● 平日の金曜日。休暇を取って,宇都宮市立東図書館に行ったんだけど。
先輩のAさんを見かけた。さほど親しくもなかった人なので,声をかけることはしなかった。
Aさん,定年退職して,5年が経つはずだ。おそらく,再就職も卒業して,毎日が日曜日になっているのだろう。
● だから,平日の午前中から図書館。でも,幸せそうには見えなかった。読みたい本があって図書館に日参しているなら,もっと張りがあるはずだと思った。
やること(やりたいこと)がないから,暇をつぶすために図書館を利用しているというふうに見えた。使える時間はふんだんにある。が,その時間を持てあましているような。
図書館ならお金もかからないから,そこで時間をうっちゃってこよう,と。図書館じゃなくてもいいんだけど,無難なところで図書館かな,と。
● これはいけない。図書館通いがいけないのではなく,やりたいことがないというのが。本人にとってもだけれども,この張りのなさというのは,周囲にも浸潤して,場のテンションを下げてしまう。
暇つぶしなんだから,気が入っていない風情なわけで,そういう人はAさん以外にもけっこういる。平日の図書館はそうした老人のたまり場になっている感がある。
● ぼくも引退に片脚を突っこんでいるので,他人事ではない。
退職後に在職時の人間関係が続くわけはない。退職時で切れる。それに気づかずにか,気づいていてもなおなのか,職場にやってくるOBがいる。それだけはやってはいけないと若い頃から思っていた。
● 企んだことでもないんだけど,ぼくの場合は,退職で失う人間関係などない。元々なかったんだから,失うはずがない。あまり職場に体重を預けてこなかった。悪くいえば,斜に構えていた。
友だちがいない状態には慣れている。何をやるにしても「一人」が前提だ。食事をするのも,酒を飲むのも。それで失うものがあるとは思わない。
だから,退職後は会社に代わる人間関係を構築せねば,という発想もない。まず人間関係ありき,友だちがいなければ何をしても楽しくない,人の間に生きてこそ人間じゃないか,というのは,考え方の根本が間違っている。
● したがって,問題はただひとつ。毎日が日曜日になったときにやりたいことがあるか。当然,そのやりたいことというのは,一人でできることでなければならない。
こういうのは,毎日が日曜日になりました,ではやりたいことを見つけましょう,は通用しない。遅すぎる。その時点でゲームオーバーだ。
やりたいことはそれ以前に存在している必要がある。現役の頃から,できる範囲でそれをやっていなければいけない。
● この点に関して,自分に盤石の自信があるわけではない。やりたいことがあっても経済的な問題はつきまとう。
けれども,多少の成算は持っている。
● 問題は唯一,健康の維持。ただし,そのために何かやっているかといえば,まったく何も。健康はすべての大元だけれども,あまり健康,健康と神経質になっては,かえって健康を損ねる。
良寛和尚が仰るように,死ぬる時節には死ぬるがよく候,ということだと思っている。
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