2016年10月8日土曜日

2016.10.08 久方ぶりに日光に行ってみた

● 相方が日光に行きたいと言いだした。先日,仕事で行ったら,けっこう面白いところだとわかったんだと。そのあと,湯西川あたりに泊まるのもいいね,と。
 で,氏家から塩谷町を経由して日光へ。ちょっと遠回りをしてしまったかもしれない。


参道に鹿がいた
● 二社一寺を巡ってきた。東照宮には二,三度行ったことがあるはずだ。が,それ以外は初めてになる。
 栃木県に住んでいてもこの体たらくだ。っていうか,栃木県に住んでいるからこういうことになるんだね。
 遠くから行けば,わざわざ時間とお金をかけて来たんだから,二社一寺といわず,日光をしっかり見てこようと思うに違いないのだ。

● 輪王寺→東照宮→二荒山神社と歩いた。ただし,輪王寺と東照宮は外から見ただけ。拝観料を払う気にならず。拝観料が惜しいわけではない。何だか疲れちゃってさ。
 見る気満々の相方には申しわけなかったんだけど,神社仏閣と美術館は歩きの疲れが通常の数倍になるってこと,ありません?

● 二荒山神社では,お賽銭をあげて参拝した。神苑をパワースポットとしてアピールしてたり,縁結びのご利益をうたっていたり,商魂たくましい。
 拝観料や賽銭だけでは,職員に給料を出したり,建物を維持していくのが難しいのだろうね。グッズ販売に力をいれないと。買ってくれる人はたくさんいるんだから。

● 二荒山神社はもう一度訪れてみたいと思った。別宮の滝尾社には機会を作ってぜひ行ってみるつもりでいる。日光の発祥は滝尾社らしいから。
 っていうか,かねての計画ではとっくに行っているはずなのだ。しかも,自転車で。なかなか計画どおりには行かなくて,まだその機会を得ていないだけだ。

大猷院の拝観券
● さて,次は大猷院。家光の廟。ゆえに東照宮の一部になるのかと思いきや,輪王寺に属している。もともとひとつだったものを明治の神仏分離で無理矢理に分けたものだろう。不自然なのは仕方がない。
 ただ,今に至るも東照宮と輪王寺の対立はあるようで,神や仏に仕える神官や僧侶であっても,愚かの度合いはわれら凡愚と何ら変わらない。ひょっとしたら,凡愚以上かもしれぬ。

● とにかく,大猷院。ここだけは拝観料を払って,中に入った。
 神になった祖父家康に遠慮して,小さな廟にしたと言われる。拝観券の裏側にも「東照宮の絢爛豪華に対し,幽玄と「さび」,しかも人工の極致の殿堂美が自然美の内にとけこんでいる」と解説がある。が,ぼくの目には充分以上に絢爛豪華に見えた。とんでもないものだ。

● 今,これと同じモノを拵えたらいくらかかるだろうかと,下品なことを考えてしまった。億ですむのか兆になるのか。
 それ以前に,これと同じモノを一から作るなんてことができるのか。江戸の初期にこれができたのはなぜか。
 最も大きな理由は,人間の値段が二束三文だったからだろう。人間の値段が安かったから,膨大な人力を投入できた。

● ともかく,凄い建築物だ。外国からも多くの観光客が来ていたけれど,これなら見に来るわな。
 相方も大猷院はいたく気に入った様子で,京都に行くことはないわね,これが日光にあるんだから,と言っていた。そういうものではないと思うがね。

● 大猷院の入口の手前に輪王寺の常行堂があり。無料で上がれる。
 昔は読んで字のごとく修行の道場だったらしい。本尊である阿弥陀仏の周りが回廊になっている。その回廊を90日間,不眠不休で回り続けるという業がかつてはあったらしい。人間は苦行を尊ぶ性癖をビルトインされているんだろうかねぇ。
 もちろん,今はそんな業は行われていない(のだと思う)。今の輪王寺は修行の場ではなく,この業界の管理会社みたいなものではないか。

● で,言っちゃなんだけど,僧侶が管理してるんだから,大した管理はできていないのじゃないか。かといって,僧侶以外の人間が僧侶を管理するのも無理筋っぽい。
 管理される僧侶も釈然としないだろうし,管理する側も嫌だろうね。

● 日光には羊羹を作って商っている店が多い。こんなにあってやっていけてるんだろうか,と思うほどに多い。おそらく,兼業羊羹屋が多いのだと思うね。
 その羊羹,買わずに帰った。わが家の近くのスーパーでも日光の○○屋の羊羹が売られているので。帰ってからそれを買った。賞味期限は来年の1月9日。日光の店で売られている羊羹とは別物だろうね。

0 件のコメント:

コメントを投稿