● 郡山ジャンクションで東北道から磐越道に入ると,山並みの緑が目に染みる。山は荒れているのかもしれないけれど。
山の中腹に小さいお堂があった。修験者がいたんだろうね。
● 恵隆寺(立木観音)と旧五十嵐家住宅。どちらも見るに値するものだったというか,来てよかったと思った。
立木観音では何軒か土産品の販売店があって,オバサンたちが多くはない観光客を相手に,のんびり商売をしていた。
● このあたり,会津板下町。水田が広がる。農業が生産の大部分を占めていた時代,このあたりは日本有数の賑わいを見せていたのかもしれない。
明治維新当時,日本で最大の人口を誇っていたのは江戸でも大阪でもなく,新潟県だったと聞いたことがある。
ともあれ。会津板下,歴史の堆積を感じさせる落ち着きのある町だった。
● 冬は雪におおわれるのだろう。ここに自分は住めるだろうかと考えた。若松がぼくにとっての宇都宮,郡山が東京にあたるだろうか。
だとすると,コンサートを聴く機会も激減しそうだ。
● となると,住めないという結論。
ただし,都会でしか味わえないようなコンサートなんてものは薄っぺらい,吹けば飛ぶようなものにすぎないのかもしれないけれど。もっとドッシリとした何かが,こういう町にはあるのかもしれないけれど。
● 逆に,コンサートを聴きたいからというだけの理由で,都市に引っ越す人もいるかもしれない。
多くの人はすでに都市に住んでいる。かといって,こういうところを朽ちさせていいのか。が,時代はそういうセンチメンタルを越えて進む。
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