● 昔読んだ,将棋の芹沢博文九段のエッセイにこんなのがあったと記憶している。
囲碁の藤沢秀行棋聖と懇談していたおり(この2人のことだから,当然,酒を飲みながらだろう),囲碁や将棋の奥義を100とすれば,自分たちはどれほど囲碁や将棋をわかっているだろうか,という話になった。
芹沢九段は4か5と答えたのに対して,藤沢棋聖は2か3と答えた。芹沢九段が,あ,自分は思いあがっていたと思った,という話だった。
● このあたりが将棋や囲碁のロマンの源泉なのだろう。底知れないほどに奥が深いゲームであること。
将棋界では中学生の藤井六段の活躍と羽生竜王の国民栄誉賞,囲碁界でも井山七冠の国民栄誉賞で,活気に溢れかえっているかに見える。将棋人気は時ならぬものだ。
● が,このロマンの射程距離はいかほどなのか。すでにプロ棋士でもAIに歯が立たない。ひょっとしたら,AIが100のすべてを解き明かすことがあり得るかもと思わせる。底知れないほどの奥の深さを,底が見えるくらいまでにはするのではないか。
AIはしかし戦いのドラマを生まない。やはり人間でなくては,というところで将棋界も囲碁界も存在することを許されているように思えるのだが,これからもそうであり続けるか。
ドラマを生む基盤そのものをAIが突き崩していくことがないと言えるか。
● 棋戦のスポンサーになっている新聞社は,人口減少やネットへの移行,自らの報道姿勢の問題などから,各紙とも読者を減らしている。三大紙の少なくともひとつは消滅するかもしれない。棋戦のスポンサーを続ける余力など,なくなってくるのではないか。
日本将棋連盟の存続自体が危ぶまれるような事態が発生することもあり得るのではないか。将棋も囲碁も,それ自体が消滅してしまうことは絶対にないけれども,プロ棋士という存在は消えるかもしれない。
● もちろん,そうならないように願っている。新聞社に代わって新たなスポンサーが現れてほしい。
そうはいっても,棋譜や観戦記を掲載して出資分を稼ぐというのが,新聞社の狙いだったのだろうから,新聞社に代わるスポンサーを探すといっても,なかなかに困難だろう。
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