● 野口英世が偉人のひとりであることは間違いないけれども,彼がいわゆる人格者であったとは考えにくい。
で,それって,彼一人にとどまる話ではなくて,たいていの偉人は人格者ではなかったろうと思う。
● ニュートンにしても,ナポレオンにしても,モーツァルトにしても,エジソンにしても,どちらかといえば性格には破綻があったのではないか。
そのことが常人ではなしえない業績を作りあげる原動力の大きな一つであったのだろう。
● ゆえに,人格者をめざしてしまうことは,偉人的業績を上げることから遠ざかることでもありそうですな。
ま,最も多い層は,非凡でも人格者でもない人たちなわけだけど。当然,ぼくもその層に属する一人だ。
● 人はどう生きれば幸せになれるのか。何をもって幸せとするか,そこが人によって違うとすれば,生き方も人の数だけあることになる。つまり,解はない。
何をもって幸せとするかに差異がないとしても,それを目指す目指し方には種々様々な方法論があるだろうから,やはり生き方は人の数だけあることになる。
● この年(野口英世が死んだときの年齢を上回っている)になってしまっては,それを考えても遅いか。こういうふうにしか生きられなかったのだと,今では思っている。
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