● これは隅田川の支流。ほとんど運河と呼びたい人工的な構造物だが,この光景は,夜に見たら,無国籍に映るだろう。いわゆる日本離れした風景。
深川っていうと,ぼくが第一に連想するのは,駅弁の深川めし。あさりご飯。でも,そんな看板は見かけないや。元々はこの辺まで海が来ていて,深川で潮干狩りができたんだろうか。
● もうひとつ,深川不動尊は聞いたことがあった。ので,その深川不動尊を目指すことにする。
かなりの人出。籤や御守の物販は商売繁盛。結構なことだ。御守を2つ買った。自分用ではない。こういうのを好きな人が,知合いに2人ほどいるので。
● 深川不動尊の隣が富岡八幡宮。こちらもかなりの人出だ。これじゃ,お客の奪いあいになる。仲は悪くならざるを得ないでしょうなぁ。でも,明治の廃仏毀釈の前は一
体だったんですかね。
ま,東照宮と輪王寺も仲悪いからね。元は一体だったのに。というか,一体だったからこそか。
● ここからは引き返すことにして,清澄通りを北に。
深川七福神の幟がやたら多い。たぶん,あまり歩かずに満願成就でしょ,これ。お寺の密集地帯という印象だ。
こちらは深川ゑんま堂。深川不動や八幡宮に比べると,閑散としている。その隣は心行寺。
フランス王家が作ったベルサイユ宮殿とは違って,社会から収奪した富によるものではなく,新たな価値を創造した結果による富がこういうものに形を変えたのだろう。
ともかく,途方もない大富豪が自分のために拵えたものだ。それがこうして庶民を楽しませるものになっている。このあたりの仕組みは,じつに巧くできていると思う。
● 今どきの一般競争入札を経て造られる諸々の公共施設が後世に文化財として残る気遣いはない。数十年後には取り壊されるものばかりだろう。
民主平等ではなく理不尽が文化財を作るという側面は,どうしたってあると思う。富の偏在が文化財の元というか。
ぼくらは後に残らないものにお金を使うが,大富豪は後に残るものに銭を注いでもらいたいものだ。
● こういうものって,好きな人には宝の山なのだと思う。が,ぼくのような無学な者は,一度で気がすんでしまうんだな。入場してひと目見れば,もういいやとなってしまう。
好きな人にはこういうのもある。リピーター向けのマルチ入場券。
● これで行ってみようと思っていたところには行ったことになる。こういうことのために地図を何度も見ていると,思わぬ副産物もあって,そのひとつは,ま,大したことではないんだけども,錦糸町は墨田区で亀戸は江東区だとわかったこと。で,この区割りというのは,都民にとってはけっこう不便なものではないかと思った。
地下鉄で東西に動く分には便利だけれども,江東区を南北に移動しようとすると,けっこう不便だということも。そこは路線バスがカバーしているんだろうか。
● 工事中の清洲橋を渡って,中央区に戻る。隅田川の川縁を歩いてみた。隅田川はセーヌ川を凌駕するのではないかと思った。
何がといえば,たとえば水
質であり,たとえば風情であり,たとえば水辺公園としての機能である。セーヌ川には一度しか行ったことがないんだけども。
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