2015年10月31日土曜日

2015.10.31 Xperia Z5 が欲しい

● スマホをどんなふうに使っているか。ぼくは携帯音楽プレーヤーとして使っている時間が最も長い。なので,最近のスマホのハイレゾ再生機能には惹かれる。
 なので,ソニーのXperia Z5,欲しいなぁと思った。Z3からハイレゾ再生に対応したんでしたかね。だったらZ3でもいいようなものだけど,Z5を見てしまってはやはりZ5がいいなぁ,と。

● 0.03秒オートフォーカス2300万画素カメラなんてのも魅力じゃないですか。ぼくはあまりカメラを使わないんだけど。

● テレビは持っていないので,ワンセグはほぼ必須。この一点でiPhoneではなくAndroidを選んでいるんだけど,iPhoneがハイレゾに対応するという話は聞かないので,さらにAndroidがいいと思うようになった。

● 今使っているのは,docomoのF-02E。富士通謹製の端末ですね。選んだ理由は,文字入力にATOKが使えるのと,電子辞書が充実しているところ。
 が,実際に使ってみると,スマホで文字を入力することはそんなにないし(ぼくの場合,短いメールくらい),電子辞書もほとんど使わないことがわかった。
 紙の辞書も職場においてあるけど,そんなに使ってないものな。あんまり自分を買いかぶってはいけないね。

● だったら,オーディオ機能が充実しているXperiaがいいでしょ。そこはやっぱりSONYでしょ。
 ただですね,SIMはOCNにしている。キャリアで買うと,そこと契約しないといけないでしょ。これが厄介だ。かといって,Xperia Z5のSIMフリーモデルをSONYが独自に販売するなんてことはないんでしょうからね。
 型落ちしたZ3をヤフオクで落とそうかなぁとも思ったりするわけですよ。ヤフオクに行くとSIMフリーになっているのもあるしねぇ。
 でも,やっぱりZ5がいいな。

2015年10月30日金曜日

2015.10.30 日清ラ王の冷やし中華

● ラ王といってもカップじゃなくて,5個セットの袋のほう。夏が過ぎて,だいぶ涼しくなった頃,氏家のBIGに大量に山積みされていた。38円だった。在庫処分ですね。
 5個セットで38円ですよ。安さに目がくらむタイプのぼくは,たまらず,ひとつ買いものカゴの中に入れた。

● こういうのを買うの,奥様は嫌がるんですけどね。自分ではほとんど食べないし,場所をとるからって言うんだけどね。
 亭主がこういうものを食べるのを嫌がっているようでもある。女房の沽券に関わるとでも思っているんだろうか。
 ちなみに,奥様,けっして料理が上手なほうではないんですよ。そこに不満があるわけではぜんぜんないけど。

● ま,ともかく買ってきた。案の定というか,買ってはきたものの,時期が時期だし,食べないで放っておいた。
 が,奥様にほら言ったでしょと言われるのもシャクなので,先日,ひとつ食べてみた。
 ら。これ,旨い。具なんかぜんぜん入れなくてもするする食べられる。間をおかずに,2つ喰っちゃった。

● 東洋水産の「正麺」に発する生麺ふう乾麺,ぼくはどうもあまり好意的ではなかったんですけどね。従来品のほうがいいなと思ってたんですけど。
 この冷やし中華は旨かったな。同じラ王のつけ麺も買ってあるんだけど,ぼく的には冷やし中華のほうが好きなようだ。

2015年10月29日木曜日

2015.10.29 大島優子とデートした。ただし,夢の中で

● とんでもなくラッキーな夢じゃないですか,これ。夢の中でこれは夢だと思ってるんですよね。ここで目を醒ましちゃダメだぞ,オレ,とか思ってる。

● 胸に触っちゃいましたよ。いやぁね,何するの,と彼女が言うわけですよ。わぉ,大島優子の声だ,と夢の中の自分が思っている。
 惜しむらくは,触ったときの感触が記憶にない。夢の中でもドジなのか,オレ。

● ただ,そこが夢の哀しさで,次の瞬間,場面が転換してしまった。もうそこに彼女はいない。
 小学校の同級生の男と二人で歩いている。もう何十年も会ってないんだけどね,その人とは。ぼくが前を歩いている。彼はだいぶ後を付いてくる。

● また,場面転換。今度は一人で映画館の前にいる。前にいるだけだ。映画館に入っていこうとはしなかった。
 入りたかったのだと思う。でも入らなかったのはなぜなのか。それはわからない。お金がなかったのかもしれないし,入るのを躊躇わせる何かがあったのかもしれない。

● 次の場面。バスの中にいる。そのバスの中には大島優子が座っている。ぼくは立っている。ぼくの知り合いもいたんだけど,それが小学校の同級生の男だったのかどうかは定かでない。
 次は大部屋。そこにいくつもベッドがあって,そこに大島優子ともう一人,板野友美がいた。男も何人もいた。これからここでみんなで寝るのかと思っている自分。何だか嬉しいな。

● 普通はそこからデートの場面に行くんだと思うんだけど,これが最後の場面で,ぼくのラッキーな夢は終了。
 今度はこの後の続きを夢で見たい。

● 吉行淳之介に「夢を見る技術」というタイトルのエッセイがあったのを思いだした。夢と実体験の間に差はないという内容だったと思う。
 だから,諸君,ぼくは大島優子とデートしたのだぞ。しかも,胸も触っているのだ。諸君もどうぞ,いい夢を見られますように。

2015.10.28 豚肉の旨さ

● 肉が好きだ。やはりステーキがいい。たんに肉を焼くだけなのに,自分が焼くのとちゃんとした店で焼いてもらうのと,なんでこんなに違いがでるのかと思いながら,でも,自分でも焼く。
 ステーキといえば,烏山の「ステーキハウス クローバー」でしょ。といっても,ぼくはランチにしか行ったことがない。

● 焼き方が素材を超越することは明らかだ。ぼくが「クローバー」のランチで注文するのは一番安い肉で,たぶん自分で焼くときにはもっと高い肉を使っていると思う。
 が,出来あがりには大差がある。

● まぁ,それはそれだけの話。
 最近,豚肉が旨いと思わせられることが多い。豚肉というと王様はトンカツ。なかんづくカツ丼だ。カツを卵でとじてご飯に載せる。旨いものですよねぇ。

● ちなみに,昔はトンカツの肉ってかなり薄かったんですよ。貴重品だったんでしょうね。叩いて延ばしていたんですな。
 初めて分厚い肉のトンカツを喰ったのはいつだったか。35年前くらいだろうか。いや,感激したものですよ。

● それが,輸入障壁が撤廃されるにつれて,牛肉も豚肉もどんどん安くなった。今じゃ,ぼくのような者でも普通に肉が食べられる。ありがたいものだ。

● そうだ。豚肉が旨いという話だった。トンカツ以外にね。基本,ステーキなんですね,豚もね。油を使って焼く。豚だったら塩でいいんじゃないですかね。あとはレモンがあればいいですな。
 そういう旨さがあるってのは,ぼくの場合は,だいたい居酒屋で教えられることになる。居酒屋って競争激甚で,各店ともいろいろ工夫をしているんでしょうね。それを強いられるんだろうな。

● こちらはその果実をいただく,と。旨いものをいろいろと教えてもらう,と。

2015年10月28日水曜日

2015.10.27 境界性糖尿病

● 人間ドッグを受けた結果。問題があるのは,尿酸,総コレステロール,LDL-コレステロール,中性脂肪,γ-GTP,GPT,HbA1c,腹囲。
 以上は血液検査からの結果だから,脂肪肝だとかほかにもいろいろ出てくるはずだけど,要するに,脂質,カロリーの取り過ぎによる生活習慣病的な結果だ。

● もうずっと前からそうでね,いまさら驚かない。だいたい,ドッグの前夜も酒を飲んでますからね。いつもどおりに。それでもγ-GTPの値は昨年より改善されているんだから。
 なぜというに,昨年も前夜に飲んでるからなんですけどね。

● どうも,こうしたものをあまり信じていないっていうか,その気になればすぐにも改善できるよとタカを括っているというか。
 でも,看護師さんとの面談で色々言われてね。
 早食いですか? 早食いだとどうしても食べ過ぎる傾向がありますからね。
 野菜はどう食べてますか? まず野菜を最初に食べると,食欲を抑えられるかもしれませんよ。
 あのね,体重を落とせばいいんですよ。体重を落とせばこれらの数値も改善されますから。太りすぎなんです。あなたの身長だったらあと7㎏は落とさないといけませんね。間食をやめて,お酒も控えるようにしてくださいね。いいですか,わかりましたか,わかりなさいよ,いいですね。

● 魚も好きだけど,肉はもっと好き。最近,豚肉の旨さに気づいたっていうか。牛ならもちろん,ヒレよりロース。当然でしょ。旨味は脂肪にあるんですよ。
 モツやホルモンはもっと好きだ。旨い部位が安いんだからこたえられない。
 さらに,炭水化物も好きだなぁ。ご飯が好きで,おかずなんてどうだっていいんですよ。ご飯が炊きたてなら,おかずなんかふりかけ一品で充分。一汁一菜というけれど,一汁はなくていい。一菜でいい。

● ともかく。今回は昨年までは正常値に収まっていた血圧が高めになったことと,昨年初めて正常値を超えた血糖値がさらに上がっていたことが,今回の収穫だった。
 体重も腹囲も減っていたし,中性脂肪は正常血をだいぶ上回っているものの昨年よりは大きく減少した。体脂肪率もわずかに減少。
 そんな中で血圧と血糖値が上がっていた。で,最後の医師説明で,境界性糖尿病だねと言われた次第。

● 2年前に胆石ができていると言われたときも,ちょっと驚いたけど,糖尿“病”と言われるとねぇ。父親も祖母も糖尿だからね。祖母は重症だった。母親は正常なので,母親がOKなんだから自分も大丈夫だと思っていたんだけどね。糖尿って母親から遺伝するものでしょ。

● っていうか,大丈夫だと思ってるんですよ。ぼくはどうも食事療法というのはできそうにない。っていうか,したくない。
 でも,ぼくには万軍の味方がついている。自転車通勤だ。自転車通勤を始めたら3ヶ月で5㎏やせたなんて話はしばしば聞くじゃないか。
 ぼくもその自転車通勤を4月から始めている。なのになぜそんな数値なのか。最近サボっていたからだ。そうなのだ。それしかないのだ。

● そこを徹底できれば,7㎏の減量なんてわけもないのだ。だから徹底することにしよう。それから,ローソン・パブも控えることにしよう。財布も助かるしな。
 1年後の人間ドッグが楽しみだ。えっ,1年でこんなによくなったんですか,いったい何があったんですか,というあの看護師の声が聞こえてきそうだぞ。ザマァ見やがれ。

2015.10.26 スタパ斎藤さんがMacに移行!?

● スタパさんの「スタパトロニクス」は昔から愛読しているブログのひとつ。その「スタパトロニクス」に“そうだ,Macに移行しよう!!”というタイトルのエントリーが掲載されていた。今月5日のこと。

● スタパさんといえば,WindowsもMacもガンガン買って短期間で使い倒していくというイメージ。これまでもMacBookProやMacBookAirを次々に買っていた。
 が,彼が聖域にしているように思われる「原稿書き」は,Windowsで秀丸エディタを使っていたんじゃなかったか。マシンの安定性に過敏なほどにこだわっていたようだ。さすがに,プロはそういうものかと思ってた。

● エエッと思ったのは,前世紀の終わり頃に,東芝のTECRA780とIBMのThinkPad770Xを相次いで購入したこと。そんなことをするのか。
 東芝とIBMのフラッグシップだ。前者が52万円,後者に至っては90万円もしたのだ。ぼく的にはまず手を出そうとも思わない高価なパソコンだ。
 常識的に考えても,文字を書くだけだったら,パソコンにかかる負荷などしれたものなのだから,そんなにいいのは要らないでしょ,とか思っていた。そこがプロは違うんだなぁ,と。

● ところが,その聖域もMacに移行するという。正確には移行すると決めたわけではないけれども,その方向で試行してみますよ,と。
 WindowsというOSはけっこー好きで,また,Windows上で動く「これがないと困る~」というアプリケーションも何本かあります。ですが,なんか最近Windows用アプリケーションで起きるトラブルへの対処に時間を食われまくりな感じ。ちょっとマジで疲れてきたゾ,と。
 一方,iOS端末を多用しつつMacBookなんかもチョイチョイ使うワタクシは,「そっか~Mac OSを鋭意使えばiOS環境もナニカと便利に使えるなあ」と思っていました。面倒な設定とかナシにiCloud経由でいろいろ同期できたり,秀逸なスリープ機能を持っていたり,Time Machineによる環境の丸ごとバックアップやリストアも簡単だったりと,Macへの移行を後押しする理由が多々ありました。
● ぼくも何度かMacに行こうかと思ったことがあるんだけど,それを押しとどめた理由のひとつは,スタパさんがWindowsを使っているということだった。スタパさんもWindowsなんだから,自分もこれでいいんだ,と。
 その砦(?)が消える?

● ぼくにも“Windows上で動く「これがないと困る~」というアプリケーション”があるし,もしMacに移行するとなるとスキャナも買い換えなくちゃいけなくなるしで,ずっとWindowsで行くつもりだ。
 iPhoneもiPadも使っていないしね。スマホはAndroid,パソコンはWindows。このパターンでいいや。

● で,個人的に予想しておくと,スタパさん,結局,Windowsにとどまることになるんじゃないかなぁと思う。何となくそう思う。














2015.10.26 麺屋はじめ

● 旧南那須町の大金にあるラーメン店。かつては“栃木のラーメン店”なんぞというガイドブックにはトップに掲載されていた。
 当時から名前は知っていた。っていうか,勤務先がこの近くだったのでね。ところが,昼食をここで食べることは不可能だった。なぜなら,昼休みになってから行ってもすでに行列ができていて,とても1時間で店の中に入れるとは思えなかったからだ。

● 実際に初めて行ったのは,それから数年後。以後,何回か行っているんだけど,最近はご無沙汰気味。
 ぼくはラーメングルメではないので,このあたりは想像で書くんだけど,かつてない濃厚スープを認知させたのは,栃木県ではこの店を嚆矢とするのではないだろうか。
 “わっさり”でも相当に濃厚。でもたしかに旨いと思った。癖になるな,これは,と思った。実際,休日に続けて何度も行くことになった。

● 仕込みに時間をかけるためか,営業時間は短い。たしか,日曜は営業していないのではなかったか。場所がら,日曜日には誰もいなくなる(宇都宮に買いものか遊びに行ってしまう)土地柄だからかもしれないけど。
 麺もいちいち丁寧に計量していたのを憶えている。

● その後,この店の味を真似たと思われるラーメン屋が次々にできた(ような気がする)。それらに埋没してしまったか。
 最近は“栃木のラーメン店”に掲載されることもなくなっているようだ。

● この近くの出身である同僚がいるんだけれど,店主は地元の産らしい。現在も同じところで営業しているようだ。ガイドブックに載らないのは,店主がそれを忌避しているからかもしれない。
 ということならば,ぜひまた行ってみたいと思う。

2015年10月26日月曜日

2015.10.25 久しぶりにスナックに行ってみた

● ぼくが若い頃は,二次会はスナックに決まっていた。もちろん,今でもスナックってのは相当数あって,行こうと思えばいつだって行けた。
 が,行かなくなっていた。二次会に行くことがなくなったからね。そんな体力はもうないわけで。

● で,某日,久しぶりに行ってみたんですけどね。初めて入る店だった。
 一気に,かの昔に引き戻された。そうだった。こういうところだったんだ。カウンターがあってボックス席があって。本当はいけないんだろうけど,一人で来ている男性客には店の女性が隣に座って話を聞いてあげて。

● 酒を飲むのに必要なお金って,どんどん下がってきたでしょ。味気ないとか言われたりもするけれど,チェーンの居酒屋が席巻した結果,3千円もあれば飲んで食べてってことができるようになった。
 そのことを痛感することにもなった。スナックの料金は昔のままなんだよね。しかも,店主の気分や都合で料金が変わったりする。それが許容される。
 つまり,スナックでけっこうボッタクリだなと思ったんですよ。ビールを1本飲んで,いくつかカラオケを歌って,一人3,500円。
 昔もそうだった。そういうものだと思っていた。けど,その前にいた店の料金と料理を考えると,スナックって高いなぁと思ってしまう。

● で,さらに思いだした。若い頃はスナックをハシゴした。翌朝,二日酔いの頭を抱えて,お金をドブに捨てるような真似をなんでしたんだろうと後悔する。
 毎度,毎度,その繰り返しだった。バカなことをしていたなぁと思いだしたわけだ。

● こういうときって,誰でもそうなんだと思うけど,自分がやったことをムダではなかったと合理化しようとする。
 そうはいうけれども,あれはあれで楽しかったじゃないか,こういうこともあった,ああいうこともあった,それって他では体験できなかったことだぞ,とか。

● ぼくはといえば,若いときは,そういう商売をしている人(主には女性)を人生の師と考えていた節がある。普通はしない体験をせざるを得なかった人なのだ,自分が知らないことを知っている人なのだ,そういうところに通って話を聞くのは授業料を払ってする勉強なのだ,と思っていた。
 ぼくだけではなくて,なんかそういう雰囲気があったようでもある。

● 一番長く通ったスナックのママは,ほぼぼくと同年齢だったんだけど,だいぶ前に癌でなくなった。肝臓癌だったと聞いた。そう言われてみれば,痩せてしまっていた。本人はそんなことはおくびにも出さなかったし,ダイエットしなきゃとも言っていたし,こちらは気にも留めなかった。
 が,おくびに出していたのかもしれないなと思いあたることが,あとになってからいくつか浮かんでくる。SOSを出していたのかもしれないなっていうことが。

● ちょうど転勤もあったし,だいぶご無沙汰していた時期だった。けっこう悔やむところがあった。見舞いに行かなかったとかそういうことではない。知っていても見舞いに行くことはなかったと思う。
 ご無沙汰してしまっていたことを悔やんだ。行ってやるべきだった。行ってどうでもいい話をしとくんだった。

● でもね,今はスナックのママを人生の師と考えることはまったくない。そういう年齢に自分がなってしまっている。ママの多くは自分より若いんだから。
 それに。水商売だからとか,夜の商売だからっていう理由で,人生の師っていうのはやっぱりおかしいよな。それは体のいい差別かもしれない。
 その世界だけじゃなく,どこにでも師はいるものだろうしね。

2015.10.24 いろり庵きらく,二度目

● 今度は「板そば」というのを食べてみた。590円。盛りそばの大盛りといったところ。チェーン店なんだから,麺が自家製ということはない。
 機械で作っている。さすがに乾麺ではないと思うけど。

● で,これで590円ならまぁ納得だなってところ。こういうのって,たとえば香川県で食べる讃岐うどんなんかと比べてしまいがちだ。
 地元で食べると讃岐うどんって安いんですよね。しかも,めっぽう旨い。丸亀製麺だって高いと感じるもんね。この味でなんで380円もするんだよって思ったりするもん。
 でも,この比較はかなり無理すじなんでしょうね。香川県に住んでる人を羨ましいとは思うけどね。

● 立食いそばって,昔からあるファストフードだけど,競合商品は多数ある。そうそう高くはできないし,かといって不味けりゃお客は競合商品に流れていく。
 最も競争が厳しい分野じゃなかろうか。その代わり,マスがお客だから,当たれば短期間ではあっても先行者利益を満喫できるんだろう。が,価格競争に流れそうではあるなぁ。

2015年10月24日土曜日

2015.10.23 さくら市氏家の「Niwa」というお店

● 先日,職場の飲み会でこの店を使った。ぼくは初めて行ったんだけど,肉も野菜もとても旨いのに一驚。
 コース料理で,あとで聞いたら,3,000円だという。ほんとか。あれで3,000円なのか。だとしたら,行かなきゃ損じゃないか。

● ネットをググってみると,ランチもやっているらしい。予約だけでいっぱいになって,なかなかフリで食べるのは難しいようだ。
 そうか,そんなに知られた店だったのか。

● その飲み会では,ぼくはハイボールで通したんだけど,気心の知れた友人と少人数でワインなんぞを飲みながら一夕の歓を尽くすにはちょうどいいように思う。
 費用の壁が低いのに対して,中身は東京の銀座並みかどうかは知らないけれど(銀座でそんなことはしたことがないので),相当なものだと思う。

● で,早速,それをやってみようと思って,午後になってから予約を入れてみたんだけれども,今日の今日では予約が取れなかった。
 6時半あたりに集中するようだ。5時半か8時過ぎならカウンター席が空くんですが,ということだった。
 残念ながら,次の機会を待つしかなかった。ほんと,残念ながら。

2015.10.22 モスで見かけた中年女性

● 午後3時頃だったか。宇都宮駅ビルの中にあるモスバーガーのカウンター席の隅っこで,チーズバーガーをパクついていた。
 ら。隣に,40代後半とおぼしき(50歳に達していたかもしれない)ビジネスウーマンが座った。パンツスーツで,顔も髪もバッチリ作っている。

● スマホとタブレットを取りだし,タブレットを叩き始めた。ノートタイプのカバーを付けたスマホに電話がかかってきた。彼女はタブレットをにらみながら,電話に出た。
 結婚指輪はしていなかった。一人で暮らしているんだろうか。何時に起きるんだろう。どんな仕事をしているのかね。昼食を食べる時間がなくて今になったのだろか。

● と想像を逞しくてしてみた。彼女を主人公にしてひとつの物語をでっちあげることもできそうだ。それを想像させる人は魅力的な人だ。
 が,こういうときに守らなければならない鉄則がある。細部を観察しすぎないことだ。それをやると必ずアラが見えるから。そんなのを見つけてもいいことは何もない。

● だいたいが,ハンバーガーを食べるのだ。どうやって食べたって,上品さは損なわれるわけだ。

2015年10月21日水曜日

2015.10.21 こう老いられれば理想的だと思わせてくれたアダルトビデオ

● アダルトビデオ(といっても,ネットなわけですが),恥ずかしながら(べつに恥ずかしくないと思ってるんだけど),時々見る。
 で,先日,老人が20代の美人とエッチしているシーンがあった。このパターンはわりと多いのかもしれないんですがね。
 男優は70歳を超えていたようだ。後期高齢者かもしれない。

● これだよ,これ。これが理想なんだよ。70歳を過ぎてからも,20代や30代の女性と,エッチはともかく,お付き合いできることが,たいていの男の理想なのだ。
 ぼく? 当然,そうですよ。

● それができるためには,体力的な問題だけでは道は開けない。若い女性がこの人ならと思ってくれないといけない。そう思われるだけのモノをこちらが持っていなければいけない。
 そのモノとは「色気」ということになるんだろうけど,そう言っただけでは何の情報も提示したことにはならないな。

● その「色気」を分析しないと。
 単に若く見えるということではないだろう。年寄り然としていてなおかつ「色気」を備えているってことはあり得るように思う。

● 年をとっても前を見ているってことだろうか。でもそれは必要条件ではあっても,十分条件にはならないだろう。
 それまでの経験,苦い出来事や胸のすく記憶を存分に湛えているってことだろうか。それが外見,特に顔立ちに現れていること。しかし,それだけでもなさそうだ。
 前を見ながら諦めを含んでいることか。

● 「色気」の構成要素として必須なものに,愛嬌がある。子供のような(子供のようでなくてもいいけれども)愛くるしさがあること。

● 老人には頑固な人が多い。過去を絶対にして,柔軟性を失っているからだ。新しいものを取り入れることができないか,取り入れようとしないからだ。知の回転速度が落ちているのだろう。
 これでは「色気」もへったくれもない。

● 言葉で老人の「色気」を固定しようとすると,やはり未知のものに対する好奇心を失っていないことが,基本になるだろうか。
 が,いろんなものを見聞きし,体験し,経験値が上がっていることが前提だ。これが年相応以上でなければ単なるバカだ。バカに色気はない。

● その状態でなお,その経験値を絶対視しない柔らかさ,フレキシビリティー。そういうものを保持していること。
 若い人を評価することしかできないのではなく,若い人から学べること,学ぼうとすること。

● それが基本にあって,それに+αが加わった状態。それが老人の「色気」だということにしておこう。
 +αとは,たとえば意欲(向上心)である。あるいは,自分のことは自分でやれる生活力である。

● 好奇心,愛くるしさ,柔軟性,向上欲。
 これらは,年齢を問わず,「色気」を作る材料だと思うが,老人にとっては稀少性が高くなるだけに,いっそう際だって大事なものになってきそうだ(そのさらに基本にあるのは,ある程度の健康ということになる)。

● では,どうすればそれらの要素を保持できるのか。これがわからない。
 方法論はないんだろうか。偶然に任せるしかないんだろうか。
 偶然だから仕方がないとしてしまうと,それだけで「色気」から遠ざかってしまうような気がする。

● 40代や50代ですでにそれらを失っている人もいる。しかも,少なくない数,いるように思われる。
 そういう人が,以後,それを取り戻す可能性はゼロだ。スタートラインにすら立てないで終わる人だ。おまえもそうではないかと,絶対言われるんだろうな。

● にしてもだ。70歳を過ぎてからも若い女性と付き合いたいというのが,男の生きる砦になるのだとすると(いや,オレはそうじゃないよと言う人もいるか。そいつはたぶん偽善者だ),男というのはごく単純なメカニズムで生かされていることになりそうだ。
 それがいいとか悪いとか情けないという話ではない。そこに居直るべきだろうね。それで何が悪い,と。

● 以下,蛇足。
 70歳を過ぎても若い女性と付き合いたいという場合,女性を選ぶことが大切だと思う。どうでもいい女にエネルギーを消耗しないことがかなり大事になってくる。
 これも年齢を問わず大事なことだけれども,どうしたってエネルギーが枯れてくるだろう老年期になれば,エネルギーの無駄使いは避けたいものだ。
 要するに,カサノバ的になってはいけないんじゃないか。
 もちろん,それ以前にこちらが彼女たちに選んでもらえなければ話にならないわけだけど,あんまりそこに重きを置きすぎないほうがいいのじゃないか。図々しいくらいでちょうどいいんじゃないか,と存ずる。

2015年10月20日火曜日

2015.10.20 夜の9時にスタバで勉強していた女子高生

● 土曜日の某日,夜,宇都宮のベルモールに行った。カルディを覗き,ヨーカドーで食料品を買い,ケータイショップのBE-ONEを冷やかして,スタバに行ってみた。

● 市内の女子高生がひとり,ノートと参考書を広げて鉛筆(シャープペンだったかもしれない)片手に勉強していた。女子高生となぜわかったのかといえば,彼女が制服を着ていたからだ。
 勉強するにはちょっと暗いかもしれないね,この時間のスタバはね。

● 涼やかな美人で,なかなか絵になる風景だった。それだけの話である。

2015.10.19 女性にもてる秘訣

● 相手の女性が何歳であっても,少女だと思って扱うこと。
 オバアチャンでもオバチャンでも芳紀23歳でも,ブ○でもデ○でも,少女・乙女として扱ってやれば,彼女たちの快を刺激するのじゃないか(経験はないので,想像で言っているのだけど)。

● たぶん男もそうなのだ。子ども扱いするなと怒られることはまずないだろう。

● よく老人ホームの職員が,入所者に対するときに,幼児に対するような言葉を用いることについて,老人の尊厳を考えていないと批判されることがある。
 長く生きてきた人たちなのだ。あなた方より深く人生を知っている人たちなのだ。一人ひとりに名前があるのだ。オジイチャンとかオバアチャンという名前じゃないのだ。彼らの尊厳を尊重した言葉を使って接するべきではないのか。

● が,当の老人たちは,そうされるのがさほどイヤではないんじゃないかと思う。むしろ喜んでいるのではないか。
 だからこそ,施設の職員も幼児言葉で接するのをやめる必要を感じないのだろう。

● 人間のこの部分は変化(=成長)しないものなのだと思う。いや,自分はそうじゃないという人は,おそらく前頭葉肥大型なんだろうな。
 つまらない無理をしている人なのかもしれないと思うんだよね。

2015.10.18 いろり庵きらく

● 国鉄がJRになったとき(大昔のことだ),宇都宮駅構内に立食い蕎麦屋ができた。ひょっとすると,現場を離れざるを得なくなった国鉄職員の受け皿作りの一環だったのかもしれない。
 が,さすがに簡単ではなかったようだ。従業員がそっくり入れ替わって,営業を続けていた。

● 最近,それも閉店して,「いろり庵きらく」に変わった。日本レストランエンタプライズのチェーン店だから,たんに看板が変わっただけなのかもしれないけど。

● その「いろり庵きらく」で朝食を摂った。蕎麦とご飯のセット。蕎麦は冷たいのと温かいのを選べる。冷たいのを注文。ぶっかけで出てきた。揚げ玉と刻みネギが載っている。
 ご飯には刻み海苔を散らして明太子が載っている。これで380円。

● 明太子だけでご飯は美味しく食べられる。これは経験から熟知している。
 さすがに,ご飯は炊きたてではなかった。前の晩に炊いておいたもの。が,これで380円なら納得か。

● 立食い蕎麦は,牛丼やハンバーガー以前から日本に存在していた。伝統的ファストフードだ。
 駅のホームにある伝統は途絶えそうな気配も見せているけれども,業態や場所を変えながら頑張っているんだなぁ。

2015.10.17 サプリメント,摂取再開

● 今年の夏に摂取をやめていたサプリメント。やめた結果,体調に何か変化があったといえば,まったく何もない。
 摂取を始めたときは,カルシウムのおかげで怒りっぽいのが少し改善したかなと思ったりしたんだけど,どうも錯覚だったかもしれない。その代わり,摂取をやめてまた怒りっぽくなったとも思えない。
 要するに,何も変わらない。

● サプリの摂取をやめたのは,やめようと思ってやめたわけではなくて,自然とやめたもの。要は,酒を飲んで,酔って,そのまま横になってしまって,で,そのまま寝てしまうので,サプリ摂取どころか歯も磨かないで寝てしまうということになった。つまりは,酒がいけないという話。
 夏はそれでも風邪をひいたりしない。っていうか,そのほうが寝やすかったりする。

● それができない時期になった。布団を敷いて毛布をかぶらないといけなくなった。そうなると,たとえ酔っていても,寝るためにひと作業が生じることになる。
 その際に,歯も磨くし,サプリも摂取するようになったわけなんですがね。

● あと,サプリがどっさり残っていること。捨ててしまうのはもったいないような気がしてね。サプリといっても,ほとんどはダイソーサプリなんで,捨てたところでさほどの経済的打撃はないんだけど。

● というわけで,自然に元に戻った感じ。摂取してもしなくても,ほとんど体調には影響ないんだけど。

2015.10.16 ファストフードの原価

● 吉野家で,朝,納豆定食を食べると360円。ご飯と納豆と生卵と味付け海苔と漬物と薄い味噌汁。これ,原価はいくらになるんだろう。調理のための光熱水費を含めても80円にはならないんじゃないかなぁ。
 あとは,地代・家賃と人件費と設備費と利潤か。とはいえ,吉野家は赤字を出したりするんだから,利潤は知れている。

● 同じものを自分の家で食べれば,ま,100円もかけないで作れる。しかも,吉野家よりも美味しいものになるだろう。ご飯は炊きたてになるわけだから。
 何が言いたいのかというと,ちゃんと自分で作ったほうが旨いものを安く食べられますよ,ってことなんですけどね。

● それが面倒がってファストフード店ですませようとすると(ぼくは典型的にこちら側に属する人間),不味いうえに割高になる。
 忙しくて朝食を作っている暇がないという人もいるだろう。サービス産業がメインストリームになった今では,そういう人が増えているのかもしれない。サービス産業って,不規則勤務と長時間勤務がことの本質のようなものだから。

● 食事なんて餌でいいやと思うようになってしまう傾きもあるのじゃないか(ぼくは典型的にそちら側に属する人間)。
 産業界の都合が個人生活を破壊しているところがあるのかねぇ。ただし,産業界も外部環境の変化に必死に対応しようとした結果であって,悪気があってのことじゃないんだけどねぇ。

2015年10月16日金曜日

2015.10.15 イヤホンを物色

● スマホを使うようになって音楽を聴く時間が飛躍的に増えた。っていうか,それ以前はめったに聴かなかったといっていい。
 ガラケーでも一応聴くことはできたけれども,セッティングが面倒だったし,音質もちょっとどうかと思われるものだった。

● iPodにはもちろん惹かれるものがあったけど,持ち歩く器機を増やしたくないと思ったので,ガラケーですませてしまっていた。
 今考えると,もったいないことをしたと思いますけど。
 スマホで聴くのも同じかもしれませんよね。同じ携帯デジタルプレーヤーでも,専用機を用意したほうがいいのかもしれない。何でもかんでもスマホですませようとしないで。

● ともあれ。スマホは現在のが4台目になるけど,けっこう古いものだ。docomoのF-02Eだから。
 今どきのスマホはハイレゾ再生が普通になった。ハイレゾ再生するには,それに対応したイヤホンが必要になる。ぼくのF-02Eはもちろんハイレゾ再生には対応していないけれども,イヤホンは予め備えておいてもいいか,と。

● もうひとつ。ノイズキャンセリング機能も欲しいと思った。電車に乗ってるときや,外を歩きながら聴くことになるわけで,要は騒音に満ちているところで聴くことになるわけだから。
 静かな田舎に住んでいるのであまりその必要を感じることはなかったんだけど,それでも宇都宮に出た折などには,それを痛感することがあるわけでね。

● イヤホンは,ボーズ→オーディオ・テクニカ→パナソニック→ソニー→ソニー,と使ってきた。安いのもあれば少し高かったのもあるけれど,音質を問題にするのであれば,器機(プレーヤー)よりもイヤホンにこだわったほうが,体感に与える影響が大きいのではないか。

● 音楽を聴くことは,ぼくの生活の中でそれなりの位置を占めるようになっているので,イヤホンはおごってもいいのじゃないかと思う。
 スマホを買い換えるのはままならないけれども,イヤホンなら買えるしね。

● ハイレゾとノイズキャンセリングの両方に対応しているイヤホンになると,価格は2万円超になる。その効用からすれば高いとは思わないけれど,ソニーのWALKMANを買うとそのイヤホンが付属してきたりする。
 機能を備えているだけでいいなら安く作れるのだろう。が,イヤホンに関しては,安さに走らないほうがいいというのが経験則の教えるところ。

● 結局,この日は見るだけにしたんだけど,近いうちにメーカーを決めて買うことにしよう。

2015.10.14 眠れない,だけど寝ている

● どういうわけか寝付かれないことがある。まんじりともしないで夜が明ける。
 でも,意識がないだけで実際には眠っている。眠りに落ちる前の記憶が,醒めたあとの記憶にダイレクトにつながってしまうから,寝ていないと思っているだけだ。

● それは睡眠ログを取るアプリを使ってみると明確になる。アプリが間違っているのだと言わない限りは,こんなに眠れていたのかと思うことになる。

● ただし,そういうときは熟睡から遠いのは確かで,次の日の夜はバターっと寝てしまうことになる。身体は正直なのだ。

2015.10.13 インスタントそば

● インスタントラーメンのお世話にはしばしばなっているけれど,インスタントそばはあまり食べない。昔から東洋水産の製品があった。“マルちゃんの天ぷらそば”っていうやつ。
 もちろん,カップならほかにもたくさんあるわけだけど,ここでは袋の話ね。

● ところが,東洋水産の“マルちゃん正麺”や日清の“ラ王”からもそばが出された。生の風合いというのがウリの製品だから,どちらも試してみたんだけど,これは乾麺をゆでたほうがいいかなという印象。
 乾麺をゆでるよりも手間がかからないのはメリットだし,つゆが同梱されているのもありがたいんだけど,うぅん,乾麺のほうがまだ腰がある感じ。あと,ぬめりを取るのも乾麺のほうが簡単っぽい。

● “マルちゃん正麺”に端を発する生麺ブーム(?)も落ち着いた。ぼく的には普通の即席麺のほうを購入することが多い。

2015.10.12 日本語教育能力検定試験

● 昔,外国で暮らしてみたいと思ったことがあった。高等遊民的に遊んで暮らせるわけではない。
 当時,バブルで日の出の勢いだった日本の求心力が強くて,日本語学習熱が各国で盛んになりつつあった。では,自分も彼の地で日本語教師をやりながら収入を得ればいいかなと考えた。

● で,日本語教育能力検定試験というのを受けてみた。一度目は,青山学院大学が試験会場だった。聴解がまったくできなくて,落ちた。
 数年後,再び受験した。駒場の東大が試験会場。一度目より悪い点数だったと思う。落ちた。

● 以後,外国で暮らしたいとも思わなくなり(結婚もしたし,子どもも生まれたし),日本語教師も感心の外に去った。
 ところが,ここに来て再チャレンジの意欲が少々だけれども湧いてきた。老後は外国で暮らすのもいいなと夢想することがあるようになった。

● 前2回はテキストなんかも読んでみたけれど(本の数冊だけど),試験に受かるだけなら過去問だけに絞ったほうがずっと効率がいい。たいていの資格試験は過去問だけで受かる(と思う)。
 凡人社から過去問が出版されているらしい。それだけを使って,三度目の挑戦をしてみようか。二度目から10年以上が経過しているのではあるけれど。

2015年10月15日木曜日

2015.10.11 育ちが悪い

● 育ちの悪さだけは修正が効かない。で,この「育ちの悪さ」というのは,実際の育ち方ではなくて,生まれ持った性格から来るようにも思われる。

● 育ちの悪さはどういう現象として顕現するか。次の二つだ。
 ひとつは,自分のこと(自分の家庭の話も含む)を語りすぎること。もうひとつは,人の噂話(ほとんどの場合,悪口)。
 始終喋っているやつがいる。そいつが喋る内容から上のふたつを除くと何も残らないのじゃないか,と思わせるやつがいる。

● これは悲惨である。聞かされるほうはもっと悲惨である。人を嫌っていれば同じ分量だけ人から嫌われているものだ。この法則には例外がない。
 その程度のことにも気づかないらしい愚鈍さが忌まわしい。

● 育ちの悪さだけは修正が効かない。ゆえに,こちらから遠ざかるしかない。遠ざかるべきだろう。大切な処世訓だ。

2015.10.10 何を遺せるのか

● いくらお金を遺しても,個人が遺せるお金なんて知れている。何らかの成果物を遺せれば。
 1冊の小説,1冊の詩集,1冊の画集。そういったもの。俳優が羨ましいのは,映像を遺せるところだ。

● そうした成果物は,これがなければ生きていけないという分野ではなく,遊びに属する領域で発生する。
 なぜなら,人が好きなのは衣食住など生活必需品ではなく,遊びだからだ。
 遊びをせんとや生れけむ,戯れせんとや生れけん,遊ぶ子供の声きけば,我が身さえこそ動がるれ・・・・・・。

● もっとも,何かを遺そう,遺したい,という発想が卑しいのかもしれない。たぶん,卑しいのだろう。
 それでも,何かを遺したいという思いが,人生の残り時間が少なくなるとともに,頭をもたげることがあるようになった。

● 今はネットがあるから,遺す場所は誰にでも与えられているんだけど,コンテンツは自分が作るしかない。誰にでもできるわけではないだろう。

2015.10.09 偉人≠人格者

● 野口英世が偉人のひとりであることは間違いないけれども,彼がいわゆる人格者であったとは考えにくい。
 で,それって,彼一人にとどまる話ではなくて,たいていの偉人は人格者ではなかったろうと思う。

● ニュートンにしても,ナポレオンにしても,モーツァルトにしても,エジソンにしても,どちらかといえば性格には破綻があったのではないか。
 そのことが常人ではなしえない業績を作りあげる原動力の大きな一つであったのだろう。

● ゆえに,人格者をめざしてしまうことは,偉人的業績を上げることから遠ざかることでもありそうですな。
 ま,最も多い層は,非凡でも人格者でもない人たちなわけだけど。当然,ぼくもその層に属する一人だ。

● 人はどう生きれば幸せになれるのか。何をもって幸せとするか,そこが人によって違うとすれば,生き方も人の数だけあることになる。つまり,解はない。
 何をもって幸せとするかに差異がないとしても,それを目指す目指し方には種々様々な方法論があるだろうから,やはり生き方は人の数だけあることになる。

● この年(野口英世が死んだときの年齢を上回っている)になってしまっては,それを考えても遅いか。こういうふうにしか生きられなかったのだと,今では思っている。

2015年10月8日木曜日

2015.10.08 野口英世の油彩画

● というわけで,野口英世が描いた「メリー夫人肖像」の絵はがきをデスクに置いて眺めている。
 あれだけの仕事をしながら,こういう絵も描いていたのか。凄いヤツだなぁと感心するね。医者(医学者)としての仕事がイヤで,絵描きに逃げたってわけじゃないんだからね。

● 上昇志向が強くて,妙に図々しいところもあった人だと思うんですよ。放蕩癖があって(父親の遺伝だろうか),策士でもあったようだ。人にたかるのに遠慮しない性格だったようだし,人を利用するのに躊躇しなかったようにも見える。
 最後は危険を承知で黄熱病が猖獗を極めている中央アフリカに渡って,いわば殉職したわけだけど,それも「義を見て為ざるは勇なきなり」と考えた結果ではなく,「名誉のためなら危ない橋でも渡る」性格ゆえのように思われる。

● 要するに,人格者というにはほど遠い。しかし,残した仕事は,現在では否定されているものも含めて膨大だ。
 質の高い仕事をする人は量をこなすものだという典型的な例ではないか。それを支えたものは不眠不休を厭わない馬力だったのだろうが,その馬力はどこから来ていたのかといえば,人格者には遠い偏った性格にあったのかもしれない。

● 彼の趣味は絵だけではなかったらしい。囲碁や将棋もよくしたようだし,何より「女遊び」には目がなかった。
 というようなことを思いながら,彼の油彩画を眺めている。それでここまでの絵を描くんだから,彼は並みの人ではなかったのだ。

2015年10月7日水曜日

2015.10.07 野口英世記念館

● 恵隆寺のあと,野口英世記念館にも立ち寄った。記憶はかなり朧なんだけど,中学生の修学旅行で一度来ているかもしれない。そのときはもちろん,こんな立派な記念館はなくて,生家を見ただけだったのだと思う。
 その後も,16,7年前に来ている。

● 野口英世の伝記をぼくも児童か生徒だった頃に読んだことがある。母親がひとりで貧困に耐えて英世を育てたというイメージを持っていたんだけど,彼の生家は当時とすればかなり立派なものだったと思われる。座敷まであるんだから。
 ただ,旧五十嵐家住宅もそうなんだけど,冬は寒かったろう。農耕用に馬を飼っていたから,馬の体温も熱源になっていたのか。あるいは,昔の人は寒さに強かったんだろうか。

● 今回,注目したのは英世の絵画だ。油彩をいくつも残している。記念館のミュージアムショップで何枚か彼の油彩を絵はがきにしたものを買ってみた。
 風景画は素人にしてはだいぶ巧いじゃないかという域を出ていないのかもしれないけれども,メリー夫人を描いた肖像画はこちらに迫ってくるものがある。インパクトがある。
 夫人はネイティブ・アメリカンの血を引いていたんですかね。豊満で気が強そうに思える(気の弱い女なんているのかどうか知らないけど)。

● 原色を大胆に使っている。この絵に出会えただけでも,ここに来た甲斐があったかもしれない。

2015年10月6日火曜日

2015.10.06 会津料理

● その日,昼食は若松の「渋川問屋」というところで食べた。築120年は経っているという建物だった。宴会はもちろん,宿泊もできるようだ。
 けっこうなお値段になるのかもしれないけれども。

● だいぶ前に「鶴井筒」に行ったことがある。会津の郷土料理は保存食が多いことは知っていた。ニシンが多いこともね。保存食だから不味いということはない。滋養がある。健康食でもあるだろう。
 が,鮮度にインパクトを求めるのが今風か。

● 会津の人たちも地元の郷土料理を食べることは滅多にないだろう。そこはどこでも同じだ。ハンバーガーや牛丼を食べているのだ。

● でも,東北や北陸に行って羨ましいと思うのが,余所から来た人を案内できる郷土料理店があることだ。栃木にはあるのかな,郷土料理。
 いきなり「しもつかれ」に行ってしまいそうだ。「しもつかれ」はよそゆきの料理ではない。基本的に廃物利用だ。廃物利用だから不味いと限った話ではないにしても,やはりよそ様に食べさせるには躊躇するところがある。

● 要するにないんですよね,栃木には。郷土料理って。
 海がないのが効いてますかねぇ。それを言うなら会津にも海はないわけだけど。食に関しては,栃木は昔から貧しかったのかなぁと思うことがある。
 食文化などというと大げさになる。要は,栃木県人は昔からあまり旨いものは食べてこなかったのではないかと思うだけだ。

2015.10.05 会津板下町に行ってきた

● 郡山ジャンクションで東北道から磐越道に入ると,山並みの緑が目に染みる。山は荒れているのかもしれないけれど。
 山の中腹に小さいお堂があった。修験者がいたんだろうね。

● 恵隆寺(立木観音)と旧五十嵐家住宅。どちらも見るに値するものだったというか,来てよかったと思った。
 立木観音では何軒か土産品の販売店があって,オバサンたちが多くはない観光客を相手に,のんびり商売をしていた。

● このあたり,会津板下町。水田が広がる。農業が生産の大部分を占めていた時代,このあたりは日本有数の賑わいを見せていたのかもしれない。
 明治維新当時,日本で最大の人口を誇っていたのは江戸でも大阪でもなく,新潟県だったと聞いたことがある。
 ともあれ。会津板下,歴史の堆積を感じさせる落ち着きのある町だった。

● 冬は雪におおわれるのだろう。ここに自分は住めるだろうかと考えた。若松がぼくにとっての宇都宮,郡山が東京にあたるだろうか。
 だとすると,コンサートを聴く機会も激減しそうだ。

● となると,住めないという結論。
 ただし,都会でしか味わえないようなコンサートなんてものは薄っぺらい,吹けば飛ぶようなものにすぎないのかもしれないけれど。もっとドッシリとした何かが,こういう町にはあるのかもしれないけれど。

● 逆に,コンサートを聴きたいからというだけの理由で,都市に引っ越す人もいるかもしれない。
 多くの人はすでに都市に住んでいる。かといって,こういうところを朽ちさせていいのか。が,時代はそういうセンチメンタルを越えて進む。

2015年10月5日月曜日

2015.10.04 「休日おでかけパス」を使ってみた

● 東京に行く用事があったので,「休日おでかけパス」を使ってみた。自治医大駅まで行かないと買えないので,1本早い電車に乗って,自治医大駅で下車。自動券売機で購入。

● この近くに自治医大がある。附属病院には何度も行っているけれども,いつも車だった。ので,この駅で降りるのは今回が初めて。
 駅前を少し歩いてみようかと思った。けど,かなり殺風景。もともと平地林だったんですかね。そこを切り開いたんだと思うんですよ。中層アパートが一棟あって,タリーズとTSUTAYA。チェーンの居酒屋がいくつか。賑わいのない駅前だ。
 4号を越えると自治医大の周囲にマンションが建ち並んでいるんだけど(それはそれで殺風景?),駅前からはそれも見えない。
 さっさと駅構内に舞い戻った。

● で,「休日おでかけパス」。結果からいうと,ひじょうに便利だと思えた。自動改札機を使えるのはじつにありがたかった。人と関わらないですむというのは安楽なものだなと思った。
 用事があったのは錦糸町だったんだけど,前後に上野と東京で下車した。心おきなく下車できる。

● 「休日おでかけパス」を使うと都内での行動範囲が広がる。せっかく乗降自由なんだから,そちこち行って元を取ろうとケチ根性が蠢くんですな。
 帰りは宇都宮まで乗り越して,自動精算機で精算できる。

● ピンポイントで帰ってきても,わが家から東京までは4,360円かかるところ,「休日おでかけパス」をかませると3,790円。
 そのうえ,都内でいちいち券売機に並ぶ必要がなくなるんだから,効果は大きいんでした。その分,運転本数が多いとはいえない宇都宮線でいったん下車しなければならないわけだ。お忙氏にはヤッテランネーヨとなるかも。

2015年10月3日土曜日

2015.10.03 職業人としては失格だった

● が,就職してからはぼくは明らかに落第生だ。なぜかといえば,仕事を理解する以前に仕事を見切ってしまったからだ。
 今ならこれ以上ないほどに愚かだったとわかるんだけど,当時はその判断を先鋭的というか,人が気づかないことに気づいたと思っていた。
 まったく救いがない。自分が気づくようなことに気づかない人がいるわけがない。そこを越えて行くと,違う風景が見えるのだということに気づかなかった。

● 最初のボタンのかけ違い。気づいたときには修正が効かないほどになっていた。
 したがって,仕事側のぼくに対する評価も低迷を極めた(それだけが理由ではないと思うけど)。

● 最初の7,8年ほどは仕事絡みの勉強もしていたんだけど,これもどうだったのか。仕事は仕事そのものを通じて深めるべきだったかもしれない。本を読んで絡め手から攻めるというのはどうだったか。
 しかし,その勉強もプツンとしなくなった。

● ま,ともかく,仕事に体重をかけることができなくなっていた。酒の付き合いは欠かさなかったけれども,職場の人間関係の構築・維持にもあまり(というか,ほとんど)意を用いなかった。転勤後に前の職場を訪ねることもしたことがない。
 なので,定年退職とともに濡れ落ち葉になる事態は避けられると思う。退職によって失う関係はほぼないから。

● けれど,職業人としてはまったくダメでしょ。したがって,評価もそれなりですよ,と。
 で,ここからが問題なんだけれども,この評価を吹っ切ることがなかなか難しい。吹っ切るためには,仕事ではない別の場所で社会的評価を得られるような成果物を出すことだという思いから逃れがたくなる。
 社会的評価というのは他人からの評価ということだ。他人に評価してもらえなければ,自分の立ち位置に安心することができないという,哀れ惨憺たる有様なわけだ。

● でもね,只今現在を溌剌と生きることが,それに勝る妙薬だってことはわかっている。
 完全燃焼で生きること。不完全燃焼感を残さないで生活すること。置かれている環境にかかわらず,今が楽しいと思えること。それができれば,じつに天下に敵なしといえるだろう。
 人生は目先の連続。ゆえに,目先良ければすべて良し。それは斜にかまえて肩をそびやかしながら思うことではなくて,完全燃焼するという意味合いで捉えてこそ。

2015年10月2日金曜日

2015.10.02 効率第一主義で功利的に生きてきたのではないか

● 自分は効率を人生の第一順位においてやってきたように思う。浪人,留年はしない。卒業したら遊んでいないでサッサと就職する。途中で転職するとたいてい損をするから,定年まで勤めあげる。
 それには成功したけれども(まだ途中なのもあるけど),そのラインを越えることができたら,今とは違った世界が見えたのかもしれない。

● 回り道を回避するように動いてきた。功利第一に生きてきた。回り道をしている人を見下すようなところもあったのじゃないか。いや,のじゃなくて,あったよ。
 つまらない人生を自ら望んで生きてきてしまったのかもしれない。

● ただ,わが家の家庭状況からすれば,浪人などできる余裕はなかった。留年もしかり。
 あと,ここが問題なのだけど,アルバイトをして自分の生活を支えるバイタリティはなかった。正確にいうとあったのかもしれないけれども,自分ではないと思っていた。
 アルバイトをする暇があるのなら勉強したほうがいいとも思っていた。アルバイトをしすぎて留年なんかするより,サッサと4年間で卒業して,ちゃんと就職したほうがトータルのコストは安くなる。社会人になればいやでも働かなくちゃいけないんだし。
 で,そのようにした。このあたりが,功利第一の所以だ。

● 功利第一に動くと,社会的に見栄えのいい職業に就くことを考える。自分のやりたいことよりも。あるいは,見栄えのいい職業に自分のやりたいことを擦り寄らせるような脳内作業をする。
 実際のところ,20歳を過ぎても,ぼくは自分がやりたいことが何なのかわからなかったんだけど。
 だから,就職もあまり迷うことなく決めた。が,自分が考えていた見栄えのいい職業ではなかった。半分,会社をバカにしながら就職した。もちろん,バカだったのは明らかに自分のほうだ。

● しかし,挫折感なんてのはなかった。功利だからね,その功利がガリガリではなかったのだろう。
 というといい感じに響くんだけども,要は何も考えてなかったから,功利を採用したってことなんだと思う。

2015年10月1日木曜日

2015.10.01 傍観者なら傍観者でいいから

● 内田 樹さんは『下流志向』で,“自分探し”にはまる人は自己評価と外部評価が一致しない人だと指摘している。自己評価に比して外部評価が低い人だ,と。
 だから今いるところを離れて,外部評価をリセットしようとするのが“自分探し”の正体だ,と。

● 説得力があるというより,事実を指摘しているだけだけれど,自分にもその性癖があることを認めざるを得ない。
 自分の思うような評価を外部から受けている人は少数だろうから,多くの人には“自分探し”に墜ちる素地があるといっていいだろう。

● こんなブログを書いているのもその現れかもしれない。少なくとも,仕事とは別の土俵を作りたいと思っているのは間違いない。
 ただし,ぼくのブログは何かを創作しているわけではない。傍観者として,音楽読書文具に接して,傍観者としての感想を書いているだけだ。
 自分で演奏するわけではないし,物語を紡ぐわけではないし,文具を開発するわけではない。自分以外の当事者がいることを前提にしている。

● ここが自分の場所なのか。そうだとすると,傍観者なら傍観者でいいから,もっと自身の肺腑を抉るような接し方をしなければいけない。
 それをしないで,ここが自分の居場所だと決めてしまうのは,ぬるま湯に浸って何もしないでいることが自分の人生だと決めることになってしまう。