 でも,スマホの売行きが鈍ってきたとも言われてますね。国が(あるいは政治家や官僚が)商売のやり方に直接口をだしちゃダメなんだけどな。うまい具合に誘導はできなかったのかね。できなかったんだろうね。

● でも,やはり混んでいた。その理由ははっきりしていて,お客の外国人比率が高いことだ。彼らにとっては,短期で乗換えさせることは長期利用者の負担を増やすなんてゴタクは関係ないんだろうな。
 それをあてこんでか,スタッフも外国人を採用していたりする。さすがに打つべき手は打っているのだろう。

● だけど,ヨドバシ(に限らないんだが),店員密度が多すぎて,さらにガソリンスタンド的かけ声がうるさすぎて,ゆっくり見られないんだよな。
 見るだけの客を減らす効果はあるのかね。

● 2階に上がると,グッと人が少なくなる。しかしね,ぜひとも欲しいモノって特にないんだよね。USB接続の外付けキーボードを物色したんですけどね。スマホで使うのに,Bluetooth接続よりも安定するかもしれないなと思って。
 でも,ぜひとも欲しいわけではないんだよね。

● パソコン関連って,そんなに壊れないものね。一度買えばかなり長く使える。
 昔は,壊れる前にスペックが見劣りするようになったから,買い換える気にもなったけど,今のやつは3年や5年たってもあんまり古くならないやなぁ。

2016.03.11 TwitterとFacebookの切り分け方が飲みこめてきたか

● 帰りに,とある店で飲んだ。その模様はTwitterで中継した。
 あとで,そのツイートをまとめて,写真も流用して,Facebookの投稿に仕立てた。

● Facebookに1日に10も20もの投稿があったのでは,読む方はイヤになってしまうかもしれない。TwitterとFacebookの両方に同じものをあげている人もいるだろうし,Facebookにがんがん投稿している人もいるに違いない。
 けれども,Facebookの投稿は1日に3つか4つでいいのだと思う。

● ぼくもTwitterには1日に20回ほどもつぶやくことがあるけれど,Facebookには何も書かない日がある。
 そういうことを含めて,TwitterとFacebookの切り分け方,ネタの流用の仕方が飲みこめてきたような気がしている。

● それともうひとつ。Twitter熱もFacebook熱もどうやら峠を越えた感がある。だものだから,わりと醒めた目で気楽に向き合えるようになったかも。

2016年3月11日金曜日

2016.03.11 K君の日本酒談義

● 短い間だったけれども,職場を同じくしたK君がFacebookで,自身が飲んだ日本酒について語っている。それを次々に読んでいった。
 羨ましいと思った。羨ましいと思った所以を以下に述べる。

● K君も一介のサラリーマンで,自由に使える資金はそんなにはないはずなのだ。ひょっとしたら,資産家の息子で,こちらがうかがい知れない資金ルートを持っているのかもしれないけどね。でもまぁ,そういうことはないと思うね。
 その限られた資金からどれだけの質量の楽しみ,愉しみを引きだせるか。それはその人の器量による,といっても言い過ぎじゃないでしょ。

● この点について一般論を語れば,若いときのほうが器量が大きいとも言えちゃうんだけどね。既知が少なくて,丈夫な胃腸と肉体を持っている。それは相当な強みだ。
 彼らが1万円を使って得られる享楽の質量と,ぼくが10万円を使って得られるそれを比べれば,彼らの1万円のほうがはるかに大きいに違いないのだ。

● お金の使いでは若いときの方が大きい。ゆえに,お金は若いときに使っておけ,というテーゼはほぼ例外なく成立するのではないかと思う。
 若いときに貯金なんて考えているようではどうにもなるまいよ。と言いたくなるんだけど,ことはそれほど単純ではなくて,貯蓄の習慣は若いときじゃないと身につかないかもしれないけど。

● ともかく。同じ額のお金を使っても,使い方によって,あるいはその人の器量によって,そこから引きだせる楽しみの質量は違ってくるよ,と。
 で,K君は日本酒のあれやこれやを貪らずに,ゆっくりとじっくりと楽しんでいるようなのだ。

● 貪らない,ゆっくり,じっくりというのが,引きだせる質量を増やす秘訣かもしれない。
 もちろん,日本酒の世界の奥の深さが前提としてあるだろう。深いから追求する気になれる。

● でね,ぼくも30代の前半くらいまでは日本酒党だったんですよ。将棋の故芹沢博文九段が「旨いウイスキーより不味い日本酒のほうが100倍旨い」と書いていたのを読んで,そうなのかぁと思ってね。
 でも,その後の焼酎ブームに抗することができなかった。ぼくはけっこう量を飲むので,日本酒だと翌日に残ってしまう。それを避けようとした。蒸留酒の方が体内にとどまっている時間が短いようなのだ。錯覚かもしれないけれど。

● あと,当時の日本酒ってベタベタしてて,いくら不味い日本酒のほうが旨いと言われても,なかなかつらいものがあったかなぁ。当時だって,探せばそうじゃない酒もあったはずだけどね。
 ある時期を境に,純米吟醸っていうのがこちらの手の届く範囲に降りてきたっていう印象があるんだけど,当時は日本酒はこういうものだ,これじゃサントリーのズングリした黒いやつに駆逐されるのは当然だ,と思っていたね。

● でも決定的だったのは,味わうよりも手っ取り早く酔えればいいと思ってたことだろうね。酔うのが楽しかったんだな。酔えればよかったみたいな。
 そうなると,蒸留酒系だよね。乙類焼酎を濃いめのお湯割りにして飲むと,あっという間に酔えるもんね。

● 要するに,だ,ゆっくり,じっくりの真逆をやっていたんだなぁ。
 で,どうも自分の酒歴が貧しいものに思えてきてね。K君のFacebookからはいい日本酒を慈しむ姿勢が感じられて,とても好感が持てる。
 対して,自分の場合,酒は飲むものであって,慈しむ対象にはしてこなかったと思う。そういうところも大きいね。

● というより,そういうところだけなんだろうな。酒そのものの問題じゃないわけでね。日本酒かワインかビールかウィスキーか焼酎か。それは好きなものを飲めばいいという結論にしかならない。あなたの好きなものをどうぞ。
 が,どう飲んできたか。大げさにいえば,酒に向かう姿勢ってやつ。それがK君とぼくの違いだな。

2016年3月10日木曜日

2016.03.10 学部と大学院の違い

● 学部と大学院の違いってのは,学部までは向こう側が提供してくれるものを消化するのに対して,大学院になると自分で問題を作って,自分が作った問題を自分で解く,というふうに変わるのだと思っている。
 だから,高校と大学の間よりも,学部と院の間に大きな段差があるのだ,と。

● 放送大学大学院の平成28年度修士課程案内の冒頭に,学長の岡部洋一さんが大学院とはこういうものだと書いておられるのだが,そこからいくつか転載。
 大学院の主な役割は,自分を考えをきちんとまとめ,それを正しく他人へ伝える技術の研鑽とそれを支える確かな思考法の構築にあります。
 講義については,学部よりどちらかというと「広さ」が要求されるのです。
 世の中に知られていた知識体系に,あなたが何を新しい知識として加えることができるかが,徹底して要求されます。感想文ではいけないのです。
● 理念的にはそのとおりなんだろうけど,実際にはどうなんだろう。
 理系は院まで行くのがあたりまえになっているようでもあるけれど,自分で問題を作ってそれを説いて修士論文にするなんてことをやっているんだろうか。
 文系はなおさらだ。そんなことが実際にできるのか。

● ここから先はぼくの想像になるのだが,世の中に新しい知見を加えることができる人など,千人に一人いるかいないかだろう(それ以前に,既存の知識のすべてを把握することなどできるのかと思うね)。
 が,大学院生はそれよりはるかに多い。新しい知見を加える能力がない人たちが圧倒的に多いはずだ。

● その結果どうなるかというと,どうでもいいような(つまり,すでに何度も行われているであろう)実態調査やアンケートなんてのをやって,それを論文に仕立てるなんてことが普通に行われているのだろう。
 黴の生えた調査であっても,その場所でやるのは初めてなのだから,新しい知見を加えたことになるのだ。

● そうして資源の無駄遣いとしか思えないような論文集が,あまたの大学に溜まっていく。誰も読まないんだから,まさしく資源の無駄だ。
 その無駄のために,多くの教員が膨大な作業をすることになる。じつに不毛であろうな。

2016年3月9日水曜日

2016.03.08 SONYのWALKMAN,その後

● 2月に買うことになったSONYのWALKMAN。入院中の息子からぼくのところに戻ってきて,そろそろひと月近く経つのか。
 その間,64GBのmicroSDカードを買い,ハイレゾとノイズキャンセリングに対応したSONYのイヤホンも手当てした。

● のだけども。ぜんぜん使っていない。どうしてるかというと,ずっとスマホ(F-02E)で聴いている。どういうことだ? ハイレゾで聴きたかったんじゃないのか,オレ。
 夢(?)が実現したのだぞ。もっと喜べ。喜び勇んでWALKMANに飛びつけ,オレ。

● こういうのって,子どものときにもあったな。欲しかった玩具を買ってもらったのに,あまり嬉しくなくて,親をがっかりさせたりとか。

● 初期設定が面倒くさいってのもあるね。SDカードに曲をコピーして,プレイリストを作って,っていう一連の作業が億劫だ。
 って,それが理由でWALKMANをほったらかしにしているのだとすると,ぼくの音楽やオーディオへの興味もその程度のものでしかなかったのかってことになりますなぁ。

● というわけで,下手するとWALKMANなんてどこに置いといたっけってな感じになりそうだ。ぼくの耳だと古いスマホで充分ってことだったか。
 ただ,ひと揃い買ってしまったのでね,使わなきゃね。使いますとも。

2016年3月8日火曜日

2016.03.07 自分のミッション

● 企業だとホームページや広告や包装紙に自社のミッションを掲載しているところがある。たとえば,栃木県内で弁当を販売している「お米のひろば」のミッションは次のようなものだ。
私たちは「米」を通して我が社に関わるすべての人たちの幸せを創ります
 意味するところは明瞭だ。拡散していない。わかりやすい。

● こういうミッションって個人も持ったほうがいいのかもしれないね。あまり若いと,自分のこともわからないし,世間のこともわからないから,ミッションといっても分不相応だったり頓珍漢だったりするかもしれない。
 けれど,中年以降になれば自分を見切ることもできる。見切ったうえで自分は何に貢献できるかを考える。

● 貢献するばかりが能ではないかもしれない。自分の自分による自分のためのミッションでもかまわないと思う。
 が,世間のどこかでお役に立てるミッションのほうが,自分を奮い立たせてくれるように思う。

● で,ぼくも考えてみた。3つほど作ってみたんだけど,ここに公開できるようなものにはならなかった。
 輪郭がくっきりしなかったり,とんがりがなさすぎたり,無理やり捻りだした感がありすぎたりする。難しいものだ。

2016年3月7日月曜日

2016.03.06 幸せは小さなもの

● とはよく言われることで,これにまったく異論はない。大きな幸せなんてないと思う。
 大学に合格できた,就職がうまくいった,明日が結婚式だ,子どもが生まれた・・・・・・。こういうのは大きな幸せだろうか。そうだというなら,大きな幸せっていうのもあることになるけれど。

● 幸せっていうのは,でも,すぐに完結する出来事のひとつかふたつで構成されているものではないか。小さなものだ。そう考えたほうが平仄が合うように思える。
 その人の人生が幸せなものだったかそうではなかったか。それを計るモノサシはその人の学歴でもなければ,生涯賃金の多寡でもない。ヒラで辞めたか役員にまで上りつめたかでもない。結婚したかしないかでもなければ,子どもに恵まれたかどうかでもない。友人が多いか少ないかでもない。まして,勲章をもらったとかそんなことは関係ない。

● 笑顔でいた時間の長さで決まると言ってみたい。幸せ=笑顔,である,と。幸福度は笑った回数とイコールだ。
 となれば,人を笑わせることが人に幸せを与えることだ。ということは,つまり,この世で最も価値の高い職業はお笑い芸人か。この世で最も価値の高い個人は,明石家さんま,か。マジでそうかもしれないよね。

● 「笑う」以外にも,美味しい,楽しい,面白い,嬉しい,ビックリした・・・・・・という肯定的な評価を示す形容詞や動詞を当てはめられる瞬間や時間をどれだけ積み重ねられたかなんでしょうね。
 これを貫くと,人の幸せってお金には左右されないね。主には性格に左右される。些細なことでも大げさに喜べること。これすなわち,使っても使っても減らない無窮の財産といっていいだろう。

● したがって,高級レストランでなければ美味を感じられない人は不幸である。ブランド品でなければ洋服じゃない,バッグじゃない,と思っている人は不幸である。
 その無窮の財産を持っている人は,お金の使いでが自動的に増えることになる。不幸な人が10万円を投じて得られる享楽の質量を,1万円で引きだせたりするだろう。

● 無窮の財産。修行(?)次第で誰でも手にすることができそうにも思えるけどねぇ。大事なことは三流の智者にならないことなんだろうな。三流の智者って,つまり多数派だからね。多数派に与しないでいられること。
 難しいかな。おまえはどうかって言われると,まさしくその三流の智者だなぁ。

2016.03.05 久しぶりのラーメン屋

● 自転車に乗って,とあるラーメン屋に行った。日本風中華料理店といった方がいいか。
 前回行ったのは,17,8年前になる。2,3度続けて行った。その後,バッタリ。

● そのときにも,もうだいぶ長くやっているんだよと言われていたような記憶あり。そこからさらに20年近く,同じ場所で営業を続けている。それだけでたいしたものだと思う。
 常連さんがついているんだろうな。昼飯はここと決めている人。にしても,飽きられないというだけで驚異的。

● 前回(17,8年前)行ったときの印象は,昔ながらの中華そば的な味で,わりと油を多用するんだなっていうものだったんだけど,今回は違っていた。
 注文したのはネギラーメンだったんですけどね。さっぱり系。スープまで全部飲み干しちゃいました。塩分取りすぎだよね。

● 二十年の間に味を変えてきたんだろうか。それともネギラーメンは昔からこういう味だったのか。前回注文した料理は何だったけなぁ。

● 夜も営業している。ただ,ビールの値段を見ると,けっこうお高いような。座席の配置から見ても,一人でふらっと飲みに来るには不向きかもしれない。何人かで来るところだ。
 実際,そういう使われ方をしているのだと思う。夜は来たことがないんだけど。

2016年3月2日水曜日

2016.03.02 吉野家があれば生きていけるか

● ひと頃は吉野家があれば生きていけるんじゃないかと考えた。朝は納豆定食を食べて,昼は牛丼かカレー,夜は定食ものをたべればいいじゃん。
 下手に自炊するより,いいかもしれないぞ。自炊するにはガスがまず必要だし,鍋も釜もプライパンもしゃもじも食器も必要だ。そうしたものを並べておくための棚も。食材を保存しておくために冷蔵庫もいる。
 そういうものを一切持たずに生活できるのじゃないか。

● 出勤するときに何も持たないで出るっていうのは,古き良き時代のオトーサンの美学だった。今はちょっと難しかろうな。
 同じように,什器の類を一切持たないで生きていく。やろうと思えばできるのじゃないかと思った。

● けれども,これはさすがに無理だったね。理由は三つ。
 てきめんに飽きる。これがまずひとつ。凄まじい勢いで飽きる。
 一日に三度,吉野家(じゃなくてもいいわけだけど)に足を運ぶには相当な律儀さがないと無理だとわかった。規則正しくルーティンをきちんと繰り返せる人じゃないと無理なのだ。一日に三度,出かけるってのはけっこうな労働だ。
 三つめは,自宅でちょこっと何か食べたくなることが,絶対にあってね。
 っていうか,それを実地に試しちゃう時点でどうなのよ,ってことでしょうけど。

2016.03.01 朝食比較

● 宝積寺駅東口の「ちょっ蔵食堂」。卵かけご飯に味噌汁,漬物。250円。この味噌汁はきちんとした手作り。インスタントじゃない。

● 「いろり庵きらく」の朝食セット。たぬきそば,ごはんにきざみ海苔を散らして明太子を載せたもの。380円。汁物の代わりにそば。炭水化物はたっぷり取れる。

● 「モスバーガー」のハムカツバーガーセット。モスの朝食は色々あるけれども,ぼくが注文するのは主にこれ。ハムカツバーガーとコーヒー。430円。

● 吉野家は,「豆腐ぶっかけ飯」が290円。「納豆定食」が360円。「豆腐ぶっかけ飯」を食べたことはまだない。「納豆定食」は何度も。

● 健康ランドで泊まると,朝食は600円だった。どうしたって前の晩に作り置きすることになる。そういう事情はわかるんだけど,これで600円かぁと思うわけだね。ビジネスホテルとかでも,そういうところが多いですよね。
 それに比べると,吉野家の「納豆定食」の360円は安いと思った。生卵と納豆,焼き海苔。不満をいえば味噌汁。具がない。家で同じものを食べれば,原価70円だよなとも思ったりね。