● セブンイレブンって強いんだろうねぇ。こういうところでキッチリと今をときめく安室奈美恵を引っぱってこれるってのがねぇ。
● 嫌な顔をされるのを覚悟で申しあげますが,クリスマスにケーキを食べるなんて,大衆そのものですよねぇ。
大衆の定義は“カモにされる側の人間”ってこと。
● ぼくらはしょせん大衆であるしかないのかもしれない。けれども,大衆性の一つひとつを点検して,それを外す努力はしなければいけないものだと思いますよ。
たとえば,新品にこだわってしまうとか(新車,新築),有機栽培の農産物にウカウカと惹かれてしまうとか,黄金週間にはどこかに出かけるものと思いこむとか,マスコミ情報をそのまま自分の意見にしてしまうとか,“世界=職場”になっているとか。
そういうものを一つひとつ外していく努力をすること。
● その努力ってのは,愚かさを一枚ずつ剥がしていく努力になる。そのためには,情報(ネットに普通に溢れている情報から一段掘り下げたもの)も集めなければならないだろうし,勉強もしなければならない。
大衆でいることはカンファタブルだ。そのカンファタブルを壊していく努力でもある。
● というわけで,なかなかシンドい作業になる。早い話が,自分の周りは大衆ばかりなんだから,周囲から一歩浮いてしまうことになりかねない。しかも,そのシンドさが報われる保証はない。
であっても,それをやらないまま一生を終えてしまうのは,いかにも残念だ。
● ちなみに,その大衆性が最も充満している世界は,今のところ,Facebookだろう。およそどうでもいいことを開陳して,お互いに「いいね!」をしあって,その状態で完結している。「いいね!」を求めてしまうと,大衆に墜ちざるを得なくなる。論理必然的にそうなる。
そこから脱するには,いったんは「いいね!」を忘れて,自分の投稿の質を上げる努力をしないといけないのだろう。それは大衆性を外していく努力とパラレルになる。そうこうしていると,「友だち」が入れ替わっているかもしれない。
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