2018年4月29日日曜日

2018.04.29 烏山線沿線ウォーク

参加証のピンバッジ
● 「烏山線沿線ウォーク」に参加。宝積寺駅から烏山駅まで,烏山線に沿って歩くという催し。
 2012年には中止になった。その後,ずっとやってなかったので行事じたいをやめたのかと思ってたんだけど,そんなことはなかったんでした。去年もその前の年も催行されたっぽい。ぼくが知らなかっただけで。
 で,2011年以来の参加になった。9時から受付開始。参加料は300円(保険料)。

● が,今回は午後から用事があったので(自分で勝手に作った用事だけど),烏山駅まで歩くのは最初から諦めていた。大金駅までは行けるかなと思ってたんだけど,時刻表を確認したら,大金発の上りは,10:45のあとは12:49までないのだ。12:49発では午後の用事に間に合わない。10:45までに大金まで歩くのは無理。
 ぼくは歩くのがあまり上手じゃないのだ。速く歩けない。相方と出かけると,あんまり遅いからあなたに合わせるとかえって疲れてしまう,と言われる。
 ま,行けるところまで行くことにする。

● 前を歩いていたのは中年のご婦人の二人連れ。歩く気があるのかないのか,よくわからない歩き方をしている。要するに,やたらに止まっている。道端の草花を愛でているらしい。食べられる草があるらしいのだ。あそこにも,あら,あそこにも。完歩することを第一には考えていない様子だ。
 対して,男性には黙々と歩く人が多い。もちろん風景を見てはいるのだろうが,そのために歩くことをやめることはない。

● これを即,男女の性差に持っていっていいのかどうかはわからないけれども,持っていきたくなる。
 男はその催事のタイトルに縛られる。“ウォーク”なんだから,歩くことが第一だとサッと決めてしまう。そのために参加したんだよ,と。
 一点集中だ。視野狭窄ともいう。だから,途中にあるものを見逃しやすい。

● 2011年まではこの“ウォーク”は3月下旬に行われていた。この時期は生命の芽吹きが一斉に始まる時期なのだろう。歩いていると,だいたいは雑草なのだが,草花の命の上昇気流のようなものをそれこそムワッとするほど感じる。呆然となるほどだ。
 が,4月の下旬ともなると,芽吹きは終わって,安定期に入っているようだ。目眩がするような,空気が重く感じるような,凶暴と言いたくなるような,禍々しさは感じない。
 “Before-After”の違いの乖離ではなく,変化の渦中にこそ勢いは宿るものだ。という,あたりまえのことを思った。

● 下野花岡駅の近くに立派なお寺(地蔵寺)がある。立派かどうかは見る人によるかもしれないけれども,ぼくには立派に見える。
 集落にお寺は欠かせないものだ。人は必ず死ぬ。残った人に落とし前をつけさせる装置として,現状では寺は欠かせない。しかも,これから団塊世代が死亡適齢期を迎える。お寺(と葬儀屋)だけはこれから本格的な繁忙期を迎えることになるわけだ。

● さらに行くと,立派な門構えの豪邸が見えてくる。蔵もあるようだ。もと庄屋の邸宅だろうか。こういうのがいくつもある。庄屋が何人もいたのかね。
 しかし,時代には残酷なところがあって,こういう邸宅を負の遺産にしかねない。外華内貧(という言葉があるのかどうか知らないが)は淘汰される時代に入っている。
 これらの邸宅の内側が貧だと言うのは失礼千万な話であって,内も華かもしれないんだけれど。いや,華に違いないんだろうけど。

● 仁井田駅前の広場に雷の直撃を受けたとおぼしき桜の木があった。枯れてしまったわけではなくて,ちゃんと葉を繁らせている。
 徳俵に足をかけて,かろうじて残っているような様にも見えるが,雷による破損など歯牙にもかけていないようにも見える。にしても,植物をやっていくのも楽じゃないなと思った。

● 結局,その仁井田駅までしか歩けなかった。宝積寺から二駅分を歩いたにすぎない。今回は午後を費やすわけにはいかないのだ。じゃによって。舩山二等兵,ここで戦線を離脱します。
 でも,それなりに面白かったよ。大勢で歩くって楽しいんだわ。別に誰かと話をするわけじゃなくてもね。っていうか,一人で烏山線の沿線を歩いてみたって,面白くも何ともないよね。サイクリングは一人でOKなんだけど,長距離を歩くには今回のような催しを掴まえた方がいいような気がする。

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