● 宇都宮の餃子が他に比べて特に旨いわけではないように,水戸だからといって納豆が特に旨いわけでもないだろう。もし旨い納豆があるとすれば,よほど丁寧に作っている小メーカーがなければならないが,なかなかそういう小メーカーが生き残れる時代ではない。水戸でもそこは他と変わらないだろう。
多くの水戸市民,茨城県民はタカノフーズの“おかめ納豆”を食べているに違いない(“天狗納豆”はこちらでは見かけることがない)。ぼくら栃木県民があずま食品の“朝めし太郎”を食べているがごとしだろう。
● ひょっとすると,一人あたりの納豆消費量は栃木が茨城を凌いでいるのではないか,と思ったりもする。海を抱えている茨城には,旨いものがたくさんあるのじゃないかと思うのだ。納豆に頼る必要はさほどにないのではあるまいか。
栃木はそういうわけにいかない。その昔,下野国の食生活はごく慎ましやかだったのではないかと想像する。ありていに言えば貧しかった。栃木には食文化と呼べるものは育たなかったのではないか。
それが今でも尾を引いていて,餃子のような安価でそれだけで腹にたまるものや,大豆と納豆菌でできる納豆が好まれているということではないか。
● “しもつかれ”という料理がある。これは鮭を頭まで食べるための工夫だ。鮭の頭を食べるための料理だ。それほどに魚(動物性蛋白質)が貴重だったのだろう。
ぼくの記憶にも,文字どおり塩の中に漬けこまれた鮭が残っている。塩を落とすなんてことはせず,そのまま焼いて食べた。信じられない塩っぱさで,切り身の4分の1でご飯が1杯喰えた。当時の大家族でも切り身が3つもあれば,おかずはそれで足りたろう。
● 率直にいう。“しもつかれ”は人間が食べるものではない。見かけの問題ではない。それ以前の話だ。そうまでして鮭の頭を食べなくたっていいじゃないか。
もちろん,今の市販されている“しもつかれ”には,旨くするための工夫がこらされているだろうし,洗練を施されてもいるだろう(ぼくはここ40年ほど“しもつかれ”を食べたことがないので,想像で言っているのだが)。いずれは栃木の観光資源として確固たる地位を占めるのかもしれない。
が,“しもつかれ”を産んだのは貧しさだ。素寒貧の食生活だ。
● 昔はワラビやゼンマイを摘んで食用にした(今から考えれば贅沢なものを食べていたことになるのかもしれないが)。あとはぜいぜい蕎麦か。祖母がよく蕎麦がきを作っていた。砂糖醤油で食べると旨かった。
なので,こと食に関しては,栃木県民が他県に対してもの申す的な言い方をしてはいかんと思う。
● その点,茨城には魚があった。生でよし,焼いてよし,揚げてよし。今でも冬の鮟鱇鍋をはじめ(鮟鱇のほとんどは北海道から持ってきたものだとも聞くが),春夏秋冬,食卓が寂しくなることはなかったろう。
ファストフードがご馳走に思えた人の割合は,茨城よりも栃木が高かったはずだ。栃木にはこれという郷土料理もないのだ。茨城vs栃木となると,茨城の圧勝,栃木の完敗である。
● 一応,念のために申しあげておくけれど,今の栃木に旨いものがないというわけではない。いくつか例をあげよう。
ひとつは,今市のたまり漬け。たまり醤油で漬けたキュウリや茄子。絶品といっていい。ご飯に載せてよし,日本酒の肴によし。他県から来た人の栃木土産として,もっと使われてもよいのではないかと思っている。
佐野ラーメン。ラーメンには御当地ラーメンがいくつもあるが,佐野ラーメンが少々以上に地味な存在に甘んじている感があるのは,すこぶる残念だ。佐野の周辺地域が佐野の足を引っぱっているのではないかと思うほどだ。博多や札幌,何するものぞ。喜多方など佐野の足下にも及ばないと思うのだが,いかがか。
蕎麦。旨い蕎麦は全国にあるものだとは思う。が,ぼくは長野県で蕎麦を食べて旨いと思った記憶がない。栃木の蕎麦は旨い。ここでもぼくは今市を向いてしまうのだが,茂木や烏山,真岡などに,水準を抜く店をいくつか知っている。ダメな店もそれ以上に知っているが。
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