2018年1月8日月曜日

2018.01.08 飲茶,飲茶,飲茶

● 朝から飲茶。「倫敦大酒樓」。ネイティブで満席。香港に来たんだと実感する。こいつら,ほんとに旨いものを喰ってやがる。
 にしても。平日の8時半だぞ。こいつらの暮らしはどうなっているんだ。ま,年寄が多いんだが。

● 旨い。元気が出る。この食スタイルは,本当に素晴らしい。
 香港では頭にくることもわりとあるんだけど,これある限り,許せる。しょうがねえなぁ,って。
 というわけで,倫敦大酒樓には日参した。相方と初めてこの店に来たのは22年前。変わらぬ人々の喧騒とワゴンスタイルが健在だ。

● その「頭にくること」の筆頭には,この店で出会った。大テーブルが多いので,どうしたって相席になるわけだが,先に席に着いていた爺様が,ぼくらの相席を断ってきたのだ。シッシと犬を追い払うような仕草をした。
 まぁ,いいや。日本でもジジイの傍若無人ぶりには呆れることがあるからな。ジジイのいるところには近づかないという自衛策を講じればすむことだ。

● その代わり,大テーブルにいると,中国人のスタイルにホホゥと思うことがある。彼らにとってはそれが日常だから当然なのかもしれないが,あまり品数を注文しない。大きめの肉まんひとつに,あと何か一品くらいを取って,時間をかけて食べるのだ。
 この時間をかけるというところもすごい。ぼくらはそそくさと食べて,食べ終えたら,これまたそそくさと店を出る。彼らはそうではない。食は喋の道具にすぎない。喋るために食べているようなのだ。
 5日,東涌のスタバに入ってみた。日本のスタバは静かだが,こちらでは複数で来て喋っている人たちが多かった。喋るために彼らは生きているかのようだ。

● しかし,香港の飲茶店でも大テーブルは曲がり角にきているように思われた。ユニットが少人数になってきているのではないか。標準は2人連れのように思えた。
 大テーブルでこそ,ワゴンスタイルは成り立つのかもしれないが,このままの形態で生き残れる可能性は低いと見る。

● 個人的な知り合いが来店したときの店員の対応は,それまでと一変する。飲茶に限らずだが,店員の接客は接客になっていない。これなら,ロボットに置き換えられるなら置き換えた方がまだマシなのではないか,と思わぬでもない。
 が,知り合いが来ると,破顔一笑。下手すりゃ,ずっとつきっきりでサービスするんじゃないかと思うほどだ。頼まれていないものまで持ってきているだろう。もちろん,使用者の許可なんか得ていないだろう。
 公私の別がないというより,私が圧倒的に優先するのだ。そういう基盤なのだ。その基盤のうえにソーシャル・ルールができあがっているのだろう。全体としてバランスが取れているのだろう。

● ゆえに,そのことをいいとか悪いとか,ぼくらが評してみても仕方がない。そんなことをしている暇があるなら,彼らのプライベートな人間関係の中に入り込んでしまう算段を考えた方が早いとしたものだ。
 入れば入ったで,けっこう煩わしいかもしれないけどね。どっちにしたって,旅行者には関係のない話ではある。

● 九龍駅に直結しているショッピングモール「エレメンツ」に入っている「正斗」なる店にも何度か行ってみた。エビワンタン麺とエビ餃子と甘い肉まんが旨い。
 ここの一人前の料金で,倫敦大酒樓なら二人で飲茶を食べられる。かといって,倫敦大酒樓が安いわけでもない。
 のに,お客さんがびっしり入っているんだな。ぼくらも香港にいるからこの料金で食べているけれど,日本国内ならまずあり得ないぞ。香港人は宵越しの銭は持たない人が多いんだろうか。
 たぶん,平均所得は日本人を超えているんじゃないかな。どうもそんな印象を受けるんだけどね。金満家が多いようなね(返還前の香港からは想像できないくらいだ。ただし,一人あたりの所得額は日本を上回っているとしても,実質購買力では日本に負けているかもしれない)。

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