● TwitterやFBにはグルメ投稿がけっこうあって,美味しいお刺身で日本酒をいただきました,なんてのを見るといいなぁと思う。
こちとら,外で酒を飲むなんてほとんど絶無になった。相方と東京に出たときにホテルで飲むくらい。年に数回の話だ。
● 普段は相方がチャチャッと作ったもの(右の写真のような)を肴に,安ウィスキーを炭酸で割って飲んでいる。それで格別不満がないのも事実で,家飲みは気楽でいいなぁと思っている。
総じていうと,美食というのは人間の天然に反するような気がする。そこはそれ,育ちの悪さがそう思わせるのかもしれないけれども,ヒトにとっての食事は給餌でいいのだとどこかで思っている。
● 食文化というカテゴリーを認めるにやぶさかではないけれど,文化はたまに接するくらいでちょうどいいのだ。
常時,文化とともにいて,時々,自分が文化の上に出てしまうなんてのは,けっこうイビツであるかもしれない。
● FBにはグルメのコミュニティもあって,最近,時々覗くようになった。どんだけ暇なんだ?
言っちゃ悪いんだけど,ここには食文化云々といえるような投稿はほぼない。幼児が玩具自慢をしているようなものだ。いくらぼくでも,この手のサイトにはすぐに飽きるだろう。
● とは言いながら,旨い刺身で一献傾けたくなってきた。
それは特別なハレの場になるわけだから,隣に妙齢の美女がいて接待してくれる必要はないけれど,よく吟味された材料に洗練を極める包丁を入れて仕上げた一品であってもらいたい。酒の保存にも入念なる注意を要求したい。言うまでもないが,それ相応のお金を払う用意はある。
だからこそ,滅多には行けないのであるよ。
● 上のような考え方は,ハレとケを峻別して,両者の差をできるだけ大きくしようとする発想だ。中間を認めないというかね。
対して,中間こそ大切だとする考え方もあるだろう。一回の食事にン万円もかけることはないでしょ,かといって普段の食事が餌でいいってこともないでしょ,普段からちゃんとしたものを食べていれば,ハレなんか求める必要もないんじゃない? という考え方。
● 充分に成立すると思う。今では死語になったかもしれないけれども,いわゆる中流と呼ばれる人たちが採用しているスタイルは主にはそれではないかと思う。
ハレとケを峻別するのは,ひょっとしたら下層人のものなのかも。とすると,ぼくは永遠の下層なんだな。しかも,滅多にハレなんか来ないわけだから,餌を喰い続けて死ぬ運命なのだよ。
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