● ぼくが若い頃は,二次会はスナックに決まっていた。もちろん,今でもスナックってのは相当数あって,行こうと思えばいつだって行けた。
が,行かなくなっていた。二次会に行くことがなくなったからね。そんな体力はもうないわけで。
● で,某日,久しぶりに行ってみたんですけどね。初めて入る店だった。
一気に,かの昔に引き戻された。そうだった。こういうところだったんだ。カウンターがあってボックス席があって。本当はいけないんだろうけど,一人で来ている男性客には店の女性が隣に座って話を聞いてあげて。
● 酒を飲むのに必要なお金って,どんどん下がってきたでしょ。味気ないとか言われたりもするけれど,チェーンの居酒屋が席巻した結果,3千円もあれば飲んで食べてってことができるようになった。
そのことを痛感することにもなった。スナックの料金は昔のままなんだよね。しかも,店主の気分や都合で料金が変わったりする。それが許容される。
つまり,スナックでけっこうボッタクリだなと思ったんですよ。ビールを1本飲んで,いくつかカラオケを歌って,一人3,500円。
昔もそうだった。そういうものだと思っていた。けど,その前にいた店の料金と料理を考えると,スナックって高いなぁと思ってしまう。
● で,さらに思いだした。若い頃はスナックをハシゴした。翌朝,二日酔いの頭を抱えて,お金をドブに捨てるような真似をなんでしたんだろうと後悔する。
毎度,毎度,その繰り返しだった。バカなことをしていたなぁと思いだしたわけだ。
● こういうときって,誰でもそうなんだと思うけど,自分がやったことをムダではなかったと合理化しようとする。
そうはいうけれども,あれはあれで楽しかったじゃないか,こういうこともあった,ああいうこともあった,それって他では体験できなかったことだぞ,とか。
● ぼくはといえば,若いときは,そういう商売をしている人(主には女性)を人生の師と考えていた節がある。普通はしない体験をせざるを得なかった人なのだ,自分が知らないことを知っている人なのだ,そういうところに通って話を聞くのは授業料を払ってする勉強なのだ,と思っていた。
ぼくだけではなくて,なんかそういう雰囲気があったようでもある。
● 一番長く通ったスナックのママは,ほぼぼくと同年齢だったんだけど,だいぶ前に癌でなくなった。肝臓癌だったと聞いた。そう言われてみれば,痩せてしまっていた。本人はそんなことはおくびにも出さなかったし,ダイエットしなきゃとも言っていたし,こちらは気にも留めなかった。
が,おくびに出していたのかもしれないなと思いあたることが,あとになってからいくつか浮かんでくる。SOSを出していたのかもしれないなっていうことが。
● ちょうど転勤もあったし,だいぶご無沙汰していた時期だった。けっこう悔やむところがあった。見舞いに行かなかったとかそういうことではない。知っていても見舞いに行くことはなかったと思う。
ご無沙汰してしまっていたことを悔やんだ。行ってやるべきだった。行ってどうでもいい話をしとくんだった。
● でもね,今はスナックのママを人生の師と考えることはまったくない。そういう年齢に自分がなってしまっている。ママの多くは自分より若いんだから。
それに。水商売だからとか,夜の商売だからっていう理由で,人生の師っていうのはやっぱりおかしいよな。それは体のいい差別かもしれない。
その世界だけじゃなく,どこにでも師はいるものだろうしね。
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