● 午前中,相方と地元のスーパー「とりせん」に行った。米がなくなったし,夜は鍋にしたいから白菜も買わなきゃ,というわけで。
でも,昨夜も福田屋に行っているんですよ。福田屋で買っておけばよかったのに。
● 「とりせん」では日曜日の午前中(10:30まで)に日曜市を開催している。全品1割引き。
時間をおしまないで,少しでも安く買おうとすると,福田屋で半額になっていないものは,明日,地元のスーパーで買った方が安い,って発想になる。
● 時間よりも“少しでも安い”が価値が上っていうこと。時間を惜しむことを憶えなさい,って言われそうなんだけど,そうせざるを得ない環境に置かれれば,教えられなくてもそうするはずだ。時間を惜しむ必要のない境遇だから,“少しでも安い”に惹かれるのだ。
逆にいうと,そういう人に時間を惜しめと言ってみたところで,効果はない。
● 不思議なことに,そういう人(ぼくらのことだけど)も自分は暇だとは思っていない。忙しいと思っている。実際,わりとアタフタしていたりする。
このあたりが,人の器量ということかもしれないね。器量というかキャパシティーが現れるところかなぁ。
● しかし,それだけで説明することはできない。
日用品を買うことっていうのは,男の場合は必要悪でしかないことが多い(と思う)。ぼくもそうで,ないと困るから,買いに行くわけだ。それ以上の意味はない。
だから,一番近くにあるスーパーに行く。チラシを見ることもない。10円や20円の違いは気にしない。賞味期限などチェックの対象外だ。上にあるものから取っていく。
● が,相方はそうではないらしいのだ。必要だから買う,欲しいから買う,というのももちろんあるんだけれども,それよりも,買うという行為をしたいから買っているように見えるのだ。買うという行為それ自体に快感があるようなのだ。
そうであれば,一度で済むものであっても一度では済ませないのは納得できる。買うという行為は何度でも体験したいわけだから,その機会を摘んでしまうようなことはしないのだ。
● さらに。安く買えると勝利感を覚えるようなのだ。自分は人よりも安く買ったぞ,ということに勝利感が伴うっぽい。
その差はしかし,微々たるものだ。そのために費やした時間,車のガソリン代まで考えると,とうてい容認されない類のものだ。
けれども,それは彼女の中では問題にならない。なぜなら,それは娯楽だからだ。
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