● ぼくは宇都宮市民ではないんだけど,宇都宮にはよく出かける。ので,ちょっと口を挟みたくなったんですけどね。
● 左の写真は9月27日の下野新聞。ぼくはLRTの推進に賛成だ。予算のこととか全然わからないままに言っているんですけどね。
何でかっていうと,今の栃木県の車依存度は醜悪だと思っているからなんですよ。車がないと手も足も出ないってことになっている。
病院に行くにも買いものに行くにも車がないと困るって社会は,交通弱者は存在しないという前提に立たない限り,あってはならないものだ。
● LRTの推進は,当然のことと思えるのだが,どうも反対意見が多いらしい。RTで何が変わるというのか,もっと先にやるべきことがあるだろう,という言い方をする人を,ぼくも何人か知っている。
もちろん,LRTを作ればそうした問題が解決するわけではない。そんなことはあたりまえだ。しかし,ジリジリと前進することはできるではないか。LRTはその機運を大いに高めるキッカケを作るかもしれない。
● 「もっと先にやるべきこと」とはかつての繁華街(市街地)の活性化を差すことが多いようだ。今どきだからかつての市街地が寂れたのは,モータリゼーションに乗り遅れたからだと考えている人はよもやいないと思うのだが,どうもそうでもないようなのだ。
市街地を活性化する唯一の方法は車を追いだすことだ。LRTはそれに向けての契機にもなる。計画では駅東で終わるのだが,いずれは宇都宮駅を跨ぐか地下を潜るかして,大谷までは延伸したい。
LRTが都市整備の地ならしをしてくれる。
● 高齢化と人口減少がさらに進むことはわかりきっているのだから,従来の道路網の維持とそれに乗った車社会を維持することはかなりの負担になるのではないか。
とは言わないけれども,後期高齢者が人口の何割を占めることになるか。彼らに車を運転させるつもりか。
● いや,運転はしてもらわなければならないだろうけれども,運転しづらい路線(車の密度が高い路線)は運転しなくてもすむようにして,彼らのストレスを軽減することが,高齢者福祉が活きる前提,あるいは高齢者福祉そのものではないのか。LRTに反対する人たちは,現状がいいと考えているのだろうか。
もっとも,自動運転が高度に完成されれば,この点については話がまったく変わってくるわけだが(そうなってくれればいい)。
● 環境への負荷軽減にも寄与するだろう。宇都宮でも鬼怒川の橋は朝晩,渋滞が発生する。車が吐きだす排気ガスの悪影響って,じつは煙草の副流煙どころの騒ぎではないのではないか。
この点において,バスがあるんだからLRTは要らないという理屈は成立しない(環境負荷が画期的に少ない軽油やディーゼルエンジンが産まれるかもしれないわけだが)。
公共交通機関の内部がコミュニティになることは少々以上に考えづらいけれども,通勤時に個室に籠もってばかりいる必要もないだろう。
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