2019年1月17日木曜日

2019.01.17 お金のあるなしと生活水準の相関は弱くなる

● 読む,聴く,見るのうち,「読む」については昔から図書館があって,たいていの本は(読もうと思えば)タダで読めた。
 「聴く」についてもCDをリッピングできるようになったことで,音源はタダの時代になった。カセットテープにダビングする必要もない。ものの数分間でCDがそっくりPCのハードディスクに入ってしまう。インターネットによって音源タダはさらに徹底された。
 動画までタダで見られるようになった。少なくとも,なりつつある。新着ものはすぐにはネットには出ないが,そのタイムラグは短くなる一方だろう。

● お金のあるなしと生活水準の相関は,当然ながら弱くなる。微細な高級感にこだわることをしなければ,もはや生きていくのにお金は必ずしも必要ではないと言っていいところに来ている。
 とはいえ,多くの人にとって幸福とは自他との対比のうえに成り立つものかもしれない。問題はだから,他者と比べることをやめることができるかどうかだろう。
 やめるところまで自分の内面を突き詰めることができれば,徒手空拳のままで天下無敵の構えを取れる時代になったのだ。

● ロボットやAIが人間から仕事を奪うと喧伝されているけれども,仕事を奪われないように自分に付加価値を付けることを考えるよりも,仕事なしで人生を埋めていける算段をする方が重要かもしれない。
 いずれはベーシックインカムが国の制度として採用されるだろう。「文化的な生活」をするのにお金はかからないのだ。

● 稼ぐのは家賃相当額でいいのだ。人口が減っているんだから,家賃が上がる道理もない。あとは医療費の心配があるかもしれないけれど,その程度なら毎日出勤する必要はないだろう。社会保険に入れるパートやアルバイトはいくらでもある。
 ぼくらは国の行く末を案じるのではなく,自分の足下を固めることを考えるべきだ。幸いなことに,国が半ばは(つまり,生活費の面では)埋めてくれることになる(たぶん)。あとの半分をどうするかだけだ。

● 他人を見るのではなく,自分の中に沈潜して自分なりの答えを出す(見つけるのではなく,答えを作る)作業が求められることになるのではないか。
 じつに面白い時代になるというべきで,これからを生きる若い人たちが羨ましい。おそらく,若い人たちはそれぞれにユニークな答えを得て実践していくだろう。ロートル世代が最初は「今の若者は・・・・・・」と言いながら,次第に追随していくことになるのだろう。
 若い人たちがどういう答えを出してくれるのか。その百花繚乱の様を見ることができるまでは生きていたいものだ。

● 逆に,教育機会の均等化を図るとか,大学授業料の無償化などには,まったく意味がない。「知」はすでにインターネット上にある。大学をはるかに凌駕するだろう。大学の講義もネットに上がっている。
 「知」にアクセスするためのコストは,限りなくタダに近い水準になっているのだ。にもかかわらず,アクセスしようとしない人は,水を飲む気のない馬だ。そういう馬を水飲み場に連れて行っても仕方がない。

● それ以前に,なぜわざわざ大学に行く必要があるのか。時間のムダではないか。学士号や大卒の資格など,金魚の餌にもならない。
 にもかかわらず,そういうものを得ようとするのは,あまりに既存秩序に寄りかかりすぎている。そもそもスタートラインに立てていないと思う。

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