2018年3月10日土曜日

2018.03.10 東日本大震災

● 明日は3.11。ぼくの地元でもけっこうな被害があった。わが家も震災後数日間は,靴を履いたままじゃないと家の中に入れなかった。
 タンスと食器棚は一つ残らず倒れた。結局,すべて処分(多くは相方の嫁入り道具)。キャスターの付いた軽いプラスチック製のものに置き換えた。

● 書庫の本はすべて投げ出された。元に戻す気にもならず,放ってあるので,依然として足の踏み場もない状態になっている(ただし,だいぶ処分はできた。ある老人介護施設の職員数人が車で取りに来てくれて,かなりの量を持っていってくれた)。
 屋根はすべて葺き替えることになったが,その過程で悪徳業者とは言わないけれども,対業者関係で相当以上に不愉快な思いも味わった。

● が,津波の被害に遭われた人たちに比べれば,モノの数にも入らない。失われた命は億の金を積んでも戻ってこない。自宅が損壊したのは,数百万円で片がつく。金で片がつくものは,すなわちすべて安いのだ。
 その後,わが家でも「まさか」という出来事が起きてしまった。それに比べれば,大震災の被害など,日常の些事にすぎなかった。
 が,東北の人たちにしてみれば,大震災が「まさか」の中の「まさか」であったろう。そこが違う。

● というわけで,3.11だ。Twitterでも3.11絡みのツイートがドッと増えている。被災地に良かれと思って,いろんな人がいろんなことをやっている。頭が下がる。
 そのうえで申しあげるんだけれども,それらの多くに(つまり,すべてではない),どこかPR臭を感じてしまう。あるいは自己優越の顕示を感じてしまう。俺,忘れてないよ,ちゃんと考えてるんだよ,行動もしているよ,っていう。

● もし可能なら,静かにしてくれないか。黙ってやってくれないか。あなたはあなたの日常を生きればいいのだとまでは言わないけれど。
 いや,頭は下がるんですよ。自分がやれないことをやっているんだから。
 しかも,SNSの話なんだから,こちらが読まないようにすればいいだけなんですよ。そこはわかっているんだけれどもね。

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