● ぼくは宇都宮市民ではないんだけど,宇都宮にはよく出かける。ので,ちょっと口を挟みたくなったんですけどね。
● 左の写真は9月27日の下野新聞。ぼくはLRTの推進に賛成だ。予算のこととか全然わからないままに言っているんですけどね。
何でかっていうと,今の栃木県の車依存度は醜悪だと思っているからなんですよ。車がないと手も足も出ないってことになっている。
病院に行くにも買いものに行くにも車がないと困るって社会は,交通弱者は存在しないという前提に立たない限り,あってはならないものだ。
● LRTの推進は,当然のことと思えるのだが,どうも反対意見が多いらしい。RTで何が変わるというのか,もっと先にやるべきことがあるだろう,という言い方をする人を,ぼくも何人か知っている。
もちろん,LRTを作ればそうした問題が解決するわけではない。そんなことはあたりまえだ。しかし,ジリジリと前進することはできるではないか。LRTはその機運を大いに高めるキッカケを作るかもしれない。
● 「もっと先にやるべきこと」とはかつての繁華街(市街地)の活性化を差すことが多いようだ。今どきだからかつての市街地が寂れたのは,モータリゼーションに乗り遅れたからだと考えている人はよもやいないと思うのだが,どうもそうでもないようなのだ。
市街地を活性化する唯一の方法は車を追いだすことだ。LRTはそれに向けての契機にもなる。計画では駅東で終わるのだが,いずれは宇都宮駅を跨ぐか地下を潜るかして,大谷までは延伸したい。
LRTが都市整備の地ならしをしてくれる。
● 高齢化と人口減少がさらに進むことはわかりきっているのだから,従来の道路網の維持とそれに乗った車社会を維持することはかなりの負担になるのではないか。
とは言わないけれども,後期高齢者が人口の何割を占めることになるか。彼らに車を運転させるつもりか。
● いや,運転はしてもらわなければならないだろうけれども,運転しづらい路線(車の密度が高い路線)は運転しなくてもすむようにして,彼らのストレスを軽減することが,高齢者福祉が活きる前提,あるいは高齢者福祉そのものではないのか。LRTに反対する人たちは,現状がいいと考えているのだろうか。
もっとも,自動運転が高度に完成されれば,この点については話がまったく変わってくるわけだが(そうなってくれればいい)。
● 環境への負荷軽減にも寄与するだろう。宇都宮でも鬼怒川の橋は朝晩,渋滞が発生する。車が吐きだす排気ガスの悪影響って,じつは煙草の副流煙どころの騒ぎではないのではないか。
この点において,バスがあるんだからLRTは要らないという理屈は成立しない(環境負荷が画期的に少ない軽油やディーゼルエンジンが産まれるかもしれないわけだが)。
公共交通機関の内部がコミュニティになることは少々以上に考えづらいけれども,通勤時に個室に籠もってばかりいる必要もないだろう。
2016年9月30日金曜日
2016.09.30 定年が楽しみだ
● できることがいくらあっても,仕事ができなければすべては無に帰する。男とはそういうもの。将棋の米長邦雄さんの言葉だったか。
ぼくは無に帰する存在のひとつになるわけだな。
● 養老孟司・隈研吾『日本人はどう死ぬべきか?』に次のような発言が登場する。
いや,そうなのかもしれない。サラリーマンの多くは,仕事第一でやってきた人たちだろう。
● 家庭だの地域での付き合いだのと言われても,仕事あっての家庭であり地域であって,逆ではないというのが,彼らの本音であるだろう。
ワークライフバランスなどというのは,頭でわかるだけのシロモノに過ぎない。現実を見ろ,そんなことは言ってられないじゃないか。
● という人たちにとっては,仕事はたしかに「生きがい,張り合い」であって,定年は否応なしにそれを一気に奪う,「死へのステップの一つ前」の出来事になるのかもしれない。
そこまで仕事に体重をかけてやってきた人を,ぼくは尊敬する。皮肉でも何でもない。大したものだと思う。自分がそのようにできなかったから,いっそうそう思う。
● ぼくは定年が待ち遠しくて仕方がない。定年になって時間ができたらやりたいことがたくさんあるからというよりも,この鬱陶しさとサヨナラできるからという,わりと後ろ向きな理由によるところが大きい。
あまり仕事に体重をかけてこなかった。仕事を通じてできた友人もいないし,恒常的に飲んだりしている仲間もいないし,私淑する先輩もいないし,そういったものを欲しいと思ったこともない。
だから,定年で失うものはまったく何もない(収入がなくなるということはあるけれど)。
● 一方,定年で得られるものはある。時間と自由だ。
ぼくには孤独が寂しいという感覚があまりない。孤独はつまり自由ではないか。
人づきあいなど,自由の制約要因でしかない。だから,孤独は望むところだ。
ぼくは無に帰する存在のひとつになるわけだな。
● 養老孟司・隈研吾『日本人はどう死ぬべきか?』に次のような発言が登場する。
隈 サラリーマンが迎える定年というのは,死へのステップの一つ前みたいな感じがありますね。というか,ほとんど死と同義語かもしれないですね。養老 以前に会った福島県庁の人は,県庁を定年になて辞めた後,十年以内に半分が死にます,と言っていました。それも,なんとなく分かりますよね。生きがい,張り合いがなくなってしまうんですよ。(p74)● 本当だろうか。サラリーマンにとって定年は死への序曲なのだろうか。
いや,そうなのかもしれない。サラリーマンの多くは,仕事第一でやってきた人たちだろう。
● 家庭だの地域での付き合いだのと言われても,仕事あっての家庭であり地域であって,逆ではないというのが,彼らの本音であるだろう。
ワークライフバランスなどというのは,頭でわかるだけのシロモノに過ぎない。現実を見ろ,そんなことは言ってられないじゃないか。
● という人たちにとっては,仕事はたしかに「生きがい,張り合い」であって,定年は否応なしにそれを一気に奪う,「死へのステップの一つ前」の出来事になるのかもしれない。
そこまで仕事に体重をかけてやってきた人を,ぼくは尊敬する。皮肉でも何でもない。大したものだと思う。自分がそのようにできなかったから,いっそうそう思う。
● ぼくは定年が待ち遠しくて仕方がない。定年になって時間ができたらやりたいことがたくさんあるからというよりも,この鬱陶しさとサヨナラできるからという,わりと後ろ向きな理由によるところが大きい。
あまり仕事に体重をかけてこなかった。仕事を通じてできた友人もいないし,恒常的に飲んだりしている仲間もいないし,私淑する先輩もいないし,そういったものを欲しいと思ったこともない。
だから,定年で失うものはまったく何もない(収入がなくなるということはあるけれど)。
● 一方,定年で得られるものはある。時間と自由だ。
ぼくには孤独が寂しいという感覚があまりない。孤独はつまり自由ではないか。
人づきあいなど,自由の制約要因でしかない。だから,孤独は望むところだ。
2016年9月29日木曜日
2016.09.28 地図を見ていて,思いだしたこと
● 地図帳が好きだ。自宅にも職場にも1冊置いてある。「TVのそばに一冊 ワールドアトラス」(帝国書院)という安い地図帳だ。
その地図帳を開いて朝鮮半島の地図を眺めていたとき,突然思いだしたことがある。
● まったくたいしたことではない。昔,馬鹿な少年がいたという話だ。
小さい頃,小学校の1年生か2年生の頃,小学館の雑誌(小学○年生,というやつ。今はなくなったんですかね)に,遠足に行くときに持っていくべきものという特集があった。
その中に“地図”が上がっていたのだ。自分の遠足の行き先がどこだったのかは憶えていない。しかし,その地図がなかったことだけは間違いない。
● 当時のぼくは地図なんて見たこともなかったし(学校で日本地図くらいは見てたろうけど),地図を買えるお金もなかった。
だけど,地図が必要なのか。そうなのか。
● で,どうしたかというと,藁半紙に勝手に図を書いて,そこに知っている地名を勝手に入れた。これで地図ができた。よし,これでいい,と思ったのだ。
もちろん,まったくよろしくない。そんなのは地図でも何でもない。たんなる落書きだ。
● これはどういうことだったんだろうかと,今,思っている。
地図が必要だと雑誌に載っていた。なぜ地図が必要なのかは考えもしなかったのだろうな。地図なるものがあればいいんだと思った。じゃあ地図なるものを作ればいい,と。
で,自作(?)した。よし,できた。これでストーリーは完結した,ということだったのだろう。
その地図帳を開いて朝鮮半島の地図を眺めていたとき,突然思いだしたことがある。
● まったくたいしたことではない。昔,馬鹿な少年がいたという話だ。
小さい頃,小学校の1年生か2年生の頃,小学館の雑誌(小学○年生,というやつ。今はなくなったんですかね)に,遠足に行くときに持っていくべきものという特集があった。
その中に“地図”が上がっていたのだ。自分の遠足の行き先がどこだったのかは憶えていない。しかし,その地図がなかったことだけは間違いない。
● 当時のぼくは地図なんて見たこともなかったし(学校で日本地図くらいは見てたろうけど),地図を買えるお金もなかった。
だけど,地図が必要なのか。そうなのか。
● で,どうしたかというと,藁半紙に勝手に図を書いて,そこに知っている地名を勝手に入れた。これで地図ができた。よし,これでいい,と思ったのだ。
もちろん,まったくよろしくない。そんなのは地図でも何でもない。たんなる落書きだ。
● これはどういうことだったんだろうかと,今,思っている。
地図が必要だと雑誌に載っていた。なぜ地図が必要なのかは考えもしなかったのだろうな。地図なるものがあればいいんだと思った。じゃあ地図なるものを作ればいい,と。
で,自作(?)した。よし,できた。これでストーリーは完結した,ということだったのだろう。
2016年9月26日月曜日
2016.09.25 ダイエットに四苦八苦-難しいのは休日
● 18日にダイエットすることに決め,まる1週間が過ぎた。体重は量っていない。ダイエットを始める前に何㎏あったのもわからない。
きちんと記録することによってモチベーションが保たれるのだという意見があって,それはそのとおりだと思うんだけど,順調に痩せているかどうかぐらい体感を信用すればいいとも思っている。
● しかし,基本的に思わしくない。特に,休日が鬼門になる。
ぼくのダイエットは夕食対策だ。朝と昼には手をつけない。
夕食は豆腐しか食べないと決めている。納豆は追加してもいいことにしている。要は,夜は炭水化物は摂らないということ。
● ぼくは炭水化物で生きてきた人間だ。炊きたてご飯があれば,オカズはどうでもいいと思う男だ。
それが夜には炭水化物は摂れないとなると,朝と昼に喰っておけってことになる。
● で,今朝はうどんを茹でて喰った(昨日の朝は蕎麦だった)。おまけに,後から起きてきた相方が,私がご飯を炊いたのに何でうどんなんか食べてるの,と怒るものだから,ご飯も納豆で食べてしまった。
加えて昼だ。相方と「天香一」高根沢店に行った。台湾ラーメンと天津丼を喰った(息子が天津丼,天津ラーメンが好きだった。要するに,卵が好きだったのだろう)。天津丼の卵焼きなんか,湯葉のようだ。どうしたらこういうふうに焼けるのかね。何か仕組みがあるに違いないのだが。
これで690円だ。安い。旨い。言うことない。
● しかし,だ。朝にうどんとご飯を食べて,昼にラーメンと丼を食べれば,それだけで1日に必要なカロリーをかなり大きく上回って摂取しているように思われる。
さらなる問題はまだ昼だということだ。
● そして,夜。相方と宇都宮駅で待ち合わせて,近くの居酒屋に入ってしまった。相方は酒はまるで飲めないんだけど,時々,こういうところに行きたがる。カシスオレンジのようなものを頼むのだ。
が,まるでぼくのダイエットを挫折させようとしているかのようではないか。ダイエットした方がいいのは相方も同じなのだが。
● 結局,鮪の刺身と秋刀魚の塩焼きでハイボールを2杯飲んでしまった。あと,サラダ。
炭水化物は摂っていないというのが,ギリギリ,最後の砦だ。この砦は死守しているぞ。
きちんと記録することによってモチベーションが保たれるのだという意見があって,それはそのとおりだと思うんだけど,順調に痩せているかどうかぐらい体感を信用すればいいとも思っている。
● しかし,基本的に思わしくない。特に,休日が鬼門になる。
ぼくのダイエットは夕食対策だ。朝と昼には手をつけない。
夕食は豆腐しか食べないと決めている。納豆は追加してもいいことにしている。要は,夜は炭水化物は摂らないということ。
● ぼくは炭水化物で生きてきた人間だ。炊きたてご飯があれば,オカズはどうでもいいと思う男だ。
それが夜には炭水化物は摂れないとなると,朝と昼に喰っておけってことになる。
● で,今朝はうどんを茹でて喰った(昨日の朝は蕎麦だった)。おまけに,後から起きてきた相方が,私がご飯を炊いたのに何でうどんなんか食べてるの,と怒るものだから,ご飯も納豆で食べてしまった。
加えて昼だ。相方と「天香一」高根沢店に行った。台湾ラーメンと天津丼を喰った(息子が天津丼,天津ラーメンが好きだった。要するに,卵が好きだったのだろう)。天津丼の卵焼きなんか,湯葉のようだ。どうしたらこういうふうに焼けるのかね。何か仕組みがあるに違いないのだが。
これで690円だ。安い。旨い。言うことない。
● しかし,だ。朝にうどんとご飯を食べて,昼にラーメンと丼を食べれば,それだけで1日に必要なカロリーをかなり大きく上回って摂取しているように思われる。
さらなる問題はまだ昼だということだ。
● そして,夜。相方と宇都宮駅で待ち合わせて,近くの居酒屋に入ってしまった。相方は酒はまるで飲めないんだけど,時々,こういうところに行きたがる。カシスオレンジのようなものを頼むのだ。
が,まるでぼくのダイエットを挫折させようとしているかのようではないか。ダイエットした方がいいのは相方も同じなのだが。
● 結局,鮪の刺身と秋刀魚の塩焼きでハイボールを2杯飲んでしまった。あと,サラダ。
炭水化物は摂っていないというのが,ギリギリ,最後の砦だ。この砦は死守しているぞ。
2016.09.25 蕎麦 vs うどん
● 24日は朝から蕎麦。ところで,蕎麦ほど家庭が苦手にする料理はないだろう。
旨いものを食べることに情熱を抱いている人が,この世にはいるはずで,そういう人は蕎麦を打つところから始めるのかもしれない。蕎麦粉もを吟味して。が,蕎麦打ちは好事家のものになっている。
多くのご家庭ではスーパーで乾麺を買ってくるはずだ。ぼくも同じ。
● ツユにいたっては,さらに難しそうだ。カエシなんて言われたって何のことかわからない。正確にいうとカエシの意味はわかるけど,自分でやるのは難しそうだ。
で,これも市販のツユを使うことになる。2倍に薄めて使うやつ。よくできているとは思うんだけど,蕎麦屋のツユとはちょっと違う。
そこでどうするかといえば,ストレートつゆというのを買ってくる。これでだいぶ蕎麦屋の汁に近くなる。
● でも,蕎麦は基本,蕎麦屋で食べるべきものだね。蕎麦屋が昔からこれだけあるのも,蕎麦は家庭では手に負えない料理だからだ。
● 今朝(25日)は蕎麦ではなくてうどん。食の訴求点が高い人は,うどんも手打ちするんだろうけど,蕎麦に比べると,その数は少なくなる。
蕎麦打ちが好きで,自分が打った蕎麦を人に喰わせたがる迷惑な爺さんは時々いるけれど,うどんのそれは見かけたことがない。
● 理由は2つあると思う。
ひとつは,蕎麦打ちに比べて,うどん打ちは考える要素が少なくてつまらないと思われがちなこと。蕎麦だと,つなぎの割合はどのくらいにするか,どうしたらタマを切らさないで延ばせるか,まぁ,いろいろと考えることがある。
うどんはつまるところ,小麦粉を練って,あとは踏んだり叩いたりして,腰を入れるだけでしょ,と。
● もうひとつは,うどんの場合は市販の乾麺が充分に旨いことだ。「稲庭」なんか乾麺でしか手に入らないわけだし。
蕎麦の乾麺は疑似蕎麦でしかない。疑似では我慢できないという人が多くいても,不思議ではない。
旨いものを食べることに情熱を抱いている人が,この世にはいるはずで,そういう人は蕎麦を打つところから始めるのかもしれない。蕎麦粉もを吟味して。が,蕎麦打ちは好事家のものになっている。
多くのご家庭ではスーパーで乾麺を買ってくるはずだ。ぼくも同じ。
● ツユにいたっては,さらに難しそうだ。カエシなんて言われたって何のことかわからない。正確にいうとカエシの意味はわかるけど,自分でやるのは難しそうだ。
で,これも市販のツユを使うことになる。2倍に薄めて使うやつ。よくできているとは思うんだけど,蕎麦屋のツユとはちょっと違う。
そこでどうするかといえば,ストレートつゆというのを買ってくる。これでだいぶ蕎麦屋の汁に近くなる。
● でも,蕎麦は基本,蕎麦屋で食べるべきものだね。蕎麦屋が昔からこれだけあるのも,蕎麦は家庭では手に負えない料理だからだ。
● 今朝(25日)は蕎麦ではなくてうどん。食の訴求点が高い人は,うどんも手打ちするんだろうけど,蕎麦に比べると,その数は少なくなる。
蕎麦打ちが好きで,自分が打った蕎麦を人に喰わせたがる迷惑な爺さんは時々いるけれど,うどんのそれは見かけたことがない。
● 理由は2つあると思う。
ひとつは,蕎麦打ちに比べて,うどん打ちは考える要素が少なくてつまらないと思われがちなこと。蕎麦だと,つなぎの割合はどのくらいにするか,どうしたらタマを切らさないで延ばせるか,まぁ,いろいろと考えることがある。
うどんはつまるところ,小麦粉を練って,あとは踏んだり叩いたりして,腰を入れるだけでしょ,と。
● もうひとつは,うどんの場合は市販の乾麺が充分に旨いことだ。「稲庭」なんか乾麺でしか手に入らないわけだし。
蕎麦の乾麺は疑似蕎麦でしかない。疑似では我慢できないという人が多くいても,不思議ではない。
2016年9月23日金曜日
2016.09.23 ダイエット中の身なんだけど,飲んだ
● ダイエット中の身なんだけど,金曜日の夜,氏家駅前の「ワカゾー」に寄ってしまった。要は炭水化物を摂らなければいいのだ,と自分に言い聞かせてね。
一番安いワカゾーハイボールのダブルを注文。
● 問題は,この店のお通しがパンだっていうこと。しかも,それをオリーブオイルにつけて食べるのだ。しかし。このくらいの炭水化物なら問題あるまいと思うことにした。
次に頼んだのはポークステーキ。これが旨いのだ。
ただ,問題はガッツリとジャガイモが付いてくることだ。小学生のみぎり,ジャガイモから澱粉を取りだす実験(?)をしたことがあったなぁ。
しかし,ジャガイモは野菜なのだ。野菜は摂らねば。
● カキフライも注文した。当たり前なんだが,スーパーで売ってるのとは,モノが違う。大いに満足だ。
が,フライなんだから,パン粉とか油とか使っているんだよなぁ。しかし,これはカキにちょびっとくっついているに過ぎないものだから,今日もまたダイエットは継続中ということでよろしいか。
● ハイボールは3杯飲んだ。これはカロリーはないのだろう。あったとしても,酒のカロリーは溜まらないですぐに出ていくのだろう。
そうではないのかもしれないんだけれども,そういうことにしておきたい。
一番安いワカゾーハイボールのダブルを注文。
● 問題は,この店のお通しがパンだっていうこと。しかも,それをオリーブオイルにつけて食べるのだ。しかし。このくらいの炭水化物なら問題あるまいと思うことにした。
次に頼んだのはポークステーキ。これが旨いのだ。
ただ,問題はガッツリとジャガイモが付いてくることだ。小学生のみぎり,ジャガイモから澱粉を取りだす実験(?)をしたことがあったなぁ。
しかし,ジャガイモは野菜なのだ。野菜は摂らねば。
● カキフライも注文した。当たり前なんだが,スーパーで売ってるのとは,モノが違う。大いに満足だ。
が,フライなんだから,パン粉とか油とか使っているんだよなぁ。しかし,これはカキにちょびっとくっついているに過ぎないものだから,今日もまたダイエットは継続中ということでよろしいか。
● ハイボールは3杯飲んだ。これはカロリーはないのだろう。あったとしても,酒のカロリーは溜まらないですぐに出ていくのだろう。
そうではないのかもしれないんだけれども,そういうことにしておきたい。
2016年9月22日木曜日
2016.09.22 豆腐ダイエットを継続するにあたっての最重要事項
● 18日に内外に向かってダイエット宣言を発した(?)わけですが。
豆腐ダイエットを継続するにあたって,最も重要だと思えること。それは,いい豆腐を選べってことだ。
スーパーに行って,何も考えずに一番安い豆腐を買ってくるのはよろしくない。安いものはたいてい不味いからで,高い豆腐は豆腐として旨い。
● 調理して食べるならともかく,そのまま食べる場合は,旨いものじゃないと続かない。何と言っても,毎日,食べ続けるものなのだから。しかも,それしか食べないわけだから。
その場合の「それ」に関しては,多少の贅沢は許されてしかるべきでは?
● そのうえで,食べ方に工夫をこらすことだろうね。一番簡単なのはそのまま食べることなので,きざみネギや花カツオを載せて,醤油をかけてってなりがちなんだけど。
基本,それでいいと思うんですけどね。たまには,湯豆腐にしてみたり,水だししてコンビニやスーパーで売っている瓶詰めの茸をどっさりかけてレンジでチン,というのもありかもしれない。
後者の瓶詰め茸を載せてレンジでチンっていうのは,昔,同じ職場にいた女性に教えてもらったんだけど。
● まず,いいものを使うこと。次に,飽きない工夫をすること。平凡だけど,それが結論。
豆腐ダイエットを継続するにあたって,最も重要だと思えること。それは,いい豆腐を選べってことだ。
スーパーに行って,何も考えずに一番安い豆腐を買ってくるのはよろしくない。安いものはたいてい不味いからで,高い豆腐は豆腐として旨い。
● 調理して食べるならともかく,そのまま食べる場合は,旨いものじゃないと続かない。何と言っても,毎日,食べ続けるものなのだから。しかも,それしか食べないわけだから。
その場合の「それ」に関しては,多少の贅沢は許されてしかるべきでは?
● そのうえで,食べ方に工夫をこらすことだろうね。一番簡単なのはそのまま食べることなので,きざみネギや花カツオを載せて,醤油をかけてってなりがちなんだけど。
基本,それでいいと思うんですけどね。たまには,湯豆腐にしてみたり,水だししてコンビニやスーパーで売っている瓶詰めの茸をどっさりかけてレンジでチン,というのもありかもしれない。
後者の瓶詰め茸を載せてレンジでチンっていうのは,昔,同じ職場にいた女性に教えてもらったんだけど。
● まず,いいものを使うこと。次に,飽きない工夫をすること。平凡だけど,それが結論。
2016年9月20日火曜日
2016.09.20 美はその持ち主の幸せを保証しない
● 左の記事は今日(9月20日)の下野新聞。すごい競争と確率をくぐり抜けたものだ。
この子は女性の中のある種のエリートに違いない。彼女のルックスは,東大に受かる程度の勉強頭よりは,はるかに大きな価値を持っているだろう。
● だが,しかし。美はその持ち主の幸せを保証しない。むしろ,逆の場合がしばしばある。
「娘は器量が良いというだけで,幸せの半分を手にしている」(さだまさし)というのは,嘘だ。良すぎるのは危うい。しばしば,持ち主の足を掬う。
● 最近,小学生が列を作って当校しているのを見ると,涙が出そうになることがある。この子たちはこれから大人になるまでに,どれだけの苦労を味わうことになるのだろう。
大人になってからも苦労の連続ではあるけれども,大人になるまでの苦労は格別だ。
● この子たちの人生は,その苦労を耐えるに値するものなのだろうか。いや,自分の人生はどうだったろう。自分の子どもの人生はどうだったのだろう。
● 平凡な人生を歩む多くの子どもたちでもそうなのだ。この記事の女の子のこれからは,そんなものではすまないだろう。まだ12歳で世間の荒波に翻弄されるのか。
幸あれ。神の光が彼女のうえに注がれんことを。
この子は女性の中のある種のエリートに違いない。彼女のルックスは,東大に受かる程度の勉強頭よりは,はるかに大きな価値を持っているだろう。
● だが,しかし。美はその持ち主の幸せを保証しない。むしろ,逆の場合がしばしばある。
「娘は器量が良いというだけで,幸せの半分を手にしている」(さだまさし)というのは,嘘だ。良すぎるのは危うい。しばしば,持ち主の足を掬う。
● 最近,小学生が列を作って当校しているのを見ると,涙が出そうになることがある。この子たちはこれから大人になるまでに,どれだけの苦労を味わうことになるのだろう。
大人になってからも苦労の連続ではあるけれども,大人になるまでの苦労は格別だ。
● この子たちの人生は,その苦労を耐えるに値するものなのだろうか。いや,自分の人生はどうだったろう。自分の子どもの人生はどうだったのだろう。
● 平凡な人生を歩む多くの子どもたちでもそうなのだ。この記事の女の子のこれからは,そんなものではすまないだろう。まだ12歳で世間の荒波に翻弄されるのか。
幸あれ。神の光が彼女のうえに注がれんことを。
2016.09.19 「宇都宮スパ屋」で昼からワインを飲んでしまった
● 昼食は「宇都宮スパ屋」。1,680円のセット。
もうすっかりお馴染みで,まずサラダが出てくる。サラダといっても,野菜だけではなくてけっこう腹にたまる卵を練りこんだ菓子っぽいのも入っている。
● ドリンクが選べる。で,以前はコーヒーとか紅茶とか,選択肢はノンアルコール飲料だけだったのが,いつからかビールとワインが加わった。
で,ぼくは白ワインを所望。そのサラダを肴に白ワインを飲んだ。
1杯だけではややもの足りなかったので,330円を追加して限界グラスワインをお代わりした。ワイングラスのギリギリてっぺんまで入っている。
● パスタはウニが載ったカルボナーラにした。ま,相方が一緒なわけですよ。パスタは選べる選択肢の中からできるだけ高いのを選ぼうとするわけですよ。となると,ウニが載ってたり,牛肉のワイン煮が載ってたりするのになってしまうわけですよ。
でも,パスタとかピッツァって,安めのものに旨いものが多いでしょ。で,ぼくなんか,この店のウリでもあるらしい「宇都宮で一番濃厚なミートソース」に惹かれているんですよ。
● だけど,これ値段も単品で990円と一番安くて,セットでこれを選ぶのは相方が許してくれない。もったいないじゃないの,ってね。だから,まだ一度も食べたことがない。
怖れながら申しあげれば,数百円の違いに惑わされて,食べたいものを食べないでいるのはもっともったいないな。次は,誰が何と言おうと「宇都宮で一番濃厚なミートソース」にしてみよう。たぶん,一度食べれば気がすむんだとは思うんだけどね。
● 最後にデザートが出てきて,おしまい。これでこの値段なら,サイゼリヤより実質的に安い。
● いつか,夜行って,ここで宴会をやりたいものだな。宴会っていうか,飲むのをメインにした席を設けたい。一人で行ったのでは店側に迷惑だろうから,できれば数人で。ま,二人でもいいだろう。
そのときは,「豚バラ肉の香草ロースト」と「生ハム爆盛り」ははずせないな。このふたつでビールを飲んでもいいし,赤じゃなくて白いワインを重ねたいものだ。
もうすっかりお馴染みで,まずサラダが出てくる。サラダといっても,野菜だけではなくてけっこう腹にたまる卵を練りこんだ菓子っぽいのも入っている。
● ドリンクが選べる。で,以前はコーヒーとか紅茶とか,選択肢はノンアルコール飲料だけだったのが,いつからかビールとワインが加わった。
で,ぼくは白ワインを所望。そのサラダを肴に白ワインを飲んだ。
1杯だけではややもの足りなかったので,330円を追加して限界グラスワインをお代わりした。ワイングラスのギリギリてっぺんまで入っている。
● パスタはウニが載ったカルボナーラにした。ま,相方が一緒なわけですよ。パスタは選べる選択肢の中からできるだけ高いのを選ぼうとするわけですよ。となると,ウニが載ってたり,牛肉のワイン煮が載ってたりするのになってしまうわけですよ。
でも,パスタとかピッツァって,安めのものに旨いものが多いでしょ。で,ぼくなんか,この店のウリでもあるらしい「宇都宮で一番濃厚なミートソース」に惹かれているんですよ。
● だけど,これ値段も単品で990円と一番安くて,セットでこれを選ぶのは相方が許してくれない。もったいないじゃないの,ってね。だから,まだ一度も食べたことがない。
怖れながら申しあげれば,数百円の違いに惑わされて,食べたいものを食べないでいるのはもっともったいないな。次は,誰が何と言おうと「宇都宮で一番濃厚なミートソース」にしてみよう。たぶん,一度食べれば気がすむんだとは思うんだけどね。
● 最後にデザートが出てきて,おしまい。これでこの値段なら,サイゼリヤより実質的に安い。
● いつか,夜行って,ここで宴会をやりたいものだな。宴会っていうか,飲むのをメインにした席を設けたい。一人で行ったのでは店側に迷惑だろうから,できれば数人で。ま,二人でもいいだろう。
そのときは,「豚バラ肉の香草ロースト」と「生ハム爆盛り」ははずせないな。このふたつでビールを飲んでもいいし,赤じゃなくて白いワインを重ねたいものだ。
2016年9月18日日曜日
2016.09.18 ダイエット宣言
● ダメだ,ダメだ。痩せないとダメだ。こんな身体で外を出歩くことじたい,マイナスの景観を世間に増やすことになる。洋梨にマッチ棒を2本刺したような体型を何とかせねば。
ゆえに,夕食は豆腐しか食べないことにした。豆腐に納豆を載せて喰う。大好きな炊きたてご飯を封印する。
● ダイエットを実行できれば,痩せることによって,この世から景観を乱す見栄えの悪いものを一つ抹殺することができる。公共の福祉の増進に寄与できる。
● それだけじゃない。夕食に納豆がけ豆腐しか食べないということはつまり,可処分時間が増えることでもある。
なぜかといえば,酒を飲まなくなる(だろう)からだ。帰宅後(あるいは帰宅前から)飲んでしまうから,何もできないまま寝ることになる。日々,その繰り返し。
そんなことでいいわけがない。生活の立て直しが(遅すぎるかもしれないけれど)必要だ。ダイエットはつまり生活再建でもある。
● でもなぜ,ダイエットなんてのを急に思いついたのか。じつは急でもなくて,自転車通勤も痩せるための最後の手段だと思って始めたものなんですよ。
しかし,最後の手段なのに,どうも結果がでない。万事休すか。
● 万事休したのでは,次のような問題が残る。
鏡に自分の体型を映すと,われながらウンザリするんだよね。この体型では何を着たって似合わない。隣に女性がいたとして。その女性に申しわけないこと夥しい。20年にわたって夫婦をやってきた相方に対しても同じだ。
自分が要介護者になるのはそう遠い将来ではない。介護する側に立てば,無用に重いのは迷惑千万でしかない。ぎっくり腰になる可能性も高まる。
いかん,いかん。何とかせねば。
● 18歳のときからずっと朝食抜きを続けてきた。それが,今年の夏から朝も食べるようになった。それで昼と夜に食べるものが減ったわけではない。
ので,朝食べる分だけ,デブ化に加速度が付いた。朝の分を夜から引く,いやそれ以上に引く,という一手を指してみよう。
● そこで,自転車通勤に食の節制を加えてみることにした。というわけで,ダイエット宣言。
ただし,ダイエットの対象は夕食のみ。朝と昼には手をつけない。
● 何が悲しくてここまで太るのか。節制というものが嫌いだからだよ。わかってるんだよ,そんなことは。
問題は節制なるものは,食に関するものだけではないってこと。装いも基本は節制で成り立っている。節制というかやせ我慢。
仕事だって節制だよね。これが基本にないと,仕事が雑になったり,遅くなったりするのじゃないか。
人間関係なんて節制なくして成り立たないものだ。ときどき,まったく節制しないで人に接するヤツがいて,殺したくなるけどね。
● したがって,節制しないでいると,デブるだけではない。洋服はユルユルのものしか着なくなるし(何を着たって似合わないんだし),生活そのものがブヨブヨしてくる。
デブの男を見ると,こいつ男やめたのかよ,と思う。女なら尚更だ。男をやめた男や女をやめた女など,この世に生息していてはいけないではないか。
● で,1日目の結果。今夜から豆腐ダイエット開始するんだから,まず豆腐が必要。
その豆腐を買うために近くのスーパーに行ったら,馬刺しが半額になっていた。ので,たまらず馬刺しも買ってしまった。
その馬刺しを処分するために薄めの酎ハイを作って飲んでしまったよ。納豆がけ豆腐も酎ハイの肴にして食べた。あとヒジキ煮。
まずまずの出だしと言っていいでしょう。いいんですよ,炭水化物を摂っていないんだから。
ゆえに,夕食は豆腐しか食べないことにした。豆腐に納豆を載せて喰う。大好きな炊きたてご飯を封印する。
● ダイエットを実行できれば,痩せることによって,この世から景観を乱す見栄えの悪いものを一つ抹殺することができる。公共の福祉の増進に寄与できる。
● それだけじゃない。夕食に納豆がけ豆腐しか食べないということはつまり,可処分時間が増えることでもある。
なぜかといえば,酒を飲まなくなる(だろう)からだ。帰宅後(あるいは帰宅前から)飲んでしまうから,何もできないまま寝ることになる。日々,その繰り返し。
そんなことでいいわけがない。生活の立て直しが(遅すぎるかもしれないけれど)必要だ。ダイエットはつまり生活再建でもある。
● でもなぜ,ダイエットなんてのを急に思いついたのか。じつは急でもなくて,自転車通勤も痩せるための最後の手段だと思って始めたものなんですよ。
しかし,最後の手段なのに,どうも結果がでない。万事休すか。
● 万事休したのでは,次のような問題が残る。
鏡に自分の体型を映すと,われながらウンザリするんだよね。この体型では何を着たって似合わない。隣に女性がいたとして。その女性に申しわけないこと夥しい。20年にわたって夫婦をやってきた相方に対しても同じだ。
自分が要介護者になるのはそう遠い将来ではない。介護する側に立てば,無用に重いのは迷惑千万でしかない。ぎっくり腰になる可能性も高まる。
いかん,いかん。何とかせねば。
● 18歳のときからずっと朝食抜きを続けてきた。それが,今年の夏から朝も食べるようになった。それで昼と夜に食べるものが減ったわけではない。
ので,朝食べる分だけ,デブ化に加速度が付いた。朝の分を夜から引く,いやそれ以上に引く,という一手を指してみよう。
● そこで,自転車通勤に食の節制を加えてみることにした。というわけで,ダイエット宣言。
ただし,ダイエットの対象は夕食のみ。朝と昼には手をつけない。
● 何が悲しくてここまで太るのか。節制というものが嫌いだからだよ。わかってるんだよ,そんなことは。
問題は節制なるものは,食に関するものだけではないってこと。装いも基本は節制で成り立っている。節制というかやせ我慢。
仕事だって節制だよね。これが基本にないと,仕事が雑になったり,遅くなったりするのじゃないか。
人間関係なんて節制なくして成り立たないものだ。ときどき,まったく節制しないで人に接するヤツがいて,殺したくなるけどね。
● したがって,節制しないでいると,デブるだけではない。洋服はユルユルのものしか着なくなるし(何を着たって似合わないんだし),生活そのものがブヨブヨしてくる。
デブの男を見ると,こいつ男やめたのかよ,と思う。女なら尚更だ。男をやめた男や女をやめた女など,この世に生息していてはいけないではないか。
● で,1日目の結果。今夜から豆腐ダイエット開始するんだから,まず豆腐が必要。
その豆腐を買うために近くのスーパーに行ったら,馬刺しが半額になっていた。ので,たまらず馬刺しも買ってしまった。
その馬刺しを処分するために薄めの酎ハイを作って飲んでしまったよ。納豆がけ豆腐も酎ハイの肴にして食べた。あとヒジキ煮。
まずまずの出だしと言っていいでしょう。いいんですよ,炭水化物を摂っていないんだから。
2016年9月16日金曜日
2016.09.16 “テレビを見ない”をやめようか
● テレビを見ないという一手を自分の生活に入れてみるかと思って,まったくテレビを見ないことにして2年半。
じつは,最近,その禁を破っている。SMAPの解散が報道されてから,フジテレビの「SMAP×SMAP」は時々見るようにしたので。今週の草彅スペシャルも見た。
● テレビを見ないとその時間が浮いて,他の何かに使えるかというと,なかなか理屈どおりにはいかない。テレビはたしかに見なくなったけど,それ以外の何かに費やす時間ができたという実感はほぼない。
ただ,ひじょうにスッキリとはした。雑音が入ってこなくなったっていうかね。
● たとえばニュースなんてのは,テレビのニュース番組を見なくても,ネットでほぼわかる。それで支障はない。もっというと,ニュースなんて知らなくたって,じつは何も困らない。
ドラマなんかもそうだな。まったく見なくなったけれども,職場の話題に付いていけなくて困るなんてことはない。そもそも,テレビドラマの話をする人がいない。
● 一方,「踊るさんま御殿」さえ見ていれば,世相にはついていける。そういう安心感を与えてくれるバラエティー番組もある。
すでになくなってしまったが,「恋のから騒ぎ」もそうだったな。明石家さんまの番組にはそういう番組が多い印象。
● 定着してしまった“テレビを見ない”を壊してみようか。「TVガイド」を買って,今の番組を確認して,どれを見るか検討してみようかな,と。
じつは,最近,その禁を破っている。SMAPの解散が報道されてから,フジテレビの「SMAP×SMAP」は時々見るようにしたので。今週の草彅スペシャルも見た。
● テレビを見ないとその時間が浮いて,他の何かに使えるかというと,なかなか理屈どおりにはいかない。テレビはたしかに見なくなったけど,それ以外の何かに費やす時間ができたという実感はほぼない。
ただ,ひじょうにスッキリとはした。雑音が入ってこなくなったっていうかね。
● たとえばニュースなんてのは,テレビのニュース番組を見なくても,ネットでほぼわかる。それで支障はない。もっというと,ニュースなんて知らなくたって,じつは何も困らない。
ドラマなんかもそうだな。まったく見なくなったけれども,職場の話題に付いていけなくて困るなんてことはない。そもそも,テレビドラマの話をする人がいない。
● 一方,「踊るさんま御殿」さえ見ていれば,世相にはついていける。そういう安心感を与えてくれるバラエティー番組もある。
すでになくなってしまったが,「恋のから騒ぎ」もそうだったな。明石家さんまの番組にはそういう番組が多い印象。
● 定着してしまった“テレビを見ない”を壊してみようか。「TVガイド」を買って,今の番組を確認して,どれを見るか検討してみようかな,と。
2016.09.15 「いい女」は年齢じゃない,職業でもない
● さくら市にある某店で“まぜそば”を食べた。もう何度も食べているので,お馴染みの味だ。
● でね,この店のとある女性スタッフ。40代の後半かと思われるお年頃だ。
彼女の接客が気持ちいい。いつもかすかな笑みを浮かべているように見える。お客への言葉を惜しむことがない。他のスタッフの動きもよく見ているようだ。
マニュアルしたがってそうしているわけではないだろう。彼女個人の資質によるものだ。
● きれいめの田舎の女将さんという感じ。けれど,この人が持っている素材(外見的にも,性格というか適性的にも)は相当なもので,少し磨けば今からでも銀座のクラブで働けるのではないかと思える。
● ここまでの人がこういう店で働いているのは,何か事情があってのことだろう。
女性の場合の事情は自ずと限られてくると思うのだが,そうした女性の中に“いい女”がいる確率が高い。
彼女をめあてにこの店に通う男性客がいても不思議はない。
● でね,この店のとある女性スタッフ。40代の後半かと思われるお年頃だ。
彼女の接客が気持ちいい。いつもかすかな笑みを浮かべているように見える。お客への言葉を惜しむことがない。他のスタッフの動きもよく見ているようだ。
マニュアルしたがってそうしているわけではないだろう。彼女個人の資質によるものだ。
● きれいめの田舎の女将さんという感じ。けれど,この人が持っている素材(外見的にも,性格というか適性的にも)は相当なもので,少し磨けば今からでも銀座のクラブで働けるのではないかと思える。
● ここまでの人がこういう店で働いているのは,何か事情があってのことだろう。
女性の場合の事情は自ずと限られてくると思うのだが,そうした女性の中に“いい女”がいる確率が高い。
彼女をめあてにこの店に通う男性客がいても不思議はない。
2016年9月15日木曜日
2016.09.14 東京は面白い
● 相方は年末年始もインターコンチネンタル東京ベイに泊まるつもりでいるようだ。ネットで出物(宿泊プラン)をチェックして,予約を入れようかどうしようかと思案中だ。
この日は休めない?と訊いてくる。今訊かれてもなぁ。
● 前にもここに書いたことがあるんだけど,交通費をかけて海外や北海道・沖縄に行くくらいだったら,その分,東京で贅沢したいと思う。
東京は刺激に満ちているし,治安も含めて都市としてはありえないほどに安全だし,適度に猥雑だし,今のところはISによるテロ行為も起きていない。
● 昔,東京砂漠という言葉があった。地方から東京に出てくると,隣は何をする人ぞ,近隣関係など存在しないがごとくだし,なかなか友だちもできないし,“人ごみ”(人はゴミなのか)を眺めて都市のザラザラした孤独を感じる,ということだったろうか。
この言葉を創造したのは誰かは知らないけれど,その独創性にはシャッポを脱ぐ。
● ただ,実際には,田舎のジメジメした相互監視の人間関係から自由になれるんだから,東京砂漠の方がよっぽど居心地がいい。
田舎人が都市暮らしに慣れるのは簡単だけど,都市の暮らしに慣れた人が田舎で暮らすのは不可能だとぼくは思う。田舎生まれの人が東京の大学に入学して,そのまま東京で働き,定年を機に田舎に戻って暮らすというのが,ギリギリのところではあるまいか。それだって厳しいかもしれない。
● だから人間は都市が好きだ。北海道のように土地なんかいくらでもありそうなところでも,人は都市を作って住む。
オーストラリアなんてもっとだな。あんな広いところにあんなに少ない人しかいないのに,シドニーやメルボルンのような都市が自然にできる。
● いいことだと思う。都市の方が圧倒的に省資源型になる。田舎にパラパラと人が住んでいるという状態は,それ自体が自然破壊だ。
ぼくらは自然を破壊せずには暮らせないわけだけれども,破壊するのを最小限にとどめようとすれば,都市を作ってそこに住むのがいい。
その代表が東京で,だから東京は色々と面白いし,フラフラと歩いていると気分がいい。
● 東京が近くにあるのに,どうしてそれ以外のところに行かなければならないのか。せっかく東京に近いところに住んでいるんだから,東京に行けばいいではないか。
ということを相方にも言っているので,それを汲んでくれているのかもしれない。
● ともかく,相方の提案は,それにピッタリ添うもので,基本的に否はない。ぼくとしては東京を楽しむ努力をしなければならないなと思う。
すでに行ったことのあるところに何度も行くだけじゃなくて,まだ行ったことがないところも無数にあるわけだから,そういうところを一つずつ潰していくとか。
あらためてガイドブックも読んでみるか。
● もうひとつの反省点は,せっかく東京に行きながら,宇都宮でもできることしかやっていないってことだ。
が,東京でやりたいことのたいていのことは宇都宮でもできるということでもあるな。となると,わざわざ東京になんて行かんでもええやないかい,ってことになるなぁ。
この日は休めない?と訊いてくる。今訊かれてもなぁ。
● 前にもここに書いたことがあるんだけど,交通費をかけて海外や北海道・沖縄に行くくらいだったら,その分,東京で贅沢したいと思う。
東京は刺激に満ちているし,治安も含めて都市としてはありえないほどに安全だし,適度に猥雑だし,今のところはISによるテロ行為も起きていない。
● 昔,東京砂漠という言葉があった。地方から東京に出てくると,隣は何をする人ぞ,近隣関係など存在しないがごとくだし,なかなか友だちもできないし,“人ごみ”(人はゴミなのか)を眺めて都市のザラザラした孤独を感じる,ということだったろうか。
この言葉を創造したのは誰かは知らないけれど,その独創性にはシャッポを脱ぐ。
● ただ,実際には,田舎のジメジメした相互監視の人間関係から自由になれるんだから,東京砂漠の方がよっぽど居心地がいい。
田舎人が都市暮らしに慣れるのは簡単だけど,都市の暮らしに慣れた人が田舎で暮らすのは不可能だとぼくは思う。田舎生まれの人が東京の大学に入学して,そのまま東京で働き,定年を機に田舎に戻って暮らすというのが,ギリギリのところではあるまいか。それだって厳しいかもしれない。
● だから人間は都市が好きだ。北海道のように土地なんかいくらでもありそうなところでも,人は都市を作って住む。
オーストラリアなんてもっとだな。あんな広いところにあんなに少ない人しかいないのに,シドニーやメルボルンのような都市が自然にできる。
● いいことだと思う。都市の方が圧倒的に省資源型になる。田舎にパラパラと人が住んでいるという状態は,それ自体が自然破壊だ。
ぼくらは自然を破壊せずには暮らせないわけだけれども,破壊するのを最小限にとどめようとすれば,都市を作ってそこに住むのがいい。
その代表が東京で,だから東京は色々と面白いし,フラフラと歩いていると気分がいい。
● 東京が近くにあるのに,どうしてそれ以外のところに行かなければならないのか。せっかく東京に近いところに住んでいるんだから,東京に行けばいいではないか。
ということを相方にも言っているので,それを汲んでくれているのかもしれない。
● ともかく,相方の提案は,それにピッタリ添うもので,基本的に否はない。ぼくとしては東京を楽しむ努力をしなければならないなと思う。
すでに行ったことのあるところに何度も行くだけじゃなくて,まだ行ったことがないところも無数にあるわけだから,そういうところを一つずつ潰していくとか。
あらためてガイドブックも読んでみるか。
● もうひとつの反省点は,せっかく東京に行きながら,宇都宮でもできることしかやっていないってことだ。
が,東京でやりたいことのたいていのことは宇都宮でもできるということでもあるな。となると,わざわざ東京になんて行かんでもええやないかい,ってことになるなぁ。
2016.09.14 ぼくらは銀行に口座維持管理手数料を払っている
● マイナス金利は日銀と金融機関の間の話であって,金融機関と預金者の間で適用されるものではない。金利がゼロになって,口座維持手数料なんてのを払わなければいけなくなったら,それは実質的なマイナス金利だけれども,たぶん,そういうことにはならないだろう。
● ただし。現在の利息は定期預金の場合,1万円を1年間預けて1円。普通預金だったら10万円を1年間預けて1円だ。事実上のゼロ金利だとはいえる。
加えて,平日の18時以後や土曜日にATMを利用すると,108円の手数料が取られる。日曜日の夜に引きだそうものなら216円も取られる。
● 平日の夜や休日にATMを使わずにすませられる用意周到な人ばかりではないはずだ。従来の感覚だと,自分の預金を引きだすのに108円を払わなければいけないのも納得しかねるけれど,年に数回,それをやっているとすれば,それは口座維持手数料を払っているのと同じことじゃないか。
つまり,金融機関と預金者の間にも,実質的にマイナス金利が適用されていると言えないか。
● 昔は,銀行員が預金勧誘に熱心だった。ボーナスの時期になると仕事場にまで勧誘に来ていた。ので,預金者も“預けてやる”的な感覚だったと思う。それに対して,銀行では数パーセントの金利を付けて預金者に報いた。
が,今は預金の勧誘などまったくやらなくなったのではないか。銀行としては預金してもらっても嬉しくないのかもしれない。借り手がいないのだろうから(だから金利が安くなっているのだろう)。
10億円を預金してもらうより,投資信託を買ってもらった方がよほどありがたいに違いない。嫌々ながら預かってやっているというのが,今の状況ではあるまいか。
● 口座維持手数料を払うのを避けたいと思うなら,たとえば新生銀行を利用するといいよね。セブン銀行のATMがいつでも使えて,しかもいつ使っても手数料はかからない。おそらく,多くの人がそうしていると思うんだけど。
ぼくは足利銀行と新生銀行の両刀使い。新生銀行をメインバンク(?)にする必要はない。財布がわりに使う感覚でいいと思う。
● とはいえ,株式投資もやっている人ならば,新生銀行(楽天銀行などでもいいけれど)をハブにするのが便利かもね。
● ただし。現在の利息は定期預金の場合,1万円を1年間預けて1円。普通預金だったら10万円を1年間預けて1円だ。事実上のゼロ金利だとはいえる。
加えて,平日の18時以後や土曜日にATMを利用すると,108円の手数料が取られる。日曜日の夜に引きだそうものなら216円も取られる。
● 平日の夜や休日にATMを使わずにすませられる用意周到な人ばかりではないはずだ。従来の感覚だと,自分の預金を引きだすのに108円を払わなければいけないのも納得しかねるけれど,年に数回,それをやっているとすれば,それは口座維持手数料を払っているのと同じことじゃないか。
つまり,金融機関と預金者の間にも,実質的にマイナス金利が適用されていると言えないか。
● 昔は,銀行員が預金勧誘に熱心だった。ボーナスの時期になると仕事場にまで勧誘に来ていた。ので,預金者も“預けてやる”的な感覚だったと思う。それに対して,銀行では数パーセントの金利を付けて預金者に報いた。
が,今は預金の勧誘などまったくやらなくなったのではないか。銀行としては預金してもらっても嬉しくないのかもしれない。借り手がいないのだろうから(だから金利が安くなっているのだろう)。
10億円を預金してもらうより,投資信託を買ってもらった方がよほどありがたいに違いない。嫌々ながら預かってやっているというのが,今の状況ではあるまいか。
● 口座維持手数料を払うのを避けたいと思うなら,たとえば新生銀行を利用するといいよね。セブン銀行のATMがいつでも使えて,しかもいつ使っても手数料はかからない。おそらく,多くの人がそうしていると思うんだけど。
ぼくは足利銀行と新生銀行の両刀使い。新生銀行をメインバンク(?)にする必要はない。財布がわりに使う感覚でいいと思う。
● とはいえ,株式投資もやっている人ならば,新生銀行(楽天銀行などでもいいけれど)をハブにするのが便利かもね。
2016年9月11日日曜日
2016.09.11 高根沢名物,焼きちゃんぽん
● 宝積寺駅東口のちょっ蔵広場で縁日。商工会か何かの催しだろうか。高根沢町内のいくつかの飲食店が支店(?)を出していた。
その中に「割烹あづま」さんもいて,焼きちゃんぽんを作って,パックに詰めて販売していた。
● ので,ひとつ購入。450円。焼きちゃんぽんって,名前のとおり,ちゃんぽんの焼きそば版。っていうか,汁なしちゃんぽん。高根沢高校の生徒さんが発案し,町がバックアップ。
かつては,町内3つの店で取り扱っていた。その中のひとつ,「ちょっ蔵食堂」で一度食べたことがある。
一度食べたきりで二度目がない。このあたりが正直な回答になるんだろうな。焼きちゃんぽんに対して自分はどう感じたかっていう。
● で,今日は「あづま」さんの焼きちゃんぽんを食べてみたよ,と。このあたりは完全に好みの問題になると思うんだけど,ぼくは「あづま」さんに1票かな。
焼きちゃんぽんのレシピって,ゆるやかには決まっているんだろうか。どの店のも色は緑。その中で何をどれだけ使うかということなんだろうかねぇ。小松菜のペーストを使ってたりするようなのだけど。
● 取扱店は今では3つだけじゃなくて,もっと増えているらしい。が,焼きちゃんぽんを広めようと本気で思うなら,もう少し値段を下げないといけないと思う。
「ちょっ蔵食堂」では780円だったか。「あづま」さんでも店で食べると,800円程度なのではないか。今どき,ラーメンだってそのくらいはするではないかと言ったって,この値段ではなかなか厳しいだろう。
● かなり手間がかかっている商品なのはわかるんだけど,さらに工夫を加える必要があるのじゃないか。
もしそれが難しいというなら,あまり引っぱらない方がいいと思うがな。
その中に「割烹あづま」さんもいて,焼きちゃんぽんを作って,パックに詰めて販売していた。
● ので,ひとつ購入。450円。焼きちゃんぽんって,名前のとおり,ちゃんぽんの焼きそば版。っていうか,汁なしちゃんぽん。高根沢高校の生徒さんが発案し,町がバックアップ。
かつては,町内3つの店で取り扱っていた。その中のひとつ,「ちょっ蔵食堂」で一度食べたことがある。
一度食べたきりで二度目がない。このあたりが正直な回答になるんだろうな。焼きちゃんぽんに対して自分はどう感じたかっていう。
● で,今日は「あづま」さんの焼きちゃんぽんを食べてみたよ,と。このあたりは完全に好みの問題になると思うんだけど,ぼくは「あづま」さんに1票かな。
焼きちゃんぽんのレシピって,ゆるやかには決まっているんだろうか。どの店のも色は緑。その中で何をどれだけ使うかということなんだろうかねぇ。小松菜のペーストを使ってたりするようなのだけど。
● 取扱店は今では3つだけじゃなくて,もっと増えているらしい。が,焼きちゃんぽんを広めようと本気で思うなら,もう少し値段を下げないといけないと思う。
「ちょっ蔵食堂」では780円だったか。「あづま」さんでも店で食べると,800円程度なのではないか。今どき,ラーメンだってそのくらいはするではないかと言ったって,この値段ではなかなか厳しいだろう。
● かなり手間がかかっている商品なのはわかるんだけど,さらに工夫を加える必要があるのじゃないか。
もしそれが難しいというなら,あまり引っぱらない方がいいと思うがな。
2016年9月10日土曜日
2016.09.10 夕食はリンガーハット
● 昼食は「ふく田」で食べたんだけど,夕食はリンガーハットになった。宇都宮はベルモールに入っているリンガーハット。
リンガーハットの初体験はジョイフル本田にある店だった。二度目は有楽町のガード下。三度目は武蔵小金井駅近くの店。今度が四回目。
● 三度目のときは皿うどんを食べたんだけど,リンガーハットにはだいぶ失礼なことを書いてしまった。ブロイラーになった気分だなんてね。皿うどんに対しても失礼だな。
四回目になる今日は,ちゃんぽんにしたんだけど,問題なく普通に旨かった。高級レストランだろうとファストフード店だろうと,そこでの食事の印象を決める要因の多くは,店側ではなく,こちら側にあるようなのだった。
体調だったり,気分だったり,食事に費やせる時間の多寡だったり,一人かそれとも誰かと一緒か,といった諸々の事情によるところが大きいのだね。
● ベルモールのリンガーハットはフードコートに入っている店のひとつ。息子が小さかった頃は,このフードコートのマックには何度か行った。マックにまだ勢いがあった頃だ。
今のマックはどん底は脱した気配があるんだけれど,まだまだ往年の勢いには遠い。しかし,ここのマックはよく売れているようだ。
ベルモールの集客力のおかげだろうな。その分,出店料もだいぶ取られるんだろうけど,ベルモールのフードコートなら店を出したいというところは多いに違いない。
● いつもかなりのお客さんがいるもんね。でも,人気のある店,ない店がクッキリしているようだ。
“キッチン○え○ろ”が比較的閑散としているようだ。蕎麦,丼もの,カレー,納豆定食と間口が広いのが難なのだろうな。フードコートなのだから,それぞれが違った分野の専門店であることが,客にとっては望ましい。
と思ったんだけど,そんなことは百も承知,二百も合点だろう。損益分岐点は越えているのだろうな。
リンガーハットの初体験はジョイフル本田にある店だった。二度目は有楽町のガード下。三度目は武蔵小金井駅近くの店。今度が四回目。
● 三度目のときは皿うどんを食べたんだけど,リンガーハットにはだいぶ失礼なことを書いてしまった。ブロイラーになった気分だなんてね。皿うどんに対しても失礼だな。
四回目になる今日は,ちゃんぽんにしたんだけど,問題なく普通に旨かった。高級レストランだろうとファストフード店だろうと,そこでの食事の印象を決める要因の多くは,店側ではなく,こちら側にあるようなのだった。
体調だったり,気分だったり,食事に費やせる時間の多寡だったり,一人かそれとも誰かと一緒か,といった諸々の事情によるところが大きいのだね。
● ベルモールのリンガーハットはフードコートに入っている店のひとつ。息子が小さかった頃は,このフードコートのマックには何度か行った。マックにまだ勢いがあった頃だ。
今のマックはどん底は脱した気配があるんだけれど,まだまだ往年の勢いには遠い。しかし,ここのマックはよく売れているようだ。
ベルモールの集客力のおかげだろうな。その分,出店料もだいぶ取られるんだろうけど,ベルモールのフードコートなら店を出したいというところは多いに違いない。
● いつもかなりのお客さんがいるもんね。でも,人気のある店,ない店がクッキリしているようだ。
“キッチン○え○ろ”が比較的閑散としているようだ。蕎麦,丼もの,カレー,納豆定食と間口が広いのが難なのだろうな。フードコートなのだから,それぞれが違った分野の専門店であることが,客にとっては望ましい。
と思ったんだけど,そんなことは百も承知,二百も合点だろう。損益分岐点は越えているのだろうな。
2016.09.10 高根沢の隠れた名店「ふく田」
● いや,べつに隠れちゃいないんだけどね。知る人ぞ知るだと思うんですけどね。6月以降,会食をお願いしたり,弁当を取ったり,お世話になった。
ありがたい言葉もかけていただいた。相方は感涙にむせんでいた,というと大げさになるので,感激していたと言い直しておこう。
● 平日のランチはわりと混んでいると聞く。つまり,平日には行ったことがないから。平日に限らずとも,ここでお昼を食べたのはいつだったか。10年以上は前になるのじゃないか。
そのあたりが“隠れた”と言いたくなる所以で,だとすると,その所以は「ふく田」ではなく自分の側にあったことになる。
● ともかく,今日,「ふく田」にランチを食べに行った。和食の店ゆえ,それなりのお代になるのではと思う向きには言っておきたい。そんなことはない。
さすがにワンコインというわけにはいかないけれども,値段はリーズナブルといっていいと思う。食欲に任せてガンガン食べる若い衆は来ないところなので,静かに和食を味わいたい向きには合う店だと思う。
● 座敷にあがって食べることになる。その座敷の間仕切りが古典的な割烹方式。面積のわりに収容できる人数は少なくなる。ので,ひとりでは申しわけなくて行けない。
最低でも2人ということになる。その場合,他のお客さんとの相部屋もあるかもしれない。
良くも悪くも現代的ではないのだ。その現代的というのはファストフード的と言い換えてもいいだろう。良くも悪くもファストフード的ではないのだ。
● 自分がそのとき何を食べたいのか。自分でもわからないことがある。っていうか,これが食べたい,これしかない,っていうのは,ぼくなんか滅多にない。
ほとんどの場合,何でもいいよ,だ。こういうのって,批判的に語られることが多いと思うんだけど,ほかの人はどうなんだろうかなぁ。ぼくの場合,特に食に対する訴求点が低いんだろうか。
● で,じつは,この日も何でも良かったんですよ。「ふく田」には申しわけないんだけどね。そんな具合だから,何を注文するかとなると,“おまかせ膳”。
ぼくなんぞが小賢しく選択するよりも,店側にお任せした方が間違いがないという,謙虚というよりは真っ当な思いもあるね。
刺身あり,天ぷらあり,茶碗蒸しありの,昔のよろず屋のような膳だ。最後にアイスクリームが出る。
ご飯と味噌汁の椀を除いた小鉢小皿が8つ。これで1,000円(+税)。当然,不満なんかない。家庭でこれをやっちゃ,洗うのが大変だね,と思う程度だ。
ちなみに,相方は800円の“天丼膳”を注文した。天ぷらがお好きのようなのだ。
● これで1,000円なら,ナントカ弁当の500円より実質安い。とはいっても,毎日1,000円のランチを食べ続けるわけにはいかないよね。
そうでもないのか。いくのか。それが普通の人なのか。
ありがたい言葉もかけていただいた。相方は感涙にむせんでいた,というと大げさになるので,感激していたと言い直しておこう。
● 平日のランチはわりと混んでいると聞く。つまり,平日には行ったことがないから。平日に限らずとも,ここでお昼を食べたのはいつだったか。10年以上は前になるのじゃないか。
そのあたりが“隠れた”と言いたくなる所以で,だとすると,その所以は「ふく田」ではなく自分の側にあったことになる。
さすがにワンコインというわけにはいかないけれども,値段はリーズナブルといっていいと思う。食欲に任せてガンガン食べる若い衆は来ないところなので,静かに和食を味わいたい向きには合う店だと思う。
● 座敷にあがって食べることになる。その座敷の間仕切りが古典的な割烹方式。面積のわりに収容できる人数は少なくなる。ので,ひとりでは申しわけなくて行けない。
最低でも2人ということになる。その場合,他のお客さんとの相部屋もあるかもしれない。
良くも悪くも現代的ではないのだ。その現代的というのはファストフード的と言い換えてもいいだろう。良くも悪くもファストフード的ではないのだ。
● 自分がそのとき何を食べたいのか。自分でもわからないことがある。っていうか,これが食べたい,これしかない,っていうのは,ぼくなんか滅多にない。
ほとんどの場合,何でもいいよ,だ。こういうのって,批判的に語られることが多いと思うんだけど,ほかの人はどうなんだろうかなぁ。ぼくの場合,特に食に対する訴求点が低いんだろうか。
● で,じつは,この日も何でも良かったんですよ。「ふく田」には申しわけないんだけどね。そんな具合だから,何を注文するかとなると,“おまかせ膳”。
ぼくなんぞが小賢しく選択するよりも,店側にお任せした方が間違いがないという,謙虚というよりは真っ当な思いもあるね。
刺身あり,天ぷらあり,茶碗蒸しありの,昔のよろず屋のような膳だ。最後にアイスクリームが出る。
ご飯と味噌汁の椀を除いた小鉢小皿が8つ。これで1,000円(+税)。当然,不満なんかない。家庭でこれをやっちゃ,洗うのが大変だね,と思う程度だ。
ちなみに,相方は800円の“天丼膳”を注文した。天ぷらがお好きのようなのだ。
● これで1,000円なら,ナントカ弁当の500円より実質安い。とはいっても,毎日1,000円のランチを食べ続けるわけにはいかないよね。
そうでもないのか。いくのか。それが普通の人なのか。
2016.09.10 土曜日は休肝日
● 今日は休肝日になった。飲む間もなく喰っていたからだ。
明日も仕事に出なくていいからでもある。職場に行かねばならぬのは,けっこうストレスなのだね。まぁ,職場にもよるけれども。
● 普段は飲んでしまう。コンビニで缶酎ハイを買って駅のベンチでプシュッとやったり,ラーメン屋に寄ってネギチャーシューでハイボールの飲んだりしてる。
もちろん,家でも飲む。これでいいと思ってるわけじゃないんだけどね。
● 酒をコーヒーに切り替えられたらいいね。使える時間がドサッと増える。それは寿命が延びるのとイコールだ。
100歳まで生きたとしても,文字どおりの酔生夢死では,長生きしたとはいえないように思う。
● 酒の原因はストレスだとすると(違うかもしれないのだが),最もいいのは仕事を生きがいにできることだ。これができれば,職場にどんな人がいようと,軽々と撥ねのけられるだろう。
仕事にクリエイティブを見出せること。クリエイティブに仕事をする術を会得すること。
それができるようになるまでの忍耐と,いい意味での鈍さが必要だろうけど,いったんその術を自分のものにできれば,人生は一気に充実するんじゃないのかな。
● ひょっとすると,多くの人はそれができているのかもしれないな。ぼくがここがまったくダメだったんだけどね。もう遅いや。
職業人としての初期において舵を切り違え,修正の機会をことごとく逸してしまった。それも実力のうちということだよね。
● でも何とか可処分時間を増やす算段をしないといけないとは思っている。思っていることは思っているんだよねぇ。
可処分時間を侵略するものは外から来るものももちろんあるんだけど,それ以上に自分の中からやって来るっていうこともわかっているんだよね。
明日も仕事に出なくていいからでもある。職場に行かねばならぬのは,けっこうストレスなのだね。まぁ,職場にもよるけれども。
● 普段は飲んでしまう。コンビニで缶酎ハイを買って駅のベンチでプシュッとやったり,ラーメン屋に寄ってネギチャーシューでハイボールの飲んだりしてる。
もちろん,家でも飲む。これでいいと思ってるわけじゃないんだけどね。
● 酒をコーヒーに切り替えられたらいいね。使える時間がドサッと増える。それは寿命が延びるのとイコールだ。
100歳まで生きたとしても,文字どおりの酔生夢死では,長生きしたとはいえないように思う。
● 酒の原因はストレスだとすると(違うかもしれないのだが),最もいいのは仕事を生きがいにできることだ。これができれば,職場にどんな人がいようと,軽々と撥ねのけられるだろう。
仕事にクリエイティブを見出せること。クリエイティブに仕事をする術を会得すること。
それができるようになるまでの忍耐と,いい意味での鈍さが必要だろうけど,いったんその術を自分のものにできれば,人生は一気に充実するんじゃないのかな。
● ひょっとすると,多くの人はそれができているのかもしれないな。ぼくがここがまったくダメだったんだけどね。もう遅いや。
職業人としての初期において舵を切り違え,修正の機会をことごとく逸してしまった。それも実力のうちということだよね。
● でも何とか可処分時間を増やす算段をしないといけないとは思っている。思っていることは思っているんだよねぇ。
可処分時間を侵略するものは外から来るものももちろんあるんだけど,それ以上に自分の中からやって来るっていうこともわかっているんだよね。
2016年9月9日金曜日
2016.09.09 世の中は勝ったり負けたりだ
● 左の写真は9月9日の下野新聞。錦織が五輪の準決勝で完敗した相手にフルセットで勝利。
五輪のときは越えられない壁という気がした。あれからひと月も経っていないんだけどね。あるんだね,こういうこと。
● お互いに人間だからっていう説明になるんですかね。スペックという概念が成立しないのだな,機械じゃないから。
僅差なんでしょうね。スコア以上に力の差はないのだろう。その僅かなところに多くのプレイヤーが集まっている。だから,こういうことがある。
● そのときの調子の波。食事や睡眠が上手くいったかどうか。試合が行われるコートが柔らかいか固いか。そういうもので,試合の結果が逆転することがある。気持ちで負けないってのは最低限なんだろうけどね。
だから人間って面白いんでしょうかねぇ。
● 実力差で説明できるのは,百戦して百勝〇敗の場合に限る? 実力差ならそうなるはずだよねぇ。“実力=スペック”と考えるなら。
でも,それって圧倒的な差がある場合の話であって,実際には,相撲だって白鵬が負けることはあるし,場合によっては休場に追い込まれることもある。将棋でも羽生さんが負けることがある。
● 世の中のほとんどの事象は勝ったり負けたりだ。百勝〇敗はそもそもない。
五輪のときは越えられない壁という気がした。あれからひと月も経っていないんだけどね。あるんだね,こういうこと。
● お互いに人間だからっていう説明になるんですかね。スペックという概念が成立しないのだな,機械じゃないから。
僅差なんでしょうね。スコア以上に力の差はないのだろう。その僅かなところに多くのプレイヤーが集まっている。だから,こういうことがある。
● そのときの調子の波。食事や睡眠が上手くいったかどうか。試合が行われるコートが柔らかいか固いか。そういうもので,試合の結果が逆転することがある。気持ちで負けないってのは最低限なんだろうけどね。
だから人間って面白いんでしょうかねぇ。
● 実力差で説明できるのは,百戦して百勝〇敗の場合に限る? 実力差ならそうなるはずだよねぇ。“実力=スペック”と考えるなら。
でも,それって圧倒的な差がある場合の話であって,実際には,相撲だって白鵬が負けることはあるし,場合によっては休場に追い込まれることもある。将棋でも羽生さんが負けることがある。
● 世の中のほとんどの事象は勝ったり負けたりだ。百勝〇敗はそもそもない。
2016年9月8日木曜日
2016.09.07 日清の「出前一丁」
● お昼に出前一丁のカップ麺を食べた。近くのコンビニで買ったものだ。
カップ麺はコンビニにあるけれど,スーパーでは見たことがない。
● 袋の出前一丁はもう長いこと見ていない。生産をやめているんだろうか(と思ったら,氏家の「BIG」にはあったんでした)。
少なくとも,日清のメインの製品ではなくなっているようだ。日清の袋といえば,何といってもチキンラーメン。あと,ラ王。
● 日清に限らず,メインはカップ麺になっていて,カップの方が利益率も大きいのだろう。出前一丁は冷遇されても仕方がないですかね。
● ただ,下川裕治さんの旅行記を読むと,香港ではインスタントラーメンの代名詞として出前一丁の名前が定着しているらしい。
香港には袋もあるんだろうか。逆に,香港じゃ袋のインスタントラーメンなんて悠長なものは売れないか。
● 日本でも香港でも同じだろうけど,他品種少量生産にならざるを得ない。業界の王者日清といえど,特定のブランド1本で何割ものシェアを取るなどというのは,はるか昔の夢物語になっているだろう。
● ところで,カップの出前一丁なんだけど,旨かったんだよねぇ。麺のツルツル感は他の製品にはないものじゃなかろうか。
カップ麺はコンビニにあるけれど,スーパーでは見たことがない。
● 袋の出前一丁はもう長いこと見ていない。生産をやめているんだろうか(と思ったら,氏家の「BIG」にはあったんでした)。
少なくとも,日清のメインの製品ではなくなっているようだ。日清の袋といえば,何といってもチキンラーメン。あと,ラ王。
● 日清に限らず,メインはカップ麺になっていて,カップの方が利益率も大きいのだろう。出前一丁は冷遇されても仕方がないですかね。
● ただ,下川裕治さんの旅行記を読むと,香港ではインスタントラーメンの代名詞として出前一丁の名前が定着しているらしい。
香港には袋もあるんだろうか。逆に,香港じゃ袋のインスタントラーメンなんて悠長なものは売れないか。
● 日本でも香港でも同じだろうけど,他品種少量生産にならざるを得ない。業界の王者日清といえど,特定のブランド1本で何割ものシェアを取るなどというのは,はるか昔の夢物語になっているだろう。
● ところで,カップの出前一丁なんだけど,旨かったんだよねぇ。麺のツルツル感は他の製品にはないものじゃなかろうか。
2016.09.07 最近見かけた3人の女性騎士
● 騎士とは男性のことだろうなどという野暮は言いっこなし。かつて“リボンの騎士”もいたではないか。サファイア姫,永遠なれ。
● 4日に東京駅から宇都宮行きの電車に乗った。座れる確率が高い先頭車両か最後尾の車両に乗ることにしている。この日は最後尾だった。
ぼくの前に乗り込んだ女の子がいた。たぶん中学生ではないだろうか。あるいは高校生かもしれない。
その彼女,座れるのにあえて座らず,座席の前をよけて立った。あたかも背中に目があって,年寄りのさえない男が乗ってきたら,席は譲ってやろうとしたかのようだった。
● で,ぼくは座ったんだけど,その彼女,すぐに降りるのかと思ったら,さにあらず。彼女が降りたのは久喜駅だった。それまでずっと立っていた。
これ,ぼくにできるだろうか。若い頃はやっていたかもしれないんだけど,今,できるだろうか。
● 6日に氏家の「登竜」に飲みに行った。そこに30歳前後とおぼしき女性が一人で,食べに来ていた。一生懸命に麺を食べていた。今は食べることに全力をあげるといった風情で。かといって,いぎたなく食べているわけではもちろんない。
この時間にここで食べているということは,ひょっとするとこれから夜勤に向かうのだろうか。
● 食べ終えたら,バッグからノート(手帳か)とペンを取りだした。何事かを確認しているようだった。ときどき,スマホを叩いている。おそらく,電卓アプリを立ちあげて計算しているのではないかと思われた。仕事の段取りでもしているのだろうか。
こういう女子がいる限り,日本は安泰だな。男女雇用機会均等法ができたのは30年前か。それ以前は働き手の主要部分は男だけが担っていた。もったいないことをしていたものだな。
● 今日(7日)の朝。雨だった。ぼくの前を歩いていた女子高校生。傘をさした彼女,群れないで一人。水が溜まっているところをよけることもなく,サッサと歩いて行く。そうするのだという意思を感じさせる。しかし,無理をしているふうではない。
若き騎士だなと感じ入ってしまった。
● というわけで,ここ数日の間に,3人の女性騎士に出会う光栄をえた。彼女たちにはいくつかの共通点がある。
まず,一人であること。友だちと群れていなかった。一人で立っている感があった。次は,若かったこと。今どきだから,30歳前後は充分に若い部類に入る(本人がどう思っているかは別として)。
● 今どきの若いのは,と年寄りは言いがちだけれども,彼ら年寄りたち(ぼくもここに属する)よりも若い人たちの方が,おしなべて言えば凜としたものを感じさせるように思う。
バブル期に生きた人たちに比べれば,時代に鍛えられている度合が違うから,それが当然なのだ。
● 4日に東京駅から宇都宮行きの電車に乗った。座れる確率が高い先頭車両か最後尾の車両に乗ることにしている。この日は最後尾だった。
ぼくの前に乗り込んだ女の子がいた。たぶん中学生ではないだろうか。あるいは高校生かもしれない。
その彼女,座れるのにあえて座らず,座席の前をよけて立った。あたかも背中に目があって,年寄りのさえない男が乗ってきたら,席は譲ってやろうとしたかのようだった。
● で,ぼくは座ったんだけど,その彼女,すぐに降りるのかと思ったら,さにあらず。彼女が降りたのは久喜駅だった。それまでずっと立っていた。
これ,ぼくにできるだろうか。若い頃はやっていたかもしれないんだけど,今,できるだろうか。
● 6日に氏家の「登竜」に飲みに行った。そこに30歳前後とおぼしき女性が一人で,食べに来ていた。一生懸命に麺を食べていた。今は食べることに全力をあげるといった風情で。かといって,いぎたなく食べているわけではもちろんない。
この時間にここで食べているということは,ひょっとするとこれから夜勤に向かうのだろうか。
● 食べ終えたら,バッグからノート(手帳か)とペンを取りだした。何事かを確認しているようだった。ときどき,スマホを叩いている。おそらく,電卓アプリを立ちあげて計算しているのではないかと思われた。仕事の段取りでもしているのだろうか。
こういう女子がいる限り,日本は安泰だな。男女雇用機会均等法ができたのは30年前か。それ以前は働き手の主要部分は男だけが担っていた。もったいないことをしていたものだな。
● 今日(7日)の朝。雨だった。ぼくの前を歩いていた女子高校生。傘をさした彼女,群れないで一人。水が溜まっているところをよけることもなく,サッサと歩いて行く。そうするのだという意思を感じさせる。しかし,無理をしているふうではない。
若き騎士だなと感じ入ってしまった。
● というわけで,ここ数日の間に,3人の女性騎士に出会う光栄をえた。彼女たちにはいくつかの共通点がある。
まず,一人であること。友だちと群れていなかった。一人で立っている感があった。次は,若かったこと。今どきだから,30歳前後は充分に若い部類に入る(本人がどう思っているかは別として)。
● 今どきの若いのは,と年寄りは言いがちだけれども,彼ら年寄りたち(ぼくもここに属する)よりも若い人たちの方が,おしなべて言えば凜としたものを感じさせるように思う。
バブル期に生きた人たちに比べれば,時代に鍛えられている度合が違うから,それが当然なのだ。
2016年9月5日月曜日
2016.09.04 東京の飲食店で最もお世話になっているのは「富士そば」
● 荻窪へ行く用事があった。途中,駅前の「富士そば」で腹ごしらえをした。一人で東京に出たときは,だいたい「富士そば」で腹を満たすんだよね。
何でか。安いから。敷居が低いから。立ち食いそばとすれば,そこそこ旨いから。
● でも,さすがに飽きてきたかも。そのせいかどうか,今日は「富士そば」を初めて不味いと感じてしまった。
まぁ,そばつゆがちょっとね,いつもと違ったっていうかね,ほとんど醤油じゃないかと思うようなつゆだったので。
● 日本の場合,あまり画然とした,富裕層向け,庶民向けっていう区分けはないように思う。百円ショップに来ている人の中にも富裕層はいるはずだ。吉野家もしかり。
ただ,業態の古いファストフード店,その典型が立ち食いそば屋だと思うんだけど,には富裕層ってあまり来ないような気がする。
で,ま,「富士そば」のお客さんの中には富裕層ってのはまずいないだろう。あまりお金を持っていない人たちだろうと思える。
● で,ぼくの出自はその「あまりお金を持っていない人たち」に属すると思っていてね。思っているっていうか,事実としてそうだということ。ぼくの年代で田舎育ちなら,ほとんどの人がぼくと同じはずだと思っているんだけどさ。
案外,こういうのって越えられないね。どういうことかっていうと,「富士そば」に入るとホッとするんだよね。
これが,「富士そば」に入ってしまう最大の理由だと思うんですよ。
何でか。安いから。敷居が低いから。立ち食いそばとすれば,そこそこ旨いから。
● でも,さすがに飽きてきたかも。そのせいかどうか,今日は「富士そば」を初めて不味いと感じてしまった。
まぁ,そばつゆがちょっとね,いつもと違ったっていうかね,ほとんど醤油じゃないかと思うようなつゆだったので。
● 日本の場合,あまり画然とした,富裕層向け,庶民向けっていう区分けはないように思う。百円ショップに来ている人の中にも富裕層はいるはずだ。吉野家もしかり。
ただ,業態の古いファストフード店,その典型が立ち食いそば屋だと思うんだけど,には富裕層ってあまり来ないような気がする。
で,ま,「富士そば」のお客さんの中には富裕層ってのはまずいないだろう。あまりお金を持っていない人たちだろうと思える。
● で,ぼくの出自はその「あまりお金を持っていない人たち」に属すると思っていてね。思っているっていうか,事実としてそうだということ。ぼくの年代で田舎育ちなら,ほとんどの人がぼくと同じはずだと思っているんだけどさ。
案外,こういうのって越えられないね。どういうことかっていうと,「富士そば」に入るとホッとするんだよね。
これが,「富士そば」に入ってしまう最大の理由だと思うんですよ。
2016年9月3日土曜日
2016.09.03 また,「クローバー」
● また烏山の「クローバー」に来てしまった。今日は土曜日。土曜日だとランチセットがある。お得である。何がお得かというと,ステーキ単品の値段で,サラダ,ご飯(orパン),コーヒー(or紅茶orアイスクリーム)まで揃うのである。
以上,相方から得た情報なんですが。
● そうか,だからウチは土曜日にしか来ないのか。日曜とか祝日とかには来たことがないのは,そういうことだったのか。
女の人ってこういうところに聡いよねぇ。そのくせ,信じられないような無駄遣いもするんだけどね。これはどういうことなんだろうかねぇ。
お金を遣うっていうことそれ自体の快感が相当あるのは間違いない。買うという行為をしたいから買うのだ。だから買いたいものがなくても買うのだ。つまり,それが無駄遣い。
● サラダの次にステーキが出てくる。味噌汁も。最後がコーヒー。コーヒーか紅茶かアイスクリームを選べる。これまでアイスクリーム以外を選んだことはなかった。
どうしてか。息子がここのアイスクリームが好きだったから。栃木県で2番目に旨いなんぞと言っていた。
ので,ぼくらもアイスクリームをとって,息子に食べさせてた。やつは3人分を喰っていたわけだな。
が,今回は相方と2人なので,初めてコーヒーを飲んでみたよ。はい,コーヒーも旨かったっす。
● 「クローバー」についてはもう散々語っているので,付け加えることがないのが困る。
要するに,旨い。自分が焼いたんじゃ,間違ってもこういうステーキにはならない。プロとアマの差,使っている道具,火力,すべてが違う。
家庭のガスレンジでフライパンで焼いたんじゃなぁと思う。反面,家庭で焼いたとしても,ぼくよりはもっとステーキらしいステーキに焼きあげる人はたくさんいるんだろうけどね。
● もうひとつ,「クローバー」は雑誌を見るのが楽しみ。自転車雑誌がとりわけ充実しているのが嬉しい。
ササッと見れば,2冊や3冊は読める。というか,目を通せる。得したなぁと思って帰ることができる。食べてお得,読んでお得。
2016年9月2日金曜日
2016.09.02 コンビニの駐車場に停めた車の中で昼食を摂る人たち
● この残暑は何ならん。昼休みに数百メートル歩いただけで,ドッと汗が出る。汗をかきながら近くのコンビニまで歩いて行った。
サンドイッチとその他,いくつかを購入。
● このコンビニ,駐車場が広い。そこに車を停めて,車の中で弁当を食べている人がわりといる。あるいは,コンビニでカップ麺をかってお湯を入れてもらったのだろう,カップ麺をすすっている人もいる。
作業服を着た若者。ネクタイをしている人(営業職だろうか)。中には女性もいる。中年の女性がひとりで車の中で食事をしている。
● その光景を見るたびに思う。日本を支えているのはこういう人たちなのだ。仕事の合間を見て,コンビニで昼食をすませる人たちなのだ。
すばらしく勉強ができて東大に入れるほどの頭はなかった。丸の内のビル街でパソコンを叩いていればすむ仕事には就けなかった。ひとりで子どもを育てなければならなくなった。
● 決して楽しいとはいえないし,仕事が生きがいだなんてとても考えられないけれど,それでも自分のできることを普通に手を抜かないでやっている。先輩に指示されたことをそのとおりにやっている。
コンビニの駐車場に停めた車の中で,ご飯を食べて,そのあと束の間の休息を取って,また午後の仕事に向かう。
● こういう人たちが日本を支えているのだろう。政治家や官僚や大企業の社長はその次の存在だ。
こういう人たちが小さな幸せを感じられるような国に日本がなれれば。自分もまた,日々の暮らしの折々にそのようなふるまいを選択できるようになりたい。
サンドイッチとその他,いくつかを購入。
● このコンビニ,駐車場が広い。そこに車を停めて,車の中で弁当を食べている人がわりといる。あるいは,コンビニでカップ麺をかってお湯を入れてもらったのだろう,カップ麺をすすっている人もいる。
作業服を着た若者。ネクタイをしている人(営業職だろうか)。中には女性もいる。中年の女性がひとりで車の中で食事をしている。
● その光景を見るたびに思う。日本を支えているのはこういう人たちなのだ。仕事の合間を見て,コンビニで昼食をすませる人たちなのだ。
すばらしく勉強ができて東大に入れるほどの頭はなかった。丸の内のビル街でパソコンを叩いていればすむ仕事には就けなかった。ひとりで子どもを育てなければならなくなった。
● 決して楽しいとはいえないし,仕事が生きがいだなんてとても考えられないけれど,それでも自分のできることを普通に手を抜かないでやっている。先輩に指示されたことをそのとおりにやっている。
コンビニの駐車場に停めた車の中で,ご飯を食べて,そのあと束の間の休息を取って,また午後の仕事に向かう。
● こういう人たちが日本を支えているのだろう。政治家や官僚や大企業の社長はその次の存在だ。
こういう人たちが小さな幸せを感じられるような国に日本がなれれば。自分もまた,日々の暮らしの折々にそのようなふるまいを選択できるようになりたい。
2016年9月1日木曜日
2016.09.01 久しぶり,氏家の「登竜」
元の状態というのが,つまりは最も安定度の高い状態なのだろうか。ぼくに限っていうと,安定度が高いのは,それが最低位の状態だからだ。それ以上は下がりようがないから安定する。
● ともかく,急速に以前のルーティンに復帰しつつある。今夜は帰りに「登竜」に寄ってしまった。これがルーティン復帰の最後の仕上げかなぁ。
安いウィスキーの水割りに豚キムチ炒め。一品料理の中では,この豚キムチ炒めは比較的量が少ない。ひとりで飲むときには助かる。
豚肉と白菜キムチ,モヤシと少量のニラが入っている。これでキリンウイスキー「富士山麓」の水割りを飲む。
● 昔は,ウィスキーは二次会で飲むものだった。ぼくは若い頃から酒だけは誘われれば断ることがなかったし,昔は職場のユニットで飲む機会が,今よりずっと多かった。女子社員が少なかったことも,あれだけ飲み会があった理由のひとつかもしれない。
で,まずビールから入って,日本酒に切替え,二次会でウィスキーの水割り。これが定型だったような気がする。ウィスキーは二次会のスナックで飲むもの。
● 今はその定型が消滅した。お酌をするっていうのもなくなったように思う。女子社員が男子社員に,部下が上司に。お酌をして回る光景はあたりまえにあったけれど,今はあまり見ない。
ぼくも寄る年波で,お酌をされることが多い年齢になったのは間違いないけれど,お酌をされるのはあまり歓迎できない。同じように思っている人は多いのではないか。そうではありませんか,ご同輩。
● お酌がなくなったのは,ジョッキで飲むスタイルが一般的になったからでもあるかな。ジョッキで飲むのはビールに限らなくなった。焼酎を炭酸で割ってジョッキで飲む。ウィスキーを炭酸で割ってジョッキで飲む。
この飲み方は,集団で飲んでいても,一人の世界に入りやすくなる。
● ということはつまり,職場を同じくする人たちの飲み会でも,その細部のありようは昔とはだいぶ変わっているのだろうね。
上司がガス抜きを狙って,あるいは部下とコミュニケーションをしたいと思って,飲み会を設営するなんてことは,成立するんだろうか。迷惑がられるだけだろうね。
● というわけなので,ぼくはたいてい一人で飲みに行く。気楽でいい。気を遣わなくていい。気を遣わせなくていい。
ということはつまり,コミュニケーション能力の低下を意味するよね。そういうのを煩わしいと思っているっていうことだから。
でも,そんなのももうどうでもいいや。
● 水割りをもう1杯。ツマミももうひとつ。メンチカツを注文してみた。150円(+税)。このメンチカツも旨かった。陳腐な言い方で申しわけないけれど,ジューシーというやつ。
あと気になったのが長芋キムチ。長芋がキムチになるんだろうか。長芋にキムチの元を絡めたようなものなのか。次の機会に試してみよう。
次は,メンチカツ2個と長芋キムチで水割りを飲むことにするか。
2016.09.01 別荘不要論
● ぼくに100億円のお金があったとしても,軽井沢に別荘を建てたり,ハワイのコンドミニアムを買ったりはしないだろう。
ひと夏をどこで過ごすか。その時々の気分で決めたい。別荘やコンドミニアムを所有してしまうと,それに縛られることになる。
毎年,毎年,軽井沢やハワイに行かなきゃいけない。それでいいの? 今年の夏は北海道にしようとか,カナダはどうだろうかとか,オーストラリアでスキー三昧で過ごそうとか,そういうことは思わないのか。
● だいたい,別荘って前後が面倒だよね。行く前に電気,水道,ガスを通してもらうよう連絡して,着いたらその日と翌日は大掃除ってことになるだろう。そうじゃないと住める状態にならない。
帰るときは,逆に電気や水道を停めてもらうよう電話して,キレイに片づけないとね。
● しかも。滞在中はトイレ掃除も洗濯もしなくちゃいけないし,料理も作らなくちゃいけない。いつもやっていることを場所を替えてやるだけのことだ。
奥さん,それでいいんですか。
● ひと月くらいならホテルに住めばいい。ホテルなら世界中にあるんだから,世界中に別荘を持っているのと同じことだ。
ひと月住むんだったらスイートじゃないと辛いかね。今どきのホテルなら,スイートの必要もないか。部屋,広いもんね。
で,ぼくはたぶん,東京で過ごすことが多くなるだろう。ホテルにいれば暑さ寒さは関係ない。
● というわけで,別荘は持たない方がいいんじゃないのっていう話。持てない人間が考えたって仕方がないんじゃないの,と言われますな。
ひと夏をどこで過ごすか。その時々の気分で決めたい。別荘やコンドミニアムを所有してしまうと,それに縛られることになる。
毎年,毎年,軽井沢やハワイに行かなきゃいけない。それでいいの? 今年の夏は北海道にしようとか,カナダはどうだろうかとか,オーストラリアでスキー三昧で過ごそうとか,そういうことは思わないのか。
● だいたい,別荘って前後が面倒だよね。行く前に電気,水道,ガスを通してもらうよう連絡して,着いたらその日と翌日は大掃除ってことになるだろう。そうじゃないと住める状態にならない。
帰るときは,逆に電気や水道を停めてもらうよう電話して,キレイに片づけないとね。
● しかも。滞在中はトイレ掃除も洗濯もしなくちゃいけないし,料理も作らなくちゃいけない。いつもやっていることを場所を替えてやるだけのことだ。
奥さん,それでいいんですか。
● ひと月くらいならホテルに住めばいい。ホテルなら世界中にあるんだから,世界中に別荘を持っているのと同じことだ。
ひと月住むんだったらスイートじゃないと辛いかね。今どきのホテルなら,スイートの必要もないか。部屋,広いもんね。
で,ぼくはたぶん,東京で過ごすことが多くなるだろう。ホテルにいれば暑さ寒さは関係ない。
● というわけで,別荘は持たない方がいいんじゃないのっていう話。持てない人間が考えたって仕方がないんじゃないの,と言われますな。
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