2018年1月3日水曜日

2018.01.03 足利に行ってきた

● 「青春18きっぷ」を使わなくちゃ。足利に来てみた。
 足利って,栃木県にある非栃木っていうイメージがある。栃木県にある自治都市といいますかね。しかも,使用されている言語が奇妙奇天烈なもので,栃木語とは別のもの。

● と思ってしまうのは,自分の居住地を中心にモノを見てしまうからで,足利市民に言わせれば,ザケんなよ,なんで足利が栃木なんだよ,宇都宮? 知らねーよ,そんなもん,ということになるのかもしれない。
 奇天烈な足利語で,そのような思考を展開される向きもあるのかな,と。

● 東京にはしばしば出かけているけど,足利に来るのは数年ぶり。これはね,足利の人たちも同じだよね。
 交通機関がそうさせるようになっている。つまり,1時間に1本しか走っていないJR両毛線より,東武電車の方が身近な存在ではないか。東武特急に乗れば1時間余で浅草に着く。宇都宮より東京が近い。
 東京には行くけど,栃木県内の他の市町には滅多に行かないんじゃないか。足利の隣町は佐野や桐生ではなく,太田なんじゃなかろうか。

足利学校
● 足利は地形も独特だ。低い山並みが市街の北側に続いている(その向こうには前日光の山々が控えているわけだが)。が,盆地ではない。渡良瀬川の南には関東平野が広がる。
 そのどんづまりが足利なんだけど,ではどんづまり感があるかというと,東西に逃げ道があるので,それもあまり感じない。

● ともあれ。両毛線で足利に着くと,東横インの威容が我々を迎えてくれるのだ。かつては,三越百貨店もあったのだぞ。織物で景気が良かった時代があったのだ。
 栄枯が移るは世のならい。

● 問題は栄が少数のせまいエリアに集中して,大半は枯に包まれてしまっていること。しかし,それが問題だと感じるのは,ぼくらが枯のエリアにいるからだ。
 とはいっても,文字どおりの東京一極集中は困る。東京に近いところに住んでいれば,一極集中の恩恵を受けることができるけれど(足利市民はその立場。東京に住むのはデメリットも大きいから,東京に近い田舎に住んで,東京に遊びに行くというのが,もっとも賢い方法だ),日本は細長い地形なんだから,その恩恵に与れない人が出てしまう。

● 各地方にミニ東京があるのが望ましい。札幌,仙台,金沢,名古屋,大阪,神戸,福岡がその役割を担っているんだろうけど,それらの都市と東京の格差がここまで開いてしまうと,東京圏とそれ以外で享受できる便益にかなりの開きが出る。
 情報だの買物だのは,インターネットが格差を解消する。が,遊びの大半はそこに行かなきゃできない。映画なんかは複製が可能だから地域差は出ないが,コンサートを聴く,美術作品を見る,といったあたりは東京じゃないとどうにもならないところがある。

● ま,そんなことはさておいて。まずは,足利学校へ。正月3が日は無料で公開されている。ただし,建物の中には入れない。
 「教員は禅僧などの僧侶であったものの,教育内容から仏教色を排したところに特徴がある」とはWikipediaの解説。儒学(特に易学)に重点を置いていたらしい。
 このあたり,地名も昌平町(ちなみに,昌平とは孔子が生まれたとされる村の地名)。となると,かの湯島聖堂を思いだすことになるわけだけども,湯島聖堂よりもこちらの方が興趣に富んでいる,とぼくは断言したい。長い時間過ごせるのはこちらのほうだ。
 ただ,足利学校が学校として隆盛だった期間は,トータルしてもさほど長いものではなかったらしい。南蛮宣教師が「坂東の大学」と称揚したのは,その短い隆盛期にあたっていたからで,足利学校にとっては幸運なことだった。

● 稲荷社もある。ご利益は学業成就。ぼくには必要ないというか,とっくに手遅れだけれども,合格祈願に訪れる人が多いのだろう。菅原道真の天満宮的な使われ方をされている。

● 裏に回ると,巨木もあって,ここは足利のパワースポットでもあるのかねぇ。夏に来ると,格別かもしれないよ。
学校代官茂木家の墓というの
もあった。地元選出の茂木代議士とは関係ないんだろうな。あるのかね。
 近くには古書店もあって,なかなかいい風情に映る。

● 世界遺産登録を目指している。時間の問題だろう。間違いなく世界遺産になると思われる。
 が,世界遺産はすでにインフレ気味で,今さら登録されたところで,何かメリットがあるのか(国からの補助金が増えるとかってあるんだろうか)。
 実利に敏い足利市民らしくもないという気がしないでもない。

● 次は鑁阿寺。真言宗(新義の方)の名刹。本堂は国宝。
 足利氏との関連が云々されるけれども,足利尊氏を含めて,足利氏と足利市の関連はほとんどない。足利氏は京都にいたんだからね。本貫が足利だというに過ぎない。
 とはいえ,これは大変な資産でしょうね。

鑁阿寺
● 多宝塔の案内板には,「徳川氏は新田氏の後裔を称し」とあるけれど,こういうのを僭称あるいは詐称という。要するに,デッチアゲ。家康の二代前はどこの馬の骨かわからない。
 豊臣秀吉が関白にまで上り詰めたあと,当時の武士層が,秀吉の出自を貶めの材料にした形跡はほとんどない。自分たちもそうだったからで(徳川しかり,前田しかり),戦国大名とはそういうものだ。庶民が才覚で大名に成り上がることができた面白い時代だった。
鑁阿寺本堂
 でも,僭称だろうが詐称だろうが,徳川が源氏の末裔になってくれたおかげで,鑁阿寺は幕府の補助を受けることができた。結果オーライだ。

● 鑁阿寺の隣にもうひとつ立派なお寺があった。東光山善徳寺。鑁阿寺は賑わっていたけれど,こちらはヒッソリとしていた。ぼくも今回は素通り。いずれ機会をあらためて。
 足利って,膨大な時間の堆積が感じられる,栃木県ではほとんど唯一のところ。日光はそっくり東照宮の荘園のようなものだし,見るべきものの第一はその自然だ。
善徳寺
 対して,足利は江戸時代以前から現在に至る文化の堆積が分厚い。あくまでもこちらの印象にとどまるけれども,空気の色が違うように感じられる。

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