● 右は今日の下野新聞コラム。自転車の魅力を紹介している。
● その自転車で街興しをするという鹿沼の試み。地域の魅力を発掘するのは,だいたいヨソモノ,ワカモノ,バカモノと相場が決まっているらしい。長くそこに住んでいる人には,あたりまえになって見えないものが多いのだ,と。
このコラムにおける仕掛人も,ヨソモノでありワカモノだ。
● 自転車の魅力というか可能性はまだ発掘され尽くしていないかもしれない。この2つ(ヨソモノ・ワカモノ+自転車)のコラボは何ごとかを生むかも。
ただし,だ。レンタサイクル的なものが成功した例はあまりない。無料にしてもダメだ。どうしても安物の自転車にしてしまうのが一因かとも思うんだけどね。あと,メンテが行き届かないこと。
自分の自転車で来てくれる人を増やせるといいんだが。その方向での企画らしいが。
● 1日に100kmを普通に走るヘビーユーザーというか,スポーツライダーを捕まえるのは無駄なこと。彼らは走ることそれ自体に興味と快感を感じる種族であって,彼らにとって風景だとかグルメだとか地域の魅力だとかは二の次三の次なのだ。食べものなんて,コンビニで調達できるもので充分なのだから。
そこまでは行かないんだけど自転車が好きという人がターゲットになるんだろうか。
● ところで。役所や企業を定年退職して,次は地元に貢献したいと動きだす人たちが一定数いるようだ。彼らのFBやTwitterを見ると,一生懸命に考えて動いていることがわかる。そこに私心はない。地元を良くしたい,自分の知見や経験を役立ててもらいたい,と思っている。
しかし,そういうものをぼくは一切認めない。リアリズムに徹すれば,そうなるしかない。
● 過去の長い人はダメなのだ。その人の考え方,価値観が形を成したのは,おそらく昭和40年代。そこで形を成してしまったものが,現在の空気に適応できるはずがない。
現在や近未来が求めるものに対応できるはずがないのだ。個人の資質には関係なく,そうなのだ。
なぜなら,彼らに理解できるものは過去だけだからだ。決着がついている過去をモノサシにして測る癖を脱することができないからだ。
● 現状を維持するものを生みだすことはできるかもしれない。が,現状をブレイクスルーするものを生むことを彼らに期待することは間違っている。彼らが自分にそれを期待しているとするなら,自身を相対化できていないからに過ぎない。
ヨソモノ,ワカモノ,バカモノに任せて,手を引くのがよい。邪魔をしないのがよい。それが彼らにできる唯一の地域貢献だ。
● では,過去の長い人は何をすればいいのか。自分の好みや興味に没頭することだと思う。年を取るとこんなに素晴らしい時間を過ごすことができるのだよ,と範を示すことだ。若い人たちに多少なりとも憧れを抱かせる生き方をすること。
本が好きな人は読書に没頭すればいい。やはり本を好きな若者の誰かが,その姿を見て羨ましいと思うかもしれない。2人か3人でいいのだ。大向こうに受ける必要はまったくないのだから。
旅行が好きな人は旅行に行けばいいのだし,釣りが好きな人は釣りに出かければいいのだし,自転車が好きな人は自転車に乗ってればいいのだ。難しいことは何もない。
● そのためには,他者や地域と関わるより,自身に専念するのがよい。いや,他者にかかずらっている暇などないはずだ。
もし,老いてなお,自分固有の好みや興味がないというなら,あってもそれを追求するだけの体力や集中力を欠いているなら,選択肢はただ一つ。消え去るのみ。
そこで消え去らないで,他者や世間にもの申してしまうのは最悪だと心得よ。昔話は何も生まないのだ。聞かされる方は迷惑なだけだ。
● しかし。自分固有の好みや興味がないという老人がいるんだろうか。
体力や集中力も,若い人と競う必要はないのだ。70歳には70歳の,80歳には80歳の,体力と集中力があるのではないか。
1冊読むのにひと月かけたっていいではないか。たくさん読んでいると自慢するのが目的ではないのだよ。
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