最近よく口にする言葉は,「勉強ができるというのは,一つの欠点ですらある」というものです。(中略)勉強ができるというのは典型的なオタク体質だということがいえます。オタクというのは,やはりコミュニケーションが苦手な人が多く,広い世界が見えていないことが一つの欠点として浮かび上がります。さらにいえば,オタクは他人と何かをするといったコラボレーションが苦手という側面もあります。(p195)● ぼくは勉強できたというほどできたわけではないけれども,他人とのコラボが苦手というのは,そのままあてはまる。
勉強できない人の中にもそういう人はいるってことだね。勉強できるできないは,オタクかどうかとはあまり関係ないかもしれない。
● ホントに団体行動,集団活動を苦手とする。その底を覗けば,人間嫌い,人間恐怖的なものがあると思う。息子を見ていると,自分以上にそうなのではないかと思える。こういうのは遺伝かね。
だから,当然,他人とのコラボは苦手だ。やってみようと思ったことはない。自分一人で誰にも邪魔されずに生活できればと思っている。
よく,一人でご飯を食べても美味しくない,という言われ方をする。じつは,ぼく,これがまったく理解できない。旨いものは一人で食べても旨いし,不味いものは大勢で食べても不味い。
そうじゃなくて楽しく食べれば美味しいでしょ,と言われれば,そのこと自体に異議をさし挟むつもりはない。ただ,何人かで食べるのを楽しいと思うことは極めて稀だったってことなんだよね。
● ぼくみたいなタイプの人間は,なかなか世界が広がっていかない。自分一人でできることなんて知れてるわけだから,大きなことはできない。
そこはよくしたもので,大きなことなどしたいとは思わない。人を雇用して起業しようなどとは考えたこともない。端からできるわけがないと思っているんだから,やろうとするはずがない。
● オタクかそうでないかということも含めて,人のこうした性格というのは,努力では変えられないし,変えようとしない方がいいのだと思う。
だっていつからそうだったのかといえば,少なくとも小学校1年生のときはそうだった記憶があるからだ。たぶん,生まれ持ってのものだろう。そういうものを努力なんぞでどうにかできるわけがないではないか。
● そうではなくて,そういう自分に合った居場所を探すことなのだ。ぼくの場合だと一人でできる仕事をした方が良かったのかもしれない。たまたま大学の4年間は自分としては例外的に社交的にふるまえたので,このままサラリーマンになってもやっていけると疑わないまま就職してしまった。
結果においてどうにかこうにか定年にたどり着いたわけだけれども,サラリーマンとしてはずっと冴えないままだったと思う。大学時代の余韻を残していた最初の2,3年は別として。
多くの収入を得たい,お金を儲けたいというのも,何も起業だけが唯一の手段ではない。個人でできる投資もある。
● 世界は自分を中心に回っているわけではない,勘違いするな,と昔はよく言われた。たぶん,今も同じだろう。
が,世界は自分を中心に回っているのだと思うくらいでちょうど良いのかもしれない。自分を変えようとしないっていうのはそういうことで,世界の中心に自分がいるのなら,その中心からちょっと動いてみるだけで,自分に合った居場所が見つかるはずだと思えるのではないか。
● 言うほど簡単ではないけれども,世間の常識を自分の常識にしないこと。世間の成功モデルに自分をあてはめないこと。若い頃からそれができていれば,自分の人生も随分と違ったものになったかもしれない。
しかし,まだ終わったわけではない。老境にさしかかった今,あらためて自分にそのことを言い聞かせたいと思っている。
● そうして,決して自分の性格を変えようとしないこと。それは所与の前提として受けとめること。
つまり,他人とのコラボなど苦手ままでいいのだ,と居直るってことなんですけどね。
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