● 大晦日の25~26時に飲んだので,実際には元日の早朝といってもいいんですけどね。
● 飲んだのは上野。上野っていえば,モツ焼きの「大統領」とか,地方人にもよく知られている店がある。ところが,そうした店はこの日のこの時間には店終いをしちゃっててね。
それでも,さすがは帝都東京であって,24時間営業の店がいくつもあるようなんでした。
● 電通の自殺騒ぎがあって,ブラック企業という言葉がまた闊歩しだした感があるけれども,居酒屋に限らず,飲食店の多くはブラックでなければやっていけないのが実情だろう。
24時間営業なんてのは,居酒屋とコンビニくらいだろうけど,それを維持しつつブラックであることを免れるのは不可能ではあるまいか。
であるからして,24時間営業をやめるという英断を下せればいいんだけど,それでは利益が出なくなるということかもしれない。
● ともかく,チェーンの居酒屋で飲んだ。魚の店で,肉は出ない。魚か肉かといわれれば,ぼくは肉派なんだけども,魚が嫌いだというわけではない。
ハイボールと梅ハイで,マグロ山かけ,縞ホッケの焼いたの,マグロ赤身の切り落とし,なんぞを食したけれど,不満のあろうはずもない。マグロはきちんと旨かった。
● 隣のテーブルには若いカップルがいた。20代の前半だろう。韓国人のカップルだ。休みを利用して,円安の日本に来ているんだろうけど,こういう店に来るとは情報通だな。
かの地のガイドブックにはこういうチェーンの居酒屋も紹介されているんだろうか。あるいは,たまたま立ち寄ったのだろうか。
臆せず注文するし,声量を落とすことなく自国語で喋っている。お客だから意が通じなければ,店側が気を回してくれる。
この時間帯に地元民(日本人)と一緒に酒を飲むとはなかなかの行動派ではないか。
● 店のスタッフにも外国人の若者がいる。いわゆる在日韓国(朝鮮)人(と思われる人)も。彼女のそのカップルに対する姿勢が面白かった。
面白かったというと語弊があるけど,要はあまり友好的ではないんだよね。日本人のお客さんに対するよりも,明らかに突っ慳貪で。
ひょっとすると,アレか。彼女が韓国に行ったときに,在日だという理由で同じ扱いをされたことがあるのか。
● 帰りの飛行機が遅れた。羽田から到着した飛行機が羽田に戻るわけだけれども,羽田を発つのが遅れたらしい。理由は天候。前線が関東を通過したとのこと。
乗客も待たされて大変。が,それ以上に乗務員が大変。それが仕事でしょと言われればそれまでのことだけど。
● おかげで空港待合室で過ごせる時間が増えた。歓迎はしないけれども,そんなに嫌でもない。空港にもDFSがあるので(ただし,売場は広くはない),相方もさほどに退屈しなくてすんだようだ。
ここから宮古島への飛行機に乗る人たちを見ていると,いかにも南方系と思える人たちが多い。日本は単一民族の国だというのは明らかに誤りであることを,絵的に示してくれる。
● 座席は往復ともJクラス。往きは最前列の中央の席だった。最前列ってたしかに足を伸ばせていいんだけど,Jクラスならさほど最前列にこだわる必要はないように思った。
復りは窓際の席。こちらが正解だと思う。しょっちゅう飛行機に乗っている人は別だろうけど,ぼくらのように滅多に乗らない人にとっては,離陸や着陸のときの窓景の変化は面白いものだし,雲海を眺めるのも楽しい。
雲のうえに飛行機の影が映っていた。その影を虹色の環が囲んでいる。それがずっとついてきた。こういうものはじきに見飽きるんだけど,そうそうは見れないものだ。
● 出発が遅れたために,羽田からは退勤ラッシュに遭遇。これを避けるには,宇都宮から「マロニエ号」(バス)を利用するのがいい。
空港発着なので,ラッシュの電車に乗らなくてすむ。が,そういうことを今言ってもしょうがないんだけど,帰着時刻を見て「マロニエ号」の利用を考えるのは有効でしょうね。
● そうだ。26日のホエール・ウォッチングのときに,港の橋のピアのたもとでテントを張っている自転車乗りが何人もいた。
自分もその一人になってみたいものだ。いずれ,自転車で日本一周をしたい。そのときは沖縄も回ることになる。本当に回れるだろうか。今の自分の軟弱さで。
でもやってみたい。年寄りの冷や水と言われて本望だから。
● 旅費を使って遠くに行くよりは,その分を宿泊費や食費に上乗せして近くに泊まる方がいいと思っている。
けれども,それを貫くのは難しいかもね。それをさせないだけの魅力のあるエリアがあるなぁ。
● ホテルのレストラン「ボナペティ」で沖縄そばを食べたわけだけど。そのときは,コシがなくて延びてしまったうどんのようだとも感じたんですよ。
コシがない。粉を水で捏ねて団子にするところを細長い麺にした。そういうふうにも思ったんですよ。
沖縄県民はコシを麺の旨さの基準にしていないのかもしれないと考えてみた。
● といって,沖縄には沖縄そばしかないわけではない。うどん,ラーメン,蕎麦も食べている。丸亀製麺も進出しているし,北海道に本拠を持つ「味の時計台」の店もあった。
うどんやラーメンや蕎麦はコシが命といってもいいくらいだ。とすると,沖縄県民の麺の味わい方,そのモノサシは,ぼくらの倍あるんだろうか。
器はペラペラの発泡スチロール
● 帰りの那覇空港で沖縄そばを食べる機会があった。空港内の店だから,沖縄そばはついでにやってるよっていう感じなんですけどね。そのわりには,お値段は700円という。
ま,とにかく食べたわけなんです。それなりにコシがあったように感じた。ただ,それなりに,であって,コシが沖縄そばでどの程度の比重を占めるものなのかは,皆目わからない。
● というわけで,モヤモヤ感が残った。これを晴らすには,もう一度沖縄を訪ねてみるしかないだろうね。
あるいは,内地にある沖縄料理の店で代替してしまうか。宇都宮にも駅の近くに一軒あったな。行ってみるかな。あるんだろうな,沖縄そば。
沖縄そばの焼きそば,もずく酢
● ホテルよりもホテル内にあるレストラン「ボナペティ」の話なんですけどね。朝食が素晴らしいんでした。何が素晴らしいって,沖縄の郷土料理を味わえる。
沖縄料理といっても,ぼくに思いつくのは,沖縄そばとゴーヤチャンプルーくらいのものなんですけどね。
その沖縄そばを食べたことがないんですよ。沖縄には何度か来ているんだけど,沖縄そばを食べたことがない。
根菜の炊き合わせ,エッグベネディクトなど
● われながら何をしているのかと思ったことがあって,沖縄にいるのにコンビニで沖縄そばのカップ麺を買ってホテルで食べたことだ。
お金がなかったわけじゃないと思うんだよね。なんでカップ麺の沖縄そばを食べにゃいかんかったかね。
● ので,今回は市中の店に入って沖縄そばを食べようと思っていたわけなんですよ。今回の沖縄行きでぼくがしたかったことは,斎場御嶽を見ることと沖縄そばを喰うこと。
斎場御嶽は見た。あとは沖縄そばを喰えば,目的はすべて達成される。
納豆がありましたよ
● ぼくらが泊まっているホテルは,国際通りに面して建っている。国際通りを歩けば,那覇ではホテルで夕食を摂ってはいけないと思う。国際通りは食堂でできているってくらいのものだからだ。
が,このホテルの朝食で,ぼくは満足してしまって,結局,国際通りに足跡を残すことなく帰国(?)してしまったんでした。
● 26日の朝食には沖縄そばの焼きそばがあった。これで満たされてしまった。もういいやと思った。おまえの沖縄そば熱はその程度のものだったのか。その程度のものだったんだね。
他に,ラフテーがあり,モズク酢があり,根菜の炊き合わせがあった。沖縄とは関係ないけれど,エッグベネディクトもあった。
エッグベネディクトはびっくりするほどのものではないにしても,老境にさしかかる年齢になった初めて食べた。
沖縄そば,その他ゴッソリ
● あと,白いご飯があったのは普通として,納豆があったのは嬉しかった。納豆ってホテルでは珍しいでしょ。苦情もあるんじゃないかと思う。嫌いな人から,あの臭いだけは何とかしてくれ,と言われたり。
ぼくも白いご飯に納豆を載せて食べたんだけど,そういうのはウチでもできるでしょ,ウチではできないものを食べていきなさい,と相方に叱られた。
● 27日には沖縄そばそのものがあった。麺と汁が別になっていて,麺をお椀に入れて汁をかける。この麺がどうだったか。ひょっとしたら,延びてしまっていたかもしれない。いや,これが普通なのかもしれない。
沖縄県民とぼくらでは,麺に求めるものが違うのかもしれない。コシなんかは,沖縄県民は重視しないのかもしれない。
じゅーしー,紅イモポテトサラダ
● ほかに,じーまーみ豆腐,沖縄風炊きこみご飯(じゅーしー),軟骨ソーキと冬瓜の煮こみ,ゴーヤチャンプルー,紅イモのポテトサラダ,茄子とインゲンの和風しょうが餡かけ(これは沖縄とは関係ないかも)。もちろん,モズク酢も根菜の炊き合わせもあった。
もうね,ソーセージだのベーコンだの,スクランブルエッグだの生野菜のサラダだの,そんなのを喰ってる場合じゃないと思った。
沖縄料理のメニューだけでも食べたいものが多すぎる。旨いからお代わりして食べたくなる。
● モノレールから那覇の街並みを眺めて感じることは,那覇の都市集積度はかなり高いってことだ。
高層マンションがニョキニョキと密集している。ひょっとして平地が少ないんだろうか。山というより丘陵といった方がいいのかもしれないけれど,斜面にもビルが建っている。
● 那覇の人口は30万人を少し超えるくらい。おそらく,沖縄でも那覇への一極集中が進行しているのだろうと思うけれど,人口30万人の街とは思えないほどに景観は都市的だ。人も多い。市街地がコンパクトにまとまっているんだろうか。
宇都宮は人口50万人で北関東最大の都市なんて言われるけれど,それはウソ。合併を繰り返してだだっ広くなっただけで,宇都宮の都市集積度っていうのは,あきれるほど低い。ウソだと思うなら,夜に東北新幹線に乗って,南下してみればいい。仙台,福島,郡山のどれに比べても,宇都宮の街は暗い。明かりがない。
市街地の人口密度を比べれば,宇都宮は那覇の足下にも及ばないだろう。宇都宮と比べてはいけないのかもしれないけれども,那覇には都市としての風格を感じる。
● 夜の国際通りを歩いていてもそうだ。宇都宮なんか夜の10時を過ぎると,大通りはゴースト通りになる。女性がひとりで歩くのは憚られるんじゃないかと思うほど,人が少なくなる。
対して,国際通りの賑わいはどうしたことだ。この時期でも半袖でいられるほどに温かいからか。内地より日が長いからか。
● 昨日はクリスマスだったから(しかも日曜日)普段より人が出てたんだよと言われた。けど,月曜日の今夜もかなりのものだ。たしかに昨夜に比べれば少ないのではあるけれど。
外国人が多い。ワイワイ言いながら歩いている。おしなべて,彼らは日本人より賑やかだな。
● 国際通りじたいに音が多い。沖縄民謡の旋律がそちこちから流れてくる。三線と歌のライブを売りにしている店がたくさんある。タダでもいいから歌わせてくれという人たちが多いのだろうか。
那覇の雰囲気はラテン的だ。そうして,沖縄は海よりも街が面白い。
● これだけの土産品屋が並んでいるのも壮観。日本で第一の観光地は明らかに東京だが,沖縄はそれに次ぐ位置に付けているのかね。
だけれども,商売になっているんだろうか。というのは,ぼくらはドンキで土産物を調達しちゃったものでね。
● 午後は南城市にある斎場御嶽(せーふぁうたき)に行った。これだけはぼくの発案だ。沖縄には何度か来ているものの,まだ一度も行ったことがない。
首里城に続いて,世界文化遺産を見ることになる。世界遺産はどうでもいいんだけど,琉球王朝を巫女的な側面から支えていた聖地が斎場御嶽。それなら一度は見ておかなくてはならない。
● で,出発前からネットで行き方は調べておいた。モノレールの旭橋駅で降りると,那覇バスターミナルがある。38番線の志喜屋線(東陽バス)に乗ればいい。バス代は830円。時刻表もネットに載っているのでプリントアウトしておいた。
しかし,行ってみるとバスターミナルは一部工事中で,バス停の位置が動いていたようだった。時刻表もネットにあったものとは違っていた。
● ので,すんでのところで乗り遅れ,次のバスを1時間ほど待つことになった。ま,おかげで近くにあったコンビニでオリオンビールを買って飲んだり,この近辺を散歩したりもできたんだけど。
● 出発すると,最初に県庁南口というバス停がある。次が那覇高校前。ここでまず驚いてしまった。
普通,高校っていうのは市街地を外れたところに建てられる。市街化が進んでそこが建てこんでくると,邪魔者扱いをされるようになって,さらに遠くに追いやられる。学校とはそういうものだと思っていた。
ところが那覇高校は正々堂々,市の中心地にあるのだ。那覇市民は市街地に高校があっても邪慳にしたりしないのだ(いや,してるのかもしれないが)。
● バスの初乗り料金は230円。宇都宮だと150円だから,ちょっと高いなと思った。が,どこまで行っても230円のまま。230円でかなり遠くまで行けるようだ。
ところが,那覇市街を抜けると160円になった。このあたりの料金設定はよくわからないけど,理由があってそうしているわけだろう。
● どのバス停でも誰かが降りて,誰かが乗ってくる。利用者がいる。
沖縄には空港から首里までのモノレールを除いて,鉄道がない。その代わりをバスが担っているのだろう。たいていのバス停で停まるから,けっこう時間がかかる。
● もうひとつ,驚いたことがある。途中でバスが交替するんだねぇ。起点から終点まで同じバスが運行するわけじゃないんだ。1日に数便ほど直行するバスもあるようなんだけど。
バス会社が変わるわけではないようだし,バスが小型になるというわけでもないようなんだが。何のためにこういうことをするのか,理由を考えてみたんだけど,ちょっとわからない。
ま,それやこれやで,斎場御嶽の最寄りバス停まで1時間20分を要した。
● バス停のそばに土産物屋があり,そこで斎場御嶽の入場券を買うことになっている。300円。
でもって,そこから歩くわけだけれど,沿道にも地元の人たち(だと思う)が土産品店や(神さま所縁の地にあやかってか)かなり怪しげなグッズを販売している。
南城市のサイトを見ると,観光客の不作法を戒める記述がけっこうある。立入禁止になっているところに入りこむ手合いもいるようだ。聖地を聖地にしておくために観光客にも協力を要請したい,という。
● 率直に申しあげると,聖地の聖地性を保つために,地元でもやらなければいけないことがあるのではないか。
聖地を飯のタネにすれば,それだけで聖地は俗化される。聖地に向かうのだからと心構えを作っても,辿りつくまでにかなりタガが緩んでしまうような仕掛けになっている。アプローチがここまで低俗だと,その先にあるものをあるままに保つのは,かなり難しくなるのではないか。
正直,ここでまず斎場御嶽への期待を削がれてしまった。
● 観光客にもたしかに問題があるかもしれない。観光客の多くが外国人でもある。その外国人の振る舞いを見ていると,高校で習った日本史の教科書にあった写真を思いだした。
中国で租界を作っていた英国人が立てた看板。「犬と中国人,入るべからず」。その写真が教科書に載っていた。勝手に人の国を植民地にして,そんな看板まで立てるとは傲岸不遜にもほどがあると思ったものだけれども・・・・・・
● 斎場御嶽はパワースポットとしても沖縄随一であるらしい。ぼくはそういうものに感応しないタイプのようだ。特に何も感じなかった。
だからなのか,“パワースポット”に惹かれて来るヤツなんてロクなもんじゃないと思っているのである。
● かつては男子禁制だった。相方の後ろからひっそりと付いて歩こうと思っていたんだけど,さすがに今は男であっても小さく畏まらなくてもよさそうだ。
斎場御嶽のシンボルは三庫理(さんぐぅい)だろう。これは一見の価値があると思った。ただし,一見でよい。
● というわけで順路と示された立て札にしがたって,ひととおり見て回って,斎場御嶽を後にした。もっと空いてて静かであったら,また別の印象を持つことができたかもしれない。
が,一介の観光者がそのような大望を抱いてはいけない。とにかく,斎場御嶽に行ってきたのだ。
● 帰りのバスは行きよりもさらに時間がかかった。特に那覇の市街地に入ってから。そんなに交通量が多いようではないんだけど,なかなか進まない。
ただし,それが苦痛ではない。そこは観光客のお気楽なところだ。地元の人たちは慣れっこになっているんだろうか。車内にイライラ感が充満するなんてことはなかったんでした。
● 沖縄2日目。この日は,午前中にホエール・ウォッチング。鯨を探して,うまく見つかれば間近に眺めましょうというわけ。
生で鯨を見たとて何になる? 図鑑でいいじゃん。今ならネットにいくらでも画像が落ちてるでしょ。
というわけで,これも事前に相方が申し込んでおいたもの。けっこうな料金だったらしいよ。
● マイクロバスでお客さんが泊まっているホテルを回って,港まで送迎する。港に着くと,スタッフが待っててくれて,いろいろ説明をする。
スタッフは若い男女で,全員がアルバイトだと思われる。マイクロバスの運転手はオッサンだったけど,自分でアルバイトだと言っていた。
操縦する船長は正社員なのかもしれない。人件費を抑制することが,利益が出るかどうかの分岐点になるのかもしれない。
● しかし,スタッフの仕事は,言っちゃ何だけどラクだと思う。極端にいえば,船に乗っているだけでいい。遠くを見て鯨を探していればいい(探すフリをしていればいい)。
何艘もの船が出ていて,船長が連絡を取り合っているわけで,誰かが見つければ全員がその恩恵に与れるわけだから,さほどに躍起になることもない。
● 不埒なお客がいれば,その相手をするのは大変かもしれないけれど,そこはね,そんなに変なお客もいないわけでね。
何事もなければ時々話をして,お客の飽きを中断する工夫をするだけでいい。
● ホエール・ウォッチングは年間を通してやっているわけではない。鯨が近づくシーズンに限られる。そのシーズンはいつからいつまでかというと,今日が初日らしい。
あのねぇ,初日に鯨にいきあたれれば相当以上の幸運に恵まれたと言えるよねぇ,そういう幸運ってのはそうそうないものだよねぇ。
● で,結果から書くと,鯨は見つからず。虚しく帰港することになった。
ただ,何人かいた子供たちは喜んでいたようだ。外洋に出ると波が大きくなる。ぼくらの船が波に持ちあげられて次にストンと落ちる。それが楽しかったようだ。そのたびにキャッキャと叫んで嬉しそうにしていた。
● ただ,それどころではなかった人がひとりだけいた。船酔いで吐けるだけ吐いて,ずっと前方に移動して寝ていた人がいたのだ。
誰あろう,わが相方である。ぼくに無断でホエール・ウォッチングを申込み,生身の鯨を見ることを楽しみにしていた相方である。
● あとで聞いたところによると,船(大きなボートのようなもの)に乗ってすぐに後悔したらしい。酔い止めは服んだのに,まるで効果なし(朝食をあれだけ食べてれば,そりゃ効かないかもなぁ)。
何度も飛び込もうかと思ったという。飛び込んでれば,新聞に載って一躍有名人になれかもしれないのに,というのはあとになってから言える戯れ言だ。
● ぼくはといえば,何の期待もしないで乗りこんでいるので,鯨が見つからなかったことはどうでもいい。ちなみに,鯨との遭遇率が高まるのは,2~3月とのこと。
海上散歩だと思えば面白かった。最後尾の席にいて,船が作る波が海の波とぶつかって,白い水の花火があがる。ずっと見てても見飽きない。
● その名も「Tギャラリア 沖縄」。2004年に開業したらしい。「パスポートを持たずに有名ブランドを免税価格で買える路面型免税店」なんだけど,日本では沖縄にしかない。
なぜ沖縄にはあるのかというと,特区として認められたからだという。つまり,沖縄以外から来た人は,日本人であっても免税店で買いものができる。以上は相方の解説なんだけど。
● 要は香港とかにあるのと同じやつだよね。中に入ると,免税店独特の匂いがする。女性用の化粧品の匂い?
昔,ほんとに大昔なんだけど,ぼくが高校生の頃は,宇都宮はデパート銀座だった。今は東武百貨店しかなくなっているんだけど,かつては上野,西武,福田屋,丸井,緑屋など,ゴロゴロとデパートがあった。
で,ぼくはデパートが嫌いだった。匂いなんだよねぇ。入った瞬間に鼻につく匂い。入口に近いところは化粧品売場だったから,化粧品の匂いだったと思うんですけどね。
さっさと用事をすませて,ソソクサと出たくなるのでした。
● 大人になると,そういうものにも免疫ができて(つまり,鈍くなって),長くいられるようになるんだけど,そうはいっても不必要にいたい場所じゃない。
ところが,相方にとってはいくらでもいられる楽しい場所なわけでね。ここで男女はすれ違うわけですよ。こういうところにあまり長く付き合わされると,たいていの男は不機嫌になるものでしょ。少なくとも,ぼくはそうだ。
● そこは相方も心得ていて,そんなに長居はしないというか,ぼく用の場所を用意してくれることが多い。あなたはここで飲んでなさい,その間に私は売場を回るから,というわけだね。
今回もそこは怠りなかった。3階に「Pine Tree Bless」というバルがある。雰囲気はレストランですかねぇ。
そこに案内された。白ワインとチーズ各種。これで100円だという。いや,フラッと来てこれを注文して100円ですむはずはないので,事前に手続きが必要らしい。JALのパックに組み込まれているらしいんだけど,詳しいことはぼくは知らない。
● かなり小洒落たところで,高級感が演出されている。ぼくひとりでは絶対に来れない。
ワインもチーズも旨い。ま,ゴキゲンになるわけです。単純だもんね,男なんてね。まして呑兵衛には飲ませておきゃいいんだもん。
● 相方によると,この免税店,以前はもっと活気があったらしい。だいぶお客が減ってしまったようだ。理由はわからない。
円安なども関係あるんだろうか。円建てにすると高く感じてしまうような価格になるんですかねぇ。
● ちなみに,那覇でも観光客が多い。中国人や韓国人。東京に比べると韓国人の比率が高いように感じるけれど,おそらく免税店のお客の主力も彼らになっているのじゃないかと思う。彼らが買ってくれなくなったってことなんだろうか。
● 時間は前後するんだけど,ホテルにチェックインして荷物を置いたあと,首里城に行ってみた。これも相方がスケジュールを決めていた。
牧志からモノレールに乗れば,終点が首里。
● 初めて相方と沖縄に来たときに(パックツァーだった),首里城は訪れている。けれど,ツァーの一行と集合写真を撮ったことしか憶えていない。
ので,実質は今回が初めてのようなものだ。
● 世界遺産バブルもそろそろはじけるのではないかと思うんだけど,首里城はのびやかで気持ちのよい空間だ。建物が建て込んでいないのがひとつめの理由だ。
この対極に位置するのが日光の東照宮ではないかと思う。東照宮は建物のひとつひとつがデコラティブのうえに,建物が密集しているので,閉塞感というか,ある種の鬱陶しさを感じる。正直,東照宮に長くとどまるのは苦痛だ。ぼく一個は,だけど。
首里城は建物がスッキリしているうえに,何もない空間が広がっている。これなら長くとどまっていられる。
● 相方は今回が二度目の首里城ではない。やはり息子と来ているので。そのときに息子と回ったところを辿り直したいというのが,首里城に来た主たる理由のようだった。
小さくて自分に従順だった息子。その頃の子供っていうのは,母親にしてみればこのうえなく可愛い存在に違いない。子供がその可愛い存在でいてくれる期間はしかし,そんなに長くはないものだ。
● 正殿内部でこちらを見て写っている息子の写真を,相方はこのほか大事にしている。息子が立っているその場所をもう一度見ておきたい。
それが今回,首里城に来た理由のほぼすべてだろう,相方の場合は。
沖縄県立芸術大学
● 首里城の敷地に大学がある。沖縄県立芸術大学。昔は琉球大学がここにあったと聞いたことがある。ひょっとすると,かつての琉球大学のキャンパスを居抜きのまま,県立大学が引き継いでいるのかもしれない。
と思ったんだけど,Wikipediaによれば「戦前は正殿などが旧国宝に指定されていたが,1945年(昭和20年)の沖縄戦と戦後の琉球大学建設により完全に破壊され,わずかに城壁や建物の基礎などの一部が残っている。1980年代前半の琉球大学の西原町への移転にともない,本格的な復元は1980年代末から行われ,1992年(平成4年)に,正殿などが旧来の遺構を埋め戻す形で復元された」そうだから,居抜きなんてことはあり得ないんでした。
● しかし。正殿を壊して大学の建物を作ったのだとすると,ずいぶん乱暴なことをしたものだ。
もっとも,それは今だからそう思うのであって,完膚なきまでに打ちのめされた敗戦直後にあっては,大学は希望の灯火であり,復興のシンボルだったのかもしれない。歴史遺産よりこれから先の未来の方が大切だった。そういうことなのかもしれない。
● ぼくも大学は自宅からだいぶ遠いところに行った。そこまで行くんだったら,どうして沖縄に行かなかったのかと思うことが何度かあった。
たぶん,高校3年生の自分は,沖縄も考えたんだと思う。考えたけれど選ばなかったに違いない。自分の学力では合格できないと思ったか,沖縄は台風銀座だと思いこんでいて,恐れをなしたのか。
● もし沖縄の大学に行っていれば,その後,自分の人生は変わったろうか。おそらく何も変わっていなかったろう。長男だから卒業したら地元に戻らなきゃっていうのをぼくは疑わない人間だったから(当時は多くの人がそうだったと思う)。やはり栃木に戻っていただろう。
たんに4年間をどこで過ごすかの違いにとどまったろう。
● であっても,“もし沖縄の大学に行っていれば”という妄想は,快を伴うものだ。若い頃にはあったかもしれない自分の可能性を弄ぶ快感だろうね。
実際には,沖縄の大学に行っていたとしても,自分の未来は変わらなかった。
ただね,若いときの4年間を沖縄で過ごしてみたかったっていうのはありますね。当時は今以上に内地との温度差があったに違いない。いうなら,琉球という国で4年間の留学生活を送ってみたかったっていうのはありますよ。
● さらに脱線を続けるんだけど,「太平洋戦争中の沖縄戦において日本軍が首里城の下に地下壕を掘り陸軍第32軍総司令部を置いたこともあり,1945年5月25日から3日間に渡りアメリカ軍艦ミシシッピなどから砲撃を受け」とWikipediaにはある。
このあたりが末期帝国陸軍のどうしようもないところ。文化財を守るという発想がまるでない。それどころじゃなかったということなんだろう。そういうときでも“それどころじゃなかった”にならないのが,何というのかな,その軍隊の懐の深さなんだろうけどね。
● まして,民間人の避難先に軍部も非難したなんてのは,どうにもならないやね。そういう行動を取った軍隊がこの国にあったっていうのは,ほとんど国辱ものではないか。
無様にもほどがある。民間人を楯にして自分たちを守ろうとしたと言われても返す言葉はないはずだ。
モノレールの2daysパス
● さて,沖縄に着きましたよ,と。久しぶりだ。温かい。半袖でいられる。ただし,今年ほど温かいのは珍しいとのことだ。
● 相方は息子と二人でしばしば来てるんだけどね。要するに,息子の面倒をみるのを相方に任せきりにしてたってことなんだけどね。息子もそれを望んだしね。
このあたり,今思うと,やりようがあったかもしれないし,なかったかもしれない。今でもどうするのが良かったのかはわからない。
● ともかく,沖縄に来るのは久しぶりで,沖縄都市モノレールができてからは初めてだ。したがって,モノレールに乗るのも初めて。
そのモノレール(2daysパスを買った)で美栄橋。美栄橋からホテル(JALシティ)まで歩く。国際通りに面したホテルのひとつ。
● 部屋は505号室。少し高級なビジネスホテルといったところ。沖縄のホテルって(沖縄に限らずリゾート地はたいていそうなのかもしれないけど)部屋の掃除がわりと杜撰だったりする。細かいところにこだわらないっていうか,おおらかっていうか。
名護のマリオットもそうだった。見えないところには綿埃が溜まっていたりする。ルームキーパーがサボっているっていうんじゃなくて,基準が緩いのだろうな。
● このJALシティにも,相方と息子は何度か来ている。相方によるとレストランの食事がいいらしいのだ。特に,朝食バイキングはかなりいいよ,と言うのだった。
食事が旨いのは大切なことだ。他がダメでも食事が良ければトータルの印象はいいものになる。人間は形而下的な生き物なのだ。ぼくらだけではないと思う。
● このホテルに2泊するんだけど,朝食のほかに夕食もホテルで食べることにして,申込時に予約していたようだ。このあたりはすべて相方がテキパキとやってくれたわけだけど。
その夕食。この日はクリスマスバイキングと銘打たれていた。いつものバイキングとはちょっと違うらしい。
● で,結果的には大いに満足。相当に舌の肥えてる人なら,色々とアラ探しはできるかもしれない。
が,ぼくには充分すぎたし,もしアラを探すのであれば,支払う金額についても精査しなさいよ,と言いたくなる。
食べたのは写真のとおり。エスカルゴもあった。
● じつは,昨日がぼくの誕生日だった。誕生日ってべつに嬉しいものじゃないけどね。小学生までじゃない? 誕生日が嬉しいのって。少なくとも,男子の多くはそうじゃないかね。
ところが,このレストランでぼくのバースデーケーキが登場した。相方の指金だ。スタッフが歌まで歌ってくれた。となれば,こちらも乗らなきゃしょうがない。恥ずかしさをこらえて,懸命に祝われる役を演じましたよ。
● 羽田空港第1ターミナル。これから沖縄に向かうんだけど,その前にご飯を食べておこうというわけで。
崎陽軒の弁当のおかずを肴に缶ビールを飲む。飛行機の発着を見ながら。何気に贅沢してる感あり。
● このビルに入っている諸々のレストランや売店を使ってする食事で,これが最も安い方法だったと思うんですけどね。これから沖縄に遊びに行くところっていう解放感も与って力あるんでしょう。
さらに焼売で缶ハイボールを追加。ま,2本も飲めば充分。
● 若い頃,電車に乗って,駅弁のおかずでビールを飲むのが,とんでもない贅沢に思えた。だから,たまに実行してたんだけど,そうした思い方の型って,歳をとってもずっとそのまま残るようなんだよねぇ。
● ただし,崎陽軒だからね,味には多少の忍耐を要するところがある。それでも売れているのが,崎陽軒の不思議でもあり,すごいところでもある。
いや,皮肉じゃなしにね。これで売れているというのは,かなり凄い。といいながら,ぼくらも買ってしまうわけで。自分でも気づかない魅力が崎陽軒の商品にはあるんだろうか。
● 相方の提唱で沖縄に行くことになって。マイルが貯まってて,そろそろ使わないと無効になってしまうらしい。
JALカードを使ってるんですな。何を買うにもJALカード。でもって,マイルが貯まってきましたよ,と。
マイルはどこぞのお店のポイントにも替えることができるらしいんだけど,マイルに比べるとお得感が激減するんだそうだ。
● ともかく,飛行機やホテルの手配から準備まで,一切合切を相方がやるんですよ,わが家ではね。好きこそものの上手なれってわけでね。
でね,飛行機はJAL909便で,羽田発が11:05なんですよ。にもかかわらず,朝早くに家を出て,6時15分に宇都宮駅に着いたんですよ。予定では新幹線で行くことになっていた。3時間以上も前に羽田空港に着いてしまうじゃないか。
● 結局,乗った電車が小田原行きだったこともあって,新幹線に乗り換えることなく,そのまま在来線で行ったんだけどね。それでも搭乗手続きをすませてから,出発までに2時間以上もあってね。
● 早く着いていないと心配だからと相方は言うんだけど,普段の彼女は何でもギリギリの行動なんですよ。5分前集合なんてのは薬にしたくても彼女にはないんですよ。
にもかかわらず,何でこういうときだけ,こんなに早く行きたがるのか。
● 相方がこういうときだけなぜ堅実な行動を取るのかというと,飛行機に乗り遅れると損失額が大きくなるからということのほかに,空港で過ごすのが好きだからだと思うんだよね。
羽田空港って,空港であるほかに,ショッピングモールでもあるでしょ。いろんなお店があって何でも売ってるし,レストランも集まっている。
写真のような立派なフリーペーパーもあって,買って買ってと訴えてくる。買いもの好きにすれば,見て歩くだけで楽しい。しかも,そんなに行く機会は多くない。
● それで早めに空港に着きたいと思うんじゃないかなぁ。
● 今夜はレストランや酒場は賑わっているんだろう。ケーキ屋さんはまさしくかき入れ時。まだクリスマス・イヴをホテルで過ごす男女がいたりするんだろうか。
そうした様々なクリスマス・イヴの楽しみ方があるってことは,サービスを提供する側が存在すればこそだ。ストランや酒場やホテルのスタッフ,ケーキ屋の販売員。
● ひょっとすると,そちら側の人の方が多いかもしれないよね。自分にはクリスマスなんて関係ないっていう人が多数派でしょ。
にもかかわらず,まだ秋の頃からクリスマスのイルミネーションや飾り付けがされるんだよなぁ。こういうのって多数派に疎外感を与えたりはしないのかね。
っていうか,そういうことをするのも,その多数派なんだけどね。売る側の人ね。
● クリスマスの華やぎを支えている側,サービスを提供する側に焦点をあてた報道とかがあってもいいと思うなぁ。そういう人たちって,クリスマス・イヴにはどんなささやかな楽しみを得ているのか,それすらないのか。
そういう人たちにも家族がいるだろう。クリスマスを楽しみにしている幼子がいたりもするだろう。
● クリスマスに限らない。忘年会,初詣,新年会と続くけれども,初詣だって電車やバスを普段どおりに動かす人たちがいるから成り立つわけだから。
そういう人たちを取材して記事にしてくれないかな。 たださ,報道する人間もまた,クリスマスや正月は関係ない多数派に属しているわけだよねぇ。
● 中華料理の店。二度ほど忘年会をここでやったことがある。個人的には5年前に来たのが最後。回鍋肉定食を食べた。
この店の定食はご飯がお櫃に入って出てくる。2合はあるのじゃないか。ご飯好きにはたまらない。それでも全部食べたら食べ過ぎ。
● その「天昇」に久方ぶりに行ってみた。注文したのは海鮮野菜あんかけ麺。麺は細麺。海老や白菜など具材はいいものを使っている。
具材だけじゃない。旨い。柔らかな味だ。毎日食べても飽きないだろう。
● 五目チャーハンも相方を分けあって食べた。このチャーハンはもっと旨かった。米はジャポニカ。でも,ダマにはなっておらず,パラパラしている。
こういうとき,お店のスタッフに伝えるように最近はしている。可能であれば,秘訣というかコツがあるなら教えてほしいと思っている。教えてもらっても,たぶん活かすことはできないと思うんだけどね。
● 高根沢名物(?)の焼きちゃんぽんも供している。1日限定10食。虹色ちゃんぽんと命名しているようだ。980円。
焼きちゃんぽんは何度か食べて,もういいやと思ってしまっている。普通にラーメンとかチャーハンとか定食を食べたいかな,と。
● 要するに,日本人がこれが中華だと思っている料理を出す。そのひとつひとつが美味ということでしょうね。
にもかかわらず,けっこう以上に足が遠のいていたのは,近くに麺と丼を両方食べて680円という格安店ができた影響がある。ぼくの場合はそうだ。
が,ぼくのように金で転ぶヤツは限られているのかもしれなかった。ずっと「天昇」の固定客でいる人たちがいるようだ。
● 11月11日に画面に日々が入って,スマホが使えなくなった 。そのスマホは処分済み。次のスマホも手当てしてあるんだけど,諸般の事情でSIM(MVNO)の契約が切れてしまっている。さらに別の諸般の事情で新たに契約をできないでいる。
しばらくはスマホなんかなくたってさほどに困ることもないなと思っていたんだけど,じわりじわりと困った感が増してきた。大したことではないのだけどね。
● まず,TwitterやFacebookに写真なしのテキストのみの投稿を続けなければならないこと。
テキストであらかた伝わるじゃないかと思うんだけど,やはり写真があった方が話が早いってところはあるし,ここは写真が欲しいなぁと思うところもあるわけでね。
● 外で音楽を聴くことができなくなったこと。
じつは,SONYのWALKMANも買ったんですよ。ハイレゾ対応のやつだ。でも,買ったままになっている。曲を入れてプレイリストを作ってっていうのが面倒で,何もしないままでいる。
ずっとスマホで聴いていた。そのスマホがダメになっても,WALKMANを使う気になれないでいる。使ってしまえば,専用機であるWALKMANの方が使いやすいに決まっているとは思うんだけどね。
● SNSをチェックできないこと。っていうか,出先からTwitterをとばせないことだ。
帰宅してからパソコンでまとめてツイートしているんだけど,リアルタイム感が失われる。なんだか間の抜けたツイートになってしまう。
● 最近,ずっと自転車に乗っていないんだけど,これもスマホが壊れて走行ログが録れなくなったことと無関係ではないかもしれない。
メールやラインもそうだ。リアルタイムでのやりとりができない。絶対にやりとりしなきゃまずいような内容ではもとよりないわけだけども,生活は雑事の塊であるわけで,重要じゃないから放っておいてもいいってことにはならないのだなぁ。
● ほかにもある。先日,真岡で スマホがあればなと思う体験もした。やはりスマホは必要な機材なのでありました。
● 高校生のパワー,生命力の強さに感嘆させられることが多い。スポーツ大会のような催しに出かけたわけではない。
街で見かける彼らから,ごく普通にそういう印象を受ける。
● 氏家の「登竜」に寄ったら,女子高生が二人,テーブル席で麺を食べていた。大きな笑い声がしばしば響いてくる。うるさいとは思わない。彼女たちのはじけた様が心地よく伝わってくるのだ。
彼らの生命力をずっと持ち続けることができたら,それを発揮し続けることができたら,必ずひとかどの人物になれるだろう。誰であっても。
● 翻って,高校生のときの自分は彼らのように生命力に溢れていただろうかと考える。どうもそうじゃなかったような気がする。内にこもって,外に対しては基本的に“おびえ”を抱いていたような気がする。
生命力をたぎらせているかに見える彼ら彼女らも,じつは大昔のぼくと同じようにウジウジやイジイジを抱えているのだろうか。
● ところで,女子高生二人,食べ終えてもずっと喋っている。これだけ混んでいるんだから,食事を終えたら席を空けなきゃいかんだろ。
おそらく,そいういうことが見えていないんだろうな。自分たちの世界に入りこんで,外が見えなくなっている。自分が世界の中心になっている。その状態をオバサンと呼ぶとすると,女子の場合は,物心ついたときにはすでにオバサンなのかもしれないな(暴言多謝)。
● 左の写真は駅にあった栃木観光のPRパンフ。こういうものは手に取ってもらえなければ話にならない。で,手に取ってもらうためには,美人(あるいはイケメン)の力を借りるのが一番だ。こういう作り方でいいと思う。
ただし,他の府県でも同じようにしている。手に取ってもらった後,どうなるか。小手先でどうにかできるとは思えない。そこから先は“栃木の力”の問題になる。
● それ以前に,こうした観光パンフの実際の効果っていうのが疑問っちゃ疑問。書店に行けば,JTBや昭文社のガイドブックが並んでいる。駅にはPRパンフが溢れている。駅に限らない。観光案内所もあれば,物産販売店のようなところにも置いてある。
で,こういうパンフやガイドブックを信じて現地に行くとガッカリするというのが,基本的な約束事になっている。
● 栃木県のパンフを見ると,たしかに嘘は書いていないけれども,これでイメージを作ったら,イメージと現地との落差に驚くだろうなと思うからね。
栃木だけがそうであるはずはない。どこもそうだ。
● となると,こうしたパンフを見て行くか行かないかを決めるってことがあるんだろうかと思う。ぼくは一度もないんだけど。
ぼくがないんだから,多くの人もないんだと思う。となれば,パンフの作成をやめてしまうってわけにはいかないかね。いかないんだろうな。それでご飯を食べている人もいるんだし。
● わが家には車が1台しかない。その1台は相方が使っている。休日はぼくが運転手を務めて買いものに行ったりはするんだけど,ぼく単独の利用に車を使うことは許されていない。
ので,電車とか自転車とかでぼくは動いている。
● のだけれど,こう寒いとよる年波もあって,自転車は億劫になる。基本,電車。電車で行けないところにはあまり(というか,ほとんど)行かないので,困ることはあまりない。
が,この日は,宇都宮から真岡に出なければならなかった。いや,行かないですますこともできたんだけど,行こうと思って行った。
宇都宮からバスに乗った(運賃は970円)。バスに乗って真岡に行くなど,めったにないことだけど。っていうか,真岡に行くことじたい,めったになくなっている。
● で,用がすんだのが夜の8時。当然,バスで帰るつもりで,バス停に行った。ら。最終バスが19:26じゃありませんか。もう出ちゃったよ。
通算で6年,真岡に勤務した経験がある。最終バスは20時半頃だったはずだ。それでまったく心配はしていなかった。ところがどっこい,平日は今でもそうなんだけど,土日祝日は1時間前だったんでした。
● さて,どうしようか。まずは相方に電話して迎えに来てもらうことを考えた。が,こういうときって,電話しても通じないことが多い。何度かけても相方はでないんでした。
となると,真岡で泊まるのが次の案。ビジネスホテルに電話をかけたいが,こういうときに限ってスマホが使えない。先月11日に画面が割れて使えなくなった。そのままになっている。ということは,ネットを検索して電話番号を調べることができない。公衆電話に電話帳があれば調べられるんだけど,公衆電話なんてどこにあるのだ?
● かくなるうえは,飲み屋に行って,飲んでる間にお店の人に調べてもらえばいいかと思って,以前しばしば行っていた酒場に向かった。
ところが,本日貸切の貼り紙が出ていたんでした。
● さぁ,どうする。手詰まりか。
最後の手段は,電車で帰ること。真岡鐵道で下館,JR水戸線で小山,小山から宇都宮に出る。が,これはとんでもない遠回りになるのだ。
が,他に手がなければそれで帰るしかない。宇都宮まで行けば,カプセルホテルもあるし,何とかなるだろう。
● はい,というわけで真岡駅に着きました。着いたのは20時50分。2分前に下館行きが発車したあとだった。次は21:52まで待たなければならない。それが最終になる。
駅の近くに真岡ビジネスホテルがあった。が,駅構内にはそのホテルの勧誘看板もなければ,公衆電話もない。
で,再度,相方に電話。今度はつながった。迎えを依頼したところ,真岡じたい知らないし,とつれない返事。が,真岡ビジネスホテルは調べてくれた。
ので,ホテルに電話することはできた。が,本日は満室ですとキッパリとした答えが返ってきた。そこ以外にもビジネスホテルはあるのかもしれないけれど,先に書いたような理由で検索することができない。
● こうなれば,真岡を離れた方がいいだろうという以外の結論はなくなる。もし,飲み屋に入って,いい気分になってから宿はどこも満杯だなんてことになったら,それこそ自宅まで歩いて帰らなければならなかったかもしれない。真岡鐵道で市塙まで乗って,市塙から歩くのが最も近くなるかもしれないけれど,それにしたってなぁ。
21:52発の下館行きに乗ることにした。ついては,車中では缶ハイボールでも飲みながら揺られることとしよう。と思って,コンビニを探しに出た。
ところが,そのコンビニが駅の周辺には影も形もないんでした。真岡ってこんなに不便だったか。そうだったか。
駅近くの飲み屋からはカラオケの声が遠慮なく外にもれていた。福田屋の跡はパチンコ店になっていた。
● 駅の改札口付近も照明が落とされてて,暗い。誰もいない。女性がひとりでここにいるのはかなり抵抗があるのではないか。ありていに言うと,少々怖い。土曜日の21時過ぎの真岡駅はこんな感じ。
が,発車時刻が近づくとどこからとなく人が集まってきた(多くは高校生)。1両のレールバスの車内はそれなりにお客がいた。
下館に着いたはいいけど,そこから先がすでに最終電車が出た後だったらどうしようとチラッと考えもしたんだけど,さすがにJRはそんなことはなく,無事に宇都宮に辿りついた。電車賃は真岡から1,390円だった。
ともあれ,真岡を発車したときには,用がすんでから2時間が経過していた。
● 宇都宮に着いたのは23:20頃だった。ということは,2分の差で乗れなかった20:50発の下館行きに乗れていれば,宇都宮から最終の黒磯行きに間に合ったはずだ。
飲み屋でホテルに電話してもらおうとか,そんな余計なことをしないで,さっさと駅に行ってれば,問題はなかったんだなぁ。結局,情報が取れなかったのが効いている。情報がとれなかったのは主にスマホがなかったからで,やはりスマホは役に立つのだろうな。
● 宇都宮までなら迎えに行くわ,と相方が言ってくれた。相方の実家は宇都宮駅の近く。
で,迎えに来てくれた相方と,東宿郷にある「みやこ家宇都宮店」に立ち寄った。ここは深夜1時まで営業しているのだ。海老つけ麺を食べた。海老つけ麺って氏家店にしかないメニューだと思ってたんだけど,宇都宮店にもあったのでした。
● 昼間はずっとご飯をたべる機会がなかったので,この日二度目の食事になった。だけど,この時間に食べてたんじゃダメだよね。
この時間帯でもけっこうお客はいた。若い人が多かったのは当然というべきか。酒を飲んでる人はいなくて,みんな麺を注文していた。飲んできて最後の仕上げに麺をという感じではない。しっかり食べている感じだった。
● かつて“ 内山田洋とクールファイブ ”が歌っていた「東京砂漠」(作詞:吉田旺)の一節。
空が哭いてる 煤け汚されて
ひとはやさしさを どこに棄ててきたの
ビルの谷間の 川は流れない
人の波だけが 黒く流れて行く
● 「ジュリアに傷心」でチェッカーズのフミヤが叫んでいた一節。
俺たち都会で大事な何かを
失くしちまったね
太田裕美が歌っていた「木綿のハンカチーフ」も,都会に行った恋人が変わっていく様子を,田舎に残った彼女が淋しく見つめるという内容だった。
● 都会は人工で田舎は自然。人工である都会は悪で自然である田舎は善。都会は人をダメにするところで,田舎は人を癒やすとこと。人は本来,無垢なるものであって,都会がその無垢を破壊するという考え方。
この紋切り型の発想は,子供(特に男の子)は野原を駆け回っているべきで,家にこもってゲームなんかしていてはいけないという,何の根拠もない意見を自動的に生む。
● ぼくは,幸か不幸か,野原を駆け回るタイプの子供ではなかったので,そういう考え方には与しない側にいるんだけれども,今でも大人の中にはこの考え方の残滓があるように思える。
ゲームをやって大きくなった大人の中にも,子供は野原を駆け回れという輩がいるやに思える。不思議なことにと言いたいのだが,残念ながら不思議でも何でもなく,人は変節するものだ。その時,その場に応じて,自分に都合のいい言説を半ば無意識に取り入れて恥じるところがない。
そうでなければ生きていけないのかもしれないけれど。
● しかし,一方で,日本人の多くは都会に慣れてきたようにも思われる。必要以上に都会を怖れなくなった。都会をうまく使えるようになった。都会が身近になった。
東京はけっして砂漠などではないことがわかってきた。都会は快適だとじつは昔からヒッソリと思っていたんだけれども,その“ヒッソリ”を振り払ってしまえるようになってきた。
● 今は東京の悪口を言う人はあまりいなくなった。東京のみならず,都市が美しくなったせいもあるだろう。京浜工業地帯,阪神工業地帯という言葉がかつては社会科の教科書に載っていた。公害もあった。
今や,そっくり過去のことになった。今の都市は美しい。川はサラサラと流れている。川岸に立ってもかつてはあった悪臭がまったく漂ってこない。東京湾も隅田川も景勝の地を作っている。
都市は美しく快適なところだ。もちろん,猥雑も危険も存在しているのだが,きちんと棲み分けができているようだ。猥雑や危険の取扱いが複雑ではなくなった。そうなれば,猥雑も危険も都市の魅力である。
● ぼく一個の考えを述べれば,次のとおりだ。
田舎は相互監視社会だ。田舎にいるとストレスまみれにならざるを得ない。だから,そうじゃない人を許せなくなる。ゆえに,田舎は人をスポイルする。成長したければ田舎を離れよ。
ぼくらは文字どおりの動物なのだ。生まれたところに根を生やしているわけではないのだ。動くべきだ。故郷などという美名に惑わされるな。帰るところなどない方が幸せだ。
● 角川ソフィア文庫の「ビギナーズ・クラシックス 日本の古典」シリーズは,その名のとおりぼくのようなビギナーにも読むことができる。今のところ,『おくのほそ道』と『方丈記』しか読んでいないんだけど,『梁塵秘抄』も読んでみたいと思った。
ところが,地元の本屋にはないんでした。で,東京に行ったついでに,八重洲ブックセンター本店で探すことにした。
● かつて,ぼくは本を買う人だった。年間100万円は本代に充てていた。当時は,インターネットもアマゾンもない。パソコンもなかった。
ので,地元の本屋に置いてなければ,取り寄せてもらうか,東京の大型本屋まで探しに行くしかなかった。地元には大型本屋なんてないからさ。
● その頃,売場面積が最も広かった書店が,東京駅の八重洲南口にある八重洲ブックセンターだった。地の利も良かった。
まっすぐ八重洲ブックセンターに向かって本を探した。たいていは,見つけることができた。
● しかし,次第に本を買わなくなった。理由はいくつかある。そのひとつは東日本大震災。わが家もけっこうな被害を受けた。屋根の瓦は全部落ちたし,タンスといい食器棚といい,家中の什器は全滅した。
書庫に積んであった本もすべてこぼれ落ち,元に戻す気力すら奪われた(だから,今もこぼれ落ちたままになっている。棚に戻すのではなく,処分したのはかなりあるが)。
本なんか溜めとくもんじゃないと思うようになった。本に限らず,モノなど持っていていいことは何もないという気分が強くなった。
ちなみに申すと,家も持つんじゃなかったと後悔した。借りておくのが正解だった。不動産も持っちゃいけない。
● 本は図書館で借りればいい。図書館を自分の書庫として使えばいい。自分の書庫を一般開放しているのだと思えばいい。
そこには司書もいて,きちんと書庫の整理をしてくれている。地震があろうが何があろうが,まずは安心だ。
● 図書館にない本は買うしかない。といって,それが地元の本屋になかった場合,わざわざ東京まで行く気はなくなって久しい。
アマゾンがあるから東京まで探しに行くことはなくなったというわけではない。アマゾンはぼくも利用するけども,本を買ったことは一度もない。スマホのバッテリーとかノートカバーといったブツは買うけれど,本はリアルの書店以外のところで買う気にはならない。
地元の書店にないものは,読まないですますようになったのだ。堕落ですか。
● そうはいっても,たまたま何かの用事で東京に行ったときには,探していた本があれば,八重洲ブックセンターに行ってみるという程度のことはする。
今では,池袋のジュンク堂をはじめ,八重洲ブックセンター本店を上回る大型書店があるようなんだけど,この部分に関しては,ぼくの時間は30年前に止まったままになっている。大型書店の代表は八重洲ブックセンター本店ということになっている。
● 今回はたまたま,角川ソフィア文庫の『梁塵秘抄』を探していたということ。で,さすがにここにはあったんでした。すぐに見つかった。
なんだけど,この『梁塵秘抄』は抄本なんですね。全文が載っているわけではない。全文版があるのかどうか知らないけれど,同じ編者の,もっと収録数が多そうなのがちくま学芸文庫から出ていたので,結局そちらを買うことにした。
ともかく,用は足りた。
● お金を使ってする遊び,お金を使ってする贅沢は,必ず飽きるものだと思っている。短期間に集中してやってしまうと必ず飽きる。
だから,飽きないようにするためには,その遊びなり贅沢なりを抑制的に運用しなければいけない。
● その点,お金を使わなくてもできる遊びは,基本的に飽きることはない。
たとえば,囲碁将棋。ある程度の水準に到達するためにはそれ相当の忍耐と勉強が必要だろうけれど,その水準に達してしまえば,あとは水準じたいが推進力になって,ずっと進んでいけるだろう。
インターネットで対局もできるらしい。それでよければ基本的にタダですむ。碁会所に通ったところで,必要なお金は知れている。
たとえば,家庭菜園や畑作りに没頭できるタイプの人ならば,わずかな賃料とそこに行くためのガソリン代だけで,ずっと楽しむことができる。戸建てに住んでいるのなら,自宅の庭でできるかもしれない。この種の遊びならいくらやっても飽きずにすむだろう。
● お金を使ってする遊びとタダでできる遊びは何が違うのか。奥の深さが違う。タダでできる遊びには終点がない。極めることができない。
お金を使ってする遊びは,しょせん表面的というか,ヨイショしてもらってそれで終わる。
● お金を使ってする遊びで飽きることがないものもあるじゃないか,と言われるかもしれない。ギャンブルだ。
これで身を持ち崩す,家族を巻きこむ,っていうのはまぁあるよね。ギャンブルにはまって仕事がおろそかになり,貯金も何も失って,生活保護を受けている人っているもんね。
ただ,これだって長くやってれば飽きるはずだ。飽きる前に寿命が尽きたり,種銭がなくなったりするだけのことだ。人間の寿命が200年も 300年もあって,打ち出の小槌でも持ってれば,必ず飽きるはずのものだと思う。
ところで。賭博の95パーセントは競馬競輪などの公営ギャンブルでしょ(パチンコを除けば)。カジノも解禁されるらしい。それでもって,残り数パーセントを賭博罪として刑法犯にしているのは,まったく納得できないね。賭場の胴元が,自分のショバで遊ぶのはいいけれどもヨソで遊んだらブタ箱に放りこむぞ,って,やってることが無茶苦茶だよな。
● 以上は前振り。
では,お金で買える贅沢の中で最高のものは何だろうか。二つあると思っている。ひとつは,ホテル。もうひとつは,風俗だ(ただし,“石鹸の国”に限る,らしい)。
風俗の多くは男性が顧客になることを想定したものだし,裏世界の人間が牛耳っているイメージがある。実際にもそうなんだろうけれども,この業界のサービス管理は相当なものではないのか。
● 表世界に限れば,お金を使ってできる最高の贅沢体験はホテルではないか。贅沢体験などしたことのない一般ピープルが言ってもあまり説得力がないのだが,おそらくそうではないかと推測する。
富裕層限定のサロンやクラブのようなものがひょっとしたらあるのかもしれない。が,筋金入りの富裕層に属する人たちがそういうところに出入りしているとも思えない。限りなく胡散臭いイメージがあるね,そういうとこって。
● ホテルの中にも,富裕層しか利用できない場所がある。ジムやプールがそうかもしれない(シェラトンなんかは,宿泊客は安い料金で利用できるようだけどね。でも,シェラトンはどちらかといえば大衆的なホテルだろう)。
ではあっても,パンピーがお金を使って味わえる贅沢はホテルに極まる。
● 日本は明治以降,人が人を使役するという局面が少なくなった。戦後はほぼ消滅したのではないか(その代わり,会社という使役機構が猛威を振るっているわけだ)。
それゆえ,あまり密な人的サービスを受けるとかえって落ち着かなくなったりするわけだけど, 人的サービスってちょっとあるだけで 贅沢感を刺激する。
● ピシッとユニフォームに身を包んだ,頭も相当いいと思える才媛が,応接してくれるのだ。これほどの贅沢があるだろうか。ホテル以外ではまずもってあり得ないことだ。
逆に,放っておいてほしいときには,気配を読んで放っておいてくれる(そういうときは,部屋にこもっていればいいわけだが)。
● ホテルがどんなサービスを提供しているのか,じつはよくわからないところがある。そこは,ホテル側の人が書いたガイドブックを読めばいい。
そうしたガイドブックによると,どうやら遠慮はしない方がいいらしい。気楽に気さくに話しかけ,要望があったらためらわないで電話してみる。そういうことが大事。
つまり,大半の女性は言われなくても実行していることであり,大半の男性はわかっていても実行できないことである。
● 贅沢体験はホテルに極まるのであれば,交通費をかけて海外や遠方のリゾート地に行くより,その分のお金を近場のホテルの宿泊費に回した方が賢いような気がする。
リゾートホテルよりシティホテルの方がおしなべてサービスの水準は高いように思う。ゆえに,泊まるならリゾート地ではなく都市のホテルがいい。
ならば,リゾートもアーバンリゾートに限る。というわけなので,日本第一の観光地は東京であるけれど,日本第一のリゾート地もまた東京であると言ってみたい。
● 鎌倉から新橋に戻って,“ゆりかもめ”の1日乗車券を購入。まずは台場駅で降りて,ダイバシティー東京プラザに行った。
ショッピングモールでも,衣料関係のお店が多い印象。となると,ぼくには用のないところになる。唯一,心休まるところはダイソーしかない。ので,ぼくはもっぱらダイソーで 時間をつぶした。
● 1日乗車券の元を取らねばというわけで,終点の豊洲まで行ってみることにした。豊洲まで行くのはこれが二度目。一度目は,“ゆりかもめ”の全線に乗っておかねばというわけで,乗るために乗った。
今回は,豊洲にもショッピングセンターがあるようで,相方がそこに行きたがった。
● 途中,市場前という駅がある。移転だ盛土だと騒いでいるのがここなのだろうね。
どうするかは東京都民が決めればいいことだ。ぼく一個の意見はあるけれども,部外者がどうこう言うことではない。
● 結局,ショッピングセンターには行けなかった。っていうか,行かずにすぐに戻ってきてしまった。何だ,だったら行くことなかったじゃん。
フジテレビの建物を見やりながら思った。数年前,フジのここまでの凋落を予想した人はいなかっただろう。突然だった。ちょうど社長が替わった時期と一致した。こうなると,社長の責任を問う声が大きくなる。けれども,種を蒔いたのは前社長であるかもしれず,つまりは何が原因なのかはわからない。そもそも,これと特定できる原因があるのかどうかもわからない。
● ともあれ,竹芝で降りてインターコンチネンタル東京ベイにチェックイン。いったん,部屋に戻って,クラブラウンジで酒を飲み始めた。
けっこうな数の料理もあるわけだが,館内のレストランに比べれば質素なものだと思う。予算も限られているのだろう。
このラウンジは,クラブフロアじゃなくても,1万円の追加料金で利用できる。空きがあれば。そして,たいていの場合,空きがあるようなのだ。となると,そうそう予算をかけるわけにはいかないでしょ。
● とはいっても,肉,魚,野菜と一通りは揃っているし,前菜からメイン,デザートとコースを作ろうとすれば,できるようにはなっている。ぼくらには充分すぎる。
相方は茸のソテーを珍重する。ぼくはといえば,ウィスキーをハイボールにして飲むのがメインで,料理は肴と心得ている人間だから,まぁ何でもいいのであるよ。
● 外人さんは,ぼくらのようにガツガツしない。水だけでダベっていたりする。今は食べたくないから食べない,そういうことなのだろうな。
なかなかカッコいいな。ただし,ダベるだけならここじゃなくてもいいのじゃないか。ま,ここでもいいんだけど。
● 今日は,ラウンジの座席にも余裕があった。だから安い宿泊プランが出たのだろうけど,クリスマス前の時期は土曜日でもさほどには混まないようだ。
狙い目だな,憶えておこう。
● 銀座を歩いてみた。中央通りのネオンは圧倒的な光量。栃木の田舎者にはまばゆすぎる。たくさんの人が歩いている。
並木通りに入ると一転して暗い。人どおりもまばら。銀座=並木通り,だと思っていたのだけど,それはいつの時代のことかと言われますな。
ぼくの銀座のイメージは,たとえば吉行淳之介のエッセイから作ったものだったりするので,今となっては大昔の銀座というか,実在したことのない銀座なのだろうな。
● 新橋駅の近くに「味の時計台」がある。昼にあれだけ食べて,夜は夜でしっかり食べているのに,相方はアジトケの味噌ラーメンを食べたいという。甘めの味付けがいいんだそうだ。
腹も身の内というではないか。いったんは諦めたようなのだが,途中でやっぱり行きたいと引き返していった。一人にしておくのも何だかな。つまり,ぼくも後を追った。食べ過ぎた一日だった。
● 鎌倉に来るのは何度目だろう。かなり少ない。3回目か4回目か。
● 休日の鎌倉は混み合うとは聞いていた。今はシーズンオフといっていいんだろうけど,それでも鎌倉駅は激混みと言いたくなるほど,混んでいた。
黄金週間や秋の紅葉の時期はどういうことになるんだろう。
● ここまで人を集める鎌倉の魅力って何なのだ。ひと言で言ってしまえば,東の京都だってことだろうか。
エピソードや物語を持つスポットがそこかしこにある。よく知られた神社仏閣が多い。社寺が好きな人には何度来ても,どれだけ滞在しても,飽きることのない街だろう。
● 中世のある期間,ここが日本の中心だった。天皇は京都にいたままで,実質権力は鎌倉にあった。こんなのは後にも先にもない(と言いたいのだけれど,江戸幕府があったな)。
この後,足利氏は京都に幕府を置くのだし,戦国の英雄たちは都に上り,天子を擁立して天下に号令しようとした。京都を放っておいて,自分がいるここを日本の中心にすると考えたのは,源頼朝をもって嚆矢とする(厳密に言うとそうではないけど)。
● 加えて,鎌倉には文化都市のイメージがある。あるというより,漲っている。文化と学問の街。
実際はどうなのか知らない。が,戦後,鎌倉アカデミアなるものが存在したし,作家の多くが鎌倉に住んだ。
鎌倉が彼らに選ばれたわけだ。選ばれるには選ばれるだけの地の力があるからだろう。
● ぼくの頭には鎌倉の全体が入っていない。大仏を見たことはある。銭洗い弁天にも行ったことがある。長い階段を登ってお寺に行った。長谷寺だったか。いくつかの断片があるだけだ。
で,今回は鶴岡八幡宮に行ってみた。たぶん,初めてのはずだ。思っていたより小さな社だし,下界との高低差もあまりない。もっと,階段を登った奥にあるイメージを持っていた。
● 武家の社って,それ以前のものに比べれば,装飾が簡素になったりしてるんですか。東照宮なんかお金にあかせて飾れるだけ飾ったという感じなんだけどね。
鶴岡八幡宮も細部の装飾はかなり凝っている。でも,鎌倉の中心となるお社だもんな。
● 200円を払って宝物館も拝観した。結局,こういうのって猫に小判なんだな。ぼくが見ても何もキャッチできない。宝を見ているのに宝と認識できない。
わかる人が見ないとダメだよね。でさ,わかる人ってあんまりいないんじゃないかと思うんだよねぇ。
● 神社仏閣もそうだ。わかる人に見てもらわないと,神社仏閣が可哀想だ。ぼくのような無粋な人間がバタバタと見てもしょうがない。っていうのを,神社仏閣に行かない言い訳にしちゃいけないんだけどね。
歴史は好きなんですよ。日本史もわりと好き。でも,ある人物,ある場所,ある建物が持っているストーリーを頭の中で再現できるほどの細かい知識は持ちあわせていない。ここだけは絶対に行きたいというところもない。
ので,その場に立ってもボーッとしているしかないんだな。もったいないことだ。
● 小町通りを歩いてみた。ここを歩くのは初めてだ。こんなに人でごった返している小路があるんだなと思った。毎日が縁日とはこういうことだ。東京に行けば,原宿とか,そりゃ他にもあるんでしょうけどね。
団子を買って食べ歩き,煎餅を買って食べながら歩いた。
● シラス丼の貼り紙を出している食べもの屋がいくつもある。シラス丼,言葉から内容は容易に推測できる。これって鎌倉というより湘南地方の名物になっているんですか。 味も食べなくても推測できるな。
でも,これだけシラス丼,シラス丼って言われると,一度は食べてみようかという気になる。
で,「秋本」さんというお店に入ってみた。佇まいがきちんと和風だったので,たまにはこういう店で食べてみるか,とね。
● 生シラス丼と釜揚げシラス丼がある。けど,この日は釜揚げシラス丼のみとなっていた。
シラスがご飯のうえに部厚く載っている。てっぺんにおろし生姜。お好みで醤油(土佐醤油を使っている)をかけて食べる。 シラスに塩味があるので,かけ過ぎないように注意してください,と言われた。
温泉卵も付いてくるので,少し食べたところで卵を載せて,卵かけシラス丼にする。この方が旨い。生卵ではどうなんだろうね。
● 赤出汁だけお代わりしたいと,相方が言いだした。そんなことができるのか。できたんでした。210円で赤出汁のお代わり可能。
最近は,旨いと思ったときには,そのことをお店のスタッフに伝えるようにしている。ついでに,何か秘訣があるのですかと訊いてみた。
ダシをしっかり取ってますから,味噌もいろいろ合わせてるんですよ,ということだった。つまり,教えられないということ。ま,教えてもらっても真似はできないんだけどね。
● お値段は1,300円(+税)。単純な食べものだ。家でもこれに近いものは作れるんじゃないか。コツはシラスをどっさり載せること。
ところで。釜揚げシラスのほかに,生シラスがあるとなると,そちらも食べてみたいと相方は思ったらしい。こういう局面で相方を翻意させるのは,ほぼ不可能だ。生だろうと何だろうと,もうシラスは食べなくていいんじゃないかと思うんだがな。
● で,どうしたかというと,「海鮮三崎港」に行ったんでした。京樽が運営する回転寿司屋。生シラスの軍艦があったわけなんでした。
食べましたけど。シラスは釜揚げにするのが正統なんでしょうね。何でも生の方が旨いってわけではないようだ。生が不味いというわけではないんだけど,もちろん。
● 「海鮮三崎港」では,それ以外の,ブリとかマグロとかが旨かった。この回転寿司屋に入るのは初めて。ぼくの地元にもある「魚べい」や「はま寿司」のような,どれでも百円の回転寿司屋に比べると,値段は倍近い。けど,それだけの(たぶん,それ以上の)内実は備えているんでした。
ただ,食べ過ぎた。そりゃそうだ。シラス丼を完食しているんだからね。
● 相方が歩きながらスマホをいじっていた。たぶん,今夜どこかで泊まれないかと画策しているんだろうと思った。それしかないはずだから。
案の定だった。竹芝のインターコンチネンタルに安いプランが出ていたようだ。結局,28,000円でクラブフロアに泊まれることになった。
だったら東京に移動しようというわけで,昼食後は鎌倉を離れることに。鳩サブレも買えたしね。
● 今日から「青春18きっぷ」が使える。この日,相方と鎌倉に行くことになっていた。まずは,地元駅の指定券券売機で「青春18きっぷ」を買った。
● その相方が,贅沢にもグリーン席で行きたいという。鎌倉まで780円の追加。
それだけの追加で,「青春18きっぷ」でグリーン席に座れるのは,かなりお得な気分だねぇ。お得をとおりこして妙な気分になった。
新幹線ができる前の昔の特急「はつかり」や「やまびこ」の座席(普通席)よりゆったりしているように思う。あの頃の特急料金っていくらだったかな。
● グリーンアテンダントのサービスを受けることができる。申しわけないくらいのものだ。
ところで,このグリーンアテンダントなんだけど,やることはグリーン券の確認と車内販売。この車内販売が儲かるはずはない。乗客に対するコンビニエンスを提供するためにやっているのだろう。
ぼくらは朝食がわりにあんパンを買った。要するに,そんな人たちのために,時間帯に応じて必要とされそうなものを用意しているのだろう。
● 人の使い方が贅沢だ。NRE株式会社が雇用主だけれど,グリーン券の確認など車掌がやればすむのではないかとも思ったりする。そこにはたぶん大人の事情ってやつがあるのかもしれないけれども。
● まぁ,しかし。グリーン席は静かだし,ゆったりしてるし,快適なのだった。もう人生の残りも少なくなってきたことだし,東京に出かけるときには,新幹線は無理だとしても,普通列車のグリーン席くらいは自分に奢ってもいいのではないかと思えてきた。
● 呑兵衛はしょうがない。また,少し飲んでから帰りたくなって,安くすませようと「はま寿司」。
“うちのハイボールは角だから”の角ハイ(330円)を2杯。肴はアオサの味噌汁(100円)と海老のアヒージョ(200円)。後者は最近登場したもの。いろいろ考えるんだな。
やはり,寿司も食べることになってしまってね。ダイエットは死んだと思っているから,心やすく食べてしまうんだな。
● 困ったことはさらにある。つまり,相方に連絡なんかしてないから,家に帰れば彼女が作ってくれた夕食があって,それを食べないわけには絶対にいかないってこと。
しかもぼくの好物は米だから,炊きたてご飯があると,食べるなと言われても食べてしまう。
● で,その炊きたてご飯があった。1杯目は納豆で,2杯目は秋刀魚の開き(スーパーで買ったもの)で,要するに2杯も喰ってしまったよ。
血がサラサラになるからと相方に言われて,タマネギサラダも喰った。あ~ぁ,何じゃらほいほい。
● ところで,「はま寿司」に限らず,たいていの回転寿司屋が提供しているサービスで,最も価値あるものは何だろうか。
寿司(あるいは寿司らしきもの)を安く提供することだろうか。否。そうではない。
● 一切口をきかないで,食べたいものを注文できることだと思う。店に入ると,人数を機械に入力する(ぼくの場合は,たいてい1人)。店のスタッフが席の番号を教えてくれる(ぼくの場合は,たいていカウンター)。その場所に行って座る。
タッチパネルで注文する。食事を終了したら,会計ボタンを押す。スタッフが来て計算する。レジに行って勘定をすませる。外に出る。
じつに,ひと言も話をしないですむのだ。
● もちろん,それを冷たいと感じる人もいるだろうし,味気ないと感じる人もいるだろう。
が,ある性格の人たちにとっては,喋らないですむというのがサービスになる。そういう性格の人たちにしてみれば,今はいい時代になっている。
それってコミュニケーション能力低下だよね,っていう評定は無用だ。大きなお世話である。
● もっとも,店側ではサービスのつもりでそういうシステムを導入したわけではない。経費削減のためだ。経費の最たるものは人件費。できるだけ人を雇わないですむようにした結果に過ぎない(はずだ)。
それが期せずして,新たなサービスを付加することになった。
● 「みやこ家」大好き人間の相方と,この日も氏家の「みやこ家」で落ち合った。相方は濃厚つけ麺を注文した。
ぼくは,飲ませてもらった。タコの唐揚げを肴にハイボールのWを2杯。
ここのハイボールはトリスだと思う。で,ハイボールはトリスで充分だと思っている。“うちのハイボールは角だから”もいいけどね。
● 「みやこ家」を本格居酒屋として使うことは少し難しい。何人かで来て腰を据えて飲むとなると,たとえば刺身がないとか,焼き魚がないとか,鍋がないとか,レバニラがないとか,まぁそういうことになるだろう。
店側としても,そういう使われ方をされては困るかもしれない。それは想定外のはずだ。回転率は確実に下がる。それに見合った客単価の上昇があるか。
● けれども,ちょい飲みというか,軽く飲むのはまったく無問題だ。ちょっと飲んで,麺も食べてもらえれば,一番の上客かもしれない。何と言っても,酒関連は利益率が高いだろうから。
というわけで,遠慮しぃしぃ,ハイボール2杯で切りあげることにしている。
● いつもはこれで帰る。が,この日は回転寿司の「魚べい」に立ち寄ってしまった。
相方が注文した濃厚つけ麺も,3分の1くらいはぼくが食べたのだ。夕食のハシゴだ。
● 相方の名誉のために言っておくと,彼女はここでは食べなかった。2皿くらいしか。ぼくは,あん肝,マグロ,イカ・・・・・・,5皿は食べているはずだ。
100円均一で寿司を食べられるんだから,ありがたい話だ。あれは寿司じゃないという人もいるに違いなんだけど。
● ただ,ダイエット は完全に死んだな。生き返ることもなさそうだな。
● 2日に立ち寄ったばかりの氏家の「登竜」。今夜も足が向いてしまった。2日は,肉野菜炒め,長芋キムチで水割りを3杯飲んだ。
今夜は,肉野菜炒めに代えてレバニラ炒めを食べたくなった。
● こんなにオレは喰うのかと思わせる量のレバニラ炒めがやってくる。ただし,レバーはそんなに多くない。モヤシと,次いでニラが大量なんですよ。だから腹にもたれることはない。
サッと炒めてしっかり熱が通っている。単純極まる料理なんだけども,家庭ではできない。したがって,外で食べる価値がある。
● 次はホルモン炒めを注文することになりそうだ。その次はモツ煮こみ。その次は鶏皮炒め。以前も,順々に注文していたな。また,同じことを繰り返しそうだ。
いやね,大衆的中華料理と言いますかね,レバニラとか肉野菜炒めっていうのは日本料理の一角に数えていいと思うんだけど,旨いものだよねぇ。
● 「登竜」にはキムチも何種類かあるんだけど,長芋キムチに収斂した感じ。ニラキムチは量が多すぎる。タッパに入れてもらって持ち帰るつもりなら,頼んでもいいけどね。
それで安い水割りを飲む。この幸せというのは,かなりのものですよ。
● レバニラ炒めに代えても,勘定は1,925円。この安さはもっと嬉しい。
東京に行くと,ミシュランの星がいくつとかっていうレストランがかなりの数あるんでしょ。高いんでしょ,そういうとこって。
安くて美味しいところがあるんだよねぇ。お金はなくても美味しいものは食べられるってことだよね。
● ぼくが座った隣の席にはオバサンがひとりで。2台のiPhoneをテーブルに置いて,2台ともせわしなく操作していた。
iPhoneの2台持ち,けっこういるんですか。どうして2台も必要なんだろ。1台じゃダメなのかな。
● 2台操るの図って,操る人が賢くは見えないんだよなぁ。スマホもこれだけ普及してしまえば,くだらないことにしか使っていない人が大半のはずだけどね(おまえが言うな,ってか)。
だいたい,何だかんだ言われながら,通信料は右肩下がりに下がってきたし,スマホは最もお金のかからない娯楽のツールだ。スマホをいじるって,ヘタすると貧乏くさい所作になってしまうようになった。
● Macを使っている若者(男性)がいた。Macって天蓋の真ん中にリンゴマークがあって,それが光るようになっている。
このマーク,もう少し小さく,目立たないようにできないのか。
● Macが圧倒的な少数派だった時代じゃないからね,今は。Macユーザーってわりと多いんでしょ。そちこちで見かけるであろう,あのマークを見て憂鬱になったりしないのかなと思ってね。
ところが,このあたりもAppleを真似るメーカーが多いようだね。マイクロソフトのSurface Bookもそうだし(ただし,Macほど大きくはないようだ),DELLもそうだしね。
● Appleは,今なお,パソコンのデザインや色使いなどルックスの表現においては,頭ひとつ抜けている存在だね。
いや,今なおっていうのは,不正確だね。スティーブ・ジョブズが復帰する前のApple製品は,ルックス的にも ONE OF THEM になりかかったことがあったから。他のメーカーとの差別化において今ほどAppleが成功している時代はなかったかもしれない。
● 「美味しさ五ツ星。北陸新幹線キャンペーン」のパンフを見て,羨ましいと思うのは,旨そうな料理があるんだなってことだ。
このパンフレットには各県の代表として次の料理が写真で紹介されている。
長野県 松茸・ジビエ料理・信州そば・信州ワイン
新潟県 コシヒカリ・へぎそば・鯛茶漬け・日本酒
富山県 ブリ・ベニズワイガニ・富山湾鮨・シロエビ
石川県 のどぐろ・香箱ガニ・能登牛・加賀懐石料理
福井県 鯖へしこ・越前がに・若狭ふぐ・油揚げ(厚揚げ)
● 海なし県の栃木に住んでいると,海産物に対する憧れが強くなる。
上の例でいうと,長野県のはさほどに羨ましいとは思わない。長野も内陸県で栃木と似たようなものだと勝手に思っている。栃木で松茸はあまり聞かないけどね。
長野のジビエ料理は鹿肉を上品にステーキにしたものだけど,栃木にだってジビエはあるもんね。主にはイノシシだけどさ。
そばもそうだ。信州そばの認知度には負けるけど,栃木のそばもかなり旨いよぉ。
● 新潟は海のものも美味しいはずだ。が,米と酒があまりに有名だから,こういうチョイスになったものだろう。
けれども,まぁ,これもさほどに惹かれるところはない。栃木にもあるからだ。栃木の酒は惣誉(市貝)と天鷹(湯津上)が代表かなぁ。惣誉の一番安い冷酒でいいな,ぼくは。
とはいうものの,新潟産コシヒカリのおにぎりとお新香(キュウリとニンジンの糠漬けかと思われる)の写真は,旨さを閉じこめているそうだ。食事はここまでシンプルでいいのだ。日本の米は旨すぎるのだ。米の旨さにおんぶにだっこで,何の問題もないのだ。
● しかし,富山,石川,福井のカニ,ふぐ,ブリ,シロエビ,のどぐろには,打ちのめされる。喰ってみてーよー,ってね。
ま,こういうのはその地元に行ってもやっぱり高いわけで(流通経費が載らなくても,高いんだよね),そうそう食べられるものではない。つまり,ここにあるような料理は地元民にとっても高嶺の花なんだろうと思うんですよね。
であっても,やっぱり魅力的だな。
● 北陸の料理を眺めてて羨ましいと思うところがもうひとつある。郷土料理というべきものがあるということだ。
よそからお客を迎えた場合に,ここに来たらこれを食べてくれよ,と自信を持って連れて行ける店があるに違いない。あるいは,食べさせられる料理があるに違いない。
● これがね,栃木だとね,ぶっちゃけないんだよね。ぼくらはたしかに餃子好きなんだけど,餃子って日本全国どこに行ってもあるわけでね。
そこんところで,北陸や東北の日本海側はかなり羨ましい。もともと,食生活は豊かだったところなんでしょうね。
● 観光で食べていくことの難しさっていうのは,たとえば,細やかな人情,澄んだ清流,風味豊かなそば,大地の恵みともいうべき温泉,熱気あふれる祭り,なんていうのはどこにでもあって,すでに供給過剰と思われることだ。
基本的にはオンリーワンの食があると強いんだけども,これも無理やり作ったものじゃどうにもならない。ありふれた食べもの(それこそ,そばのようなもの)の中で圧倒的にトップというのが理想だけれど,そんなに簡単に行くんだったら苦労はない。
● ひっさしぶりに「登竜」で飲んだ。久しぶりなものだから,何を注文するかで悩む余地はなかった。一番安いウィスキーの水割りを,肉野菜炒めと長芋キムチで飲む。
結局,水割り3杯飲んで,1,925円ですんだ。
● ヘタすると,このあとにラーメンを食べてしまうのだが,今夜はそれはかろうじて抑えることに成功した。醤油ラーメンとか食べたいんだけどね。
ここは食べるための店だし,ほとんどのお客さんは食べにくる。夜でもね。
とはいえ,肉野菜炒めはかなりの量だし,長芋キムチもしっかりと量がある。胃袋も満足する。
● で,1,925円ですむんですからね。水割りが300円ですむのが大きいな。
比べちゃいけないんだけど,「はま寿司」で,たこ焼きと豚汁でもってハイボールを3杯飲むと,1,501円になる計算だ。「はま寿司」のたこ焼きや豚汁も悪くはないんだけど,「登竜」の肉野菜炒めと長芋キムチは,要するにレンジでチンという世界ではないわけでね。
● というわけなので,氏家で酒を飲むなら,しかもちゃんと飲んだぞ的な味わいで飲みたいなら,「登竜」は心からお勧めする。
何と言っても旨いからね。鋭角的に旨いんじゃなくて,じんわりと旨い。飽きないで長続きする旨さっていうかね。
● そうして,安い。これだけ飲めて,2,000円で若干のお釣りがくる。
そういうことを地元の人は知っているんでしょうね。客足が絶えないからね,ここは。ぼくもその驥尾に付したいと思いますな。
● JR東日本の“小さな旅”の“川越・さいたま”キャンペーンのポスターを飾っているのが,和服姿の高橋由美子。旧大宮市の出身なんですな。
● 久しぶりに会った感じ。ショムニ以来だと思う。
もっとも,テレビをまったく見なくなって2年と8ヵ月になるので,その間にテレビに出演していたとしても,気づかなかったはずだが。
● 彼女も42歳になるのか。あの図抜けて可愛らしかった中学生がねぇ。ただし,中年になっても美女は美女。
● 昔,ある本にこんなことが書いてあった。女性は40歳になると再び,横一線に並んでスタートラインにつく。
どういうことかというと,持って生まれた器量の良さっていうのは,経年劣化するものだから,40歳になると劣化しつくして,ゼロになる。美人に生まれようが,不細工に生まれようが,40歳になったら関係ない。持って生まれたものの賞味期限は,40歳で完全に切れた状態になる。
● そういう無責任なことを書かれては困るなぁ。40歳になろうが,50歳になろうが,60歳になろうが,持って生まれたものって,かなり残っているよ。
相当高齢になっても,残るんじゃないかなぁ。それこそ例外的にそうじゃない人が出るけれど。そういう人って,例外だから目立つんだけどさ。