2018年1月18日木曜日

2018.01.18 ネットの方がかえって変化が少ない

● FBでは何人かをフォローしてはやめるということを繰り返しているんだけど,ずっとフォローしているのは成毛眞さん。
 その成毛さんが「毎日一定時間FBにアクセスしているのだが,毎日同じような投稿ばかりで飽きてくる。自分だけでも新しいことをしないとSNSを見限ってしまいそうだ」と書いていた。「ネットの方がかえって変化が少ないのかもしれない」,とも(ただし,この投稿はすぐに削除された)。

● こういうことを考える資格があるのは,ネットユーザーの中でも一部のエリートに限られるかもしれない。ぼくがこういうことを言いだすと,おまえこそ「毎日同じような投稿ばかり」しているじゃないかと言われるだろう。
 しかし,ネットの方が変化が少ない,という指摘は,本質をついているように思えてハッとした。

● ネットのテクノロジーや仕組みはどんどん変わってきた。ホームページ→ブログ→SNS。それに伴って,参入障壁がどんどん低くなり,今やネットはほぼ完全に大衆化された。なんせ,ぼくがやっているくらいだから。
 それはイコール,「毎日同じような投稿ばかり」になる過程でもあった。自分のことを棚にあげていえば,大衆が生みだすものって,徹底的につまらない。というより,何も生みだせていない。
 だから,SNSはゴミの山になる。あるいは,不毛な論争(といって褒めすぎだ。口喧嘩と言い直そう)の堆積場になる。

● 大衆の一部が,たとえば東日本大震災のときに,多くの人がTwitterで情報を提供し,貴重な生命が救われたとか,Twitter上に鎮魂の思いが溢れているとか,自画自讃的なことを言いだし,多くの大衆がそれに追随した。
 事実は少し(というか,だいぶ)違ったと思うんだけど,それは別の人がすでに検討しているので,ここでイチイチは言わない。ぼくは,結果として,Twitterは被災地の足を引っぱったと思っている。有事の際は,SNSは流言飛語の温床になるだろう。

● ネットはこれからも変わっていくだろう。TwitterやFBがいつまであるかもわからない。自分のツイートのすべてが,ある日,忽然と消えてしまうことがあるかもしれない。自分のログはSNSというクラウドにあるから安心だと思っていると,手痛いしっぺ返しを受けることになるかも。
 ともかく,ネットはこれからもどんどん変わっていくだろう。大衆化というレベルを超えて,道路や上下水道と同じように,何人もそれなしでは生きていけないインフラになっていくだろう。
 選挙もネットで可能になるだろうし,市役所や町役場の機能のほとんどはネットに移行するかもしれない。印鑑証明も住民票もネットから引きだす。いや,引きだす必要すらなくなって,電子の状態で相手方に渡せるようになるのだろう。

● ネットはこれからも生活を変えていく。それは間違いないと思うし,そうなればネットを使うことは基本的なというより初歩的なリテラシーになる。今以上に誰もが使うものになる。ネットは紙と鉛筆になる。
 が,そうなったからといって,紙と鉛筆の使い手の水準があがるわけではない。SNSがゴミ情報と口喧嘩と流言飛語のたまり場になれば,そしてそれがいつまでも変わらないとすれば,心ある人たちがそっとそこを立ち去ることは,必然的な流れのようにも思われる。

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