2018年4月8日日曜日

2018.04.08 酒も煙草も女もやらず,百まで生きた馬鹿がいる

● 昔は,“酒も煙草も女もやらず,百まで生きた馬鹿がいる”という言い方をする人がいた。今は世の中(の構成員)がまっしぐらにその馬鹿に向かって進んでいるような気がする。何が楽しいのかよくわからんが。

● でも,それじゃ昔の方が良かったかというと,それは百パーセントない。今の方が圧倒的にいい。
 貧乏ゆえの喧嘩がなくなった。人びとのマナーが良くなった。女性が綺麗になった。田舎の閉鎖性が格段に低くなった。イジメにしろ虐待にしろ昔から普通にあったものが,問題点として認識されるようになった。
 衣食足りて礼節を知るというのは本当だった。というわけで,今の方がずっと生きやすい。

● なんだけど,世の中が一色に染まりすぎなんじゃないのかねぇ。もう少し世間の常識や規範から逸脱する人が増えてもいいような。特に,男性はそれがないと男として崩壊しちゃわない?
 それが酒や煙草や女である必要はないと思うんだけども,もう少し偏りというか,テンデンバラバラというか,右顧左眄しないというか,俺は俺だというか,そういうものがあってもいいようは気はしている。

● 男は仕事というけれど,多くの人はサラリーマンとして仕事に携わる。それだと,職場には同調圧力しかなくなる。
 それに呑み込まれずに個を活かして,かつ周囲と破綻を生まずにやっていける少数者はいる。そういう人が,じつは出世していくのではないかと思っている。同調するだけの人は,ま,課長どまり。
 ともあれ,課長どまりのぼくらパンピーは,公私ともに同調圧力にしか晒されていないわけで,だからこそ,どこかで逸脱できないとね。テンデンバラバラになるのを恐れないで。

● 今でいえば,“絆”とか“つながる”をどれだけ相対化できるかということでもある。“絆”も“つながる”も過ぎれば害をなすに決っているんだから。
 その“絆”とか“つながる”を象徴しちゃってるのがFBなんだよね。仲間内で“いいね!”し合い,友だちが食べものの写真を乗せれば「美味しそう」とコメントする。どこから見ようとどう見ようと馬鹿だよね。どんだけ暇なんだよっていう話。

● だから,まずはFBとも上手に距離を取るというあたりから始めるべきなんだろうなぁと思うんだけども,なかなかなぁ。
 同調圧力に抗するのは難しいや。圧力に流されるって,ある種の快感を伴うのもたしかでね。
 でもって,その快感のままに流される人たちを大衆と呼ぶ,というあたりまでは整理できるんだけどね。

0 件のコメント:

コメントを投稿