2015年3月23日月曜日

2015.03.23 徹底的に安物主義 2

● でも,ここから先は自己弁護になるんだけど,たとえば食べ物屋。安くて旨い店ってあるじゃないですか。当然,そういうところは繁盛する。旨いものを安く提供するって,志が高いでしょ。それがあるから繁盛するんだよね。
 その店に通うお客さんは店主の志の高さに便乗しているわけだけれども,そこは便乗すべきだよね。高くて旨いのはあたりまえ。旨いのに安いっていうのが価値だから。その価値は愛でるべきだ。

● 食べ物屋くらいの規模だとわかりやすいけど,これがもっと大きくなってくると生産や流通の過程がブラックボックス化するから,いろいろと難しい議論が出てしまう。
 たとえば,フェアトレードのような議論もある。市場が絡むマクロの問題をミクロの手法で解決しようとすると,かえって問題をこじらせるとぼくは思っているけれども。
 ともかく,いいものを安く提供しようとするのは,志が高いのだということにしておく。

● でもなぁ,どう言いつくろってみても,美学がないと言われると,完全にはねのけることは難しいなぁ。そのとおりですと言うしかない。
 あるいは,美学なんかなくたっていいじゃないか,それのどこが悪い,と居直るか。

● で,この居直りがけっこう成立しそうな気がしていてね。美学ってなぁ。ブランド服を着るのが美学? 高級品を使うのが美学? 違うだろ。
 美学(お洒落と言い換えてもいい)って定義できない(少なくとも,かなり困難だ)。何をもって美(この場合は,生き方の美しさ)と感じるか。人の数だけ美がある。とまではいかないにしても,かなり錯綜するよね。神々の争いになりかねない。

● 質素を美とする人もいるだろうし,華美を良しとする人もいるだろう。業界や階層によっても違うだろう。
 一定のシチュエーションにおけるドレスコードのようなものは成立するかもしれない。が,それどまりでしょ。厳密にいうと,日本でドレスコードが成立するかどうかは疑問でもあるけれど。
 唯一,天皇陛下の御前に出るのにTシャツではまずいということがある程度ではないか。でも,陛下の御前に侍るなんて,普通の人にはないからねぇ。
 あとは,結婚披露宴にTシャツで行っちゃまずいかっていう程度のことだ。奇異な目で見られるだろうけど,面と向かって文句はいわれないだろうな。

● ドレスコードを無視してそのシチュエーションに入りたがるのはまずいけれども,そうしたシチュエーションには近づかないという選択をすることはできる。
 そもそもが,そのドレスコードができた由来を探ってみると,単なる過去の桎梏に過ぎない場合もあるだろうし。

● それと安物主義とどうつながるのか自分でもわからなくなってきたけど,ま,ぼくは安物主義で行くよ,と。

0 件のコメント:

コメントを投稿