2017年1月31日火曜日

2017.01.30 「登竜」の不思議

● 相方とさくら市氏家の「登竜」で待ち合わせて,夕食をすませて帰る。気になっていた「登竜」のカレーライスを初注文。大盛りだよ。旨かったけど,カレーだけは相方が作るものに軍配をあげるかな。
 しかし,「登竜」の不思議なところは,味以上に,あるいは味以外に,何かがあると思わせるところ。

● 美味しいものを腹一杯食べる幸せというのが,かつて確かにあった。その幸せ,今はどこに行ってしまったのか。昔以上に美味しいものを食べているはずなのに,あまり幸せ感が伴わない。
 ぼくらはひとしなみに豊かになって,飢える心配はなくなった。空腹を感じる時間を作らなくちゃいけないと言われるようになった。

相方が注文した味噌ラーメンを分けてもらって食す
● つまるところはそういうことなんだと思う。食に対する切実な希求はなくなっている。どうせ食べるなら美味しいものを食べたい,ということになっている。
 が,“どうせ食べるなら”という姿勢で,美味しいものにありつけるとも思えない。

● 「登竜」はその幸せ感を味わえるところだと言っておこうか。なぜ,「登竜」ではその幸せ感を味わえるのか。そこのところを考えている。
 店側にだけその理由を求めるのは間違いかもしれない。お客さんにも注目しなければならないのかも。

● 「登竜」には腹っぺらしが来ているようだ。逞しい食欲を見せるお客さんばかりだ。ぼくもそうだけれど。その見事な食べっぷりが「登竜」の店内の雰囲気を作るのに与って力あるかもしれないのだ。
 だが,しかし。“その見事な食べっぷり”を誘発するのは,「登竜」が提供している料理なわけで,やはり「登竜」側に理由はあるのだろうな。

文字どおりの大盛り。ここまでの盛りとは思ってなかった
● 相方は味噌ラーメンを,ぼくはカレーライスを食べながら,昨日とはまるで違うね,お得感があるね,と下品な会話を続けてしまった。
 昨日というのは,宇都宮のベルモールに入っている某店のことなんだけど,某店と「登竜」の違いの最たるものは何かというと,おざなり感の有無ではないかと思う。

● 「登竜」が出す料理にはおざなり感がないのだ。そんなのはあたりまえじゃないかと言われる向きもあるかと存ずるが,毎日毎日,同じ料理を作っていて,おざなり感を出さないというのは,たいしたものではないか。
 実際,そうした店は少ないような気がするぞ。

2017年1月29日日曜日

2017.01.29 iPhoneが臭Phoneになった話

● こんなことが自分に起きるとは想像もしなかったことが起きた。

● ケータイは相方にガラケーを持たされている。ぼくも多数派(スマホ派)なんだけど,昨年の11.11に液晶が割れた。そのままになっていてね。通話用にガラケーを使っている。
 相方を乗せて,宇都宮市内の某所に行ったんだけど,そのガラケーを忘れてきた。ら。相方にiPhone5Sを渡された(相方は息子が使っていたiPhone2台を引き継いでいる。5Sと6SPlus)。LINEで連絡を取り合えるでしょ,と。

● でね,トイレで小用を足しているときに,相方からLINEで電話がかかってきたと思いねぇ。
 iPhoneを取りだしたんだけど,使い慣れていないものだから,モタついてしまったと思いねぇ。どうして電話を受ければいいのだ,とね。しかも,小用中だよ。

● そうしているうちに,iPhoneを取り落としてしまったと思いねぇ。哀れ,iPhoneは小便器の中に。落ちたところに水が流れだした。
 周囲の目を気にしている場合じゃない。パッと自分のパイプを止めて,iPhoneを拾いあげた。

● 結局,iPhoneは無事だったんだけど,何だかね。
 このこと,相方には内緒にしてるんだけど。帰宅後,何食わぬ顔をして,相方に返したんだけど。あ,一応は拭いといたけど。

● ちなみに,相方からの用件はじつにつまらないことだった。そっちに行くのが2,3分遅れるよと知らせたかったらしい。
 そんなのわざわざ知らせなくてもいいぞ。黙って,2,3分遅れてくれ。iPhoneが臭Phoneになるよりずっといいからな。

2017年1月27日金曜日

2017.01.27 宇都宮スパ屋-マルゲリータを肴にワインを飲む

● 値段と料理の質の相関を考えると,宇都宮スパ屋はサイゼリヤより断然安いと思う。たったひとつの例外と思われるのが,ワインだ。
 ボトルで取るならいろんなワインから選べるけれど,グラスワイン(スパ屋の用語でいうと,ギリギリワイン。ワイングラスに目いっぱい注いでくれる。390円だったか)で比較すれば,サイゼリヤとあまり変わらない。

● イタリアンの店はここ以外には知らない。以前は,カプリチョーザによく行っていたんだけど,宇都宮駅東の店がなくなってしまった。インターパークにはあるんだけど,わざわざそのためだけに車を走らせる気にはならない。
 となると,スパ屋しかないんだよなぁ。高級店は知らないからさ。

● けれど,正直,少し飽きてきた感もある。セットメニューはずっと同じだ。セットメニューに含まれるサラダやデザートの中身もずっと同じだ。そろそろ次を考えた方がいいかもよ。と,偉そうなことを思ったりもする。
 でも,イタリアンを食べたくなったら,行く店はここしかない。

● ポイントを溜めると,いろいろと特典があるようだ。相方はマルゲリータの無料券をもらったらしい。その有効期間が今月いっぱい。
 ので,無料券を使うというそのために,今夜,スパ屋に出かけたわけなのだ。

● マルゲリータがあるわけなので,セットで注文してしまうと,食べきれなくなる。ので,初めてセットじゃない注文をした。
 まずは,赤ワインをデキャンタで。これがつまり,サイゼリヤとあまり変わらないかなと思われるワインだ。それをマルゲリータを肴に飲んだ。

● あと,“豚バラ肉の香草ロースト”(ハーフサイズ)。これは前から気になっていた料理で,初めて食べてみた。香草を砕いて豚バラ肉に擦りつけて重ね,丸く固めてある。それをナイフで切り分けで食べるわけだ。豚バラ肉をこうして食べる方法もあったか。手間がかかる料理だが,できあがりはワイルドだ。
 しかし,もっとも肝心な空腹という調味料をこちらが忘れてしまった。結局,この料理は残してしまった。赤ワインも。
 次は,“生ハムの爆盛り”で白ワインをやってみよう。

● 無料で食べられたマルゲリータは旨かった。イタリアにはこんなに旨いマルゲリータはあるのかね。行ったことがないからわからんが。
 ところが,このマルゲリータを食べるのは,今回が2回目なのだ。つまり,旨いとわかっていたのに,注文する機会がなかったってことなんですよね。

● パスタにしてもピザにしても,基本,安いものが旨いよね。セットだと選べるパスタやピザに値段の幅があって,となると値段で決めてしまうよ,と。
 つまり,高いものを選んじゃう。上にウニが載ってるのとか,牡蠣が入ってるのとか。それはそれで旨いっちゃ旨いんだけどね。

● でも,この店のウリは“宇都宮で最も濃厚なミートソース”のパスタだったりするわけで,その濃厚ミートソースパスタが一番安かったりするわけでね。
 ちなみに,相方が注文したのは“ニンニクとトマトのパスタ”だったんだけど,ウニだの牡蠣だのよりも,こっちの方が旨いわけでね。

● でも,そういうのはセットのときは選ばない。マルゲリータもまた同じ。ピザの中では安いものだから。
 つまるところは,品下れる貧乏人根性がマルゲリータを選ばせないってことなんだよなぁ。

2017.01.27 訪日外国人>海外に行く日本人

● 右は今日(1月27日)の読売新聞。
 訪日外国人も羽田に分散しているんだろうから,要は,外国に出る日本人よりも日本に来る外国人の方が多くなったってことなんでしょう。

● かつては日本人はせっせと外国に出かけて,貿易収支の黒字をいろんなところにバラまいて,知らず知らずのうちに均てん化を図っていた。
 けれども,今は外国に旅行する日本人よりも,日本に旅行する外国人が多くなった。

● なぜか? 円安が第一の理由だろうね,やっぱり。でも,それだけでもないんだろ。日本の食と水の旨さが知られるようになったからでもあるだろう。治安の良さや人の流れに秩序のあることが,こんなにストレスフリーで快適なことなのかと,彼らも納得しつつあるのかもしれない。街が静かなこと(つまり,クラクションの音がほぼない)に瞠目しているのかもしれない。
 それらをひっくるめて,中国や韓国やマレーシアにはない日本の良さというのが,ようやく知られてきたのが理由の第二だと思いたい。

● この流れが定着すると,観光収支も日本は黒字になってしまう。何年かぶりで貿易収支は黒字になった。特許収支などは日本の一人勝ちと言っていいくらいに,日本は莫大な黒字を続けている。
 これで観光収支まで黒字になると,日本の黒字をどうやって世界に還元する? 黒字が溜まるだけっていうのは,はなはだアホらしい。

● ムダな使い方をするのはもっとアホらしいけどね。たとえば,韓国経済はもう保たないところまで来ている(と思う)。ウォンの暴落は指呼の間かもしれない。
 それを救うために日本の黒字を使うなんてのはアホらしい使い方の筆頭だろう。通貨スワップ協議が中断しているのはけっこうなことだ。

● ので,そうした使い方ではない,黒字の使い方を考えないと。ま,無理して考えなくても,そこは巧く転がっていくのかもしれないけどね。

2017.01.27 韓国は近代国家であることを自ら拒否する。なぜ?

● 右は今日(1月27日)の読売新聞。ここが韓国は近代国家ではないと言われる所以だろう。
 なぜなら時効という考え方がないから。長谷川慶太郎さんがつとに説いてやまないところだ。

● 14世紀に盗まれたものかどうかを裁判所が判断できるのか。裁判所にその能力があるのか。法律問題ではないのだ。法律しか学んだことのない人間に,それを究明することができるのか。
 韓国から対馬に移ったのは間違いないとしても,その理由を盗みだと特定できるのか。それ以外の可能性はないのか。

● 和冦じたい,その実態はよくわからない。当時の日本列島に住んでいた人たちが朝鮮半島や中国の沿岸部を荒らし回っていたのか。それとも朝鮮半島や中国大陸に住んでいた人たちがメインで,倭人は一部に過ぎなかったのか(そう書いてある史書もあるらしい)。
 当時は国民国家はなかったわけだから,俺は日本,おまえは朝鮮,やつは中国,なんぞという色分けもまずなかったろう。

● それ以前に,14世紀以降,数百年にわたってその仏像が対馬の観音寺にあり続けたという事実は尊重しなくていいのか。

● こんなことをしていたのでは,韓国は世界の笑いものになるだけではないか。自ら自国の国際的信用を地に落とすようなことをなぜわざわざやるのか。

2017年1月26日木曜日

2017.01.26 トランプ大統領

● 右は今日(1月26日)の読売新聞。右顧左眄しないで,公約実現に向けて大統領令を連発。
 強いリーダーへの渇望が,大衆の間にある。民主主義とか政治参画とか言われても,情報もないし難しいことはわからないし,それはリーダーが決めてくれよ,っていう。最も嫌われるのは決められないリーダーだ。

● 日本ではボトムアップで組織の意思は決定されるから,リーダーは御輿に乗ってればいい,と言われたものだ。御輿は自ら右に行けとか左に行けとは言わないものだ,と。
 けど,そんなのは完全に過去の遺物になった。リーダーが引っぱるのがあたりまえになって久しい。

● 強いリーダーへの渇望が大衆にあるとすると,21世紀の今もヒトラーが出る可能性はあるんだろうか。あるような気がする。
 強いリーダーを望んで,彼にすべてを委ねるというのは,危険が過ぎる。ぼくはトランプ大統領がやろうとしていることは,自ら知識人をもって任じる人たちが言うほどに荒唐無稽ではないと思っているけれど,そうではあっても4年を越える任期を与えるべきではない。
 選挙民という大衆が必ず正しい選択をするなどということは考えずらいことではあっても,4年後に選挙があるというのは,絶対に必要な安全弁だ。

● この記事の左下の「不正投票500万」発言は,大人げないにもホドがあるというものだが,これも可愛らしいという印象になったりするから不思議だ。
 これだけ大人げない70歳というのは可愛いのかもしれない。運動会の徒競走で2着になった男の子が,本当はぼくが1番だったと騒いでいるようなもので,まぁ可愛い,と。

● 夫人や娘たちがとんでもない美人だっていうのは,彼にとって吉なのか凶なのか。旨いことやりやがって,金にモノ言わせやがって,と思う男は多いだろうけど,これは彼にとっての凶にはならないと思う。
 女たちはどうだろう。親近感は持たないような気がするね。

2017.01.26 只見線の復旧が決まったようだ

● 右は今日(1月26日)の朝日新聞。只見線の不通区間,復旧させることに決まったようだ。もう一度只見線に乗れると思うと嬉しい。鉄道ファンとしては,素直に歓迎だ。
 しかし,利用者が1日50人。地元負担は年間2億1千万円。利用者1人あたり420万円。どうなのか。復旧させるべきなのか。

● 限界集落を振興させようと,自然に衰退に向かっているものに棹さしてはいけないのではないか。むしろ,寂れるに任せて,早く住民ゼロにした方がいいのではないか。
 人を集めて居住エリアをコンパクトにした方が,ライフラインも短くてすむし,省エネでエコだし,住民も住みやすくなる。その方向に導くべきなのではないか。

● 会津若松市長の「使わない鉄道を復旧させたとなれば問題だ」との指摘は,まったくそのとおりだろう。只見線の復旧が地域振興の起爆剤になるかといえば,かなり疑問だ。今までは只見線があっても過疎化が止まらなかったわけだろうから。

● ただ,こういう現象って,そのまま住民ゼロってところに行くものなんだろうか。それとも,どこかで底つきがあるんだろうか。
 外部から移り住む人が出たり,人がいないことが逆に魅力になって若者が集まるなんてことがあるような気もする。

● けれども,そうなるとしても,地元育ちの爺婆(特に爺)が静かになった後になるだろうな。申しわけないけど,彼らが元気なうちは,よそから人が入ってくることはないだろう。
 つまり,彼らはルールの決定者であるだろうからだ。そんなのがいたんじゃ窮屈でしょうがないわけで。

2017年1月24日火曜日

2017.01.24 みやこ家で初めてのメニューを

● 氏家「みやこ家」で相方が来るのを待ちながら,ハイボールを2杯。肴はネギチャーシュー。
 相方が到着したので,酒は切りあげて,麺を注文。煮干しつけ麺の“あっさり”を大盛りで。790円。

● 煮干しつけ麺の“濃厚”は何度か注文しているけど,“あっさり”は初めて。“濃厚”より100円安いんだけど,たぶん“濃厚”を注文する人が多いと思う。
 ぼくの知る限り,栃木県で本格的な“濃厚”を知らしめたのは,那須烏山市の「麺屋はじめ」ではないかと思っているんだけど,「みやこ家」の濃厚も相当なもので,つけ麺ではない普通のラーメンの濃厚は,濃厚過ぎてギョッとする。
 で,その“濃厚”ブーム(?)はまだ続いているようだ。

● 石焼き濃厚つけ麺が「みやこ家」のウリだし,これを注文する人が最も多いらしい。石焼きつけ麺を注文すると,何も言わなければ麺は極太麺になる。讃岐うどんの太さ。
 この麺は店で打っているわけではないと思うんだけども,他では食べたことがない。石焼きつけ麺の濃厚にはこれくらいの太さの麺が合うのかもしれない。

● けれども,煮干しつけ麺は中太麺になる。中太麺を使っているのは,ほかに“まぜそば”がある。文字どおりに麺を食べたいと思うときには,あえて中太麺にすることがあるんですよ。
 この中太麺の食べ方というのは,ほかにもあるかもしれない。塩胡椒だけで食べてもけっこう旨いかも。パスタ用のレトルトミートソースをかけてもかなり行けるかも。

2017.01.22 電車の中で見かけた母子

● 宇都宮駅から上野東京ラインに乗ってきた母子。子の方は3歳くらいの女の子。着席早々,叱られていた。どうやら,飲みかけのジュースをバッグに入れたらしい。ダイレクトなのかビニール袋に入れてなのかはわからない。が,たぶん後者だろう。
 どうしてこういう余計なことをするの? やめてくれない? いつもそうだよね 何回言えばわかるの? 一緒にいて恥ずかしいじゃないの。

● 女の子はキョトンとしていた。が,ご免なさいは? どうして謝らないの? と頭を叩かれて,泣きながらご免なさいと言った。
 どうして叩かれたのかもわからなかったろうし,どうして謝らなければならなかったのかもわからなかっただろう。母親に叱られたからそうしただけで。

● 女の子の長い髪,梳かされているふうではなかった。あるいはネグレクトに近い扱いを受けているか。
 母親の方は化粧も身なりもキチンとしていたのだが。

● 親になってはいけないタイプの筆頭が,子を生んでしまった。母親もひょっとすると,発達障害と呼ばれる類の何らかの障害を抱えているのかもしれない。
 が,同年代の子に比して,この女の子に課せられたハンディの重さは大変なもの。成人するまでの彼女の10数年を思うと,胸がふさがれるような思いがする。

● 世の中にはそうした位置に立たされる人がどうしても出てしまう。しかも,他の位置に移ることは許されない。
 どうやらぼくらのこの世界は,そこに存在する歪みを,そうした特定の人に押しつけることによって,全体の暢気さを保っているかのようだ。

● しかし,子供の復元力は素晴らしい。頭を叩かれて泣いて謝った数秒後には,後ろ向きになってシートに膝をついて窓から外の景色を眺めていた。
 その様子にはこちらの胸を突くものがあった。神様が子供にはそうした自己防衛力を与えているのだろう。子供にはそれが必要なのだ。厳しい世界に生きているからだ。子供の頃は良かったとぼくらは言いがちだけど,それは忘却力のおかげだろう。

● が,一般論ではすまない。息子が小さかったとき,息子に対して同じような振る舞いに自分は及ばなかったか。その反省を迫ってくるのだ。なかったとは言えない。
 こういう光景を見ると,取り返しのつかない罪悪を犯してしまったと,自分を責めたくなる。人のことを言ってる場合じゃないのだ。

2017年1月20日金曜日

2017.01.20 ぼくらはマスコミを通してしか社会を見ていない

● 右は今日(1月20日)の読売新聞。
 犯罪は年々減ってきた。少年犯罪も同様。凶悪な少年犯罪が増えていると,識者がガヤガヤ言っていたわけだけど,そういう印象になるのは,マスコミが少年犯罪を詳細に取りあげるようになったのが,比較的最近だからだ。それまでは報道されなかっただけのこと。

● 結局,ぼくらはマスコミを通してしか社会を見ていなかったというわけだ。今だってそうだと思うよ。マスコミの意見を自分の意見としているバカが溢れているのが世間というもので,したがって大衆は常に必ず間違っているのだと思っていないと。
 多数派に属していてはいけないのだ。と思いながら,ぼくらはしょせんは多数派に組み込まれてしまうんだよね。

● マスコミを通さないで直に社会や世間を見れるようになるといいんだけれども,これが言うほどには簡単ではない。
 なぜ,マスコミを通して見てしまうかというと,そこにマスコミがあるからだ。ネットにあるのもマスコミの分身だ。
 マスコミはいうなら遍在している。遍在しているものを通さないで直に対象を見るというのは,なかなかに難しい。

● もうひとつ。マスコミを通して見る方が楽だからだ。頭を使わなくてすむ。そのうえ,インテリを気取れるというか,いっぱしの通を気取れたりする。楽して通を気取れるんだから,これは堪えられない。
 さらに,マスコミの意見を自分の意見とすると,世間の大半を上から目線で見ることができるという快感も味わえる。なぜなら,マスコミというのは日本の総理大臣やアメリカの大統領や大企業の経営者を(どういう根拠があってか知らないが)上から見るのを恒としているからだ。

2017.01.19 世間の目から自由になって,やりたいことをやらなきゃ

● 自分は組織に体重をかけてこなかった。職場の付き合いにも重きを置いてこなかった。
 組織というのは,忠誠を尽くす対象ではなくて,自分に合わせて活用するために存在する。と悟って,そうしてきたわけでは残念ながらないけれど。
 したがって,いずれ迎えるはずの定年退職も,それに伴う喪失感はほとんどないだろう(と思っている)。

● そうはいっても,長らく属してきたわけだから,知らず知らずのうちに,組織の色に染まっているだろう。組織から去って,そのあとに何もないというのでは,いくら組織に寄りかかっていなかったといっても,ポツンとした淋しさを味わうことになりそうだ。
 今までの人間関係から切り離されても,そういうものとは関係なく,やりたいことがあるというのも大事だ。しかも,すでにそれをやっているのでなければならない。

● 退職して時間ができたら始めようではなく,できる範囲ですでにやっていること。ここのところは,特筆大書すべきだ。
 時間ができたら始めようと思っているだけで,只今現在はやっていないのであれば,それはそんなに好きなことではない可能性が高いからだ。おそらく,暇ができてもやらないで終わるだろうからだ。

● 好きなことがあって,すでにそれをやっている人は,退職後の生活プランなんて簡単にできる。今やっていることを拡大するか深化させればいいだけだからだ。
 社会の役に立ちたいとか,そういう立派なものでなくてもいい。というより,かっこつけの要素がわずかでもあってはダメだ。自分の欲望に忠実でありたい。世間がどう思うかは考慮の外に置かなければならない。
 むしろ,年寄りの冷や水と言われるようなことをまったくやらずに朽ちることになっては,年寄りになった甲斐がないというものではないか。

● 以下,自分がやりたいと思っていることを書く。
 クラシック音楽を中心にコンサートの類にはできるだけ出かけたい。その感想をブログに綴ることも続けていきたい。
 自分の書くものが,ステージに立つ人たちの背中を少しでも押すことができれば本望だが,そういうことがなくてもいい。楽しいと思うからやる。楽しいと思わなくなったらやめる。

● 読みたい本もたくさんある。若いときから年を取ったら読み返そうと思っていた本もあまたある。が,それを読み返す機会はないかもしれない。
 なぜなら,新しい本が次々に出るからだ。それを読んでいくだけで手いっぱいになるはずだ。その手いっぱいを味わえるだけ味わっていきたい。
 とりわけ,空海や道元の仏教書をゆっくりと読んでいければと思う。

● 自転車もまともなスポーツバイク(ツーリング用の自転車でもいい)に買い換えて,ブルベに挑戦したい。200㎞,300㎞,400㎞,600㎞。SRの称号を手にするのだ。
 300㎞までは何とかなりそうな気がしている。が,400㎞の壁を越えられるかどうか。ちゃんと鍛えないといけないんだがな。

● で,SRになったらブルベはスパッとやめて,自転車で日本一周の旅に出る。自分でルートも速度も自由に決められる。ザッとしたルートはすでに考えている。
 息子と二人で走るのが,いうならひとつの夢だった。その夢は叶うことはないけれども,時間を贅沢に使って日本の各地を回ってみたい。
 テント泊を基本とする。週に一度はビジネスホテルに泊まる。テント泊でもスマホは必要だろう。そのバッテリーを充電する必要がある。そのためのホテル泊だ。

● 仕上げは世界一周だ。仕上げというより,ブルベや日本一周は準備作業だ。自転車での世界一周など今では希少価値はなくなったけれども,老齢になってからの自転車行はひょっとしたら目立つかもしれない。死ぬまでに一度くらいは目立ってみせないと。
 ただし,相方から反対されたら,世界一周も日本一周もやめる。その反対を押してまでやるほどのものではないと思っている。

2017.01.18 ネットの大いなる効用

● 人の話を聞くより,自分の言いたいことを言っている方が快を感じる。人はそういうふうにできている。
 リアルの世界でそれをやると確実に嫌われることになるが,ネットならば無視はされても嫌われることはない。あまり他人を誹謗中傷しない限りは。

● 言いたいことをネットで言い尽くしてしまえば,それで気がすむということがある。気がすんでいるんだからリアルで誰とも喋らなくても平気だし,AさんとBさんが話しているところに割って入って顰蹙を買うこともしないですむ。
 だったら,ネットに何でもかんでも吐きだして,「腹ふくるるわざ」を回避した方がいい。

● したがって大事なことは,言いたいことをネットで言い尽くす工夫をすることだと思う。
 今はブログの他にSNSもいろいろあって,それこそまとまった意見表明から些細な呟きや囀りまで,ネットに向かって言うことができるわけだから。

● それをうまく使えば,環境の大きな変化に対するバッファになる。それあるがゆえに,たとえば退職だのっていう外部環境の変化に対しても,その影響をかわす術になり得ると思う。
 ただ,“外部環境”からすれば,自分の影響をほとんど受けないヤツというのは可愛くないだろうな。

● もちろん,ネットに上げてはいけないことはある。が,そうしたことはリアルでもあまり口にしない方がいいだろう。
 とりわけ,他人の秘密に触れることは厳禁だ。

2017.01.17 「登竜」頻度が上がってきた

● 今日も夜に,相方と「登竜」に行きましたよ,と。相方は味噌ラーメン,ぼくは醤油ラーメンを食べましたよ,と。
 醤油ラーメンは590円。チャーシューと卵が入っていない味噌ラーメンも同じ値段。しかも,JAF会員になっていると100円引きになる。

● で,相方の「登竜」評は“安い”というのが一番目に来る。今どき,こんなに安く食べられるところはないね,と。
 二番目は“昔ながらの味だね”というもの。これはわりとありがちな感想でしょ。ほんとに昔の味のままだったら売れないはずだ。昔の味を今風に変えているはず。

● ウチで作るよりここで食べた方が安いよ,とも。「登竜」なら毎日でも飽きないかもしれないけど,ウチで作るともっと高くなるっていうのは何だかね。
 どういう食材を買って何を作っているのかね。あるもので作るといった工夫はあまりしない方かなとは思うんだけどね。

● まぁ,しかし,相方が急激に「登竜」贔屓になってきた感がある。つい先日まで,あれほど冷淡だったのにな。
 たまには「登竜」以外のところにも行きたいと思うわけだけど,相方を「登竜」から引き離すのは,しばらく難しいかもしれない。

2017年1月15日日曜日

2017.01.15 恵比寿の叙々苑

● 目黒から山手線にひと駅乗って恵比寿へ。シェラトン都ホテルのラウンジで,昼食は軽くすませている。軽くというか,すませている。
 でも,恵比寿の叙々苑に寄って行こうかね。食べるか食べないかは別にして,覗くだけ覗いてみましょうよ。
 つまり,食べていきましょうよ,ってことなんだよね。

● で,焼肉ランチを食べた。安い順にS,A,B,Cの4種。コンサートのチケットとは逆。一番安いSを注文。2,500円。
 肉とご飯のほかに,スープ,サラダ,キムチ,ナムルが付く。デザート(杏仁プリン)とコーヒー。そのいずれも,手抜きのないしっかりした一品になっている(と思う)。
 さらに,恵比寿店に限っては38階からの眺望も付く。団体だと奥のテーブル席に案内されることになるけれど,1人や2人なら窓際のカウンター席に案内される。
 つまり,この2,500円はかなり安いといっていいだろう。以前はもっと安かったんだけど,それを言いだしたらキリがない。

● 男の子(幼児)を連れた若いママさんがぼくらの隣に座った。きれいな人だった。そのママさんは男の子の分も注文した。
 わが家でも息子が小さかったとき,相方が息子を連れて,この店に来たことがあるらしい。一人前を注文して,息子と分け合って食べた。そういうことが何度もあったようだ。
 息子にはかけがえのない体験になったろう。母親とひとつの料理を分け合って食べる。美味しいところは全部,自分にくる。母親の愛情に包まれて視界のすべてが幸せで満たされていたのではなかったか。子供にそういう体験をさせることができるのは母親だけだ。
 というわけで,それもいいと思うけど,席を2つ占有しているのであれば,2人分を注文するのがルールというものだろう。若いママさんはそのルールを守った。

● しかも,ひとつは焼肉ランチのAだ。Sより1,000円高いやつなのだ。世の中にはお金持ちがいるものなのだ。
 ぼくらはSしか注文したことがないので,SとAとの違い,Bとの違い,Cとの違いはわからない。何が違うんだろうかねぇ。
 ママさんのところに運ばれてきたトレイを,これがAなのかとしげしげと見るわけにはいかないので,結局,SとAの違いはわからないままだったのだけど。

2017.01.15 シェラトン都ホテル東京 2

ラウンジで朝食
● ホテルの売りのひとつが日本庭園なんだけど,法面をうまく使っているという印象が強い。平地はそんなにない。人工の手もかなり入っているんだけど,もともとあった自然を残しているといった趣だ。
 という印象を受けたのだけど,この斜面というのは元々あったものではなくて,人工的に造ったもののようだ。いやはや,どんだけお金を遣ったんだか。

● このホテルの敷地は,藤山愛一郎邸の跡地らしい。ホテルが作れるほどの敷地を白金に持っていたのかとため息が出てしまうのだけど,庭園もね,あきれるほどだね。
 ただ,藤山愛一郎の前の持ち主,そのまた前の持ち主と辿れるわけで,この庭園を今あるような庭園にしたのは誰なのか,もちろん,ぼくの承知するところではない。

● ホテルも変遷を経て,現在はシェラトンの名を冠して,スターウッド・ホテル&リゾートの一員になっている。運営は近鉄・都ホテルズで,所有者は近畿日本鉄道。
 このあたりは素人にはわかりづらい。いや,ちょっと調べればすぐに得心が行くんだとは思うんだけど,わかりづらいまま放置しても特に支障はない。よって,放置しよう。

● ところで,わが家(正確には相方)はそのスターウッド・ホテル&リゾートのSPG(スターウッド プリファード ゲスト)になっているのだ。スターウッド・ホテル&リゾートの傘下は,セントレジスなどいろいろあるが,シェラトン,ウェスティン,メリディアンが代表格か。
 会員になったのは10数年前。一時はプラチナ会員まで登りつめたのだ。舞浜のシェラトンをはじめ,恵比寿のウェスティンに精力的(?)に宿泊したからね。海外ではソウルのウェスティンと香港のシェラトン。おかげで,舞浜のシェラトンではプレジデンシャル・スイートにも泊まることができたのだった。

● 当然,プラチナを維持できた期間はごく短かった。今や,平会員もいいところ。このホテルに泊まって,そういえばSPGだったのだと思いだすことになったのだ。
 が,SPGの効用は現存するんでした。プール,ジム,サウナで構成される「都ヘルスクラブ」をタダで使わせてもらえるようなのだ。で,サウナを1回だけ利用させていただきました。


● サウナのあとは待合室(リラクゼーションルームというのか)でフリードリンクが用意されている。ファミレスのドリンクバーのようなものだけど,汗をかいたあとのウーロン茶はありがたい。
 ドリンクを手元に置いて,目を閉じてまどろむもよし,備え付けの雑誌を読んで,なんで週刊誌はこんなことしか書いてないんだと悪態をつくもよし。

チェックアウト前にコーヒーを
● ラウンジにはこの日も2回,お世話になった。朝食とチェックアウト直前のお茶。
 朝食はかなりメニュー豊富。レストランで食べているのと変わらない感じ。昼もここで軽くすませてしまうことができる。食事ではなくてお茶のセットを用意しているんだろうけど,そこをガッついて食事にしてしまうこともできるよ。

2017年1月14日土曜日

2017.01.14 目黒通りを歩いてみる

● シェラトン都ホテル東京の前の道路,目黒通りって言うんでしょ。その目黒通りを歩いてみた。時刻は21時頃。

● 土曜日のこの時間帯,通りは閑散としている。商業施設はあまりない。ヨソからここに遊びに来るようなところではなさそうだ。
 高層マンションが何棟も建っている。その多くに灯りが点いていない。住民はどこかへ遊びに行ってて,まだ帰ってないんだろうか。

● 高級住宅街ってこういうものなのか。この閑散度は宇都宮の大通りといい勝負だぞ。もっとも,宇都宮の大通りにはお店もけっこうあるんだけど。
 灯りが多少とも華やかなのは,ドンキとコンビニくらいだ。飲み屋が1軒あった。ビルの1階で営業している。お客さんはあまり入っているふうではない。

● 人恋しくなってきそうな雰囲気だ。人恋しさを満たすためには目黒駅まで行かなきゃダメなんだろうか。
 住むんだったらでも,こうした住宅街の方がいいのかなぁ。新橋とか浜松町のような酒場街,歓楽街に住むのもなかなか大変だろうけど,こういう隔離された住宅街っていうのもつまらなそうだけどなぁ。
 もし,新橋駅の近くにマンションがあるんだったら,その高層階の部屋に住むのは悪くないような気がするな。

● 結局,ドンキを覗いただけでホテルに戻ってしまった。つまらんところだと思った。今度は逆の方向に歩いてみようか。
 ところが,後で地図を見たら,ここから高輪は近いんですな。泉岳寺にも歩いて行けそうだ。明治学院大学や東海大学高輪キャンパスなど,大学も近くにある。
 なるほど,ここはハイソな場所なのだなぁ。ハイソなところはハイソなりの楽しみ方があるのだろう。次に泊まったときには,ホテル周辺を楽しめるといいのだが。

2017.01.14 シェラトン都ホテル東京

● シェラトン都ホテル東京に投宿。このホテルは2回目。相方はもっと泊まっているはずだけど。
 チェックインは午後3時。210号室。28,800円。2階ながら,この階がクラブフロア。改修が終わっているのは2階フロアだけだからという理由のようだ。

● ところで,相方よ。先月末から“お金は親の仇でござる”的に浪費していないか。わが家の家計は大丈夫なのか。
 ぼくはそんなに稼げていないはずだぞ。

● 左の写真からはわかりにくいかもしれないんだけど,テーブルから窓際までのスペースが空いている。相方はこれをいたく評価していた。この空き地が使いやすいというのだ。
 ベッドはインターコンチネンタルの方が大きくてリッチな気分にさせる。風呂もインターコンチネンタルはシャワーブースが浴槽とは別にある。こちらは昔ながらのカーテンを浴槽の内側に入れて使うタイプ。
 なんだけど,相方はこれも高評価。お湯がすぐに溜まる。温度調整がしやすい。

● チェックインのあと,ラウンジに行ってみる。このホテルのラウンジは,かなり広い。座席数もあるので,比較的ゆったりしている。
 いつ行ってもなにがしかの料理がある。この時間帯はアフタヌーンティーをどうぞ,っていうことのようだった。

● 午後6時からはパブタイムになる。ハイボールしか飲まなくなっている。気取ってワインなんぞを飲んでみようかとは思わなくて,ハイボールをもっぱらにしている。
 このラウンジにはスコッチもジャパニーズウィスキーもないようだ。カナディアンはあるんだけど。仕方がないので,それを炭酸水で割っている。別に不満があるわけではないけどね。

● 肴(という受けとめ方をぼくはしてしまう)もいろいろあるんだけど,最も旨いと思うのは野菜スティックだ。ニンジン,キュウリ,ダイコン,セロリの4種。
 マヨネーズを付けて食べるという,何の変哲もない野菜スティックなんだけどね,これが素敵に旨い。

● そのマヨネーズを根こそぎ持っていったトッツァマがいた。後ろに待っている人がいるのに気づかないはずはあるまいと思うのだが。
 一口サイズに揃えられて器に盛られているチーズやスイーツもあるんだけど,そういうのもあるだけ全部持っていってしまうおば様とかもね。

部屋に用意されていたウェルカムクッキー
● つまり,ラウンジの“貧乏長屋化”傾向はここでも見られる(ように思われる)。これって,ホテルスタッフの士気の低下を招かないのかと,少し気になる。もう,慣れっこになっているか。
 って,“貧乏長屋化”を推進している筆頭はおまえだろ,と言われると,返す言葉はない。そこが少々辛いところだ。

● 広いし,テーブルもゆったり配置されているし,加えてテーブルに空きがないほど混み合うこともない。せわしなくない。ので,パソコン持参でここに来る人が多い。外国人に多いような気がする。
 Macをそれぞれ使っているカップルとか,MacとThinkPadの2人連れの男とか(どういう関係なのかはあえて問うまい)。ここでもMacの比率が高いんだな。

2017.01.14 新宿ラビリンス

● 新宿はぼくにとっては迷路のようなものだ。必ず迷子になる。現在地を失認する。
 新宿駅構内でも迷子になるくらいだから,新宿はぼくにとっては鬼門というか,あまり近づきたくないところだ。新宿を自在に泳ぎまわれるほど,都会に慣れていない。

● 新宿がどうして迷路になるかといえば,新宿の変化の速さが,ぼくのような田舎者の感覚をはるかに超えているからでしょうね。
 自分の中の新宿っていうのは,10年前かひょっとすると20年前の新宿なんだよなぁ。それで今の新宿を判断しちゃうから迷子になるんでしょう。

● 東京はアジアの他の都市とは異質だと思う。大阪にはアジアの気配を感じることがあるけれど,東京にそれはない。
 たとえば,ソウルの明洞は東京でいえば銀座にあたると言われるけれど,銀座と明洞では視覚的にも場の空気という点でも,共通点はほどんどない。明洞に似たエリアを日本国内に見つけるとすれば,大阪の通天閣があるあたり,浪速区や天王寺区になるのではないか。

● その中で新宿だけはアジアのカオスを残しているように思う。東京で最もアジア的色彩の強いエリアが新宿だ。
 その新宿で2時間ちょっとを過ごした。っていうか,歩いた。今日はこちらから迷子になってやろうと思った。徹底的に迷子になってやれと思って,路地から路地へとさまよってみたんだけど,そうするとどうやっても駅に出てしまう。
 どういうわけのものだろう。なろうとして迷子になるのは難しい。

● 高島屋に紛れこんでしまった。1階は化粧品とブランド品の売場。ぼくがいてはいけないエリアだ。早々に立ち去ったんだけど,化粧品の匂いにむせそうになった。
 どこぞの店で休んでもいいと思うんだけど,だいたいは中に入っていけない。自分が入れる店は次の3つしかないことをあらためて自覚した。パソコンショップと文具店と書店だ。

● が,文具店と書店には遭遇せず。パソコンショップはいくらでもあったけど,パソコンショップで買いたいものはない。パソコンなんて5年は使えるし,ネットで買ってしまうことが多い。
 以前と違って衝動買いしたくなるようなモノもなくなった。パソコンがごく普通の商品に成り下がったせいでもあるだろう。
 買う気のないお客は店員にもわかると思うので,あまりしばしば出かけても申しわけない。

● 歩くと地理が頭に入るのは間違いない。今度は新宿駅の構内を時間をかけて歩いてみたい。

2017年1月13日金曜日

2017.01.13 氏家の「登竜」。じつは2日連続

● 前回,「登竜」について書いたのは昨年の12月5日。ずっと一人で行っていた。仕事帰りにちょっと飲むという使い方。ついでに少し食べる。少しではすまないこともあったけど。
 相方を誘ってみるんだけど,どうも色よい返事をしない。ぼくが初めて「登竜」に来たときは,相方に連れて来てもらったのだったが。

● そのときに,ぼくには「登竜」の良さがわからなくて,そのことを相方に伝えているんだけど,せっかく連れてきてやったのにその反応かよ,というのが尾を引いていたわけではないと思う。
 ともあれ,じつは昨日,相方と二人で来ているのだ。相方は味噌ラーメン,ぼくは醤油ラーメンを食べた。
 相方がここに来たのは少なくとも10年ぶり以上のはずだ。

● で,2日連続で今日もまた来たよというわけなんでした。ぼくは先に行って,レバニラ炒めと長芋キムチで水割りを2杯飲んだ。
 そこに相方がやってきて,彼女はチャーハンを注文した。3分の1はぼくが食べた。次に味噌ラーメンを頼んだ。こちらは3分の2をぼくが食べた。
 「登竜」の味噌ラーメンには“トッピングなし”というのがある。チャーシューと卵は入ってないよ,という意味なんだけど,野菜はどっさり入っている。

● 鋭角的に旨いのではない。エッジが立った旨さというのではない。が,ジンワリと旨い。シミジミと旨い。したがって,飽きが来ない。
 できあがった料理につまらない主張がない。皆さんにここを味わっていただきたいんですよ,という押しつけがましさがない。大衆中華の王道を行ってる感じ。

● 地元から圧倒的な支持を集める。曜日を問わず,時間帯を問わず,いつ行ってもお客さんがいる。
 若い女性が逞しい食欲を見せる。独居老人とおぼしき高齢者が定食を完食する。それがどうしたと言われると困るんだけど,こういうのって他ではあまり見ない光景のように思うのだ。

● 相当儲かっているだろうから,ベンツを乗り回すだの女遊びをするだの,そんなことをしたければいくらでもできるんだろうけど,店主は毎日,厨房に立っているのではないか。
 一方で,ここから暖簾を分けてもらって独立した「登竜」がいくつかあったけれど,現在まで残っているのはあまりない。

● じつは相方が久しく足を向けなかったのは,別の「登竜」であまり芳しからぬ経験をしたからのようなのだった。
 スープがぬるかったとか,そういうことだったようだ。

2017年1月9日月曜日

2017.01.09 上野東京ラインの便利さを実感する

● 上野東京ラインが開通間近と聞いたとき,ぼくはわりと冷淡だった。上野駅でいいじゃん,どうせ上野界隈でたいていの用は足りるし,オレ,東京駅の南になんてまず行かないもん,ってね。湘南新宿ラインはすでにあったわけだしね。
 ま,と思いながらも,開通したその日に,わざわざ乗りに行ってはいるんだけど。

● が,できてみると,いや便利なこと。かつての上野駅が果たしていたターミナルorハブ的な機能(下車するか乗換える=山手線,京浜東北線,地下鉄銀座線,日比谷線)は,そっくりそのまま新橋駅が代替することになった。
 新橋だったら銀座はすぐ隣にあるんだし,「ゆりかもめ」のターミナルでもあるし,地下鉄の乗換えにも不便はない。

● これだけハッキリしたメリットがあったのに,できる前は現状維持派に傾いていた自分の愚かさを嗤いたくなりますな。
 人間ってだいたいそうですよね。変更後の状況は正直,詳細には想像できないから,考えることを惜しめば必ず現状維持を支持することになるんですよね。

● 昨日は横浜から宇都宮行きに乗った。乗換えなしで宇都宮に戻ってきた。上野東京ラインができる前なら,東京駅で東北新幹線に乗換えることを考えたかもしれない。
 でも,そのまま乗っていれば宇都宮まで運んでくれるんだったら,待合わせ時間や乗換えの手間を考えると,新幹線に乗り換えてもさほどの違いはないだろう,このまま乗ってた方が楽でいいや,と思ってしまう。
 結果,東北新幹線の乗車率が下がっているってことはないんだろうか。いずれは新幹線も東北新幹線と東海道新幹線を一本化することになるんでしょうね。

● 上野東京ラインの第一の目的は山手線の混雑を緩和することであって,上野駅以北からの乗客の利便性を高めるのは第二義的な意味合いでしかないだろう。
 その山手線の混雑緩和も確実に果たされている。素人判断ながら,コストに見合った投資だったのだろうと思う。

2017年1月7日土曜日

2017.01.07 また,東京へ 2

● 今日もお台場へ。今日はダイバーシティ。ちょうど昼食時だった。6階の食堂街をぶらつく。何にしようかね,と。
 相方が幸せな時間だねと言う。食べられるだけのお金を持って,何にするか迷ってるのって。普段はアクセクしてるから。
 そうか。そう言われればそうだ。ぼくは普段もそんなにアクセクはしてないんだけどね。

● ここに入っているのはチェーン店ばかり。東京以外から大衆がやってくるところだろうから。吉野家もある。
 「信州そば処 そじ坊」でマグロ山かけ丼とざるそばのセットを食す。この場所でこの値段ならば,この味になるのはわかる(一番旨かったのはそば茶だったりする)。健闘していると思う。
 っていうか,全国どこでもこの味のはずだけど。

● ここで相方とは別行動に。相方はひとりでいろんなお店を見て回りたい意向。こういう場所で退屈することはあり得ない。
 ぼくはその逆。入りたいと思う店がない。っていうか,入れる店がない。ダイソーくらいだ。

● で,ひとりで豊洲に行ってみることにした。用があるわけではない。「ゆりかもめ」の1日乗車券の元を取らなきゃと思ったりした結果だ。セコいわけだ。
 「ららぽーと豊洲」を覗く。先日相方と来たときには,どこにあるのかわからなかった。駅を出て前を見てれば,自然に視界に入る場所にあったんだけどね。
 たぶん,視線を落としてスマホの地図ばかり見ていたからだよね。スマホ地図にダマされたっていうかさ,地図はダマすつもりはないわけだけど,所要○分とでる表示はあまりアテにならないからね。

● 本館3階に紀伊国屋書店があった。ここで1時間半ほどを過ごす。だいぶていねいに見て歩いたわけですな。
 紀伊國屋としては売場面積は小さい方だろう。書棚と書棚の間が狭くて,使い勝手は少々悪い感あり。雑誌をいくつか立ち読み。
 成毛眞さんの新刊があったので購入。ほかに新書と文庫を1冊ずつ。

● このあとホテルに戻って,夜の22時に銀座に出てみた。もちろん,歩くだけ。
 銀座のクラブって,お客さんは入っているんだろうか。あまり人は出ていないようなのだが。
 対して新橋の活気は大変なもの。この活気についていける自信はまったくない。年齢的にも無理目で,それは仕方がないのだが。

● 老若男女が溢れている。老若では圧倒的に若者が多い。男女ではむしろ女の方が多いかもしれない。
 飲み屋のほかに,風俗っぽい店やパチンコ店も軒を並る。このくらいのカオスはないと,盛り場に奥行がでない。
 それを狙って客引きも頑張っている。ただ,これは条例で規制されているんだろうかね,しつこくはしてこない。唯一,韓国女性の引き方が粘っこかったけど。

● 若者二人がぼくを追い抜いて行った。後の方が,前のやつを指さして,こいつ,バカなんですよ,とぼくに言う。
 ニヤリと笑いを返してやった。おまえもな,同胞よ。

● って,ぼくは彼らの同胞にはなれていないわけだよね。彼らの活気に参加したいと思うけど,飲み屋には入れない。このエリアの知らない店にフラッと入っていく勇気がない。
 ので,駅前(というより駅構内)の立食いそばの店に入った。彼らに混じってチクワ天うどんを喰った。

● ここでも店員は日本人じゃなかった。たぶん,中国から来たと思われる若い女性だった。うどんかそばかを確認して,後ろの厨房に伝える。
 単純といえば単純な作業だから,さしたる日本語能力は要求されないだろうけど,語学コンプレックスの塊になっている自分には,凄いものだなと思える。

● 今年の年末年始は,沖縄→東京→東京と,遊び惚けてしまった。というか,遊び惚けることができた。合間に大晦日のやはり東京泊があったし,コンサートもあった。よく遊んだ。
 できればずっと遊んでいたい。

2017.01.07 そしてまた,インターコンチネンタル東京ベイに宿泊 2

● ホテルのラウンジで朝食。ブッフェスタイル。贅沢している。それはそうに違いない。
 混んでいる。料理を取るところで行列ができてしまう。山盛りにして持っていく人,多数。家族の分や友人の分も取っているんだろうね。

● どんな理由があっても,盛りの多さと育ちの良さは反比例する。これは動かないように思える。
 アメリカ人が大好きなワンプレート主義も,あまり趣味がいいものとは思えない。効率はたしかにいいんだけどね。けれども,ここでは効率と趣味の良さは両立しないようなんだな。

● ラウンジの呼び名は,ホテルによって違う。エグゼクティブラウンジと言ったり,クラブラウンジと言ったりする。
 が,名は体を表していない。むしろ逆になっている。エグゼクティブはラウンジには来ないだろう。朝も夜もレストランで食べていると思う。
 ぼくらもお金があればそうしたい。ひょっとすると,皿に料理を山盛りにして自席に戻る途中のあの人も,同じように思っているのかもしれないけれど。

● と悪態をつきながらも,このホテルに連泊。同じように,ラウンジを使えるプランの予約だ。
 ただし,スイートは一晩で引き払って,レギュラーの部屋。2325号室。コンパクトで使いやすい。スイートよりこちらがいい。27,000円。

● 今夜もホテルのラウンジで酒&夕食。昨夜に比べると,少ない量しか入らない。昨日一日で食べ過ぎているからだ。ホテルは快適だし,ご馳走も食べられるんだけど,ずっとこんな食生活をしていたら,確実に寿命を縮めるだろうね。
 今夜も満席状態。ぼくらが使っているくらいなんだから,大衆化も行くところまで行っていると見るべきなのだが,大衆は大衆化を嘆くものなんだよなぁ。

● 隣の席もその隣の席も,年配のカップル。どちらも夫婦じゃない。
 かといって,愛人とか不倫の臭いもしてこない。同じ会社の上司と部下のようでもあり,発注元と取引先といった関係のようでもある。

● とはいえ,この席にいるということは,今夜はここに泊まるのだろう。2人で来ているということは,同じ部屋に泊まっているのだろう。ツインのシングルユースもあり得ないわけではないけれど。
 年齢も片方の女性は60歳をすぎているのじゃないかと思えるし,どちらもまぁ何というのか,お願いしたくなるようなご面相でも体型でもない。
 男の方も,あるいは重役さんだったりするのかもしれないけど,仕事を熱っぽくやるタイプとも思えない。この男のどこに女性が惹かれるのかわからない。

● インターコンチネンタルのようなシティホテルがラブホ的に使われるのはよくあることだし,むしろそうした使われ方をされないホテルはダメなホテルだと思う。
 が,隣の2組に関する限り,どうもピンと来ないんだよなぁ。不倫と決めつけているのが問題かもしれないんだけど,状況的にはそれしかないはずだもんなぁ。

2017年1月6日金曜日

2017.01.06 そしてまた,インターコンチネンタル東京ベイに宿泊

● インターコンチネンタルのラウンジは長屋だと悪態をつきながら,それでも惹かれて行ってしまう。
 なぜかといえば,コストパフォーマンス(安さ)に惹かれるわけで,ぼくらも長屋住まいに相応しい人間なのだなぁ。

● 今回は2407号室に投宿。スイート。とはいえ,51,900円(二人で)。ラウンジも使えるので,実質2食付きとなる。
 ここのところ,つまり,2食付きと考えてしまうところが,“長屋住まいに相応しい人間”たる所以なんだろうな。

● 息子が小さかったときに,この部屋に親子3人で泊まったことがあるのを思いだした。 部屋からレインボーブリッジも東京タワーも見えるので,息子が舞いあがって喜んでいたのも思いだした。
 ただし,このスイート,ちょっと使いづらい。実用になるデスクがない。その代わりになるテーブルはあるんだけど,コンセントが遠くて(延長コードを借りた)。普通の部屋だとこの問題は起きない。

● 相方が言うには,応接セットになりそうな余計なテーブルや椅子が置いてあるのが邪魔だと。窮屈に感じる,と。お客さんなんか来るわけないんだから,ない方がいい,と。
 たしかに。ガラス戸付きの書棚も邪魔。暖炉に似せたスタンドも邪魔。ルームキーパーの負担を無意味に増やしているだけかも。さほど高くもない天井にシャンデリアがぶら下がっているのも,圧迫感を招くだけだ。
 先日の角部屋の方が感激は大きかった。モノで豪華さを演出するのは時代遅れかもしれないな。もしそうだとすると,今はとんでもない時代なんだなと思う。

● ホテルのラウンジで酒を飲む。今夜も満席の状態。スタッフもローテーションの狭間なのか,いつもより少なかったようだ。忙しそうだった。大変な仕事だな。
 今日も家族連れが多い。散らかすだけ散らかした状態で出ていった家族いたんだけど,ちゃんと席を空けようとするだけ好印象だ。いや,本当に。こういう人って稀なのだ。

● ぼくなんかも,意地汚く飲みかつ喰らう方に傾いてしまう。で,ぼくのようなのが多数派であるわけだけど,外国人はこういうときだいぶ違うね。外国人っていうか欧米人。
 基本的にガツガツしない。サッと帰るわけでもないんだけど,水だけでダベっていたりする。自分が食べたくなければ何があっても食べないし,飲みたくなければ飲まないでいる。すべての欧米人がそうなのか,それはわからないけどさ。
 それって当然でしょ,って言われるかもしれないけど,案外当然じゃないよ。あると食べちゃうもんだよ。

● 窓際から一番離れた奥のテーブルに座った。一帯が視界に入る。秘かに指揮者の席と呼ぶことにした。

● 宿泊するときにはタブレットPCを持ってくる。無料でWi-Fiにつながることもあって,ずっとネットをしていることになる。家にいるのと同じだ。
 これも何だかなぁ。せっかく東京にいるのに。家でもネットだけというのは問題だろうけど。

2017.01.06 また,東京へ

● うーん,頻繁にすぎるかなぁ。また,東京へ。お台場。お台場の何が面白いのかはよくわからない。つまり,ここでも相方が主導権を握っていて,ぼくはしたがうだけだ。
 したがうだけってのは楽でいい。楽なんだから,したがった結果がどうであろうと,それを相方に帰するのは間違っている。楽しかろうとそうではなかろうと,相方には文句を言うまい。

● アクアシティに行きましてね。お昼はどうしようかと中に入っている店をずっと見ていったんだけど,恵比寿にある「京鼎樓」が入っていたので,そこで食べることにしたんですわ。
 ワンタン麺と小籠包のセット。でね,麺も小籠包も恵比寿店とは違うような気がした。外見は同じなんだけどね。「京鼎樓」の小籠包が食べたければ恵比寿に行った方がいいなと思った。

● 同じアクアシティにあるスターバックスに。ここのスタバは広くていい。広いというより,テーブルの配置がゆったりしている。店内からは「自由の女神」も見える。平日の午後とて比較的空いていたのも吉。
 相方はここなら3時間はいられると言っていた。実際,長居している人が多いようだ。快適性を高めると回転率が落ちる。これでやっていけるのか,スタバ。

● ノートパソコンを開いて遊んでいる人が7人いた。たぶん,遊んでいるんだろうね。仕事をしているふうには見えなかったんでね。
 女1に対して男6。Macが一番多くて3人。あとは,レッツノート,VAIO,ダイナブック,ThinkPadがそれぞれひとりづつ。
 スタバではこの店に限らず,Mac比率が高いように思える。スタバでパソコンを使おうなどと考えるヤツはMacを買うんですよ,と職場の同僚が言っていたのを思いだした。彼もMacユーザーなんだけど。

● 人が見ているところで使うことを前提にするとMacが多くなるのはわからんでもない。つまり,Macユーザーの一部はかなりのバカということでよろしいか。
 昔はMacはクリエイティブというイメージがあったんだけど,そのイメージに煽られてMacを買ったノン・クリエイティブは,Mac開闢以来いたに違いないんだけどね。っていうか,そちらがメインストリームなのだろうな。

● 男の1人は外国人。女性は東洋系の顔立ちだった。スタバの紙ナプキンを1枚取り,鼻をかんだ。それをそのまま(折りたたまないで)テーブルの上に置いた。
 つまり,日本人ではなかった。中国人だろうね。7人のうちの2人は外国人。
 って,こんなことを細かく気にしている自分って,どんだけ暇なんだと自分で突っこんでおこう。

● お台場海浜公園を歩く。10年ぶりかそれ以上。子供が小さかった頃は何度かここに連れてきたものだ。ぼくらはこの10年で大きく変わってしまったが,海浜公園は何も変わっていなかった。
 人の一生は短いのに対して,自然景観は長くその姿を保つ。ま,この景観は人工的なものだけど。

● 子供が小さかった頃のつながりでいうと,最近,集団で登校していく小学生を見ると,可哀想で涙が出そうになることがある。何が可哀想かといえば,これから何十年も生きなければならないことだ。
 この娑婆をこれから何十年も生きていかないといけない。いろんなことがあるに決まっている。大変だろうなぁ,可哀想に,と思うんだよねぇ。

● が,大学生を見ても可哀想だとは思わないので,人生で大変なのは子供から大人になるその移行期だと思っているのか,オレよ。
 何十年も生きなきゃいけないといっても,二十歳を過ぎてしまえば最もしんどいところは終わっていて,そこまで辿りつければ,あとは惰性で行ける。正直,ぼくはそのように思っているらしい。

● お台場から新橋に出た。まだ初詣をすませていない。初詣に行く人って,日本人全体でどのくらいの割合なんだろう。
 ぼくはことさら初詣というのを意識することはない。相方も同じだ。
 神社に詣でるのは年に1回,初詣のときだけだという人も,わりと多いんじゃないかな。

● でも,せっかく新橋にいるんだから,烏森神社に詣でることにした。自分には縁もゆかりもない神社だけれど,去年も初詣はここだったかもしれない。
 SL広場からすぐのところ。かつてはこのあたり一帯が烏森神社の境内だったのだろうねぇ。削り削られて,今は窮屈なことになっているけれど,由緒ありげは趣は今でも湛えている。
 神様にお願いすることは,この年になってしまえば,ない。去年も1年間生かせていただきましてありがとうございました,ってなもんだ。だから神社はどこでもいいんだ。

2017年1月3日火曜日

2017.01.03 インターコンチネンタル東京ベイに宿泊する 2

● ホテルのラウンジで朝食。ホテルでの最大の贅沢は朝食にあり。
 と思っているんだけど,ぼくはホテルのサービスの一部しか使ったことがないので,このあたりはかなりいい加減な言い方になる。ジムやプールを常用している人ならば,また別の意見になるでしょうね。

● このホテルの売りのひとつは眺望にある。20階の透明ガラスからレインボーブリッジとお台場が見渡せる。場所によっては東京タワーも見える。
 眺望ってずっと見ていると飽きるんだけれど,それでもインパクトはある。だから,多くの人が窓際の席に座りたがる。女性だと窓際に座ることがお姫様気分を味わうことにつながるのかもしれないね。

● しかし,だ。窓際が似合う人と似合わない人がいる。で,たいていの人は似合わない。お姫様は少ないものなのだ。
 “ホテルのラウンジの窓際に座っている私”を演じようとするんだけれど,その演技がかなりイタいものだったりする。演じれば演じるほどお里が知れるというやつだ。
 身についていない動作というのは,身体から浮いてしまって,見るに耐えないものだ。現実は残酷だ。

● その残酷さがそちこちのテーブルに立ち現れている。その光景を見やりながら,ぼくらもそうだったなぁと苦く思いだす。
 子供が小さかった頃は,子供が窓際にこだわった。小さかった頃っていうか,中学生になってもそうだったかな。
 したがって窓際の席が空いていればすかさずそこにすり寄って行った。まったくもって似合わなかったことだろう。

● 今でも似合わないはずだ。こういうところは,今さら修正しようとしても,ほぼ不可能としたものだろう。
 ので,最近は窓際を避けるようになっている。窓際は似合わなくても座りたいと考える人に空けておいてやろうと思うようになった。

● 以下は蛇足。このホテルのアメニティーはAGRARIA。シャワーブースにはMIKIMOTOが置いてある。ホテルの高級度をこういうもので測る向きもあるだろうな。
 L'OCCITANEを使っているところがわりと多い印象。恵比寿のウェスティンがそうだったと思う。ほかにもあったな。でも,L'OCCITANEってここ数年で入手が容易になってしまった。その分,ありがたみが減った感じ。
 Aspreyなんてところもあるんだろうけど,まぁぼくが普段使っているシャンプーは花王メリットだからな,つまるところたいていのものが分不相応ってことになる。

2017年1月2日月曜日

2017.01.02 インターコンチネンタル東京ベイに宿泊する

● 相方と東京に泊まるときは,だいたい竹芝のインターコンチネンタル東京ベイになる。というより,このホテルに泊まりたいから東京に行くのだというのが実態に近い。
 このホテルも大晦日や元日はなかなか空きがないだろうし,したがって安い宿泊プランがでない。が,2日になると様相が変わる。

● ちなみに,このあたりも相方の専権事項で,ネットを探索するのも,予約を入れるのも,ぜんぶ相方がやっている。支払いも相方のカードを使う(しかし,わが家は夫婦の財布はひとつたるべしという,昔ながらの流儀を通している。そのひとつの財布を管理しているのは,ぼくじゃないってこと)。
 ホテルのスタッフがとまどうことがある。ぼくを相手にすればいいのか相方を相手にすればいいのか。が,すぐに事情を呑みこんでくれて,ぼくは相手にされなくなる。

● 今回は20階の角部屋(2021号室)。レインボーブリッジも隅田川も見える。ベランダが付いているが,鍵が内側からも開かないようになっていて,ベランダに出ることはできない。
 窓に面した一画に机が設えている。こんなにスッキリしたデスクがわが家にもあればなぁ。わが家にも書斎はあるんだけど,物置になっているんだわ。もうずっと。なぜかって使わないからだ。だったらこういうデスクも要らないか。 

● 浴室も外に面した壁面は窓になっている。風呂からもリバービュー。景色をみながら入浴できる。レギュラールームの浴室より広いようだ。
 これをガイドブックの写真で見たら,クッダラネーナーと思うに違いない。が,リアルに見るとけっこういいなと思ってしまう。ミーハーなんだな。すぐに飽きてしまうかもしれないんだけどね。

● 料金は44,500円。これが高いか安いかといえば,かなり安いと思う。2人分の料金なのだし,ラウンジの利用料も含まれているのだ。
 バブルの頃の料金体系が頭に残っているのか,これでこの値段なら安いと思ってしまうのだ。

● そのラウンジで飲む。ハイボールを3杯。さすがに肴に炭水化物は選ばず。贅沢しとりますな。しかし,以下のような状況がある。
 ラウンジを利用するには,20階以上のクラブフロアに宿泊するか,(ラウンジに空きがあれば)宿泊代金に1万円を追加すればいい(2人で泊まる場合も1万円)。
 ラウンジでは時間帯によって酒を飲めたり夕食,朝食もここでOKだ。つまり,このラウンジはかなり格安なのだ。お得感が高いのだ。
 しかも,以前はカクテルなどの飲物中心で,1杯ずつスタッフに注文する方式だったのだけど,現在はセルフ。なので,誰はばかることなく好きなだけ飲み食いできるのだ。気を遣わなくてすむから。

● というわけなので,ありていに申して,お金のないヤツがラウンジに来る。おまえが言うな,という話だけれど。
 お金持ちの宿泊客はラウンジではなく,ホテル内のレストランで食事をしていると思う。
 しかも,今日はラウンジが満員だということだ。普段は来ない人たちが来ているということだ。あとで,どれだけ偉くなったのだ,お前は,と自分に突っこんでおくので,この場はこの言い方をご容赦願いたい。

● 案の定で,今夜はあまり見たくない光景が展開しているテーブルがあった。トランプカードに興じている家族連れがいたのだ。そういうお里が知れるようなことをなぜわざわざやる必要があるのか。
 ラウンジはいうなら公共空間であって,自宅の居間ではない。そんなものは部屋でやったらよい。なにゆえ,ラウンジでやらなければならない?
 他の人は食事をしている。トランプカードで遊ばれたのでは埃が立つ。

● しかも,混んでいるのだ。空くのを待っている人もいるかもしれない。空いている席がないというのは見ればわかるはずだ。
 食事がすんだらサッサと退散すべきなのが,この場合のものの道理だ。トランプカードなどでテーブルの占有を続けていてはいけない。そんなことにも気づかないほど,周りが見えていないのだ。
 なぜ周りが見えないのか。おそらく舞いあがってしまっているからだろう。経験不足のなせる業だろう。

● どう,うちの子,可愛いでしょ,っていうのを見せたいのかもしれない。一家団欒の幸せを自慢したいのかもしれない。
 ならば言っておかなくてはならない。どんな親でもわが子は可愛い。が,他人に映るわが子は,ただの小汚い騒音製造機にすぎないことくらい,知っておくがいい。誰もあなた方の団欒になど関心はないということも。

● ほかにも,シャンパングラスに並々と注ぐ人。知人の悪口で盛りあがっている人。
 このラウンジが(自分を勘定に入れ忘れた言い方で申しわけないのだが)落語に出てくる長屋に思えてきた。

● ここを敷衍して考えると,ラウンジでトランプカードに興じるというのは,パソコンを持ちこむのと紙一重の違いしかないのかもしれない。公共の空間で私事に没頭するというのは,その私事が何であれ,あまりみっともいいものではないのかも。
 電車の中のパソコンも同じか。そこまで行ってしまうと,電車の中の読書もそうなのかと,際限のないことになってしまうわけだが。

2017.01.02 銀座を歩く

● 元日は家で寝たんだけど,2日には再び,東京へ。相方が福袋に執心でね。女性はなんで福袋なんかに食指を動かすのかね。
 ピンポイントでこれと思うのを買えばいいだけじゃん。福袋には要らないのが必ず入っているでしょ。
 要らないものばかりだよ,わかってるんだよ,でも買いたくなるじゃん,とのたもうた猛者もいたな。そういうものなのかな。

● 基本的にモノは少ない方がよかろうと思うんですよ。通常価格より安くても,要らないモノが自動的に自分のところにやってくる可能性が高いというところで,福袋はシャットアウト。
 買い物に祝祭的要素は要らないよなぁ,と老いた男は思うんだよね。自分が完璧にそうできているかどうかは,自信がないけど。

● ともあれ,エルメスだのシャネルだのに福袋があるとは思えないし(あるのかもしれないけど),あったとしてもエルメスになるとわが家には敷居が高すぎるというのは,相方もわかっている。
 ので,まずLeSportsacに。1万円の福袋をお買いあげ。店を出てすぐに袋を開けて中身を確認していた。子供じゃないんだから,家に着くまで待てないものかね。
 で,開けたらガックシを連発していた。色が派手なのばかりだったらしい。だから言わんこっちゃない。

● 次は,bonbon watch。あらかた売れてたみたい。明日になればまた新しい福袋を並べるんだそうだ。で,明日また来ることにしたようだ。
 でもさ,bonbon watchはこの店でだいぶ買っているよなぁ。売るほどあるんじゃないかなぁ。もっと欲しいのかい。わからんなぁ。
 お店のスタッフと話しているときの相方は幸福そうでね,そこに水をさすのは忍びないんで,ぼくは黙って見ていたんだけど。

● 正月から銀座は中国人観光客に席巻されている。日本の商業界は外国人観光客(特に中国系)の消費に助けられている面は大いにあると思うんだけど,第一線で対応する現場スタッフの気苦労とストレスはかなりのものではないかと推測する。
 だいたい,あの無意味に大きな声は何なのか。

● 新橋まで歩いた。新橋駅近くの「味の時計台」で1日限定20杯という「蝦夷富士ピリ辛つけ麺醤油味」を注文。
 左の写真のとおり。右奥のプレートには,ニラとモヤシの炒めもの,メンマ,豚とろチャーシュー5枚,大ぶりのホタテの炒めたの,煮卵1個,が乗っている。これだけでハイボール3杯は飲めそうだ。麺の奥に隠れているのは餃子3個。
 どう考えたって,全部喰ったら喰いすぎる。でも,喰ってしまう。しかも,朝には雑煮を喰っている。
 ダメだわ。デブわるわ。デブりすぎて死ぬわ。

● というわけで,心の中で祈りを捧げた。
 神よ,満腹を不快と感じる感性を,私に与えたまえ。
(神様よぉ,頼んますよ。これじゃデブるしかないっすよ。どうにもなんねーんですよー)

2017年1月1日日曜日

2017.01.01 テレビを見ないを撤回するか

● 今日の新聞は元旦特集で部厚くなっている。写真は読売新聞に載っていたもの。

● このインタビュー記事は,もちろんSMAPが解散する前のものだけど,解散はとっくに決まったあとだろう。
 この問題は,飯島マネージャーを退職に追い込んだメリー喜多川氏が責任を取って辞任するとかしないと(するわけないと思うけど),片が付かないように部外者としては思う。
 が,そういうこととは別に,SMAPは4-1で割れたわけだから,1になった木村君が悪役にならざるを得ない。

● しかも,報道によれば,解散に反対だったのは木村君と中居君。SMAPを引っぱってきた2人が反対しても,解散は覆らなかったのだから,これはもう何とも仕方がない。
 その状況を踏まえてこのインタビュー記事を読むと,木村君の気丈さが際だってくるなぁ。っていうか,そこに居直るしかバランスを保つ術がないのかもねぇ。

● 木村君主演の「無限の住人」,4月29日公開。絶対に観る。
 あとTVドラマの「A LIFE 愛しき人」は今月から。テレビを一切見なくなって,そろそろ3年になるんだけど,このドラマは見ることにする。見ないわけにはいかない感じ。木村文乃も出るし。