● いくらお金を遺しても,個人が遺せるお金なんて知れている。何らかの成果物を遺せれば。
1冊の小説,1冊の詩集,1冊の画集。そういったもの。俳優が羨ましいのは,映像を遺せるところだ。
● そうした成果物は,これがなければ生きていけないという分野ではなく,遊びに属する領域で発生する。
なぜなら,人が好きなのは衣食住など生活必需品ではなく,遊びだからだ。
遊びをせんとや生れけむ,戯れせんとや生れけん,遊ぶ子供の声きけば,我が身さえこそ動がるれ・・・・・・。
● もっとも,何かを遺そう,遺したい,という発想が卑しいのかもしれない。たぶん,卑しいのだろう。
それでも,何かを遺したいという思いが,人生の残り時間が少なくなるとともに,頭をもたげることがあるようになった。
● 今はネットがあるから,遺す場所は誰にでも与えられているんだけど,コンテンツは自分が作るしかない。誰にでもできるわけではないだろう。
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