2019年1月27日日曜日

2019.01.27 肉も安いのが旨いような気がする

● 氏家の「むらかみ」,最近はもっとも頻繁に行く店がここになった。今日も昼食を食べに行った。
 ぼくは特盛りカルビランチ,1,080円。相方は和牛ランチ,2,200円。わが家での力関係がこういうところに現れるということじゃないよ。

● バカ舌のぼくには,和牛の味がよくわからない。安い肉の方が旨いと感じるんだよ。
 霜降り肉って,ほとんど脂身だよね。あとわずかに脂が増えれば,見た目もはっきり脂身になるのではないのかねぇ。焼くとそれがはっきりする。
 脂身なんだから柔らかいのはあたりまえ。お口の中で溶けるぅぅのもあたりまえ。脂なんだから。

● 旨味は脂にありというのはたぶん真実だと思うんだけど,肉は歯ごたえや噛みごたえもないとねぇ。赤身の方がいいかなぁ。
 あと,焼きすぎるきらいがあってね。焼きすぎてしまえば,どんな肉でも同じことだ。いい肉も台なしになる。ここは気をつけないとね。

● 杏仁豆腐まで付いて1,080円なんだから,家で焼肉をする気にはならなくなる。後片付けの手間まで考えると,食べに来ちゃった方がかえって安あがりのような。焼肉はアウトソーシングに向いている。

2019年1月24日木曜日

2019.01.24 遅ればせながらAmazonプライム会員に 3

● Amazonのネットレンタルもたぶん,これからいくつか利用することになると思う。ネットレンタルは実店舗でのレンタルよりずっと便利だ。店に出向く必要はないし,光学ドライブを接続する必要もない。
 業者(ここではAmazon)にとっても,ネットレンタルで200円なり400円を取れるのは,とても美味しいだろう。一連の作業はすべてコンピュータがやっているのだろう。人手は介していない。現物を扱わず,人も要らないということになるとねぇ。
 借り手にも良くて,貸し手にも良い。けっこうなことだ。

● 家で好きな映画を見られるとなると,シリアスなもの,重いものはどうしても避けがちになりそうな予感はしている。テレビに近づいてしまうっていうかね。おそらく,ぼくのみならず,誰にもそういう傾向があるのでは。
 ぼくの暇さかげんからすれば,1日に1本は映画を見ていけるはずだ。文化に親しむというのではなく,娯楽としての映画だ。すっかり見なくなっているテレビに代わって,映画が見る娯楽になる。暇なうえに楽しみながら見られるわけだから,1日1本は当然クリアできるレベルだ。

● だから,シリアスな映画は劇場に足を運んで,見ることを自分に強制する方がいい。というか,そうでもしないとなかなか見ない。
 自治体がやっている往年の映画の無料鑑賞会は,映画はネットで見る時代になっても,その意味合いを完全に失ったわけではないのだ。

● 大げさなことを言うと,プライムビデオはぼくのライフスタイルを変えるかもしれない。インドアが徹底されそうだ。
 今までは,休日にずっと家にいるのは我慢を必要とすることだった。外に出たくなった。そこを強いて家にいると,なにがしかの閉塞感を覚える。
 それが逆になる。自ずと外に出たくなくなる。出たいと思わなくなる。その気配がすでにある。

● 個人的に困ったことになりそうなのは,プライムビデオが読書と音楽を追放しそうなことだ。本など1行も読まないことになりそうだし,音楽も1秒も聴かないことになりそうだ。
 そのあたりは,自分がきちんとコントロールすればいい話なのではある。プライムビデオのせいにしないで。

2019年1月23日水曜日

2019.01.23 遅ればせながらAmazonプライム会員に 2

● 22日にAmazonプライム会員になった。買物はあまりしないと思うので,送料無料以外のプライムサービスが狙いだ。スマホにアプリ“3種の神器”をインストールした。プライムビデオ,Amazonミュージック,Kindleの3つ。
 その中でも,プライムビデオの使用が9割になると思う。

● とりあえず,木村拓哉主演の映画を見直したいと思ったのだ。あらかたは劇場で見ているのだけど,特に「無限の住人」と「SPACE BATTLESHIP ヤマト」はぜひもう一度見たい。
 が,この2つに限らず,木村君主演のものはプライムビデオの対象に入っていない。中古のDVDが1円で出ていたりするのだけども,たとえ1円でもブツは要らないのだ。

● 「君の名は。」も対象になっていない。Amazonで見ようとすれば,400円のレンタル料を払わなければならない。ひょっとすると,日本の著作権法とその運用が邪魔をしているのかと思ったんだけども,「シン・ゴジラ」はプライムビデオの対象になっている。
 往年の映画では,「ロッキー」はあらかた揃っているようだ。「ひまわり」はないが「ローマの休日はある」。ヒッチコック作品では「第三の男」や「鳥」はあるが,プライムビデオで全部見られるかどうかは確認していない。

● 小津安二郎作品でも「東京物語」はプライムビデオに入っていない。ま,その辺の事情はいろいろあってそうなっているんだろう。文句を言うつもりはない。
 あるものだけでも膨大なアイテムなのは間違いない。映画館がわが家に来たという感じ。

● で,1日目は「シャーロック・ホームズ」(2009年 米英合作)を見た。けっこう疲れた。理由は画面が小さいことだ。視野を狭い画面に集中しなければいけない。
 ぼくのスマホはASUSのZenfone3Maxなんだけど,3Maxは2種ある。ZC520TLとZC553KLだ。ぼくのは低性能のZC520TLの方。解像度は1280×720。
 が,疲れたのは解像度の問題ではなくて,物理的な画面の小ささだと思われる。粒子の粗さとかではないと思う。解像度を下げてでも画面に物理的な大きさが欲しい。次はパソコンで見るか。

● といっても,ぼくのメインマシンはXGAなのだ。古すぎるのだ。お蔵入りしているChromebookはどうだろう。動画ビューワとして使えないだろうか。
 が,ぼくのChromebookはASUSのC100PAで,やはり今となっては古くなっている。解像度もWXGA(1280×800)なのだ。画面の大きさは10.1インチ。
 でもまぁ,Amazonが出しているタブレットの主力商品であるFireHD8も同じ解像度だから,とりあえず動画ビューワとしてはC100PAでいいのではないか。Amazonタブレットと同じ解像度で画面は大きいんだから。

● ともかく試してみようというわけで,今日はChromebookを使って「シャーロック・ホームズ シャドウゲーム」(2011年 米英合作)を見た。解像度は非力なスマホとあまり変わらない。のだが,見やすさはスマホの比ではない。
 当分,このChromebookをプライム・ビデオの専用ビューワとして使っていくことにする。慣れない英字キーボードのせいもあるとは思うんだけど,キーボードが使いづらくて,これでテキスト入力をする気にはなれないから,動画ビューワにするくらいしか活かし方が思いつかないしね。
 用途は何であれ,冬眠させていたChromebookを常用できることになって嬉しい、

● 正直,動画を見るためにタブレットを買うのはイヤだったんだよね。タブレットはヌエ的存在で,使い途がないと思っているので。
 スマホとパソコンは必要だ。その2つですべて足りる。中間的存在のタブレットは要らない。

● Chromebookで足りるとなると,解像度の高いディズプレイを持ったスマホが欲しいという欲望(?)も急速に萎むだろう。
 目下のところ,スマホはTwitterにしか使っていない状態だ。それならZenfone3MaxのしかもZC520TLで充分だからだ。

2019年1月22日火曜日

2019.01.22 遅ればせながらAmazonプライム会員に

● しばらく前に相方がボヤいていた。知らない間にAmazonでプライム会員というのになっているんだけど。
 Amazonで何かを買ったときに,送料無料のボタンをクリックしたのだろう。次に表示されるメッセージはスルーしたのだろう。
 ので,プライム会員とはどういうものかについて,ザッと教えてやった。

● ら。その後の相方の対応は素早かった。まず,Kindleを買った。相方が本を読む人だとは知らなかった。あら,私,読書家だったのよ。結婚してからは子育てとかあって,なかなか読めないし,本って重いから何冊も持ち歩くわけにはいかないから,ずっと読まないでいたけど。と,仰る。
 買った直後は無料で読めるのをいくつかインストールしたらしいのだが,その後は彼女がKindleを手にしているのを見たことはない。

● 続いて,TV Stickを買った。これは大活躍している。
 ぼくはTVというものをまったく見ない生活になって数年が経つ。相方もあまり見なくなった。その代わり,ネットで見れる無料動画をいつでも見ているって感じ。
 韓流ドラマを今でも好んでいるっぽい。帰宅するとiPhoneとパソコン2台を立ちあげている。3つのドラマを同時に見ているわけではないと思うんだけどね。
 そこに,Amazonプライムで見ることのできる映画やドラマが加わったことになる。YouTubeまでTVで見れるの,すごい,とか言って喜んでいる。

● タブレットも買った。AmazonのFireなら機能は限定されるけれども,プライム会員は安く買えるよと教えてやったのだけど,彼女が買ったのはiPad Proだった。Amazonではなく,Appleストアで買ったらしい。
 で,これも大活躍している。要するに,動画を見るためのビューワがひとつ増えたってことだね。彼女がそれ以外にiPadを使ったことは,たぶん一度もないのじゃないかと思う。なので,「スマートキーボード」は買っていない。要らないからだ。使用目的がすこぶる明快だからね。

● というわけなのだが,ぼくはプライム会員になっていない。それ以前に,Amazonを利用することがほとんどない。Amazonで買物したことは,記憶する限り3回しかない。ノートカバーとスマホのバッテリーと本1冊だ。
 そもそも,ぼくはあまりモノを買わない人間だ。パソコンやスマホを買い換えるときも,ヤフオクで中古を買えば充分だと思っているから,Amazonに行くことはまずない。
 その分,相方がいろいろ買ってくれているけど。要らないものも含めて。で,わが家はモノで溢れている。
 本も紙で読みたい。電子書籍の便利さは頭では理解しているつもりだけれども,キーボード入力と手書きの違いは,読むという行為においても発生するだろう。

● が,Amazonプライムのサービスは凄いと思っていた。で,相方の様子を見ていて,自分もプライム会員になろうかなと思うようになった。
 家族会員になっても仕方がない。送料が無料になるだけだからだ。ぼくはモノは買わないのだ。

● 相方は,私のIDで入ればいいじゃない,とか言うんだけど,ごめんね,そういうのを猿知恵というんだろうね。
 年額4千円を惜しんで,そういうことをしていちいちIDを変える手間を引き受けるのは,時間はタダだと思っている猿だけだよ。

● Amazonプライムのサービスは,見放題(映画やドラマ),聴き放題(音楽),読み放題(書籍)の3つだ。
 ただし,書籍は対象になるタイトルが少ないうえに,紙の本で読みたいと思っているので,ぼくにはあまり関係がない。音楽に関しても,すでに一生かかっても聴ききれるかどうかというほどのCDがある。
 ので,映画やドラマがぼくの狙い目だ。

● その受信機というか,動画ビューワが欲しい。相方がTV Stickを買っているので,それを使わせてもらえばいいんだけど,テレビにつなぐとか,そのためにタブレットを用意するとかじゃなくて,スマホ1台ですませたい。
 解像度が高いディスプレイを備えたスマホを手当したい。Xperia XZ2 PREMIUM が適当かな。ヤフオクの出物を見てるんだけど,au製品が多いんだよなぁ。auってSIMロックを解除しても,docomo系のSIMで使えるとは限らないと聞いたことがある。

● ま,そういうことはともかく,ぼくは映画は劇場で見たいと思っていた。新作は放っておいてもそうなるわけだが,往年の名画というのも大きな画面で,他のお客さんと一緒に見る方がいいと思ってきた。
 幸いなことにというか,自治体でその種の映画鑑賞会を開催しているところがあるので,そういうのにできるだけ出かけるようにすればいい。無料だしね。

● が,その看板を下ろさなければならない。そのやり方だと,見たい映画を見れるとは限らない。その不自由さがいいといえばいいんだけども(人生とはそういうものだ),たとえばヒッチコックの全作品を見たいと思っても叶えられない。「ロッキー」を見返したい思っても,そもそもそうした自治体の鑑賞会で「ロッキー」が取りあげられることはあまりない。
 Amazonプライムの品揃えがどれほどのものか知らないけれども,ぼくが見たい程度のものならまずないことはないだろう。ビデオ(DVD)レンタルショップで寝泊まりしているようなものだ。喜んでその看板は下ろすことにしよう。現金なものだけど。

● というわけで,先ほど,Amazonプライム会員になった。アプリの3種の神器もインストールした。
 かくなるうえは,自分に与える課題はひとつ。1日1本,映画を見る,である。

2019年1月19日土曜日

2019.01.19 パソコンにもスマホにもときめかない

● 電子レンジを買い換えるために,氏家の某家電量販店に行った。電子レンジはぼくが口を出す領域ではないが,今までのレンジは多機能の高額商品で,使いづらいことこの上なかった。
 レンジは解凍と温めができればいい。コンビニで店員が弁当を温めるために使っているやつで充分だ。

● というより,多機能製品は使いやすさでそれに劣る。たぶん,いろんな使い方をする自分というイメージを作ってしまって,そのイメージに負けた人が,この手のモノを買うのだろう。いろんな使い方などされないままに,機械は朽ち果てる。
 相方もそういうことはわかっているのだろう。今日買ったのは,つまみが2つしかないシンプルなもの。正解だと思う。

● オーブン機能もない。オーブントースターがあるんだから,レンジにその機能は要らない。実際のところ,オーブントースターだってそんなに使わないんだよね。
 食パンが焼きあがるとポンと飛びだすタイプのものって(それ以外のがあるのかよという話は置いておいて),何だか気分のものだよねぁ。ホテルの朝食で体験して,これいいわ,家でも,と思って買うものじゃないか。
 少なくとも,ぼくは平日の朝は食べないし,休日は朝から麺ということが多いんだよなぁ。オーブントースターの恩恵を受けたことがない。

● さて,以上はぼくが口を出す領域ではない。
 ので,パソコンとスマホとオーディオの売場を見て歩いた。が,ときめかないのだ。ぜんぜん,ときめかなくなった。完膚なきまでにコモディティ化したってことでしょうね。パソコンなんてどれだっていいもんな。
 デザインで人目を惹くのも難しくなっているのではないか。鬼面人を驚かす的なこともダメだろう。なまじな鬼面では誰も驚かなくなっていると思う。

● スマホもそうだ。売場を歩いていてもワクワクしない。買い換えようかという気にさせる製品がない。
 こちらの無知のせいもあるのかもしれない。ひょっとすると,自分の現在の使い方の見直しを迫るような製品があるのかもしれないんだけど。

● パソコン,スマホ,タブレットとあるガジェットの中で,最終的に残るのはスマホだと思う。入力のしやすさでパソコンも法人を中心に残るだろうけれども,個人が持つのはスマホ1台になるのではないか。タブレットは老人用として細々と残ることになるだろう。
 スマホのディスプレイの大きさと解像度があれば,たいていの用途には間に合うからだ。入力用としてはBluetooth接続のキーボードを用意すれば足りる。

● そのスマホを見ても,ときめかない。そういうところまで来たってことでもある。スマホ以前の方がずっと長いんだけど,そのスマホ以前がなかなか思いだせないくらいだ。
 スマホから多くの便益を得ているのは間違いないのだが,それで幸福感が増大したかというとそうでもない。理由はたぶん2つあって,ひとつはその便益を受けているのが自分だけではないこと。もうひとつは,どんな便益も慣れればあたりまえになってしまうことだ。

● 28,800円のPanasonicのミニコンポ,少し欲しいかも。買うとすれば,これで充分だわ。でも,あってもたぶん使わないだろうな。WALKMANで足りてしまうんだよな。
 オーディオ機器もまた,かつてのような華やぎは失っていると思う。

2019.01.19 「むらかみ」でビールについて考察する

● 相方と氏家の「むらかみ」。遅めのランチというわけだった。2人で3,500円程度。お金ってこんなに使いでがあったのだな,と思わせます。
 ひとつは,普通のより高い和牛ランチにしてみた。高級肉は色がいい。見た目に彩りが生まれる。

● が,味に関しては特に感じるところはなかった。安い外国牛のカルビ肉で,ぼくの舌には充分だ。
 が,今まで食べた中で,今日のが最も旨いと思ったのも事実。おそらく,空腹が最高の調味料ということなのだろう。

● 右の汁かけ飯(クッパとも言う)を注文したのは相方。ぼくは頑ななほどに白飯派だ。焼き肉に最も合うのは白飯だと思っている。
 ビールよりも白いご飯が合う。ので,焼肉でビールというのは,“焼肉でご飯”よりも劣る。

● どうもビールというやつは実態よりも珍重されていると思うことがあって,風呂あがりのビールというのも訳がわからないもののひとつだ。
 夏場,風呂から出てビールを飲むくらいだったら,よく冷えた水かコーラの方がよっぽどいいと思っている。

● ぼくは,たぶん,飲兵衛の方で,人が一生の間に飲む酒の平均量はすでに飲んでいると思うのだけども,ビールを旨いと思ったことはあまりないんだよね。
 ワインはまるでわからないんだけど,一応,日本酒の旨さは知っているつもり。キリッと冷えた大吟醸のサラッとした深みはわかるつもりでいる(つもりだけかもしれないが)。
 ビールは夏場でもあまり飲みたい酒ではない。ハイボールに走っちゃってるせいか。ハイボールを取りあげられたら,水割りに戻るだろう。ビールには行かないと思う。

● 昔の友人と飲むときなど,最初の1杯は生ビールでいいかと音頭を取るヤツがどうしたって出るわけで,そういうときは非常に困る。
 結局,よくないと言ってしまって,面倒くさいヤツだと嫌われることになる。嫌われても,ぼくは最初からハイボールだ。もしくは,甲類焼酎のいわゆる酎ハイだ。

● そんなことをつらつら思いながら,焼肉でご飯を食べた。最後は,杏仁豆腐で締め。
 いや,じつに使いでのある3千円でござったよ。

2019.01.19 セブンプレミアニスト

● イトーヨーカドーでセブンプレミアムのレトルトミートソースをまとめ買い。色々試してみたけど,結局,これが一番旨いという結論。
 以前のトマト主体のものが良かったと思ったりもした。が,慣れてみると,これも良きかな。つーか,かなりいい。

● ぼくはセブンプレミアム信者。セブンプレミアムならまず問題あるまいと思っている。複雑思考を省略して単純化したい人間なのだ。品目ごとに細かく見ていくなんてできない。
 セブンプレミアムのマークが付いた商品があれば,たいていそれを買い物カゴに入れる。コンビニはセブンイレブンのことだと思っている。といって,ローソンにもファミマにも行くんだけどね。

● ので,こんなウィスキーも買ってみた。トリスよりわずかに安い。が,トリスより不味いことはないと思う。そこはセブンプレミアムをリスペクトするわけだ。
 ほかに,シャンプーやリンスもセブンプレミアムだし,毎朝,出勤途中にセブンイレブンに寄って,その日の昼食を買うんだけど,これもセブンプレミアムのカップ麺とセブンプレミアムのあんパンと決まっている。自ずとそうなった。

● 無印良品は多くのリピーターを抱えている。ぼくの場合は,無印ではなくてセブンプレミアムということだ。無印は家具や電気製品,洋服まで広い分野を網羅しているのに対して,セブンプレミアムは食料品と雑貨に限られるところが,ちょっと様相を異にするのだが。

● 消費者としては,つまるところ損得が発想の原点だ。諸々の要素を(細かいところまではわかるわけがないから)ザックリと判断して,何を買うかを決める。
 そのときに,セブンプレミアム製品だということ自体が,けっこう大きな拠り所になっているわけなのだ。

2019年1月18日金曜日

2019.01.18 「充実」っていいことなのか

● ぼくが子供の頃,大昔だが,世の中を風靡していた2文字言葉は「努力」だった。ぼくが子供で学校が世界のすべてだったからかもしれないのだけど,努力万能的な風潮が,たぶん世の中にあったと思う。社会全体が上昇基調にあるときには,「努力」が幅を利かせがちなのだろう。
 努力すればできる。できないのは努力が足りないからだ。“為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり”である。上杉鷹山である。“精神一到何事か成らざらん”である。

● しかし,努力の相場はだいぶ下がったようだ。というか,等身大に見られるようになった。
 努力ではどうにもならないことがある。というより,努力でどうにかできることは,そもそもどうにかする必要のないことに限られる。
 と言えるほどにおまえは努力をしたことがあるのか,と問われると頭を下げるしかないのだけども。見城徹さんがいう「圧倒的努力」という言葉の前にはひれ伏すしかないと思うんだけども,しかし,努力の相場は下がったような気がする。

● 代わって世の中を支配しているのは「充実」だろう。この二文字言葉が,わがもの顔で社会を闊歩している。
 収入だの学歴だの職業だの,そんなのはどうでもいい。そんなことより生活を充実させることが大切だ。仕事に燃えられる人は仕事に燃えろ。そうじゃない人は,趣味なり何なりプライベートを充実させればいい。そういう考え方。

● 典型的には,人として生まれたからにはその人固有の使命があるとか,社会に生きる以上は社会に貢献する人でなければならない,とされるその言い方。その固有の使命に従うことを充実というっぽい。
 本当だろうか。ぼくにはぼく固有の使命が何かあるんだろうか。自分なりに社会に貢献する方途を探らなければいけないのだろうか。いいじゃないか,充実なんかしてなくたって。

● ま,しかし。何をもって充実とするかは人それぞれだから,努力よりは充実の方がアクセスしやすい。客観的に測定できるものではなく,むしろ客観的測定を排除する向きがある。個人の主観がすべてを決める。
 SNSもリア充自慢で満ちている。自分もそうしている。スカスカでも自分が充実していると思えばそれは充実だ。

● そうであれば,自分を騙す余地ができる。騙す自分と騙される自分。騙しているつもりはない自分と騙されていることに気づかない自分。
 ならば,充実など求めないで,退屈している方がまだマシかもしれない。退屈に強くなることの方が大切なのではないだろうか。
 自分を騙して充実感に浸ることよりも,退屈に強くなる方が難しいだろう。ここは難しい方を選ぶべきではないだろうか。

● 充実を求めるのをやめて,ただ流されるに任せてみるのが賢いのではないか。充実を是とするから,流されるだけの自分に罪悪感を持ってしまうのだ。
 充実というフィクションを捨てることができれば,流されるのもまた幸せであるかもしれない。とまではならなくても,ニュートラルな気持ちでいられるだろう。

 そもそもが,他人を気にしてしまうからいけない。他人がどう生きようと,自分には無関係だ。無関係の人がどう自分を評価しようとどうでもいいし,自他を比較することに意味はない。
 よろしく自分に沈潜するのがよい。ぼくらはできては消える泡のひとつにすぎないのかもしれないけれど,泡としてもせめてもの矜持はそこだろう。そこにしかないと思われる。
 そうして,死ぬときには,つべこべ言わずに死ねばいいのだ。

2019年1月17日木曜日

2019.01.17 お金のあるなしと生活水準の相関は弱くなる

● 読む,聴く,見るのうち,「読む」については昔から図書館があって,たいていの本は(読もうと思えば)タダで読めた。
 「聴く」についてもCDをリッピングできるようになったことで,音源はタダの時代になった。カセットテープにダビングする必要もない。ものの数分間でCDがそっくりPCのハードディスクに入ってしまう。インターネットによって音源タダはさらに徹底された。
 動画までタダで見られるようになった。少なくとも,なりつつある。新着ものはすぐにはネットには出ないが,そのタイムラグは短くなる一方だろう。

● お金のあるなしと生活水準の相関は,当然ながら弱くなる。微細な高級感にこだわることをしなければ,もはや生きていくのにお金は必ずしも必要ではないと言っていいところに来ている。
 とはいえ,多くの人にとって幸福とは自他との対比のうえに成り立つものかもしれない。問題はだから,他者と比べることをやめることができるかどうかだろう。
 やめるところまで自分の内面を突き詰めることができれば,徒手空拳のままで天下無敵の構えを取れる時代になったのだ。

● ロボットやAIが人間から仕事を奪うと喧伝されているけれども,仕事を奪われないように自分に付加価値を付けることを考えるよりも,仕事なしで人生を埋めていける算段をする方が重要かもしれない。
 いずれはベーシックインカムが国の制度として採用されるだろう。「文化的な生活」をするのにお金はかからないのだ。

● 稼ぐのは家賃相当額でいいのだ。人口が減っているんだから,家賃が上がる道理もない。あとは医療費の心配があるかもしれないけれど,その程度なら毎日出勤する必要はないだろう。社会保険に入れるパートやアルバイトはいくらでもある。
 ぼくらは国の行く末を案じるのではなく,自分の足下を固めることを考えるべきだ。幸いなことに,国が半ばは(つまり,生活費の面では)埋めてくれることになる(たぶん)。あとの半分をどうするかだけだ。

● 他人を見るのではなく,自分の中に沈潜して自分なりの答えを出す(見つけるのではなく,答えを作る)作業が求められることになるのではないか。
 じつに面白い時代になるというべきで,これからを生きる若い人たちが羨ましい。おそらく,若い人たちはそれぞれにユニークな答えを得て実践していくだろう。ロートル世代が最初は「今の若者は・・・・・・」と言いながら,次第に追随していくことになるのだろう。
 若い人たちがどういう答えを出してくれるのか。その百花繚乱の様を見ることができるまでは生きていたいものだ。

● 逆に,教育機会の均等化を図るとか,大学授業料の無償化などには,まったく意味がない。「知」はすでにインターネット上にある。大学をはるかに凌駕するだろう。大学の講義もネットに上がっている。
 「知」にアクセスするためのコストは,限りなくタダに近い水準になっているのだ。にもかかわらず,アクセスしようとしない人は,水を飲む気のない馬だ。そういう馬を水飲み場に連れて行っても仕方がない。

● それ以前に,なぜわざわざ大学に行く必要があるのか。時間のムダではないか。学士号や大卒の資格など,金魚の餌にもならない。
 にもかかわらず,そういうものを得ようとするのは,あまりに既存秩序に寄りかかりすぎている。そもそもスタートラインに立てていないと思う。

2019年1月14日月曜日

2019.01.14 新橋駅構内の「かのや」

● 新橋駅構内の「かのや」で今日2度目の食事。730円。

● 前からいる(たぶん)中国人のお姉さん,日本語で他のスタッフと軽口をたたいている。中国人男性フタッフとも日本語でヨタを飛ばしている。すっかり慣れて適応している感じ。
 大したもんだな。自分ならできるだろうかと考えると,かなりの程度に否定的。

● ところで,注文したのはエビ天丼とうどんのセット。天丼でも粋を極めるところまで行くにはそれ相応の修行が必要だろう。食べる側も相応の出費を覚悟しなければなるまい。
 が,7割の出来でいいとするなら,事情は全く違ってくる。7割までは簡単に行けるのだ。ほぼ苦労なしに。作るのに修行など要らないだろうし,食べる方の負担も大きく減る。

● この立喰いうどんの店で出す天丼も,7割ラインはクリアしていると思う。
 ぼくはその7割で良しとする。神は残りの3割に宿りたもうことは否定しないけれども。

● ただ,7割のままで喰っていこうとすると,当然ながら安月給になる。高くは売れない。
 神が宿っていないのだから。っていうか,それが最大のマス層なのだから,代わりはいくらでもいるからだ。

● しかし,商売のやり方としては,7割で満足するマス(大衆)に狙いを定めてそこに集中するのは,非常に賢いやり方だと思う。競争相手が次々に現れるだろうけれども,そこで勝ち抜ければ,高級レストランでは及びもつかない利潤を得ることができるだろう。
 食べることに高邁な文化を見る人が,高級レストランに行けばいいので,実利を取るなら7割で満足するマスを相手にするに限る。

● ぼくは,自分にも他人にもモノにも7割しか求めて来なかった。そういう人生を送ってきた。後悔はしていないが,人様にはとても勧められない。

2019.01.14 また,ロイヤルパークに宿泊 3

● 7時前にロビーに降りてみた。1階にあるレストランのスタッフが,開店準備中。もうすぐ,宿泊客が朝食を食べに来る。それを迎える準備。
 この仕事,やはり自分にはできないな。

● このホテルで“成人式の集い”というのがあるようで,振袖のお嬢さん方がロビーに何人もいる。これが父兄同伴なのだな。わからん,どうなっているのだ?
 大学の卒業式にも親が出てくるという話を聞いたことがあるのだが,この光景は,ぼくの目には異様に映る。もちろん,親がいけない。親がコバンザメに見える。が,20歳にもなって親を拒否できないのもどうかと思う。
 もっとも,親同伴なのはお嬢さんの場合のようで,振袖の娘と一緒に写真を撮りたいのかもしれない。母娘は娘が大人になると,親子から友だちになるそうだけれど。

● 親とすれば,子供は自分の作品ということだろうか。たしかに子育ては大変で,夫婦2人がかりでもなかなか思うに任せまい。自分の親たちの助力が必要だったりする。
 それでも,子供は育てるものではなくて,勝手に育つものだと思う。親がやっていることは,子供が勝手に育つことの手伝いのそのまた手伝でしかない。
 それゆえ,成人した子供が犯罪者になっても,それは親の責任ではない。子供が東大に合格しても,ノーベル賞を受賞しても,それは親とは関係ない。そういうものはすべからく,子供に一身専属。

● ホテルラウンジでの朝食。わずかの品数で構成される小宇宙。しかし,かすかに飽きのきざしも感じるようになった。
 いったん案内された席を相方が変更していた。ぼく,そういうのが本当に嫌い。だったら最初からその席に着いていればいい。この領域でお試しはあり得ない。一度決めたのなら変えてはいけない。
 という,心の狭いことを思うのだった。

● 2泊3日の3日目だから,朝食を食べてしまえば,あとは帰るだけだ。正午までチェックアウトすればいいのでそれまではいるという相方を残して,ぼくは11時に地下鉄の駅に向かった。

2019年1月13日日曜日

2019.01.13 また,ロイヤルパークに宿泊 2

● 絶品朝食。といっても,蒲鉾や沢庵をホテルで作っているわけではないだろう。ホテルでは切るだけのはず。
 ではどこで買っているのかといえば,地元の業者からに違いない。少ない品数でこれだけの豊穣さを作りだせるのは,日本橋の力か。
 ホテルで作っているであろう味噌汁も旨い。塩分をどんどん取ろうという気になる。知ったこっちゃないやね,そんなもの。
 食後の漬物が口を洗ってくれる。漬物はデザートであることを実感する。
 ここでは,コーヒーも含めて洋モノは取らないことにした。食後に飲むのも緑茶。

● ラウンジの隣にステーキ(鉄板焼き)の店がある。入口に出ているメニューを見ると,1人3万円のコースが載っている。ステーキだけということはないだろう(酒も飲むだろう)から,トータルで4万円は下らないだろう。2人なら8万円。
 わが家ではあり得ない食事になるのだけども,お客さんが入っていないわけではないのだ。

● 仮に4万円だとすると,ぼくらの宿泊費の約4倍になる。ホテルはこういうところで儲けているのだな。彼らから儲けているから,ぼくらを(ひとりあたり)1万円で泊めることができるのだろう。
 ということは,ぼくらは彼らに養ってもらっていることになる。お客だからとデカい面をしてはいけないなと思ったことだった。

● というかなぁ,今でも局地的にバブルは残っているのだなと思った。たまたま,このステーキ店から出てくるお客を見ることができたんだけれども,堅気という感じは受けなかった。
 ヤクザという意味ではない。普通に真っ当な仕事をしている人ではないような感じというか。会社のお金で飲み食いしているのだろうけれども,その会社がどんな仕事をしているのかわからない感じというか。

● 5階に和食の店がある。その5階には足を踏み入れたことがない。ぼくらが行けるのは,ギリギリ1階の「シンフォニー」にとどまる。
 その「シンフォニー」にも,隣のラウンジバー「フォンテーヌ」にも,けっこう以上にお客がいる。「フォンテーヌ」は庶民目線でもけっこうリーズナブルだから,団体さんの利用もあるのかもしれない。
 ラウンジの食事の水準から察するに,食についてはこのロイヤルパークはアピール水準が高いのではないかと思っている。

● こうしたレストランやバー,あるいは宴会のお客が,ホテルにとっては利潤の源泉であって,宿泊はアクセサリーのようなものかもしれない。
 だとすると,宿泊に回った方がお得ということにもなるわけだ。

● ラウンジで飲んでいると,互いに相手を値踏みするというか,自分と比較してしまう性向がある。ぼくにもその気味があるが,だいたいみんなそうじゃないかという気がする。
 仕事は何か。収入は自分より多いか。品は自分の方がいいか。女性ならファッションから全体を推測するだろう。
 でも,そんなことをしていても仕方がないということ。ぼくらはみんな,ホテル内下層民なのだ。同じラウンジ民族同士,仲良くしないと。

● 今日は,日中は深川を歩いてみた。その後,横浜に転進。夕方,ホテルに帰着。そのまま,ラウンジでカクテルタイム。
 じつは,夜にも川崎に行ってみたいところがあった。カクテルタイムを犠牲にして出かけてみようかと考えないではなかったけども,カクテルタイムをキャンセルすると相方の機嫌を損ねてしまう怖れがある。
 ここだけは2人で過ごさないと2人で来る意味がない,というのが彼女の考えで,これは相方に限らず,女性一般に共通するものかと思う。そこを破ってしまうと,その報いは計り知れない。

● だいたい,2泊しかしないのにスーツケースを運んでくるのだ。ぼくひとりならトートバッグで足りる。何でそんなに荷物があるのかといえば,洋服が入っている。
 ホテルに行くんだからお洒落したいという。普段はしたくてもできる場所がないから。これまた,相方に限らず,女性一般に共通するものかと思う。
 問題は,同行者にも同じビヘイビアを求めてくることで,ぼくはそれに応えているとは言い難い。それに加えて,カクテルタイムを1人で過ごさせたら,どういう反応が返ってくるか。ちょっとした恐怖だ。

● ラウンジで感じることはほかにもあって,ホテルの仕事は大変だなということだ。自分には務まらない自信がある。それともやってみると意外にできるものなんだろうか。見られている快感というのもあるのか。
 なかなか難しいことだとは思うけれども,料理や飲物を自分で取るというスタイルなら,空いた皿を下げるのも自分でやるという方式にしてもいいのでは。立食い蕎麦屋じゃないんだからと言われそうだが。

● 相方と夜の人形町を歩く。“芳町”の路地も歩いてみたが,格別のことはない。
 不動産屋があった。この辺の家賃は右の写真のとおり。お一人様用で10万円前後。これでも安めのをあげてるわけだろう。東京に住むって大変なんだなぁ。
 ぼくは住めない。これだけの家賃を出すのは無理。田舎暮らししかできない。

● 0時過ぎのロビーにはスタッフ以外に誰もいない。このあたりがシェラトン都との違い。業者が「シンフォニー」や「フォンテーヌ」の掃除を始めている。いづらくなるだろう。
 シェラトン都ではこの光景を見たことがない。掃除をしていないはずはないから,もっと遅い時間にやっているんだろうか。

2019.01.13 久方ぶりの横浜

● 深川の次は横浜。フラッと行くわけではなく,とりあえず目的はある。その目的地は桜木町。

● 三越前で銀座線に乗り換えて,新橋。三越前での乗換えはマイクロトランジット。30分以内なら三越を覗くことができるぞ。
 今年初めての新橋。ぼく的には,新橋が東京のヘソにあたる。どこに行くのでも新橋を起点にするのが便利。栃木の自宅に帰るのも新橋が便利。

● 乗換案内アプリでは,新橋から東海道線で横浜,横浜で根岸線に乗換と案内されるが(案内されなくてもさすがにわかるけどさ),最初から京浜東北線に乗ってしまう。
 理由は1つ。横浜で乗り換えるのがイヤなのだ。田舎者には横浜駅は鬼門。

● が,新橋に快速運転の京浜東北は停まらないことを失念していた。1本,遅れてしまった。次に乗ったのは蒲田止まり。
 どうも間が悪い。間の悪さというのは続くものだな。

● 桜木町に来たら,川村屋には寄るでしょ。空腹か否かに関係なく寄るでしょ。じゃないと,何のために桜木町に来たのかということになる。
 お婆ちゃんたちが切り盛りしている。要は立食いそばなんだけど,雰囲気が柔らかい。天ぷらそば,370円。安い。

● 以前(民主党政権だった頃),みなとみらい はゴーストタウンになってしまうのではないかと思ったことがあった。
 現時点でその可能性は皆無。老若男女で賑わっている。ここに住居を構えている人はあまりいないだろうから,ヨソから集まってきた人たちだ。それが商業施設の魅力なのでもある。ともあれ,欣快にたえない。

● 「休日おでかけパス」を使えば,東京も横浜も電車賃は同じ。しかし。横浜は目的がないと来ないところだ。フラッと来るところではない。ぼくにとってはそうだ。
 昔は,みなとみらい にあるホテルに泊まるために来ていたことがあった。小さかった息子が窓からの夜景を見て喜ぶのが嬉しくて,しばしば連れてきた。
 が,そういうこともなくなった今では,どうしても“久方ぶり”になってしまう。

2019.01.13 東京散歩 深川

● 蛎殻町のホテルに泊まっているのだから,近くを歩いてみることにする。以前,門前仲町を経て月島まで歩いたことがあるんだけども,今回は深川に行ってみることにする。
 ホテルを出て,すぐに隅田川を渡る。はい,そこは江東区。川を渡りたくなるのは,人間の習性ですかねぇ,川があって橋がかかっていると,渡ってみたくなるっていう。

● これは隅田川の支流。ほとんど運河と呼びたい人工的な構造物だが,この光景は,夜に見たら,無国籍に映るだろう。いわゆる日本離れした風景。
 深川っていうと,ぼくが第一に連想するのは,駅弁の深川めし。あさりご飯。でも,そんな看板は見かけないや。元々はこの辺まで海が来ていて,深川で潮干狩りができたんだろうか。

● もうひとつ,深川不動尊は聞いたことがあった。ので,その深川不動尊を目指すことにする。
 かなりの人出。籤や御守の物販は商売繁盛。結構なことだ。御守を2つ買った。自分用ではない。こういうのを好きな人が,知合いに2人ほどいるので。














● 深川不動尊の隣が富岡八幡宮。こちらもかなりの人出だ。これじゃ,お客の奪いあいになる。仲は悪くならざるを得ないでしょうなぁ。でも,明治の廃仏毀釈の前は一
体だったんですかね。
 ま,東照宮と輪王寺も仲悪いからね。元は一体だったのに。というか,一体だったからこそか。











● ここからは引き返すことにして,清澄通りを北に。
 深川七福神の幟がやたら多い。たぶん,あまり歩かずに満願成就でしょ,これ。お寺の密集地帯という印象だ。
 こちらは深川ゑんま堂。深川不動や八幡宮に比べると,閑散としている。その隣は心行寺。



● 清澄庭園。入園料は150円。岩崎弥太郎が金にあかせて造ったものらしい。こうした文化財は大富豪の散財が生むものだ。
 フランス王家が作ったベルサイユ宮殿とは違って,社会から収奪した富によるものではなく,新たな価値を創造した結果による富がこういうものに形を変えたのだろう。
 ともかく,途方もない大富豪が自分のために拵えたものだ。それがこうして庶民を楽しませるものになっている。このあたりの仕組みは,じつに巧くできていると思う。

● 今どきの一般競争入札を経て造られる諸々の公共施設が後世に文化財として残る気遣いはない。数十年後には取り壊されるものばかりだろう。
 民主平等ではなく理不尽が文化財を作るという側面は,どうしたってあると思う。富の偏在が文化財の元というか。
 ぼくらは後に残らないものにお金を使うが,大富豪は後に残るものに銭を注いでもらいたいものだ。

● こういうものって,好きな人には宝の山なのだと思う。が,ぼくのような無学な者は,一度で気がすんでしまうんだな。入場してひと目見れば,もういいやとなってしまう。
 好きな人にはこういうのもある。リピーター向けのマルチ入場券。

● これで行ってみようと思っていたところには行ったことになる。こういうことのために地図を何度も見ていると,思わぬ副産物もあって,そのひとつは,ま,大したことではないんだけども,錦糸町は墨田区で亀戸は江東区だとわかったこと。で,この区割りというのは,都民にとってはけっこう不便なものではないかと思った。
 地下鉄で東西に動く分には便利だけれども,江東区を南北に移動しようとすると,けっこう不便だということも。そこは路線バスがカバーしているんだろうか。

● 工事中の清洲橋を渡って,中央区に戻る。隅田川の川縁を歩いてみた。隅田川はセーヌ川を凌駕するのではないかと思った。
 何がといえば,たとえば水
質であり,たとえば風情であり,たとえば水辺公園としての機能である。セーヌ川には一度しか行ったことがないんだけども。

2019年1月12日土曜日

2019.01.12 また,ロイヤルパークに宿泊

● 先週に続いて,蛎殻町のロイヤルパークで過ごすことに。暦通りなので,2泊3日。
 ラウンジでチェックイン&水分補給。コーラを飲んだんだけど,コーラはペットのやつを直接口につけて飲んだ方が旨いな。
 部屋に入ったら,相方がシーツのシミを見つけて文句を言っていた。けど,文句を言っただけで終わった。次からは別なところに,とは言わない。料金とラウンジの水準に満足しているのだ。

● 相方はこの後,日本橋の三越に行くと言って出かけた。銀座の三越にも行ったらしい。かなり混んでいたという。中国人ではなく日本人で。つまりバーゲン。店員もお客に押されて倒れそうになっていた由。
 ぼくは部屋で休んでいた。相方の話を聞いて,はぁぁと思うだけだ。

● 17時からのカクテルタイム。ここのラウンジは,とにかく家族連れがいない。すこぶるありがたいわけだが,その代わり,得体の知れない変なカップルがいる。
 夫婦や結婚前の若いカップルは,すぐにそれとわかるのだが,そうではないカップルもいて,しかも不倫というか浮気というか愛人関係といったふうでもない。

● 女性がかなり年上というパターンが多い。母と息子ではないんだろうけど,そう見ればそうとも見える。職場の若い部下を捕まえたのか。金で買った男なのか。
 それにしては男の側に遠慮が少ない。なかなかにミステリアスなのだ。

● ホテルマンにはピンと来るんだろうな。毎度お馴染みのというやつなのかもしれない。
 でもね,カップルは若い男女が一番見た目がいいよね。今夜頑張れよ,と冷やかしたくなるカップルが,最も美しい外見を纏っている。これはもう,認めるしかないね。
 これから生殖期を迎える男女の組合せが,最も男女という気がする。誰にもそういう時期があったはずだから,こう言ったところで誰からも非難はされないと思う。

● このホテルにサウナはなくなったので,部屋の風呂を使う。サウナならカクテルタイムの前に行っているわ。
 部屋の風呂でも充分なのだった。相方は風呂に関してはずっと部屋派だったのだが,なるほどと思った。入浴剤を入れてゆっくり入っていれば,汗もけっこう絞れる。

● ラウンジ営業は21時まで。30分前に,アルコールではない,正真正銘の水分補給に。風呂で汗をかいたので。冷たいお茶が旨いっすよ。
 ぼく的には,温泉に行くより,東京のホテルを推奨するなぁ。来やすいし,たぶん温泉旅館に泊まるより安いし,温泉旅館よりゆっくりできるし,内外が面白さで満ちているから。たとえば,不審なカップルがたくさんいるとかさ。

● この後,相方はまたどこかに出かけた。ぼくも同行するつもりでいたんだけど,何だか億劫になってしまって。昨夜も相方よりぼくの方が長く寝ているはずなんだけどね。
 右膝が傷んでいる影響かなぁ(走ることができない。階段がちょっと辛い。春になればこの傷みは消えるはず。今までもそうだったから)。結局,今日はチェックイン後,ホテルの外に出ることはなかった。

● 2階に宴会場があって,某公立病院の某診療科の新年会があったようだ。結婚披露宴以外にも宴会を受けているのだな。1人あたり15,000円くらいからかね。
 医師や看護師の宴会はすこぶる賑やかなものというのが,ぼくの経験則なんだけれども(少ない見聞に基づくものだが),意外に静かだったようだ。

● あとはこのロビーがね,すこぉしよそよそしいというかな。フラフラしづらいというか。
 ここでの滞在時間を延ばすことができれば,部屋のデスクは使いやすいし,いたって快適なんだが。快適というか,ぼく的には死角がなくなるんだけどね。

2019.01.12 東武線で東京に出る

● 蛎殻町のロイヤルパークに行く。最寄駅は半蔵門線の水天宮前。
 なので,久喜から東武線に乗り換えることにした。久喜で中央林間行きに乗れば(栗橋で乗り換えるのもあり),半蔵門線に乗り入れるので,ホテルまで1本なのだ。

● が,慣れないからだと思いたいのだが(ボーッとしていたからかもしれない),乗り換えるときにミスしてしまった。
 JRの改札を出て,東武に回って乗車券を買わなければいけなかったのだけど,乗換口を通過してしまったのだ。普通,自動改札機がパタンと通せんぼして,間違いに気づかせてくれるはずなのだが,作動が遅かったためか通れてしまったのだ(相方はちゃんと拒否された)。
 ま,東武の駅員が気を利かせてくれて(というか,やってしまった人には気を利かせるしかないわけだが),無事に外に出ることができた。で,水天宮前までの切符(820円)を買って,乗車することができた。

● JRは久喜あたりから混みだすので,この乗り方が正解だと思う。上野まで行って,日比谷線に乗り換えるよりも。まっすぐ,ホテルに入っていいのであれば。
 ぼくら栃木県北の民は,東武というと東武宇都宮から乗るという発想になりがちなのだけども,こういう使い方もあるなぁと,実際に使ってみて思った。

● 下りならこの乗り方を何度か(といっても二度か)しているのだが,上りだとまた印象が違ってくる。JRから自由になれるというか,経路が複数になって自由度が増えるというか。
 墨田区に行くなら,この乗り方は便利。元日に歩いた玉ノ井や鳩の街の再訪も,一気にハードルが低くなる。

● この電車は押上から半蔵門線に入り,渋谷から東急田園都市線に入って中央林間まで行くのだけども,複数路線を1本の電車が走るのは,JRよりも私鉄の方が早かったのだろう。
 湘南新宿ラインの以前からあったに違いない。乗客にとってもその方が便利であるのは言うまでもない。乗換えが減ることはあっても増えることはないのだから。

2019年1月11日金曜日

2019.01.11 韓国に明日はない,か?

● 右は今日の下野新聞。
 これでは韓国は近代国家になれていないと広言しているようなものだ。大統領もそんなことはわかっているだろう(ひょっとして,わかっていないのか)。
 が,国内世論を気にして決断力を発揮できない。為政者として最も求められる資質を欠いている。

● 支配するされるは世界に共通する歴史で,どの国にもある。やられたらやり返すを続けていたら,未来永劫,安定は来ない。
 だから,戦いすんで日が暮れたら,条約を結んで精算する。精算したのだから,それでリセットされる。それがつまり,国際ルールだ。精算してもまた蒸し返すのでは条約を結ぶ意味がない。というより,そんな国とは条約は結べない。

● 日本人は何でも水に流してしまう民族だと言われる。対して,韓国は恨の国だといわれるが,それが韓国のアイデンティティーであり続けていいのか。
 過去を持ちだして未来志向と言われてもな,ということだ。過去に生きていたければ,心ゆくまでそうしていればいい。
 が,それは近代国家ではない。過去に囚われているのは,囚われている方に不利に働く。

● ここまでの民族主義あるいは夜郎自大はかなり高くつく。日本経済は韓国などなくても盤石だが,韓国は日本から生産財の輸出を止められれば,官民あげて破産するしかない。鵜飼いの鵜匠が日本で,韓国は鵜なのだ。
 辛いだろうが,そこから出発しないと。地道に力を蓄えて日本を凌駕することを考えないと。
 そういう地道さが韓国人には欠けているような気がする。パッと見の派手さを好んだり,体面を繕うことに血道をあげて,繕えればそれで良しとしたり。よくいえばラテン気質というのか。

● 日本には何をやっても許されるという風潮が韓国にはあるとも聞く。それが本当かどうか知らないが,日本で反韓・厭韓感情がどれほど充満しているか,韓国側はわかっているのだろうか。
 かつての通貨危機ようなことが韓国に再び発生する可能性は少なくないと思うのだが,時の為政者の意向がどうであろうと,現状では韓国を助けることを日本国民は承認しないだろう。

2019.01.11 勝ちや負け,成功や失敗なるものは存在するか

● 知人が亡くなった。50歳前だった。先月の忘年会では同じテーブルに座ったのだ。ごく普通にしていた。君は仕事だけで遊ばないからなぁ,とからかわれて苦笑していたのだ。
 それが突然,向こう側に渡ってしまった。

● 死は突然にやってくるのだな。いくつになってもそうなのだろう。予測できるものではない。直前になっても気づかない。事前に想定していたように展開するものではない。
 したがって,予め備えることもできない。そういうものなのだと思い決めた方がいいのだろう。

● 表面上は問題なしだとしても,盤石の問題なしなのか,ギリギリのバランスのうえに立った問題なしなのかは,誰にも区別ができない。本人にもわからない。
 しかも,盤石がギリギリに勝るとは限らない。ギリギリの問題なしを続けて長寿を全うした人は数限りなくいるだろう。盤石でも早死にする人はいる。

● 人間が死ぬのはあたりまえのことであって(これだけは確率100%だ),そもそもが悲しんだり驚いたりすることではないのかもしれない。たとえ若くして死んだとしてもだ。
 できては消える泡の大群。ぼくらは誰もが泡のひとつだ。

● 生きることをあまり大げさに考えるべきではないのかもしれない。たまたま生まれてきたにすぎない。
 生まれた以上は何らかの使命があるはずだとか,社会に貢献すべきだとか,そういうのは戯言でしかないのではないか。

● 勝ち組だとか負け組だとか,世間はいろいろ言うけれども,そんな評価は笑止の沙汰だ。負け組コースに乗っている人は,勝ち組コースの人のようには動けないのだ。逆に,勝ち組コースに乗っている人に,負け組の人のように動けといっても,できない相談だろう。
 勝ち組の人の動きが是,負け組の人の動きは非。そんなのは誰が決めたのか。悠久の目で見れば,一時の流行でしかないのではないか。ほとんどの人がその流行の色眼鏡で見ているだけではないのか。

● いざ死に臨んだとき,勝ちだの負けだの,成功だの失敗だの,そんな思いが最後によぎることがあるんだろうか。
 なにせ未体験なので,想像するしかないのだけれども,どうもそれはないような気がする。人生は棺を覆うまでわからないと言われるが,その段になれば,ひとつの生を終えただけということになるのではあるまいか。そのような評価軸の一切が,本人の中から消滅するのではあるまいか。

● ところで。突然死ではない死もある。その典型がガンだ。自分が死ぬとわかってから実際に死ぬまでに,数ヶ月か数年の猶予が与えられる。
 ガンになって余命の宣告を受けるのと,突然倒れるのと,どちらがいいかという話を知人2人とした。
 2人とも準備ができる分,ガンの方がいいと言った。ぼくは余命宣告を受けたあとに,死に向けた準備ができる自信がない。

2019年1月6日日曜日

2019.01.06 東武電車で帰る

● 元日も東武電車で帰った。東武に乗ってわかることは,栃木から栗橋は近いのだということ。栃木から宇都宮よりも近い。
 もうひとつ。関東平野を実感するのなら,JRよりも東武が向いている。

● さて,今日も東武で帰ることにした。半蔵門線が東武電車に乗り入れているからだ。
 まずは押上で降りてみた。電車は東武線に入って南栗橋まで行くのだが,半蔵門線としてはここが終着。といって,押上に用があるわけではない。スカイツリーに上ってみようとは髪の毛一本ほども思わない。
 すぐそばに業平橋駅(今は,とうきょうスカイツリー駅)がある。浅草から乗ると押上は通らないはずだ。Wikipediaによれば,押上~曳舟間は「支線のような形になっている」とある。半蔵門線が東武線に乗り入れるまでは,東武線には押上駅は存在しなかったということか。

● 次の電車は久喜行きだったので,東武動物公園で乗換え。東武動物公園って,以前の駅名は何といったっけ。杉戸か。日本工業大学はここにあったのだな。
 東武線なんだから,こういう駅名に変えることは当然。ことさら異を唱える話ではない。だけども,杉戸のままでよかったのではないか。伊勢崎線と日光線の分岐駅で,東武線の中では拠点駅のひとつになっていると思うのだが,なればこそ地名を離れるべきではないと思うのだが。

● 南栗橋から新栃木行きに接続。この車両は,昔,浅草~東武日光間を直通で結んでいた快速列車に使われていたものだ(と思う)。この仕様では,南栗橋以南には投入できないだろう。
 ひょっとして,今でもあるのか,この快速。ないよね。直通はスペーシアだけだよね。

● 東武線で宇都宮に着くと,ひどく情けない気分になる。どん詰まりの田舎に来たという感じ。JR線で宇都宮に着いたときにはあまり感じないのだが,何なんだろうな,この感覚は。
 ひとつには,東武線の場合は宇都宮が終着駅だからでしょうね。しかも,ホームがひとつしかない。一面二線。だいぶ遠くに来たんだな,と。

● 東武の宇都宮線は完全に支線扱いで,東京からの特急電車は新栃木から日光線に入る。おそらく,それが乗客の利用形態に見合っているのだろうが,栃木で乗り換えた宇都宮行きが下りであることに,若干の違和感がある。
 JRでも小山から宇都宮に向かう場合は下りになるわけで,事情は同じなのだが,小山始発の宇都宮行きはないのに対して,東武線では栃木~宇都宮があたかも独立した路線のごときなので,いささかの違和感があるんでしょう。
 県北の住人なので,普段,宇都宮に出るときには上り電車に乗ることになる。そういう人間にとっての違和感にすぎないけれどね。

2019.01.06 ロイヤルパークに宿泊 2

● ロイヤルパークのラウンジの朝食。もっぱら和食党。
 品数は多くない。が,それが制約になることはない。何でもないもの(たとえば,たくあん。たとえば,味噌汁)がすこぶる旨い。写真のおかずは,これだけで無限を意味する。
 朝食はかくあるべし。このホテルに泊まったときに何が一番楽しみかといえば,この朝食だ。

● ところが,相方情報によれば,いつも和食があるわけではないらしい。普段は洋食のみ。客が多いときだけ,和食も供しているんだそうだ。
 ちょっと待て。とすると,ぼくらが泊まれるような安い宿泊プランが出ているときは,お客が少ないときではないのか。少ないからこそ,宿泊費が安くなるのだろう。
 
● これから,シェラトン都に代わって,こちらがぼくらの定宿になる可能性がある。その理由は3つあるのだが,第1の理由は省略。第2はラウンジの水準の高さ。第3がお安いこと。
 ただし,このロイヤルパークは何度泊まっても別荘という感覚は持ちにくいかもしれない。部屋以外に居場所見つけるのが難しそうだからだ。つまり,ロビーで所在なく時間を過ごすのが難しそうなのだ。

● シェラトン都ではロビーで新聞も見れるし,ソファに座ってボーッとすることもできるし,庭園を歩くこともできる。
 ずっと部屋にいるのはどうもダメなんで(スイートに泊まっても,やはり同じ),かといってホテルの外に出る気にもならないので(なるときもあるが),部屋以外のホテルのどこかで,たとえばノートを開いて何かを書いたり,スマホをいじったりして過ごしていたい。
 このホテルではそれをする場所が見つからない。

● そんなことを考えている間に,チェックアウトの時間が来た。ラウンジでチェックアウトをすませて,これからどうする? まっすぐ帰るか,どこかを歩いていくか。

2019.01.06 東京散歩 人形町

● ロイヤルパークには何度か泊まっているのに,至近距離にある水天宮に行ったことがない(大昔に一度あるが)。ので,今回,行ってみた。
 お社が地面に着地していない。こういう神社,東京では珍しくもないと思うが。子授けの神様なんですか,よく知らないけど。

● 来てはみたけれども,詣でることはない。神様にお願いすることは特にないからだ。なぜないかといえば,もはや何をするにも遅すぎる年齢になっているからである。
 人生を諦めてしまえば神頼みは要らなくなる。しかし,だ。本当に諦めているのならば,それはそれで境地のひとつだと思うのだが,なかなかそこには到達できないものだろう。ぼくの場合は,自分の人生を取り扱う態度が少し雑になっているという程度のものだ。

● あ,それから。財布を持たないで出たんで,賽銭を上げられなかったってのもあるね。
 ま,神様は賽銭を欲しがらないと思うんだけどね。賽銭の有無や多少に関係なく,無差別平等に救ってくださるんだろうけどさ。

● ところで,九州の久留米とこの神社は何か関係があるんだろうか。あるいは,都内にも久留米という地名の街があるんだろうか。

● 人形町はもともと吉原があったところだ。最近知った。旧町名に芳町というのがあるんだけど(現在の人形町1丁目と3丁目),その名残をとどめるものだろうか。
 その芳町を歩いてみた。下町的な(中央区なのだが)趣をたたえた飲み屋や食堂があるだけだ。吉原的なものは残っていない。当然の話で,ここが吉原だったのは,江戸幕府開府まもなくの頃からわずかな期間にすぎない。40年ほどか。もっとも,その後も花街として栄えたようではあるのだが。

● そのように見れば見えなくもないという路地の佇まいがあるにはある。信じがたいんだけども,ここは戦災を免れたらしいのだ。
 谷崎潤一郎もここで生まれているらしい。が,ぼくは谷崎は1冊も読んだことがない。あぁそうなのかでとどめておくことにする。

● 夜の人形町は泊まるたびに歩いている。が,下を日比谷線が走っている道路をちょこっと歩く程度だ。
 一度はきちんと歩いてみたいと思っていたんだけども,今日の1時間程度の散歩で何だか気がすんでしまった。きちんと歩いたとはとても言えないんだけどね。

● ともあれ。現在の人形町は,気安そうな酒場や飲食店が軒を連ねている。庶民的な店が多い。
 一方,タワーマンションも建っていて,家賃は相当に高いんだろうなと思わせる。なにせ日本橋なんだからね,ここは。中央区なんだから。

2019年1月5日土曜日

2019.01.05 ロイヤルパークに宿泊

● 水天宮前のロイヤルパークに1泊。直前には錦糸町にいたので,半蔵門線で1本。都合がいい。しかも,駅からホテル直結(4番出口)。

● この日は土曜日にもかかわらず,安い宿泊プランがあったらしい。この分野は相方の領分なので,ぼくは言われるままに金魚のフンよろしく付いていくだけ。
 どのくらい安いかというと,2人で2万円を少し超えるくらいなのだ。それでラウンジを使える。
 もちろん,いつもそうなのではない。そういうオファーが出ることがあるということ。

● 大晦日には上野のカプセルホテルに泊まっているんだけど,7,128円だったからね。それとさほど変わらない料金で,この場所のホテルに泊まれて,3食アルコール付きなんだから,安いを通り越している。
 ま,大晦日というのは,都内のホテルの場合,宿泊費は普段と比べてはいけない水準にまで高騰するものではあるんだけど。

● サウナは今日限りで閉めるそうだ。再開するかどうかは不明とのこと。
 このホテルのサウナは一度しか使ったことがない。管理はもっとラフでもいいのではないかと思った。あまり細かくチェックを入れると,利用者を遠ざけることになる。倒れている人がいないかどうかを1時間に1回,確認する程度でいいのだ。
 ま,それと今回の閉鎖は関係のない話ではあるが。

● 相方とはラウンジで落ち合った。ラウンジでチェックインとアウトの手続きができる。そのまま,カクテルタイムに突入。
 美味しくいただいて,ユラユラと酔った。このホテルのラウンジの水準はかなり高いと思っている。理由は2つある。
 ひとつは,品数は少ないながら,そのひとつひとつにどうせラウンジだからという間に合わせ感がないこと。
 もうひとつは,こちらの方が大きいのだが,未就学児でも有料なので,家族連れがいないことだ。このポイントはかなり高い。

● スタッフの制服がCAみたいで格好いいと相方が言っていた。少しマーメイドが入っているスカートで,ちょっと前に流行したものらしい。
 ただし,このラウンジは21時で営業終了。シェラトン都は23時までやっているが,ぼくは21時まででいいと思う。終夜営業の居酒屋じゃないんだから。

● その終了間際に水を飲みに行ってみた。カクテルタイムからずっといたのかと思われる人が数人いた。酔って大声になっていた40歳くらいの女性も。ここでそこまで酔ってはダメだろう。
 それはダメだよとは誰も言ってくれないが,それゆえにそこは自己点検・自己管理を怠ってはいけないところだ。大人とはそういうものでしょ。おまえもな,オレよ。

● つまり,かなり言い難いんだけれども,安ければ安いなりのお客しか来ないという事実は,厳としてあると思われる。もし,セレブなというか,優雅なというか,夢の国で過ごす気分を味わいたいなら,それ相応のお金を払わなければならない。
 同じサービスで5万円ほども取られる時期もある。そういうときに来てみることだ。少なくとも,今日よりは夢見心地の時間を過ごせるだろう。
 雰囲気を決める第1ファクターはお客だ。サービスが同じでも,お客が変われば,印象はガラッと違うだろう。
 その客込みで雰囲気を買うとすれば,安いときに来てはダメである。ぼくらがいないときに来るべきである。