が,せっかく上野にいるんだから,かねて予定のとおり,東京下町の悪場所をまとめて歩いておくことにする。
● 地下鉄日比谷線で三ノ輪。上野から歩いてもそんなに変わらないのかもしれないけれども,地図を忘れてきた。頭に入っているのは三ノ輪からの道のりなので。
地図なんかスマホで見れるじゃないかというわけなのだけど,どうもスマホの地図は使いづらいと思っていてね。たぶん,通信速度の問題かもしれない。契約プランを見直した方がいいのかも。
● 右は三ノ輪駅を出たところ。手前が国道4号。左に別れのが国際通り。国際通りを浅草方面にしばらく歩くと鷲神社。その先を左折。
すると,吉原弁財天。祀られているひとつひとつの仏様に膝まづいて手を合わせている
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吉原弁財天 |
かつての吉原とゆかりがないわけはないと思うのだが,そうしたゆかりは全く感じさせない。普通の弁財天様。
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吉原弁財天 |
昔は知らず,今は小さな神社だ。これまた,現在の街に溶け込んでいる。吉原の遊女がどうのこうのといった,そういう雰囲気はかけらもない。地元のオバちゃん二人がお客さんの相手をしていた。
吉原をかつての吉原として捉える向きは地元には残っていないようだ。ごく普通の下町という印象。こちらは怖いもの
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吉原神社 |
● 吉原神社の隣は台東病院。前の道は仲之町通り。郭があったところなのだろう。かすかに何かを感じるというか。
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仲之町通り |
元日ゆえか,歩いている人はあまりいない。特に仲之町通りはそうだ。今の吉原は石鹸の国の密集地帯であるわけだが,石鹸の国に昼間から用がある人もそうはいないだろう。
● とはいっても,元日の朝から営業している店もあった。ここだけやってる
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吉原大門跡 |
写真は石鹸の国のメインストリートではない(と思う)。メインストリートはこんなものじゃなかった記憶がある。休日の午前から客引きが並んでいて驚いたものだ。
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白鬚橋 |
ぼくが歩いたのはだいぶ南側。ので,山谷のエリアからは外れていた。ごく普通の住宅街を歩いた感じ。
白鬚橋は大きな構造物だった。
明治通りなんだから,この程度の構造物であろうことは想像しておくべきだった。
● 渡った先は墨田区東向島。疲れてしまった。休んでいくことにする。渡りきったと
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白鬚橋東 左右に走る道路が墨堤通り |
近くにセブンイレブン(墨田東向島3丁目店)があったので,お茶と安い弁当(サバほぐし弁当)を買った。
そのセブンイレブンのスタッフの娘さんが美人でね。小股が切れあがった,という形容の仕方があるのを思いだした。彼女はジーンズだったんだけどね。しかも,この言い方,どういう状態をいうのかもわからないんだけど。
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東向島駅 |
新木場からここまで明治通りを歩いたことがあった。そのときはその先に行くことはなかったけども,今日は行ってみる。そのために来たのだ。玉ノ井をふらついてみようと思う。
駅を横目に見て,直進。適当なところで右折。とたんに,ここが玉ノ井だと合点が行った。路地また路地。墨田3丁目が中心かと思われる。
● 往時を偲ばせるものは路地だけと言っていいが,永井荷風はここを舞台にして,「墨東綺譚」を創作したのだ。気が住むまで歩いてみた。案外,簡単に気はすむものだな。
入居者募集の古い木造アパートがある。家賃も高くはないだろう。こういうところに住んでみるのも面白いかもしれないけれど,さすがに永井荷風を気取るわけにはいかない。じきに飽きてしまうだろうね。
ただし,隠れ家というか,隠遁後の住まいにするなら,ありかもしれない。
ただ,もはや商店街の態をなしていないように思えた。普通の住宅がだいぶ増えている。が,かなり狭い。軽自動車でもすれ違いは難しい。住みづらいかもね。
もっとも,車を前提に考えてしまうのは,ぼくが田舎に住んでいるからか。
● 商店街に寺島保育園がある。滝田ゆう「寺島町奇譚」の舞台は,玉ノ井ではなくて,こちらだったのか。玉ノ井だとばかり思っていたんだが。
いや,旧東京市向島区寺島町というのは,かなり以上に広いエリアのようだ。こちらも玉ノ井も寺島町だった。
寺島という地名は今でも地元の人たちに愛されているように思える。玉ノ井もそうだ。東武も駅名を変える必要はなかったのではないか。実際,東向島駅の正面には,旧駅名玉ノ井も併記している。
● 商店街は昔から商店街であって,“鳩の街”の本体ではない。が,商店街からひとつ路地を曲がれば,なるほどと思う光景が現れる。
といっても,あたりまえだが,当時の遺構(?)はほぼない。今は普通の住宅街。個人の家だから写真を摂るのは憚られる。ので,1枚だけ。
ここが吉行淳之介『原色の街』の舞台。『娼婦の部屋』も同様だろう。『娼婦の部屋』の明子が働いていたのはどのあたりだろうと想像を逞しくできればと思ってもみたんだけども,当然ながら,それが可能になるほどのヨスガはない。
● かつての色街は,吉原のようにともかく現役を続けているところは別として,ある種の侘びしさを醸すもののようだ。ありていに言うと,生活保護率が高そうでもある。
さらに言うと,昔の日本はこうだったと思わせるところがある。懐かしさを感じる。懐かしさを感じさせてしまうのは,現役をやめているからだろう。
したがって,ぼくのような部外者がフラッとやってきてノスタルジーに浸る分にはいいとしても,今をどうするか,これからをどうするかという視点で見れば,様々な問題を抱えているに違いない。
色街に向くような地形のところは,大規模な再開発でもしない限り,地場を変えるのは難しそうだ。取り残されてしまう。
● しかし,厄介なことに,そうしたエリアは稀少性を持つ。稀少性を持つものは,それが何であれ,自ずからなる魅力を放つ。たぶん,都市には必要な魅力かと思う。
更地にして東西南北に広い道路を通してしまえば,その稀少性は消える。
● これで歩こうと思っていたところはすべて歩いた。気がすんだ。ここから東武の曳舟駅は指呼の間。右膝も疼いているし,少し休みたい。電車に乗って座ることが,その休みになる。
その前に駅周辺を歩いてみる。イトーヨーカドーがあって,元日から営業。お客さんもビッシリ入っていた。海鮮三崎港も“天丼てんや”も通常営業。
ぼくらは正月にジッとしていることができなくなっている。いい悪いの問題じゃなけれども,ジッとしていないんだから,サービス業の人は休むわけにはいかない。
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