● 天下無敵の「休日おでかけパス」を持っているんでね,乗り降りは自在だ。
ので,新橋。新橋はホッとさせてくれるエリアだね。自分がいてもいい場所って気がする。
● 何でかっていうと,新橋って田舎者が吹きだまっているところだからでしょうね。東京の大半がそうかもしれないんだけれども,新橋はたった今,田舎から出てきたばかりの人たちが集うエリアっていうイメージがある。あくまでイメージだけど。
その分,街に垣根がない。田舎者が入りこんでいくのを躊躇わせるバリアがない。
● スコーンと抜けた感じがする。よくいえば開放的。一切の構えを要求しない。何をしても許される。というか,他人が何をしているかなどに,誰も興味を向けない。そういう安心感。
銀座だとそうはいかない。銀座を歩くには,ある種の覚悟がいる。下駄履きでフラフラと銀座を歩けるのは,生粋の都会っ子に限られるだろう。田舎者がそれをやったらものすごく浮いてしまう。
つまり,自分の田舎を隠すという覚悟がいるのだ。隠せるものではないのだけれども,隠すという覚悟はいる。
● 汐留は冷たい感じがする。再開発されて間もないからだろう。街というより大規模な映画かドラマのセットの中を歩いているような気分になる。
もちろん,人がいないわけではない。ホテルやオフィスビルがニョキニョキ生えているんだから。が,人の気配が染みていない。
その点,新橋なら人恋しくなることがない。広場の孤独っていうのは,ずいぶん昔からある言葉だろうけど,独りでいてもその孤独を感じることがない。
ここも新橋の不思議なところ。おそらく,街と自分との距離が近いと感じさせるからで,新橋は巨大な田舎町なのかもしれないと思ってみたりする。
● 烏森神社で遅ればせながらの初詣。いや,元日に浅草の待乳山聖天に行っていたんだった。二度目の初詣ってこと。
これくらい小体でちょうどいいのだ,都会の神社は。靖国神社だの明治神宮だの,東京にも広い敷地を持った神社はあるけれども,ああいうのは特別な役割を課せられたもので,日々の暮らしの中でついでに立ち寄るところじゃない。
● 上野東京ラインができたおかげで,新橋から電車に乗れば寝ていても宇都宮に戻れる。上野駅がかつて果たしていたターミナル機能は,そっくり新橋に引き継がれた。ぼくの場合は,ということだが。
“故郷のなまり懐かし停車場”は新橋になった。それもまた,新橋の気安さを演出しているのかもしれないね。
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