● 高校生のパワー,生命力の強さに感嘆させられることが多い。スポーツ大会のような催しに出かけたわけではない。
街で見かける彼らから,ごく普通にそういう印象を受ける。
● 氏家の「登竜」に寄ったら,女子高生が二人,テーブル席で麺を食べていた。大きな笑い声がしばしば響いてくる。うるさいとは思わない。彼女たちのはじけた様が心地よく伝わってくるのだ。
彼らの生命力をずっと持ち続けることができたら,それを発揮し続けることができたら,必ずひとかどの人物になれるだろう。誰であっても。
● 翻って,高校生のときの自分は彼らのように生命力に溢れていただろうかと考える。どうもそうじゃなかったような気がする。内にこもって,外に対しては基本的に“おびえ”を抱いていたような気がする。
生命力をたぎらせているかに見える彼ら彼女らも,じつは大昔のぼくと同じようにウジウジやイジイジを抱えているのだろうか。
● ところで,女子高生二人,食べ終えてもずっと喋っている。これだけ混んでいるんだから,食事を終えたら席を空けなきゃいかんだろ。
おそらく,そいういうことが見えていないんだろうな。自分たちの世界に入りこんで,外が見えなくなっている。自分が世界の中心になっている。その状態をオバサンと呼ぶとすると,女子の場合は,物心ついたときにはすでにオバサンなのかもしれないな(暴言多謝)。
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