2018年1月31日水曜日

2018.01.31 宇都宮が餃子日本一を奪還

● 右は今日の下野新聞。一人あたりの餃子購入額が浜松を抜いて,日本一を奪還したよ,という記事。
 これねぇ,宇都宮市長のコメントが冷静すぎて(つまり,普通すぎて)つまらない。もっとはじけないとね。はじけたフリをしないと。
 浜松市の存在は宇都宮にとって貴重だ。宇都宮の独走ではここまで盛りあがらないのだ。浜松市長にエールを送るくらいのサービス精神は見せてほしいぞ。浜松との抜きつ抜かれつは,もうゲームなのでね。

● 浜松には餃子以外にも旨いものがたくさんあるでしょ。浜名湖の鰻をはじめね。宇都宮はさ,餃子以外に何もないんだよ。餃子とサメの肉と米で食いつないでいるんだよ。
 あ,あと納豆もあるか。餃子とサメの肉と納豆を交互におかずにして,ご飯を食べているんだよ。だもんさ,餃子くらい宇都宮に花を持たせてくれたっていいんじゃん。
 って,市長が言うわけにはいかないだろうけど,でもね,こういうのはそもそも遊びにしないとねぇ。

● で,宇都宮の餃子の名店は数々あれど,老舗というか,昔からあるのは「みんみん」と「正嗣」。その「みんみん」の支店がぼくの地元にあるのはありがたい。
 「みんみん」は本店以外でも,だいたい混んでいるからね。並ばないと入れないことが多い。ま,ちょっと時間をずらせればいいんだけどさ。
 ところが,わが地元の「みんみん」なら,まず待つことはないぞ。味はいうまでもないけれども,宇都宮で食べるのと変わらない。

● 焼きダブルにご飯を付けて,560円。これで一食になる。スープが欲しいなら,水餃子にすればいいのだ。ぼくは餃子は焼きに限ると思っているけど。
 560円じゃ今どき,ラーメンだって食べられないからね。餃子は栄養があって安いのだ。庶民の食べものなのだ。そのうえ,旨いのだ。

● その「みんみん」,でもあまり行かないんだよね。平均すると月1まで行かないと思う。宝を活用しきれていない? そうかもしれんな。近くにあると宝を宝と認識しなくなるのかもしれない。
 さて,今夜あたり行ってみようかね。

2018年1月30日火曜日

2018.01.30 東京の勢いを止めてはいけない

● 右は今日の下野新聞。地方の人口流出が止まらないことを伝えている。

● しかし,東京が弱ってしまえば日本は死ぬ。東京が元気でいてくれれば何とかなる。東京の勢いを止めてはいけない。
 東京一極集中は良くないという前提がもしあるなら,それは外さなければ。

● 年収が800万円までなら,税金に関していえば,負担より受益が多い。実質的な負担者はそれを超える高額所得者と法人税を払っている企業に限られる。それらの多くは東京に集まっている。
 地方振興といっても,その原資は東京から来る。実際のところ,地方は東京におんぶにだっこだ。

● 大昔からこの国にある呪縛-国土の均衡ある発展-は,江戸時代の幕藩体制の名残だろうか。均衡ある発展は,富を生む源泉が土地のみであった時代,第一次産業が基幹であった時代にしか成立しない。
 成立しないものを無理やり成立させようとすれば,途方もない無駄と非効率が生じる。いかな経済大国日本といえども耐えられまい。

● この記事の表からわかることは,それぞれの圏域でも一極集中が進んでいることだ。九州は福岡に,中部は名古屋に。
 北海道でも札幌への集中が進行中なのだろうが,札幌がそれを受け切れていないらしい。仙台や金沢も同じだ。
 さらに深刻なのは関西圏だ。大阪がまったく受け皿になれていないことがわかる。関西の地盤沈下は止まっていないどころか,着々と進行中だ。

● 当面の課題は,それら圏域の中核都市(多くは政令指定都市)の都市基盤の整備ということになる。
 じつはその中に東京も含まれる。開かずの踏切の解消は急務であるのだし,鉄道や高速道路の隘路をこのままにしておくと,ジワジワと東京の首を絞めることになる。

● 都市がもっと暮らしやすい場所になること。ダラダラと横に広がるのではなく,コンパクトで密度の高い都市を造ること。まずはここからだと思う。
 通勤時間が片道2時間なんていうのは正気の沙汰ではないのだ。こういうことがどれほど日本の生産性を下げているか。

2018年1月29日月曜日

2018.01.29 最強のモテ女

● 最強のモテ女は明るいブス。明るいっていうのは,ほんとに万能だ。明るいのがなぜいいかというと,いじりやすいからだ。
 明るくていじられキャラの女性に,頭の悪い人はいないような気がする。

● 明るい美人ならなおいいじゃないか,って? ところが,事はそう単純じゃない。美人に明るさって意外に似合わない。
 こちら側(男性側)先入感があるんでしょうね。美人というのは,儚げで寂しげで,どこかに陰がある方が絵になる,っていう。いや,美人とはそういうものなのだ,っていう。
 明るい美人は芸能界に充満していると思うけれども,それよりもいじりやすい明るいブスが勝る。銀座でNo.1を取るのもおそらくこのタイプでしょ(行ったことはないけどね)。

● 美人に生まれるって言われるほどお得じゃないと思う。さだまさしは,「娘は器量が良いというだけで,幸せの半分を手にしている」と歌っていたけれど,どういたしまして。これまた,事はそう単純じゃない。
 10~20代の若い男性は,笑っちゃうほどルックスに弱いのは確かだけれど,美人がチヤホヤされるのはその年代まで。

● ただし,性悪なブス,自意識過剰なブス,バカブスは論外なので,そこはお忘れなきよう。つまり,性悪や自意識過剰やバカなら,ブスより美人が勝る。
 おそらく,男も同じだろうけど。ぼくは自意識過剰な醜男に該当する。

● 明るいブスはいじられキャラになる。そういう女性にバカはいない。となると,頭の回転の速い女性がモテる。そういうこと。これが結論。

2018年1月28日日曜日

2018.01.28 個人情報に関するリアルとネットの乖離

● 今,世間で最も厳しく守られているのは,個人情報だと思うんですよ。それは個人情報なのでお答えできません,って。
 でもさ,一方でFacebookでは本人が自分の個人情報を公開しているわけですよ。実名と顔写真をはじめ,出身地や居住地,誕生日から学歴まで公開してる。

● 投稿を読めば,仕事や趣味もわかる。好みの食べ物やどこで買い物してるかまでわかる。交友関係はもちろん,家族構成も収入も推測できる。もっというと,性格や仕事への熱意もおおよそわかる。
 ぼくでもその程度はわかるんだから、見る人が見れば,丸裸にできるよ。

● たとえば,ぼくについて言えば,以下のようなことはすぐにわかるはずだ。

 毎朝,出勤途中にコンビニに寄って,その日の昼食を買っているんだな。あまり食を重んじてはいないヤツだな。けっこう外食してるけど,ラーメンばっかりだ。やはり食を軽んじてるな。
 土日は休めているようだ。さほど忙しい仕事はしてないんだな。Facebookの投稿もけっこう早い時間帯にやっているから残業もあまりしてないようだしな。
 Facebookは2016年に始めているのか。年齢を考えてもかなり遅い方だ。新しいものにすぐに飛びつくタイプではなさそうだな。
 ほほぉ,音楽が好きなのか。そこにつけいれば,何かの売り込みに使えるかもしれんぞ。
夫婦だけの二人暮らしか。ペットの話は出てこないんだが,どうだ,このあたりから何か攻め口はないか。

● ま,ぼくのようなパンピーについて,いちいち分析を試みるような暇人はいないだろうけど,これじゃさ,個人情報の保護なんて言ってみたって,何の意味もないよね。本人が進んで公開しているわけだから。

● 個人情報に関するリアルとネットの甚だしい乖離。情報発信というと聞こえはいいけれども,それはそのまま自分を曝けだす行為でもあることへの無防備性。
 困ったことに,投稿はしていなくても,Facebookを開設していながら投稿していないというそのことが,何事かを雄弁に語ってしまう。

● リアルとネットのどちらに本音はあるんだろうか。おそらくネットの方でしょう。
 個人情報の保護なんて,人々はほんとに望んでいるんだろうか,ってことだよね。セールスの電話がウザいから,電話帳に自分の電話番号は載せないでくれ,といった程度のものじゃない?
 なんかさ,やる必要のないことを多額の税金を使ってやっているような気もするんだよねぇ。

● いや,リアルでも無防備な分野がある。ポイントカードを作っている人は相当いると思う。これなんか,100円につき1円の割引と引換に個人情報をそっくり売り渡しているようなものだ。クレジットカードもしかり。
 まともな会社なら“悪用”はしないだろう。ビッグデータの1粒になるだけだ。おそらく,具体的な問題になる事例は少ないだろう。が,個人情報を差し出していることには違いない。

● 結局,本人が同意していればいいわけで,その同意がないのに公開してしまうのがいけない,というのが着地点になる。あたりまえすぎる結論。
 したがって,個人情報の漏洩が問題になるのは,主に市役所や町役場などの公共セクターになる。とすると,現時点できちんと棲み分けはできているということか。

2018年1月27日土曜日

2018.01.27 新橋の心地よさ

● 天下無敵の「休日おでかけパス」を持っているんでね,乗り降りは自在だ。
 ので,新橋。新橋はホッとさせてくれるエリアだね。自分がいてもいい場所って気がする。

● 何でかっていうと,新橋って田舎者が吹きだまっているところだからでしょうね。東京の大半がそうかもしれないんだけれども,新橋はたった今,田舎から出てきたばかりの人たちが集うエリアっていうイメージがある。あくまでイメージだけど。
 その分,街に垣根がない。田舎者が入りこんでいくのを躊躇わせるバリアがない。

● スコーンと抜けた感じがする。よくいえば開放的。一切の構えを要求しない。何をしても許される。というか,他人が何をしているかなどに,誰も興味を向けない。そういう安心感。
 銀座だとそうはいかない。銀座を歩くには,ある種の覚悟がいる。下駄履きでフラフラと銀座を歩けるのは,生粋の都会っ子に限られるだろう。田舎者がそれをやったらものすごく浮いてしまう。
 つまり,自分の田舎を隠すという覚悟がいるのだ。隠せるものではないのだけれども,隠すという覚悟はいる。

● 汐留は冷たい感じがする。再開発されて間もないからだろう。街というより大規模な映画かドラマのセットの中を歩いているような気分になる。
 もちろん,人がいないわけではない。ホテルやオフィスビルがニョキニョキ生えているんだから。が,人の気配が染みていない。
 その点,新橋なら人恋しくなることがない。広場の孤独っていうのは,ずいぶん昔からある言葉だろうけど,独りでいてもその孤独を感じることがない。
 ここも新橋の不思議なところ。おそらく,街と自分との距離が近いと感じさせるからで,新橋は巨大な田舎町なのかもしれないと思ってみたりする。

● 烏森神社で遅ればせながらの初詣。いや,元日に浅草の待乳山聖天に行っていたんだった。二度目の初詣ってこと。
 これくらい小体でちょうどいいのだ,都会の神社は。靖国神社だの明治神宮だの,東京にも広い敷地を持った神社はあるけれども,ああいうのは特別な役割を課せられたもので,日々の暮らしの中でついでに立ち寄るところじゃない。

● 上野東京ラインができたおかげで,新橋から電車に乗れば寝ていても宇都宮に戻れる。上野駅がかつて果たしていたターミナル機能は,そっくり新橋に引き継がれた。ぼくの場合は,ということだが。
 “故郷のなまり懐かし停車場”は新橋になった。それもまた,新橋の気安さを演出しているのかもしれないね。

2018.01.27 川崎駅構内のラーメンスタンド「直久」がけっこういい

● 前回はつけ麺を食べたんだった。次は一番安い素ラーメンを食べようと,そのとき思った。が,食券の販売機に素ラーメンは入ってなかったようなんだよね。
 で,今回は八王子ラーメンの麺大盛り。590円。充分に美味でやんす。

● ラーメンっていうのは,こういうふうに立って,左手で丼を持って,食べるものかもね。蕎麦もそうなんだと思うんだけど,あんまりありがたがって食べるものじゃない。もちろん,旨い不味いはあるんだけど。
 スープをレンゲでひと口飲んでは目をつぶり,麺をひと口啜っては目をつぶり,っていうのは,彦麻呂君に任せておけばいいのでね。
 ぼくらはそそくさと食べて,あぁ旨かったとやればいいんじゃないかねぇ。

● ところで,八王子ラーメンってなに? Wikipediaによれば,トッピングに「刻みタマネギを使うことに特徴がある」のが八王子ラーメンとのことだ。背脂をことさらに使うのが特徴かと思ったんだけど,そうではないらしい。スープは醤油。

● 川崎駅の構内にあるんだから,お客さんは電車が運んでくる。オーナーにとっては,けっこうな日銭が入る美味しい商売だろう。ショバ代はそれなりだとしてもね。
 ベンツくらいは楽々乗れるでしょうね。しかし,そっちへ行ってしまうとあっという間にダメになるのが飲食店でもある。金はあるけど使う暇がない,というくらいでないと,なかなか上手くいかないものだろうな。

2018年1月25日木曜日

2018.01.25 BTスピーカーを物色

● ヨドバシカメラ宇都宮店のオーディオ売場でBTスピーカーを物色。というか,現物の確認。
 BOSE製品が贅沢にスペースを使って展示されている。買うとすれば,SOUNDLINK MINI(右の写真で“NEW”が付いていないやつ)と決めているんだけど,それだけがなかった。
 なぜそれにすると決めているかというと,成毛眞さんがFacebookで推奨していたからだ。成毛さんが言うことは信用することにしている。

● WALKMANから飛ばして聴こうと思ったんだけどね。問題は買っても使うかどうか。(今までのところ)自宅で聴くことはほぼないので。
 家ではYouTubeしか聴いてない。パソコン+外付けスピーカーですませている。YouTubeで音質にこだわってもしょうがないよね。
 さてさて,どうしたもんかな。

● っていうか,家でもっと聴くようにすればいいんだよなぁ。BGM的に聴くのでいいから。
 ぼくの場合は,主にクラシックなんだけど,ほんとに最近,聴かなくなっててね。車を運転しながら,NHK-FMから流れてくるのを聴いてるだけになっている。
 これはいいところもある。つまり,自分で曲を選べないところがいい。おっ,こんな曲があったのか,と思ってそれを聴くという。
 つまり,自分で選ぶと自分の既知の範囲内で好きなのを選んでしまうから,なかなかその既知が広がっていかない憾みがあるんだよね。

● その点,FMで聴くとその枠を取り払ってもらえる。同じようなのはEテレにもあるし,CSにはクラシックの専門チャンネルもある。
 枠を外そうと思えば,方法はいくつもあるということだ。

● しかし,一番簡便なのは,CDをWALKMANに取りこんで,順番に聴いていくことだ。選ばないで。それをやろうと思ってるんだけどね。
 その簡単なことがなかなかできないでいるんですよ。

2018年1月24日水曜日

2018.01.24 もはや老後だ。これからやってみたいことがあるか?

● 寿命が延びて老後が長くなっている。65歳定年制になるとか,70歳まで働くとか,そういうことになるんだろうから,“仕事をしなくてすむようになった時期=老後”とすると,そんなに老後は延びないということに,いずれはなるのかもしれない。
 が,只今現在は,22歳から60歳まで働いたとして,38年。60歳から先,38年生きる人はさすがに少ないだろうけれども,にしても20年は生きなきゃならない。

● 時間で測るともっと凄いことになる。現役時代の労働時間は1日10時間程度が平均だろうか。年間2,000時間といったあたりじゃないかと思う。38年間で76,000時間,3,167日,106月,8.8年。
 労働時間は一生の間で9年に満たない。このほかに,通勤やつきあいの時間があったわけだけど。
 同じように老後を迎えても,睡眠や食事や家事を除くと,自由に使える時間は多くて1日の半分,12時間程度だろう。だとしても,20年で87,600時間になる。

● これをどう使うか。それがつまり,老後の問題の大宗だ。時間でいえば老後の方が長い。
 ただし,活力に満ちた壮年期は会社なり仕事なりに奪われている。会社や仕事から解放されたときには,体力や反射神経や頭の回転は衰えている。
 それは定年前に自覚する人が大半だと思うが,その衰え方は一定ではないだろう。加速度が付くと覚悟しておかないといけない。そういう前提で老後の時間に何をするかだ。

● 若い頃,というか最近まで,電車でフラフラとそちこちへ行っていた。見たい場所があるわけではない。歩いてみたい街があるわけでもない。お目あての名物があるわけでもない。
 けど,何日も電車に乗り続けていた。「青春18きっぷ」のせいだ。

● そんなことに若い時期の多くを費やしてしまった。よほどモテなかったに違いない。
 あるいは,酒にお金をつぎ込みすぎて,それ以上のことをする経済的な余裕がなかったのかもしれない。「青春18きっぷ」で遊ぶのが手一杯だったのかも。
 そのあたりは,自分のことなのにはっきりとは憶えていない。でも,そういうことをまたやってみたいと思っていて,三つ子の魂じゃないけれど,趣味とか好きなことっていうのは,基本,若い頃のままですね。
 逆にいえば,ある程度の年齢になってから飛躍が起こることはまずない,ということですね。

● だから,老後に何をするか,あるいは何ができるか,は,定年になった時点で勝負が付いているということだ。60歳になってから,何もないところに家を建てるのは不可能だからだ。
 やりたいことがあって,それを現役のときからできる範囲でやっているのでなければいけない。

● たとえば,時間ができたら本でも読もうと思っている人は,時間ができても本は読めない。本を読むにはけっこうなエネルギーと根気が要る。
 還暦になってから身につくとは考えない方がいい。せいぜい,毎日図書館に通って,新聞や雑誌を読む程度に終わるだろう(それが悪いということではない)。

● 見るとか聴くといった受け身の趣味なら,誰にでもできそうだと思えるかもしれない。が,これまたそうはいかない。還暦過ぎに,それまでまったくなじみのなかったクラシック音楽を聴けるか,歌舞伎を見れるか,といえば,答えはノーだろう。
 美術館巡りもそうだ。二,三回でもう止めたとなるだろう。見る目がないんだから,絵画や彫刻を見たところで面白いわけがないのだ。
 映画ですら,映画館で見るという習慣がなかった人が,定年後に映画館通いができるかといえば,やや疑問符が付く。たとえ娯楽映画であっても,家でテレビを見るようなわけにはいかないのではないか。

● 仕事人間では困るというのはここのところだ。サラリーマンの転職希望者に,あなたは何ができますかと訊くと,具体的なスキルではなく,部長ならできますとか,主任ならできます,と答える人がいるという話が,ビジネス書に載っていることがある。
 おそらく,実話ではないだろうが,実際には転職後に部長や主任が務まることは稀だろう。仕事のノウハウはその会社や役所でしか通用しない。しかも,いつまでも通用するとは限らない。
 だから,財務省の官僚の天下りでも務まっている銀行の頭取なんていうのは,そもそも誰でも務まるポストなのだろうと考えておけばいいのじゃないか。
 仕事人間であるというのは,期間限定・職域限定のノウハウを溜めることしかしていない,ということだ。そういうヤツは放っておくしかない。ガキじゃないんだから,それくらいわかってろということだ。

● これ,自分にも跳ね返ってくる。おまえは老後を「青春18きっぷ」で過ごすしか能がないのか,とね。悲しいけれど,そうかもしれん。
 あとは自転車だな。ジャイアント(→なぜジャイアントかというのは,こちら)のロードバイクを買う方向で,相方と調整がすんでいる。問題はひとつ。最近,めっきり自転車に乗らなくなったこと。特に昨年4月以降はバッタリと乗ってない。
 でも,ま,死ぬ前に一度はロードバイクの乗り味を体験したいし,自転車が変われば乗るようになるかもしれないからな(ならないかもしれないけど)。何せ,手元にある安物はブレーキがまともに利かないんだから。

● 自転車で日本一周くらいはやってみたい。若い頃にやっておけばいいんだろうけど,若い頃はそういうことに頭が向かなかった。それをバカというのかもしれない。自分はいろいろとバカだった。
 そのバカゆえの欠落を,老いてから埋めたいと思っている。いろいろと妄想は逞しくしている。その前にまず,自転車に復帰しなくちゃいけないわけだが。

● あとは今までやってきたことをそのまま続けていくことになる。その先に何があるのかといえば,たぶん何もない。いや,“たぶん”はいらない。何もない。
 寿命がいくら延びても同じことだろう。人生に自分なりの区切りをつけるというのは,おそらくできないことだ。つけられると思っているとすれば,それは幻想の最たるものではないか。

2018年1月22日月曜日

2018.01.22 雪見酒

● 昼から大雪。北陸や東北の人たちにとっては,この程度はなんちゃないっていうことなんだろうけども,この辺では文字どおりの大雪になった。
 予報どおりなので,これは当然想定内。わかっていて車で出勤した。しかも,ぼくの車はノーマルタイヤなのだ。

● ので,帰りは公共交通機関(バス&と電車)で帰ることになるのも想定内。勤務先の街で雪見酒と洒落こもうと思っていた。
 いつもは車通勤だから,勤務先の街で飲むことはない。バスと電車を使うと,自宅から職場まで三角形の二辺を辿ることになる。時間にして2時間はゆうにかかる。そういうところで飲むのは,まったく現実的ではないのだ。
 かつては,それでもタマには飲んで帰った。街と自分との接点を作らなければと思っていた。が,そういうことも億劫に感じる年齢になった。

● 泊まってしまえばいいと思われるかもしれない。が,ビジネスホテルに泊まることがまたひどく億劫に感じてしまうお年頃になったのだ。
 面倒でも自宅に帰りたい。自宅で眠りたい。甚だもって情けないと自分でも思うんだけども,そういう仕儀に相成っている。

● だから,こういうときはむしろ勤務先の街で飲めるチャンスだと思ったのだ。降りしきる雪の中を歩いて(傘は持っていない),バス停の近くの飲み屋に行った。
 しかし,ここからがどうも。まず,予約しているかと訊かれた。アホか,そんなものするかいな。

● 飲みに行くときは飲みたくなったときだ。フラッと行く。が,今回に限らず,最近は,ご予約は? と訊かれることが多くなった気がする。
 予めこの日に飲むと決めて飲むわけじゃない。予約はなじまない。ので,予約が基本という店はこちらから願い下げだ。
 すいませんねぇ,今日は予約のお客さんで満席なんですよ,と断られるのは全然かまわないんだが。

● が,今日は,これ以上雪の中を歩きたくない。忝くも,店の中に入れてもらえた。焼き鳥でハイボールのWを飲んだ。
 店の中には大型画面のテレビがあって,大雪のニュースを流している。それを見ているうちに,ここでグズグズしていてはいけないような気がしてきた。宇都宮までは早めに戻った方がよさそうだぞ,と。
 で,ハイボールは2杯で切りあげて(けっこう酔った気がする),バスが来るはずの時刻の10分前に店を出て,雪の中をバス停にたたずんだ。けっこう風もあったな。

● しかし,待てど暮らせど,そのバスが来ない。逆方向に行くバスもない。この雪では定時運転をしているはずはないが,遅れているバスがやってきてもいいのだ。が,その気配もない。
 そこにジッと立っているのはけっこう辛いのだ。で,ひとつ先のバス停まで歩くことにした。ひとつ先がふたつ先になり,みっつ先になった。よっつ先まで歩いたところで,やっと宇都宮行きのバスがやってきた。
 バスの中の人になったら,自分の髪や洋服から,ポタポタと水滴が落ちて,バスの中に水たまりができてしまった。

● さて,宇都宮駅。烏山線と日光線は運休になっていた。これは知っていたのだが,宇都宮線はまさか動いているだろうと思っていた。
 ぼくとしては,日本の公共交通機関をかなり信頼しているのでね。ところが止まっていたんだな。身体がシンシンと冷えてきて,けっこう答えたぞ。

● でも,この状況を遊べる人もいるね。若いOLの3人組。若いってすごいや。
 それと,父親と二人でいた5才くらいの女の子。どうも上野から宇都宮まで5時間かかったらしい。いったん乗った電車から別の電車に移されたことが3回あったらしい。さらに,ここからどこまで帰るのやら。
元気だったなぁ。っていうか,楽しそうだった。上野動物園でパンダを見てきたんだろうか。

● 22:18に帰宅できたぞい。18時過ぎに店を出てから4時間ちょっと。いつもは車で40分なのだが。
 が,この天候でともかく帰宅できたんだから,日本の公共交通機関はやはり大したものですよ。お疲れ様です。
 結局ね,飲んでいるときに,テレビのニュースにビビッてしまったのがいけなかった。悠然と雪見酒を味わっているべきだったのだ。それでも帰りつく時刻は同じだったはずだ。ビビリはいかんね。

2018年1月21日日曜日

2018.01.21 死ぬ前に自宅を処分しておかないと

● ホテルに住むのは憧れだけれども,経済的に問題にならない。では,ウィークリーマンションならどうかと,少しググって調べている。結論は,年金暮らしにはけっこうきついかなといったあたり。

● なぜそんなことを調べているのかといえば,今住んでいる自宅を処分しなければと思っているからだ。
ぼくら夫婦がいなくなれば,住む人がいなくなる。空き家になってしまう。そうなると近隣に迷惑をかけることになる。
 子供がいなければ当然として,いても彼(彼女)がこの家に住む可能性は皆無だろう。たいていのご家庭ではそうではないか。

● 今の子供たちが大人になる頃は,日本以外のどこかを終の棲家にするのが珍しくない時代になっているかもしれない。
 子孫にとって土地家屋を残されるのは迷惑でしかない時代になった。土地家屋は,子々孫々に伝えていく価値を持たないものになった。

● 土地を購入し,家を建ててしまったことを,今となっては少々以上に悔いているんだけれど,今更それを言っても仕方がない。
 できれば生前に処分したい。こういう時代だからいくらにもならないだろうけど,ここをキチッとしないで死んでいくのは無責任だと思う。

● 処分したあとはアパート住まいというのが順当だけど,もっと気楽な方法はないかなと思ったわけ。

2018.01.21 氏家の「魚べい」

● 氏家の「魚べい」。何度か行ったんだけど,待ち人が多くて退散,ということが続いた。人気が続いている。
 「魚べい」は「元気寿司」が運営する百均寿司。以前はその元気寿司が氏家にも高根沢にもあったんだけど,「魚べい」の開店に伴って,どちらも閉鎖された。

● カウンターに座ると目の前に衝立があって,その向こうにはこちらを向いて座っている人たちがいるわけだ。注文した鮨が電車型のトレイに乗ってやってくる。それをパッと取って食べる。
 養鶏場のブロイラーを連想させるに充分。というのは,自虐に過ぎるかね。だったら行くなよ,ってことだからね。

● 生身の人間を相手にするのは勘定のときだけ。あとは,タッチパネルの操作ですべてすむ。「魚べい」に限らず,回転寿司の多くはそうなっていますね。
 それ自体がサービスになる時代でもあるのだろう。無言ですむということが。
 しかも,注文が通っているかどうか気を揉む局面も消滅する。原始的なAI化でもある。

● 元気寿司はレーンの中にスタッフがいる。目の前で握っているのがわかる。
 回っているレーンから取る人はあまりいない。たいてい,注文している。で,思ったものだ。だったら,レーンを取り外してしまってもいいんじゃないか。普通の鮨屋,回らない鮨屋にしても,この値段でやれるんじゃないのか,と。

● 対して,「魚べい」は作っているところは,一切見えない。無言ですむことの引替がこの不可視化。さて,どちらがいいのか。
 店側の答えは決まっている。元気寿司は減って,「魚べい」が増えるのだろうから。

● 寿司ロボットというのは,今でも健在なんだろうか。元気寿司でもロボットが作っているところは見えないようになっていた。
 見えてしまったら興ざめるに違いないんだけど,でも見てみたいね,寿司ロボットが握っているところ。

2018年1月20日土曜日

2018.01.20 256GBのmicroSDカードを購入

● Sandiskの256GBのmicroSDカードをヤフオクで購入。4,200円。WALKMANに入れて使うつもり。
現在,WALKMANに入っている128GBはChromebookに挿そう。
 いや,Chromebookに128GBは要らないな。WinのタブレットPCに挿さっている64GBを持ってくればいいかな。組み合わせに迷う。

● にしても,microSDに256GBも保存できるって,どうなってるんだよと思いますねぇ。
 少し前のハードディスクの容量ですよ。っていうか,ぼくが使っているバックアップ用のハードディスクの容量は320GBなんですよ。

● USBメモリも同じ。先日,相方から「これ,使えば」って128GBを渡されたんだけど,もてあましてしまう。
 USBに入れとくのはワーキングメモリというか,フロー状態のファイルに限っている。ぼくの場合だと1GBで充分なんですよね。

● がんがん使っていかないと,あっという間に10分の1の値段で買えるようになりますからね。ある意味,時間との勝負ですなぁ。

● パソコンといえばNECの“98”だった頃は,ハードディスクの価格が“1MB=1万円”と言われてましたよ。それで計算すれば,今のパソコンは100億円ですわね。
 それを今は子供でもあたりまえに使っている。技術の進歩ってこういうことなんですよね。

2018年1月18日木曜日

2018.01.18 バレンタインデー

● クリスマスが終わったら正月商戦。正月が終わると,ぐっと規模は小さくなるけど,バレンタインデーと恵方巻。
 地元のスーパーでも,特設コーナーがすでにできている。

● バレンタインデーって廃れないね。もう半世紀は続いているよね。チョコレートだからこそでしょうねぇ。
 この日だけは女性から告白してもいい日。そういうことだったんですよね。となれば,もう廃れててもいいはずなんだよねぇ。女性から告白することの稀少性というのか,珍しさっていうのは,もうなくなっていると思うんだけどね。
 どうやって告白させるかと面倒なことに気持ちを砕くより,自分から告白しちゃった方が早いと考える女子が増えてたりはしないんだろうか。

● ぼくのような者でも甘酸っぱい記憶がなくはない。が,残念ながらバレンタインデーには縁がない歳になった。
 だから言うわけじゃないんだけど,義理チョコっていうのだけ,やめてもらえるとありがたいかなぁ。たぶん,マーケットは義理の方が大きいと思うんだけどね。
 義理でもらったチョコって,みんなどうしてるんだろうか。家に持って帰って家族で食べる? 奥さんがカレーを作るときに使う?

● 女性の側もやめたいと思ってるんじゃないか。やめようよ。あれはバカバカしいよ。ホワイトデーもまったく余計。
 ああいうことで職場がザワザワするって,あんまり好きじゃないんだよなぁ。

● 業界にすればね,ここで売らないと。誰かが仕掛けたものなのか,ひょんなことから広まったものなのかは知らないけれど,商業史に特筆大書されるべき,傑出したビジネスモデルであることは間違いない。
 もし,特定の誰かが仕掛けたものだとするならば,その人がどんな人だったのか知りたいものだね。

2018.01.18 ネットの方がかえって変化が少ない

● FBでは何人かをフォローしてはやめるということを繰り返しているんだけど,ずっとフォローしているのは成毛眞さん。
 その成毛さんが「毎日一定時間FBにアクセスしているのだが,毎日同じような投稿ばかりで飽きてくる。自分だけでも新しいことをしないとSNSを見限ってしまいそうだ」と書いていた。「ネットの方がかえって変化が少ないのかもしれない」,とも(ただし,この投稿はすぐに削除された)。

● こういうことを考える資格があるのは,ネットユーザーの中でも一部のエリートに限られるかもしれない。ぼくがこういうことを言いだすと,おまえこそ「毎日同じような投稿ばかり」しているじゃないかと言われるだろう。
 しかし,ネットの方が変化が少ない,という指摘は,本質をついているように思えてハッとした。

● ネットのテクノロジーや仕組みはどんどん変わってきた。ホームページ→ブログ→SNS。それに伴って,参入障壁がどんどん低くなり,今やネットはほぼ完全に大衆化された。なんせ,ぼくがやっているくらいだから。
 それはイコール,「毎日同じような投稿ばかり」になる過程でもあった。自分のことを棚にあげていえば,大衆が生みだすものって,徹底的につまらない。というより,何も生みだせていない。
 だから,SNSはゴミの山になる。あるいは,不毛な論争(といって褒めすぎだ。口喧嘩と言い直そう)の堆積場になる。

● 大衆の一部が,たとえば東日本大震災のときに,多くの人がTwitterで情報を提供し,貴重な生命が救われたとか,Twitter上に鎮魂の思いが溢れているとか,自画自讃的なことを言いだし,多くの大衆がそれに追随した。
 事実は少し(というか,だいぶ)違ったと思うんだけど,それは別の人がすでに検討しているので,ここでイチイチは言わない。ぼくは,結果として,Twitterは被災地の足を引っぱったと思っている。有事の際は,SNSは流言飛語の温床になるだろう。

● ネットはこれからも変わっていくだろう。TwitterやFBがいつまであるかもわからない。自分のツイートのすべてが,ある日,忽然と消えてしまうことがあるかもしれない。自分のログはSNSというクラウドにあるから安心だと思っていると,手痛いしっぺ返しを受けることになるかも。
 ともかく,ネットはこれからもどんどん変わっていくだろう。大衆化というレベルを超えて,道路や上下水道と同じように,何人もそれなしでは生きていけないインフラになっていくだろう。
 選挙もネットで可能になるだろうし,市役所や町役場の機能のほとんどはネットに移行するかもしれない。印鑑証明も住民票もネットから引きだす。いや,引きだす必要すらなくなって,電子の状態で相手方に渡せるようになるのだろう。

● ネットはこれからも生活を変えていく。それは間違いないと思うし,そうなればネットを使うことは基本的なというより初歩的なリテラシーになる。今以上に誰もが使うものになる。ネットは紙と鉛筆になる。
 が,そうなったからといって,紙と鉛筆の使い手の水準があがるわけではない。SNSがゴミ情報と口喧嘩と流言飛語のたまり場になれば,そしてそれがいつまでも変わらないとすれば,心ある人たちがそっとそこを立ち去ることは,必然的な流れのようにも思われる。

2018年1月16日火曜日

2018.01.16 SNSは是か非か

● IT企業の企画分野で活躍している人の中には,FBへの投稿を頻繁に行っている人がいる。FBの場合,あまり頻繁だと嫌われるとも言われるのだが,そんなものは意に介さず,利用しまくっているという印象。FBを心覚えのためのメモ帳がわりにしている。
 そういう人の場合,内容も多岐にわたる。企画マンってこういうものかという実例のひとつ。

● Twitterのフォロー先も同様に多彩。オピニオンリーダーと目される言論人,報道機関,出版社,アルファブロガーは言うに及ばず,芸能人やお笑いタレント,政治家,同業者などなど。彼(彼女)とは政治的意見や人生観を異にするであろう人たちをもフォローしている。
 SNSからカンファタブルを得ようとしているのではなく,情報収集あるいは考えるキッカケを得たいということだろう。その動機が徹底して貫かれている印象。戦略的にSNSを使っているという感じに映る。
 パンピーは(もちろん,ぼくもその中のひとり),情報収集っていうと“お勉強”を想定してしまうのではないだろうか。彼らの情報収集は勉強といえば勉強のためだろうけど,いわゆる“お勉強”は考えていない(ように見える)。

● 一方,今,藤原智美さんのエッセイ集『あなたがスマホを見ているとき スマホもあなたを見ている』を読んでいるんだけど,藤原さんはSNSをやめたという。
 どちらが賢明なのかはよくわからない。道によって賢しってこともあるだろうしね。

● 自分はSNSを始めてそろそろ2年。面白くて仕方がない時期かもしれない。FBは取りあげられてもいいけれども,Twitterは手放せない感じかな。
 いや,それ以前に“スマホを使いこなしている感”に溺れているのかも。以前はスマホのカメラを使うことはあまりなかったんだけど,今は最も使うのがこの機能になっている。Twitterに載せるために写真を撮るからだ。

● 基本的にはこの趨勢に付いていくべきだと思っている。だいぶ遅れてしまったランナーだけど。昔は良かった的な復古主義の罠に落ちないようにしたいと思っている。

● が,SNSが自分の生活全体に占める割合は圧縮しなければいけないとも思っている。ダラダラとやってしまうんだよね。これまたパンピーはだいたいそうだろうと思うんだけど。ダラダラを切り捨てないとね。
 ところが,ダラダラさせるのはSNSの本質のようにも思えてね。なかなか難しいね。

2018年1月15日月曜日

2018.01.15 韓国のテイタラク

● 右は今日の読売新聞。日本で韓国不信者が増えているという記事。例の従軍慰安婦をめぐる二国合意の履行に関する問題。

● これ,当然だよね。国家間で約束したことを,国民の合意が得られないから実行しないというのでは,国家たる資格がないもん。
 国民を説得するのが政府の仕事だし,説得できなくてもリスクを背負って約束を履行するのが筋というものだ。

● 履行できないのは韓国の国内問題であって,それを理由に再交渉などあり得ない。かの国の為政者は恥ということを知らないんだろうかと思ってしまうよねぇ。
 韓国人の政治センスにも疑問符をつけたくなる。この時期にどうしてこういう大統領を選んでしまうのか。

● 日本でも目先しか見ない人が有権者の多数を占める。それは仕方のないことで,民主主義のコストのひとつに数えるべきものだ。慌てて付け加えておくけれども,自分もまた目先しか見えない人間であることを自覚している。
 が,そうだとしても,日本人は選挙のたびに安倍政権の継続を選択してきた。最良の選択を継続してきたと言える。

● 対して,韓国人は何を考えて現大統領を選んでしまったのか。No!と言えない大統領という印象があるんだが。または,八方美人。韓国はかくあるべしという国家観もなければ,身を捨てる覚悟もないように見える。国家元首になってなお,他国の元首に気に入られようというそれだけで動いているように思える。
 あらかたの人間はそうなのだが,そういう人間はリーダーになってはいけないのだ。リーダーになってはいけない人間を大統領にしてはダメだろう(といっても,日本人も鳩山由紀夫を首相にしちゃってるんだけどさ)。

● ただね,韓国からすれば,日本は自国のすぐ東側にそびえる巨大な壁だ。相当に鬱陶しいだろう。
 対日貿易赤字を考えれば,ウリナラはイルボンの植民地なのかと感じることもあるだろう。ストレスが溜まるだろうなとは思うんだけどね。
 だから,従軍慰安婦の問題で常軌を逸した振る舞いに及ぶのも,一種のガス抜きだと大目に見てやるのが,大人の態度ではあるのかもしれないんだけどさ。

● 北朝鮮に対しては圧力重視というのも当然。日本国民はまともなんだと思う。
 対話で解決できる問題は,解決する必要のない問題に限られる。努力でどうにかできるものは,どうにかする必要のないものに限られる,というのと同断。

2018年1月14日日曜日

2018.01.14 貧乏人のサガ 2

● 午前中,相方と地元のスーパー「とりせん」に行った。米がなくなったし,夜は鍋にしたいから白菜も買わなきゃ,というわけで。
 でも,昨夜も福田屋に行っているんですよ。福田屋で買っておけばよかったのに。

● 「とりせん」では日曜日の午前中(10:30まで)に日曜市を開催している。全品1割引き。
 時間をおしまないで,少しでも安く買おうとすると,福田屋で半額になっていないものは,明日,地元のスーパーで買った方が安い,って発想になる。

● 時間よりも“少しでも安い”が価値が上っていうこと。時間を惜しむことを憶えなさい,って言われそうなんだけど,そうせざるを得ない環境に置かれれば,教えられなくてもそうするはずだ。時間を惜しむ必要のない境遇だから,“少しでも安い”に惹かれるのだ。
 逆にいうと,そういう人に時間を惜しめと言ってみたところで,効果はない。

● 不思議なことに,そういう人(ぼくらのことだけど)も自分は暇だとは思っていない。忙しいと思っている。実際,わりとアタフタしていたりする。
 このあたりが,人の器量ということかもしれないね。器量というかキャパシティーが現れるところかなぁ。

● しかし,それだけで説明することはできない。
 日用品を買うことっていうのは,男の場合は必要悪でしかないことが多い(と思う)。ぼくもそうで,ないと困るから,買いに行くわけだ。それ以上の意味はない。
 だから,一番近くにあるスーパーに行く。チラシを見ることもない。10円や20円の違いは気にしない。賞味期限などチェックの対象外だ。上にあるものから取っていく。

● が,相方はそうではないらしいのだ。必要だから買う,欲しいから買う,というのももちろんあるんだけれども,それよりも,買うという行為をしたいから買っているように見えるのだ。買うという行為それ自体に快感があるようなのだ。
 そうであれば,一度で済むものであっても一度では済ませないのは納得できる。買うという行為は何度でも体験したいわけだから,その機会を摘んでしまうようなことはしないのだ。

● さらに。安く買えると勝利感を覚えるようなのだ。自分は人よりも安く買ったぞ,ということに勝利感が伴うっぽい。
 その差はしかし,微々たるものだ。そのために費やした時間,車のガソリン代まで考えると,とうてい容認されない類のものだ。
 けれども,それは彼女の中では問題にならない。なぜなら,それは娯楽だからだ。

2018年1月13日土曜日

2018.01.13 貧乏人のサガ

● 暗くなってから,相方が宇都宮の福田屋(竹林の方)に連れて行けという。惣菜が半額になるタイムセールを狙っているのだ。で,こんなのやあんなのやそんなのを買ってきた。
 何だかね,次々にいろんなものを買うんですな。この中の一部は食べないで捨てることになるかもしれない。要するに,“半額”に目がくらんじゃうんだよね。貧乏人のサガというかなぁ。

● 今を去ること10数年前は,わりとここに買物に来ていた。ベルモールができる前。やはり,半額狙いで。店側は基本的にその頃と変わっていない。半額シールも昔のままだ。
 相方は,最近,また福田屋づいているようだ。仕事帰りに寄ってくることがあるようになった。

● たしかに,惣菜にしても魚にしても肉にしても,いいものがある。その代わり,お値段もそれなりだ。なかなか手がでない。
 ので,半額になってから買いましょうよ,ってことになる。で,半額になっているのを見ると,やったぁとお得感に溺れてしまって,つい買いすぎる。
 おそらくだけど,タイムサービスで半額になったものは買わないと決めてしまった方が,トータルでの出費は少なくなるのではないかと思わないでもない。

● ぼくらがいつも行っているスーパーとは客層が違うような感じ。相方によれば,この時間帯はそれでもこんなものだけど,昼間来てみると,ほんとにセレブさんという感じのオバサマ方が多いんだそうだ。
 この時間帯に買物に来るんだから,当然,専業主婦。たぶん,ダンナさんはお医者さんか企業の重役さん。でもって,値札も見ないで500円も700円もする野菜なんかをポンポンとカゴに入れていく,と。
 ヘェェーと思う。そんなもんですか。でも,羨ましさはあまり感じないのが不思議。自分でこの種の買物をあまりしないからかもしれない。

● 以下,余談。左の写真は,福田屋屋上から見る宇都宮の街。ここにいくつもの暮らしがあるわけだ。幸福な暮らしもあるかもしれないし,あまり幸福とはいえない暮らしもあるだろう。
 確実なのは,幸福しかない暮らしというのはあり得ないってこと。それでも笑って生きているのが人間ってもんだよね。

2018年1月11日木曜日

2018.01.11 氏家に中村あゆみが来る

● あさって,氏家に中村あゆみが来るんだけどね。今日,知ったよ。「翼の折れたエンジェル」はもう32年も前のことかぁ。
 この曲が好きでカラオケで歌っていたヤツがいたなぁ。昔を振り返るようで嫌だから,行かないことにするか。つーか,チケット,あるかなぁ。

● 速攻で“ぴあ”を確認するも,すでに販売終了。当然だ。主催者がさくら市教育委員会。これにも時代を感じる。
 そのせいか,チケットは3,000円でね。通常の半額近いんだから,これはすぐに売り切れたと思いますわ。

● というわけで,行くこと叶わず。行けたとしても,彼女の歌を聴きながらどう反応したらいいのかわからなくて,とまどうかもしれない。いや,とまどうに違いない。
 マナーとしてこう反応すればいいというのは他の観客が範を示してくれるだろう。その真似をすればいいだけだ。しかし,その真似ができるかどうか,自分でもおぼつかない。
 たぶん,妙な自意識が邪魔をして,ひょっとしたら硬直してしまうんじゃないかな。

● というのであれば,行ってはいけないんだよね。そういうヤツは場の雰囲気を冷やしてしまうから。他のお客さんには迷惑なヤツに成りさがる。もちろん,歌い手にとっても。
 最近は,乃木坂46とか欅坂46のコンサートにいい年をしたオッサンも混じっているらしい。いい年をしていながら,その場に馴染んでノレるっていうのは,なかなかどうして大したものですよ。恥ずかしいとは思わないのか,っていうのは過去の,すでに死にかかった価値観でしょうね。

● Wikipediaによれば,中村あゆみって不幸な少女時代を過ごしている。世間的な常識でいえば,だけれど。
 高校生ですでに経済的に自立を試みて,それにともかく成功した。一人,荒野に立つっていう感じだったのかなぁ。そのまんまの勢いで今に至っているんだろうか。
 何者にも依存しないで生きてきた,っていうイメージを勝手に抱いているんだけどね。

● 芸能界にはそういう人が多いのだろうな,とも。芸能界って,そういう人たちに居場所を提供するっていう役割をずっと果たしてきたのかもしれない。何を今更,っていう話か。
 芸能界で生き残れた人は,その中のエリートってことになるんだろうか。やっぱり,エリートを拝観したかったかなぁ。

2018年1月8日月曜日

2018.01.08 フードは風土のもの?

● 香港から成田に戻って,マロニエ号で宇都宮へ。やれやれ戻ってしまった。明日から仕事。行きたくないわい。

● 夕食代わりに宇都宮の「みやこ家」でカレーつけ麺。58香港ドル。「正斗」の蝦雲呑麺とほぼ同じ値段。どちらがいいかとなると,少し微妙。
 が,量は圧倒的にこちらが多い。今日は動かないで朝から食べるだけだったので,さすがに残してしまった。「みやこ家」で残したのは,今回が初めてだと思うんだが。

● フードは風土のもの,とはしばしば言われること。香港の蝦雲呑麺を日本に帰ってきてまで食べたいか。ん? 食べたいぞ。毎日でもいいか。どうも,毎日でもいいような。
 フードと風土の関係はどうなった? あんまり関係ないかもね。

● 逆に香港で日本のつけ麺を食べるのはどうか。あまり違和感はないかな。
 しかし。たぶん,日本に戻ったばかりだからだよね。あるいは,たったの5日間しか香港にいなかったからでしょうね。

● 外国に長くいても日本食じゃなくてもぜんぜん平気という人,さほど珍しくないんじゃないかと思う。ぼくもたぶん,その中の一人だろう。外国に長くいたことはないけど。
 そういう人って,適応力が優れているというより,食にこだわらない人なんだよね。食に対する訴求点があまり高くない人なんじゃないかと思う。

● 普段から食に対してうるさくない人。もっというと,食をあまり重んじていない人。おそらくそうなんじゃないかなぁと思っている。
 ただし,そういう人の名誉のために言っておくと,食を重んじていないからといって,味覚が鈍いということにはならない。それはまた別の話になる。

2018.01.08 香港には書店がない

● 帰国の途につくために香港の空港に。ここで初めて書店(兼文具店)を見かけた。空港の売店なんだから,小さな店だ。ぼくは日本語以外の読み書きはできないので,買うとすれば地図帳か美術書くらいのものだが,そういうものは置かれていない。
 文具ではモレスキンがあった。香港でもモレスキンは高いんでした。こんなのを買う人が香港にもいるんだなぁ。

たとえば,こんなの
● つまり,香港の街中では書店を見かけることがなかった。目抜き通りで最も目立つのはチェーンの宝石店で,単独の建物で書店を構えている店は目にしたことがない。
 香港に書店がないとは考えにくい。740万人が居住しているのだ。香港人は本を読まないんだろうか。

● 大学もある。かつての3大大学(香港大学,中文大学,科技大学)のほかに,理工大学,城市大学,浸会大学,教育大学,嶺南大学,樹仁大学と数多くの大学がある。学生の数もかなりのものだろう。
 すべて電子書籍になっている? まさかね。学内に書店があって,そこですんじゃうんだろうか。

● だとしても,香港には公開大学もあるのだから,学生からの書籍需要はありそうだがなぁ。
 ビルの一画に入っていたりとか,外からは目立たない形で存在してるんだろうか。香港で目立たないことに甘んじているのも考えにくいなぁ。
 かつて,香港で香港の地図帳を買ったことがある。その店は普通の書店だったけれど,今はなくなっているんだろうかなぁ。

● やっぱり,香港人は本を読まないのだという結論でいいんだろうか。

2018.01.08 飲茶,飲茶,飲茶

● 朝から飲茶。「倫敦大酒樓」。ネイティブで満席。香港に来たんだと実感する。こいつら,ほんとに旨いものを喰ってやがる。
 にしても。平日の8時半だぞ。こいつらの暮らしはどうなっているんだ。ま,年寄が多いんだが。

● 旨い。元気が出る。この食スタイルは,本当に素晴らしい。
 香港では頭にくることもわりとあるんだけど,これある限り,許せる。しょうがねえなぁ,って。
 というわけで,倫敦大酒樓には日参した。相方と初めてこの店に来たのは22年前。変わらぬ人々の喧騒とワゴンスタイルが健在だ。

● その「頭にくること」の筆頭には,この店で出会った。大テーブルが多いので,どうしたって相席になるわけだが,先に席に着いていた爺様が,ぼくらの相席を断ってきたのだ。シッシと犬を追い払うような仕草をした。
 まぁ,いいや。日本でもジジイの傍若無人ぶりには呆れることがあるからな。ジジイのいるところには近づかないという自衛策を講じればすむことだ。

● その代わり,大テーブルにいると,中国人のスタイルにホホゥと思うことがある。彼らにとってはそれが日常だから当然なのかもしれないが,あまり品数を注文しない。大きめの肉まんひとつに,あと何か一品くらいを取って,時間をかけて食べるのだ。
 この時間をかけるというところもすごい。ぼくらはそそくさと食べて,食べ終えたら,これまたそそくさと店を出る。彼らはそうではない。食は喋の道具にすぎない。喋るために食べているようなのだ。
 5日,東涌のスタバに入ってみた。日本のスタバは静かだが,こちらでは複数で来て喋っている人たちが多かった。喋るために彼らは生きているかのようだ。

● しかし,香港の飲茶店でも大テーブルは曲がり角にきているように思われた。ユニットが少人数になってきているのではないか。標準は2人連れのように思えた。
 大テーブルでこそ,ワゴンスタイルは成り立つのかもしれないが,このままの形態で生き残れる可能性は低いと見る。

● 個人的な知り合いが来店したときの店員の対応は,それまでと一変する。飲茶に限らずだが,店員の接客は接客になっていない。これなら,ロボットに置き換えられるなら置き換えた方がまだマシなのではないか,と思わぬでもない。
 が,知り合いが来ると,破顔一笑。下手すりゃ,ずっとつきっきりでサービスするんじゃないかと思うほどだ。頼まれていないものまで持ってきているだろう。もちろん,使用者の許可なんか得ていないだろう。
 公私の別がないというより,私が圧倒的に優先するのだ。そういう基盤なのだ。その基盤のうえにソーシャル・ルールができあがっているのだろう。全体としてバランスが取れているのだろう。

● ゆえに,そのことをいいとか悪いとか,ぼくらが評してみても仕方がない。そんなことをしている暇があるなら,彼らのプライベートな人間関係の中に入り込んでしまう算段を考えた方が早いとしたものだ。
 入れば入ったで,けっこう煩わしいかもしれないけどね。どっちにしたって,旅行者には関係のない話ではある。

● 九龍駅に直結しているショッピングモール「エレメンツ」に入っている「正斗」なる店にも何度か行ってみた。エビワンタン麺とエビ餃子と甘い肉まんが旨い。
 ここの一人前の料金で,倫敦大酒樓なら二人で飲茶を食べられる。かといって,倫敦大酒樓が安いわけでもない。
 のに,お客さんがびっしり入っているんだな。ぼくらも香港にいるからこの料金で食べているけれど,日本国内ならまずあり得ないぞ。香港人は宵越しの銭は持たない人が多いんだろうか。
 たぶん,平均所得は日本人を超えているんじゃないかな。どうもそんな印象を受けるんだけどね。金満家が多いようなね(返還前の香港からは想像できないくらいだ。ただし,一人あたりの所得額は日本を上回っているとしても,実質購買力では日本に負けているかもしれない)。

2018年1月7日日曜日

2018.01.07 香港の物価高に驚く

 かつての香港の魅力は次の4つだった。
 第1は食。広東料理の粋を極めたのが香港。
 第2は独特な都市景観。
 第3に人種の坩堝的な活気。白いのや黒いのもたくさんいて,セカセカと足早に歩いている。それが香港の活気を演出していた。
 第4に買物天国。日本ではなかなか買えないブランド品も,香港なら数分の1の値段で買えた。

 以上のうち,現在でも健在なのは,1と2のみ。中国返還後に,香港から白人が消えた。現在の香港は黄色と褐色がメインで,黒が少ぉしいる。

● 4に至っては完全に消滅した。ずっと海外にはご無沙汰していて,久方ぶりに来ているのだが,香港で一番驚いているのが物価が高くなったことだ。
 円安を外して考えても,香港の物価は高くなった。いくら香港が街として面白くても,そうしばしば来るわけにはいかない。

● ブランド品は香港で買うより銀座の方が安い。iPhoneの最新型も香港で買うと割高になる。
 ホテルもしかり。ぼくらが泊まっているのは香港のホテルはYMCA(ちなみにこのホテル,韓国人宿泊者が多い)。ペニンシュラの隣。パーシャルオーシャンビューの部屋(1062号室)に1泊19,000円で泊まっている。古い建物で,トイレにもウォッシュレットがない。
 以前は香港でもシェラトンが定宿的な感じだったんだけど,今ではシェラトンなんかとても泊まれない。

● 日常生活においても同じだ。今日はディズニーランドの合間に,東涌に行ってスタバに入ってみた。カプチーノのTallが約525円だった。日本では370円だよね。
 スーパーを覗いても同じことを感じる。返還前の香港からは想像できないくらいだ。いくつか例をあげてみる。
 鶏卵10個 390円
 チーかま(4本入り) 250円
 魚肉ソーセージ(1本) 70円
 香港のスーパーで確実に日本より安いのは,日本製の缶ビールだけだ。

● 自分の収入で香港で暮らせるだろうか。無理だと思う。不可能ではないかもしれないけれども,生活水準は相当以上に落とさなければいけないだろう。どのくらい落とせばいいのか,ちょっと見当がつかない。
 ただ,何でも香港の方が高いかというと,ひとつだけ例外がある。公共料金だ。鉄道運賃は,まだ日本より香港の方が安い。
 でも,それだけだ。香港で衣食住を成り立たせるのは,なかなか容易なことではない。

● 香港だけじゃないんだろう。アジアでは日本が突出して物価の高い国,というのは昔の話。東南アジアに行って,お金ってこんなに使いでがあったのか,と感動できる時代は終わっている。
 日本で稼いでアジアで使う,が成立しない。逆だ。自国で稼いで,日本で使った方が使いでがあるかもしれないのだ。日本に来る観光客が増えるはずだ。

● 年金暮らしは物価の安いタイで,なんて言ってたのは,いつの話だ?
 フィリピン人やベトナム人にしても,日本より稼ぎがいのある地域がアジアにできたということだから,たとえば介護要員をそれらの国に求めても,思惑どおりに行くとは限るまい。

2018.01.07 今回2度目の香港ディズニーランド

● 朝,けっこう降ってたんだけど,雨はあがった。嬉しいぞ。で,5日に続いて,2度目のディズニーランドに。
 香港人は客に対して愛想を振りまくことの絶えてない人たちなのだが,ディズニーのコスチュームを着ると,こんな仕草もする。ディズニーは民族性を超えるのだ。少なくと
も,3分の1程度は。

● 香港ディズニーランドに来たら,何をおいても「ミッキー・アンド・ザ・ワンダラス・ブック」は,見るべし。TDLにはないからであり,面白いからだ。わりと大人向けのショーだと思う。ぼくらは計4回見た。
 特に,“雪の女王”が画面からステージに出てきて,“アナと雪の女王”の主題歌を歌うところ。館内に雪が降る。

● 「フェスティバル・オブ・ザ・ライオンキング」もTDLにはないもので,見ておく価値ありと存ずる。仕掛けといい,ダンスの水準といい。
 今回,何かのトラブルがあったらしく,進行が一時中断してしまったが,ま,ご愛敬の範囲内。

● 香港版スペースマウンテン。瞬間最高速度は,こちらが速い。が,“落ちる”がないので,スリルはTDLが勝ると思う。
 怖がっていた相方が一度乗って,はまった感じ。もっとも,怖がっていたのはポーズの可能性が大。

● 香港版ビッグサンダーマウンテン。後ろに落ちるところがあるのが,TDLと違う。

● ミスティック・マナー。ホーンテッドマンションの香港版。前に座った金正恩に似た男が,ずっと内部の写真を撮っていた。邪魔だっ,正恩。
 途中にこんな写真が。相方が多岐川裕美に似ているというのだが。

● ジャングルクルーズ。TDLの「皆さん,伏せて~」はない。逆に,TDLにないシーンがある。が,ガイドの英語が訛っていて,何を言っているのかわからなかった。訛っていない英語だと,もっとわからなかったろう。
 ま,これはTDLと中身もテイストもほぼ同じもの。

● パレード。ロープ規制がなく,演者との距離が近い気がする。パレードはしかし,見ている人を見ている方が面白い。謹厳な中間管理職と覚しき男が最前列で真剣に動画を撮っている。なかなかに味がある。

● このパーク内で,ぼくは最年長かも。TDLに比べると,中高年が少ない印象。日曜日なのに空いている。走っている人なんかいない。
 いや,空いているといってはいけない。ほどよくお客が入っている,というのが正しいね。TDLと比べるからいけない。TDLが異常なのだ。

2018年1月6日土曜日

2018.01.06 香港のそちこちを歩いてみる

● 旺角を歩いてみる。東京でいえば,新宿であり,秋葉原であり,池袋であり,錦糸町であり,他のどれでもある。ただし,銀座や神楽坂ではない。
年寄しかいない街が香港にはあるのか。
 街の風貌は変わってきているが,それでも返還前の香港が垣間見える。初めて香港を訪れたときの,日本じゃないところにきたという強烈な印象を思いださせる。圧倒的な人口圧。歩行速度の速さ。人種の多さ。それらが生みだす活気(のようなもの)。

● 人口稠密は今も変わらないが,今の香港人はゆっくり歩くようになっているし,白人がいなくなったし,街からセカセカ感が減ったように思えるが,それでも旺角に来ると,まっすぐには歩けないような,ウカウカしていると何度でも人にぶつかるような,あぁ香港にいるんだなぁと実感できる。
 相方がショッピングセンターのトイレに行って,感に堪えた様子で帰ってきた。なにゆえにというと,トイレの待ち時間が短いのだ,と。個室で化粧を直している人なんかいなさそうだ,と。

● 尖沙咀に戻って,重慶大厦(チョンキンマンション)の裏手あたりを散歩。重慶大厦は化粧直しをされてて,かつての魔窟(?)的な趣はなくなったが,1階には両替屋が蝟集してるのはかつてと同じ。
 日本語の提灯を出している店があった。日本人にアピールしているわけではないと思う。こうした日本的な風情(?)を愛でる香港人が一定数はいるんだろうか。

● 香港に来たからには,一度はスターフェリーに乗らねば。以前はトークンを買った。次にコインを投入する方式になり,今はオクトパスで乗船できる。
 着いた先の中環は,香港で唯一,香港らしからぬエリア。下町臭がない。東京に比すれば銀座。

● 中環からは地下鉄で再び旺角。夜の旺角は香港人の天真爛漫さが横溢している。素人の大道芸や歌や踊りが10メートルおきに展開中。人のことなんか気にしない連中だから,それぞれが大音声でやっている。
 若者だけじゃなくて,中年も年寄りも男も女も,同じフィールドで弾けているのが,何とはなしに微笑ましい。

● また,ホテルのある尖沙咀に戻ってきた。ネイザンロードを外れて,裏道を歩いてみる。
 吉野家があった。香港の吉野家はファストフードではないんでした。“料亭よしの”とまではいかないにしても,わりと高級店の趣。ので,ぼくらは入らなかった。

● で,夕食を食べたのはこの店。焼きそばを。ビーフンの焼きそば。具はほとんど入っていない。
 旨いからいいんだけど,問題は値段だ。日本円にして千円もするのだ。大衆食堂だ。料理を置くときにもドサッと投げだすように置くのだ。それを咎めるつもりは全然ない。
 しかし,それで千円も取るのだ。ネイティブは文句も言わずに払っているのだった。つまり,これが相場らしいのだ。

2018年1月5日金曜日

2018.01.05 香港ディズニーランド

欣澳駅で迪士尼線に乗り換え
● ぼくは二度目(相方は息子と二人で何度も来ている)。相方にすれば,香港に来たのは半ば以上はディズニーが目的。
 初めて来たときはまだ造成工事が終わっていなかったような記憶がある。いくつかアトラクションのある広い空き地で,お客さんも少なく閑散としていたような。さすがに,その頃とは様変わり。

2daysパス
● 2daysパスを買った。1dayパスと値段があまり違わない。もっと安いのが年パスで,3回行けば元が取れるんじゃないか。
 日本人客も多数。バカの日本代表という感がなくもない。代表があまたいるので困るわけだけども,その中でもいい年こいてこんなところに来ているぼくらは,代表 of 代表というところだな。

● TDL(TDLに最後に行ったのもだいぶ前のこと)との違いはいくつもあるけれど,大きく違うのは2つ。
 ひとつは,キャスト。香港はあくまで無愛想,あくまで事務的。彼らからゲストに声をかけることはない。私語は普通。
 彼らが2,3人横になって歩いているので,ゲストが端に寄って道を空ける。彼らはお客の管理者以外ではない。

● TDLの「キャスト」は特殊な例なのだろう。ディズニーではなく,オリエンタルランドの成果に帰すべきものではないか。
 ただし,香港流ではダメなのかというと,そこはわからない。香港ではディズニーランドを「夢と魔法の王国」とは捉えていないようでもあり(つまり,親子で遊べる遊園地だと考えている),それでいいような気もする。

● もうひとつは,トイレがきれいとは言いがたいこと。TDLと同列に考えてはいけない。

● 昼過ぎ,いったん退園して東涌へ。相方によればここに安いフードコートがあるとのことだった。が,なくなっていたようだ。
東涌駅
 仕方がないのでスタバで遅めの昼食。カプチーノのTallが約525円。日本では370円だったよね。
 日本のスタバはシーンとしている印象がある。ここではお喋りで過ごしている人が多い。飲茶民族の面目躍如と言いたいんだけども,そういう括りは間違いの元だろうな。

● パソコンを開いているのは一人しかいなかった。30代とおぼしきオネーサン。これだけ少ないと目立つっちゃ目立つんだけど,ひょっとすると香港ではこういったところでパソコンを開くのは,もう古い事象になっているのかもしれない。

● 空港ができるまで,このあたりは香港の僻地で何もないところだったのではないか。今では高層アパートが林立する香港的な街並みができあがっている。
 ただ,香港も日本以上の少子化に見舞われているのではなかったか。いずれ日本の後を追って,超高齢化,人口減少が現実のものになるのだろう。
 そのとき,これらの高層アパートはどうなるんだろう。ぼくが心配することではないんだけどね。香港がそっくり高島平と化するんだろうか。それとも,大陸から中国人が退去して押し寄せて,不法占拠的に住まうことになるのかねぇ。

● 再びディズニーランドに戻って,結局,1日をディズニーランドで過ごした。ので,相方の機嫌はすこぶるいい。
 行ってみたのは以下のアトラクションとショー。5と6は2回。

1 アイアンマン・エクスペリエンス(TDSのストームライダーの香港版)

2 ミスティック・マナー(ホーンテッドマンションをベースにハニーハントとピノキオを加味した感じ?)

3 ビッグ・グリズリー・マウンテン・ラナウェイ・マイン・カー(ビッグサンダー・マウンテン)

4 フェスティバル・オブ・ザ・ライオンキング

5 ミッキー・アンド・ザ・ワンダラス・ブック

6 ハイパー・スペース・マウンテン(スペース・マウンテン)

 4と5は香港オリジナルのショーで,相方は5が好きだという。ぼくは4に惹かれた。ディズニー水準,恐るべし。