足利って,栃木県にある非栃木っていうイメージがある。栃木県にある自治都市といいますかね。しかも,使用されている言語が奇妙奇天烈なもので,栃木語とは別のもの。
奇天烈な足利語で,そのような思考を展開される向きもあるのかな,と。
交通機関がそうさせるようになっている。つまり,1時間に1本しか走っていないJR両毛線より,東武電車の方が身近な存在ではないか。東武特急に乗れば1時間余で浅草に着く。宇都宮より東京が近い。
東京には行くけど,栃木県内の他の市町には滅多に行かないんじゃないか。足利の隣町は佐野や桐生ではなく,太田なんじゃなかろうか。
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足利学校 |
そのどんづまりが足利なんだけど,ではどんづまり感があるかというと,東西に逃げ道があるので,それもあまり感じない。
栄枯が移るは世のならい。
● 各地方にミニ東京があるのが望ましい。札幌,仙台,金沢,名古屋,大阪,神戸,福岡がその役割を担っているんだろうけど,それらの都市と東京の格差がここまで開いてしまうと,東京圏とそれ以外で享受できる便益にかなりの開きが出る。
情報だの買物だのは,インターネットが格差を解消する。が,遊びの大半はそこに行かなきゃできない。映画なんかは複製が可能だから地域差は出ないが,コンサートを聴く,美術作品を見る,といったあたりは東京じゃないとどうにもならないところがある。
● ま,そんなことはさておいて。まずは,足利学校へ。正月3が日は無料で公開されている。ただし,建物の中には入れない。
「教員は禅僧などの僧侶であったものの,教育内容から仏教色を排したところに特徴がある」とはWikipediaの解説。儒学(特に易学)に重点を置いていたらしい。
このあたり,地名も昌平町(ちなみに,昌平とは孔子が生まれたとされる村の地名)。となると,かの湯島聖堂を思いだすことになるわけだけども,湯島聖堂よりもこちらの方が興趣に富んでいる,とぼくは断言したい。長い時間過ごせるのはこちらのほうだ。
ただ,足利学校が学校として隆盛だった期間は,トータルしてもさほど長いものではなかったらしい。南蛮宣教師が「坂東の大学」と称揚したのは,その短い隆盛期にあたっていたからで,足利学校にとっては幸運なことだった。
● 裏に回ると,巨木もあって,ここは足利のパワースポットでもあるのかねぇ。夏に来ると,格別かもしれないよ。
学校代官茂木家の墓というの
もあった。地元選出の茂木代議士とは関係ないんだろうな。あるのかね。
近くには古書店もあって,なかなかいい風情に映る。
● 世界遺産登録を目指している。時間の問題だろう。間違いなく世界遺産になると思われる。
が,世界遺産はすでにインフレ気味で,今さら登録されたところで,何かメリットがあるのか(国からの補助金が増えるとかってあるんだろうか)。
実利に敏い足利市民らしくもないという気がしないでもない。
● 次は鑁阿寺。真言宗(新義の方)の名刹。本堂は国宝。
足利氏との関連が云々されるけれども,足利尊氏を含めて,足利氏と足利市の関連はほとんどない。足利氏は京都にいたんだからね。本貫が足利だというに過ぎない。
とはいえ,これは大変な資産でしょうね。
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鑁阿寺 |
豊臣秀吉が関白にまで上り詰めたあと,当時の武士層が,秀吉の出自を貶めの材料にした形跡はほとんどない。自分たちもそうだったからで(徳川しかり,前田しかり),戦国大名とはそういうものだ。庶民が才覚で大名に成り上がることができた面白い時代だった。
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鑁阿寺本堂 |
足利って,膨大な時間の堆積が感じられる,栃木県ではほとんど唯一のところ。日光はそっくり東照宮の荘園のようなものだし,見るべきものの第一はその自然だ。
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善徳寺 |
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