● Facebookはあまり積極的に使っていない。「友だち」を増やす努力もしていない。リアルでも友だちはいない方だ。それで特段の不都合も感じていない。Facebookも同じでいい。
何百人という「友だち」を抱えて,それらのすべてが自分のタイムラインに流れてきたら,まず収拾がつかないだろう。たいていは「リスト」を作って,交際相手を絞っているはずだ。
● だったら,最初からリスト分だけの「友だち」に押さえてもいいと思うんだがなぁ。「友だち」が増えると自分の発信力がそれだけ高まると考えるのは,たぶん間違っている。間違っているというか,錯覚でしょうね。かなりの部分は遮断されていると思った方がいいですよ。
ぼくなんか「友だち」は一桁しかいないけれども,それでも“フォローをやめる”にチェックを入れている人がいるよ。「いいね」をやたらにする人っているからね。それもつまらない(と,こちらが思う)ところに(ま,ぼくも同じことをしているのかもしれない。よその人から見ればね)。
それでもその人が投稿した場合には,その旨が表示されるから,投稿は見るようにしている。
● こんなところからFacebookに嫌気がさしてくるのかもしれないと思う。若者のFacebook離れが止まらないのは,また別の理由があるようだけど。
基本,「友だち」を増やすことに血道をあげるのはFacebookの使い方としては方向が違うような気がする。間違っても,政治家(地方議会の議員,首長)や放送局のアナウンサーのような,人に注目されやすいところにいる人とは「友だち」にならない方がいいのでは。
「友だち」がたくさんいる人を「友だち」にしたいという発想はダメでしょうね。
● Facebookってリアルを補強するもので,それ以上の用途を求めるものじゃないように思う。リアルを補強する必要を感じない人がFacebookに手を出しても,メリットはないのじゃないだろうか。
ということで,ぼくもFacebookへの投稿は大幅に減らすことにした。週1回程度でいい。やめないでいるよってのが通じる程度に。ひょっとすると,いつかは完全撤退に及ぶかもしれないけど。
● さて。Facebookは中高年の遊び道具になっているようなんだけど,ひとつだけ気になることがある。守秘義務と個人情報の問題だ。
中高年って,これに関してはかなり脇が甘いのじゃないかと思うことがある。特にFacebookを始めてハマってしまった人,ハマり初心者の中高年。
ぼく自身は,仕事についてはブログでもSNSでも触れないことにしている。ひょっとすると,語ってはいけないことを語ってしまうかもしれないからだ。
● おそらく,ぼくの投稿のすべてを分析すれば,ひと言も語っていないはずの職業や勤務先も特定されるだろう。住所も番地までわかるだろう。
趣味は当然として,家族構成や何にいくら使っているかという消費の実態まで,かなりの精度で把握されるだろう。
ま,現実問題としてそんな暇人はいないだろうから,丸裸にされないですんでいるわけだが。
● しかし,それらについて自分から語る必要はない。特に仕事がらみについては,会社なり役所のトップでもない限り,やってはいけないとまでは言わないけれど,やらない方が安全だ。
いつ,機密にふれてしまうかわからない。機密なんてのはたいていつまらないものだ。つまらないだけならいいんだけど,これが機密だと予め決まっていない場合が多いのではないか。もれて騒ぎになれば,それがすなわち機密になる。
自分は機密に与かれるほど偉くないという人もいるかもしれないけれども,機密なんて君の前後左右にも転がっているよ。
● 次に個人情報の問題だ。Facebookの輪の中に入っていない人を,しかも実名で,自分の投稿に登場させる人はさすがにいないようだ(著名人は除く)。
問題はその後のコメントのやりとりだ。輪の中にいない第三者を実名で書いているものを,時々,見かけることがあるんだよ。
コメントは個対個のコミュニケーションだと錯覚しがちになるのだろうな。そのコメントも不特定多数に見られていることを忘れているのじゃないか。
ここはかなり危うさを感じるところだ。この部分,中高年はまったく信用できない。公開範囲を限定するなんて細かいことはしていないだろう。だから,ぼくも読めてしまうわけで。
● Facebookにあまり期待するなと言いたい。すでにある人間関係をよりスムーズにするには便利かもしれないけれども,リアルの人間関係を拡大する道具としてFacebookを使ってはいけない,というのが一応の結論。
さらにいえば,そういう脇の甘いやつがウヨウヨいそうなところに深入りするのは,そもそもどうなんだということ。
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