で,氏家から塩谷町を経由して日光へ。ちょっと遠回りをしてしまったかもしれない。
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参道に鹿がいた |
栃木県に住んでいてもこの体たらくだ。っていうか,栃木県に住んでいるからこういうことになるんだね。
遠くから行けば,わざわざ時間とお金をかけて来たんだから,二社一寺といわず,日光をしっかり見てこようと思うに違いないのだ。
● 輪王寺→東照宮→二荒山神社と歩いた。ただし,輪王寺と東照宮は外から見ただけ。拝観料を払う気にならず。拝観料が惜しいわけではない。何だか疲れちゃってさ。
見る気満々の相方には申しわけなかったんだけど,神社仏閣と美術館は歩きの疲れが通常の数倍になるってこと,ありません?
● 二荒山神社では,お賽銭をあげて参拝した。神苑をパワースポットとしてアピールしてたり,縁結びのご利益をうたっていたり,商魂たくましい。
拝観料や賽銭だけでは,職員に給料を出したり,建物を維持していくのが難しいのだろうね。グッズ販売に力をいれないと。買ってくれる人はたくさんいるんだから。
● 二荒山神社はもう一度訪れてみたいと思った。別宮の滝尾社には機会を作ってぜひ行ってみるつもりでいる。日光の発祥は滝尾社らしいから。
っていうか,かねての計画ではとっくに行っているはずなのだ。しかも,自転車で。なかなか計画どおりには行かなくて,まだその機会を得ていないだけだ。
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大猷院の拝観券 |
ただ,今に至るも東照宮と輪王寺の対立はあるようで,神や仏に仕える神官や僧侶であっても,愚かの度合いはわれら凡愚と何ら変わらない。ひょっとしたら,凡愚以上かもしれぬ。
● とにかく,大猷院。ここだけは拝観料を払って,中に入った。
神になった祖父家康に遠慮して,小さな廟にしたと言われる。拝観券の裏側にも「東照宮の絢爛豪華に対し,幽玄と「さび」,しかも人工の極致の殿堂美が自然美の内にとけこんでいる」と解説がある。が,ぼくの目には充分以上に絢爛豪華に見えた。とんでもないものだ。
● 今,これと同じモノを拵えたらいくらかかるだろうかと,下品なことを考えてしまった。億ですむのか兆になるのか。
それ以前に,これと同じモノを一から作るなんてことができるのか。江戸の初期にこれができたのはなぜか。
最も大きな理由は,人間の値段が二束三文だったからだろう。人間の値段が安かったから,膨大な人力を投入できた。
● ともかく,凄い建築物だ。外国からも多くの観光客が来ていたけれど,これなら見に来るわな。
相方も大猷院はいたく気に入った様子で,京都に行くことはないわね,これが日光にあるんだから,と言っていた。そういうものではないと思うがね。
● 大猷院の入口の手前に輪王寺の常行堂があり。無料で上がれる。
昔は読んで字のごとく修行の道場だったらしい。本尊である阿弥陀仏の周りが回廊になっている。その回廊を90日間,不眠不休で回り続けるという業がかつてはあったらしい。人間は苦行を尊ぶ性癖をビルトインされているんだろうかねぇ。
もちろん,今はそんな業は行われていない(のだと思う)。今の輪王寺は修行の場ではなく,この業界の管理会社みたいなものではないか。
● で,言っちゃなんだけど,僧侶が管理してるんだから,大した管理はできていないのじゃないか。かといって,僧侶以外の人間が僧侶を管理するのも無理筋っぽい。
管理される僧侶も釈然としないだろうし,管理する側も嫌だろうね。
● 日光には羊羹を作って商っている店が多い。こんなにあってやっていけてるんだろうか,と思うほどに多い。おそらく,兼業羊羹屋が多いのだと思うね。
その羊羹,買わずに帰った。わが家の近くのスーパーでも日光の○○屋の羊羹が売られているので。帰ってからそれを買った。賞味期限は来年の1月9日。日光の店で売られている羊羹とは別物だろうね。
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