● 読売新聞の記事。就任早々,顧客情報の流出が起きてしまって,顧客の減少が止まらず,それが理由の退任。
顧客情報の流出については,彼に責任はないはずだ。が,顧客減少に為す術なく(いろいろと手は打ったんだろうけど)2年を経過したことには,責任を問われたということ。
● アップル,マクドナルドと社長職を渡り歩き,ベネッセに移った。アップルでの業績を見込まれてマクドナルドに声をかけられ,マクドナルドでの業績を見込まれてベネッセに声をかけられたのだろう。
が,アップルやマクドナルドでの業績のどこまでが彼の功績に帰すべきものなのか。
● オーケストラの演奏は,その功罪は指揮者が負うべきものとされる。良くも悪くも指揮者の責任。実際,同じオーケストラでも指揮者が替わると演奏が変わると言われる。
同じ理屈を企業経営にあてはめていいのかどうか。企業経営において何が最善手なのか。外部環境によって大きく変わってくるだろう。ここはオーケストラとはまったく違うところだ。
● アップルやマクドナルドでは外部環境に恵まれただけなのかもしれない。彼の手腕がどうのこうのではなくて。
マクドナルドでは躓きのキッカケを作っての退任だったと記憶する。その後の長引くマクドナルドの不振は,彼の後を引き継いだCEOの責めに帰される。のだが,食い逃げの感を残したようにぼくは思う。
● この記事の中でもプロ経営者という言葉が出てくるんだけど,そんなものが成立するんだろうか。
プロ経営者ならば,情報流出によるものだろうが何だろうが,顧客減少を打開するか,できないまでも空気が変わってきたぞと従業員に思わせるところまでは,持っていけなければいけなかったはずだ。難事中の難事だろうけど。
● 結局,不振の原因が明らかになったときにそこに居合わせた責任者が辞めないと,仕切り直しの気が揃わないのだろうな。そういう国で,プロ経営者などというものが成立する余地は1ミリもないように思われるのだが。
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