● 宇都宮駅から上野東京ラインに乗ってきた母子。子の方は3歳くらいの女の子。着席早々,叱られていた。どうやら,飲みかけのジュースをバッグに入れたらしい。ダイレクトなのかビニール袋に入れてなのかはわからない。が,たぶん後者だろう。
どうしてこういう余計なことをするの? やめてくれない? いつもそうだよね 何回言えばわかるの? 一緒にいて恥ずかしいじゃないの。
● 女の子はキョトンとしていた。が,ご免なさいは? どうして謝らないの? と頭を叩かれて,泣きながらご免なさいと言った。
どうして叩かれたのかもわからなかったろうし,どうして謝らなければならなかったのかもわからなかっただろう。母親に叱られたからそうしただけで。
● 女の子の長い髪,梳かされているふうではなかった。あるいはネグレクトに近い扱いを受けているか。
母親の方は化粧も身なりもキチンとしていたのだが。
● 親になってはいけないタイプの筆頭が,子を生んでしまった。母親もひょっとすると,発達障害と呼ばれる類の何らかの障害を抱えているのかもしれない。
が,同年代の子に比して,この女の子に課せられたハンディの重さは大変なもの。成人するまでの彼女の10数年を思うと,胸がふさがれるような思いがする。
● 世の中にはそうした位置に立たされる人がどうしても出てしまう。しかも,他の位置に移ることは許されない。
どうやらぼくらのこの世界は,そこに存在する歪みを,そうした特定の人に押しつけることによって,全体の暢気さを保っているかのようだ。
● しかし,子供の復元力は素晴らしい。頭を叩かれて泣いて謝った数秒後には,後ろ向きになってシートに膝をついて窓から外の景色を眺めていた。
その様子にはこちらの胸を突くものがあった。神様が子供にはそうした自己防衛力を与えているのだろう。子供にはそれが必要なのだ。厳しい世界に生きているからだ。子供の頃は良かったとぼくらは言いがちだけど,それは忘却力のおかげだろう。
● が,一般論ではすまない。息子が小さかったとき,息子に対して同じような振る舞いに自分は及ばなかったか。その反省を迫ってくるのだ。なかったとは言えない。
こういう光景を見ると,取り返しのつかない罪悪を犯してしまったと,自分を責めたくなる。人のことを言ってる場合じゃないのだ。
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