2016年5月31日火曜日

2016.05.31 タブレットを作った人の喜びが見えるような新聞記事

● 今日の読売新聞の記事。
 ANAが,外国人や聴覚障害者の要望を確認するために,タブレットを客室乗務員に持たせるという内容。
 こういう紹介のされ方をされると,タブレットを開発した人たち,生産している人たちは,嬉しさひとしおだろうな。
 自分が関わった製品が,確実に誰かの役に立っていると思うことができる。

● 外国人だったら,客室乗務員が外国語を話せるようになればいい。高度なレベルで話せる必要はない。10カ国語やそこらだったら,対応可能じゃないかと思う。
 が,聴覚障害者には声が届かない。別の方法を考えなくてはならない。

● 従来は紙のボードで対応していたとある。こうした人たち,一般的ではない特殊な対応を必要とする人たち,に対して,航空会社やホテルでは,並みの福祉施設では想像がつかないほどの高度かつ適切な対応をしているものだ。
 間違いのないサービスを要求されるこうした業界では,そうであることを強制される。

● そうした高度なサービスを支える道具のひとつを自分たちが提供している,と考えることを許されるのは,技術者であっても営業マンであっても,仕事のモチベーションをかなり高めてくれるだろうな。

2016.05.29 竹芝桟橋に行ってみた

ジェットフェリー
● 伊豆諸島へのフェリーが出ているのが,ここ竹芝桟橋。伊豆諸島のいずれも,ぼくはまだ行ったことがない。ヨメとムスコは伊豆大島に行っているんだけどね。
 午前中に出航するのは,高速ジェットフェリー。大島に直行するのと,利島,新島,式根島,神津島と回る各駅停車(?)もある。

● このジェットフェリーは荷物の持込み制限がある。30㎏を超える荷物は持ちこめない。それ以下であっても,荷物持込みは有料となる。
 ぼくがもし伊豆諸島に行くとすれば,自転車を持ちこむことになる。自転車が30㎏を超えるなんてあり得ないけど,有料にはなるわけだね。

出港したジェットフェリー。あの中の人になりたいと思った
● ただ,分解してダンボールに詰めることは必要だろう。できれば,そんな面倒なことはしないで,ここまで自走して,そのままフェリーに積み込みたい。
 普通の大型フェリーなら,それが可能なのだろう。その大型フェリーの出航時刻は夜になるようだ。

● ほかに,ヘリコプター便がある。定員9名。青ヶ島など,揺れがひどくて船が港についても下船できないこともあると聞く。ヘリコプターなら,そういう事態を免れるのだろう。ただし,料金が問題だ。
 つらつら考えるに,島に住むのは経済的にはまるで合わないようだ。かなり高くつく。特に教育と医療をどうするかは,シリアスな問題になっているのだろう。

2016.05.29 ホテルの朝食は贅沢である

● インターコンチネンタル東京ベイのラウンジで朝食。昨夜の酒については,これが贅沢なのかと悶々としてしまった(?)けど,朝食に関してはこいつは贅沢だと思う。一点の曇りもなくそう思う。

● へぇ,朝食だと環境に負けないのかね? 負けているよ。
 ただし,環境にそぐわない振る舞いが少なくなったと思う。ビュッフェだと目が食べたがって,その目に抗することができない。で,ジュースだったらトマトジュースもオレンジジュースもグレープフルーツジュースもぜんぶ飲みたくなったりしたもんだ。
 そういうのに抑えが効くようになった。年のせいかもしれないけどね。

● そういういうことよりも,食事で贅沢だなぁと感じるのは,食器を何枚も使うことだ。自宅だとご飯のおかわりでも汁もののおかわりでも,同じ茶碗を使う。使う食器は限定的だ。そうじゃなかったら,後片付けがどうにもならなくなる。
 それがホテルだと,後片付けをしてくれる人がいる。食器を洗ってくれる人がいる(実際には食器洗い機が洗っているんだろうけどさ)。ので,いくらでも食器を使える。ここで,あぁ,オレ,贅沢してるわぁ,と感じることになる。

● こういうところでもワンプレート主義を貫くアメリカ人はすごい。ワンプレートですませるという彼らの流儀は筋金入りなんだな。
 って,この日,そういうアメリカ人を見かけたわけではないので,ここは過去の記憶をもとに書いてしまっているんだけど。

● ワンプレートですませる人=味オンチ,食器を何枚も使う人=食通,というわけではないだろうと思う。中国人も少ない食器ですませているという印象があってね。
 でも,彼らが食べているものは,かの中華料理だ。中華料理って,下々まで旨いっていうかね。満漢全席とチャーハンの差って,そんなにないものな。満漢全席など喰ったことはないけど,たぶんそうに違いない。

● ともあれ。ホテルの朝食は“ゆったりと”を第一に心がけると,贅沢感を味わいたいだけ味わえるように思う。

2016.05.28 雨夜の品定め

● べつに雨が降っていたわけではないけれど,ホテルのラウンジで酒を飲みながら,ヨメに質問をし,彼女がぼくに答える。つまり,品定めをしたのはヨメなんですけどね。

● 品定めの対象はラウンジに座っているお客さんたち。基本,カップルが多い。年齢はいろいろだ。結婚前の恋人たち,年を重ねてきた夫婦。
 で,女と子どもは窓際に座りたがる。要するに何て言うんだろ,窓際のテーブルにいるのは若いカップルが多いんだよね。

● で,窓際から品定めを始めることになる。あの子はどうだろ,かっこいいよね,とぼくがヨメに訊ねる。昨日,美容院に行っているかもしれない。カーディガンを羽織っている。
 ところが。ヨメは一蹴した。ダメだよ,って。背中が丸まってる,というわけだった。姿勢がね,と。

● しかし,それを言っちゃうとね。あちらのオジサンは両方の肘をテーブルにつけてるぞ。あれダメだよね。そうね,ダメね。
 あの彼氏,背の高い,あの彼も猫背だよねぇ。惜しいねぇ。そうね,惜しいわね。

● という感じで,姿勢を見ていくと,背筋がピンと伸びている人は,ほぼいないのだった。何がなし,安心するね。オレが特別なわけじゃないんだ,って。
 ただひとつ,うちのヨメは同じ視線を自分に向けることはないんだろうか。それだけが疑問として残った。

2016.05.28 ホテルで飲むのは贅沢なのか

● 竹芝のインターコンチネンタル東京ベイの20階にあるラウンジでハイボールを飲んだ。シーバスリーガルをハイボールにするとは贅沢だ。
 と考えてしまうのは,大昔の税制のうちにある程度まで歳を重ねてしまった人の繰り言だろうね。今どき,シーバスリーガルなんて2千円と少しで買えるのだ。サントリーのリザーブと同じ価格だ。

● そういえばと思いだすのは,オールドパーのことだ。珍重する人が多かったんだよね。ぼくは飲めるはずもなかったから,あれはやっぱりいいねという人の話を,やっかみ半分でバカにしながら,フンフンと聞いておったよ。
 今,オールドパーを珍重する人は皆無に近いのではないか。結局,ウィスキーではなくてウィスキーの価格を飲んでいたんだろうな。珍重の対象は,内容ではなく価格。そんなもんだろうよ。

● ということは,まぁ,どうでもいい。
 ホテルのラウンジで飲む酒は贅沢かと考えてしまってねぇ。
 鮭のマリネのようなオードブルもある。肉料理もある。茸の炒めものも旨い。ホテルクオリティーであることは間違いないと思う。
 風景もまた間近にレインボーブリッジを眺める夜景だ。田舎者にはそれだけですごいじゃんってなものだ。
 基本,セルフだけれども,折々に受けるスタッフのサービスもまたホテルクオリティーだ。

● 空間は贅沢きわまる。サービスも上質だ。
 が,いつもの居酒屋で飲むのに比べて,ここで飲むのは贅沢なのか。ここがじつはよくわからない。今,目の前にある料理は,居酒屋で出てくるモツ煮込みより旨いか。シーバスリーガルのハイボールは,いつも飲んでいるトリハイより旨いか。

● ここで飲んでいる自分はくつろげているか。今の環境を享受できているか。このあたりは,かなりわからないよね。いや,わからないんですよ。
 緊張しているような気がする。緊張しつつ酒を飲むって,お得意さんを接待してるんじゃないんだから。

● 結局,ホテルのラウンジで飲む酒は贅沢かという問題は,飲み手との相関で決まる。陳腐な結論だな。
 ぼくのような小心者は目の前のこの環境を贅沢にできない。つまり,環境に負けてしまっている。環境に負ける快感ってのもあるんだけどね。

2016.05.28 ひっさりぶりに新幹線に乗って感じたこと

● 東京へはわりと行く。仕事で出張なんてのはないので,もっぱらプライベート。で,行くときには,できるだけ「青春18きっぷ」が使える時期を狙ったり,自治医大駅で降りて「休日おでかけパス」を買ったりしている。
 つまり,在来線の鈍行または快速電車を利用している。

● その理由は明快すぎるほどに明快だ。安くあげたいから。
 したがって,時間が余計にかかるのは受け入れる。時間よりもお金が貴重みたいな。

● もう一点。車中はこれ以上はないといえるほど,読書に適した空間だ。読書が進む。できるだけ長く乗っていたいと思うくらいだ。

● 快速ならば宇都宮から東京まで1時間半。新幹線だと50分。その差の40分を,ではどう使っているのか。新幹線の常用者にお訊きしたい。

● ところが,この日は午後から急に東京に行くことになった。宇都宮に着いたのは午後4時に近かった。
 新幹線で行くことにした。各駅停車の「なすの278号」。それでも在来線に比べれば段違いの快適さ(座れれば)。そして,速い。

● で,思った。新幹線にいつも乗っている人と,ぼくのようにお金をケチって在来線にしか乗らない人とでは,時間感覚が異なってくるかもしれないな,と。
 もう30分しかない,間に合わない,と思って諦めてしまうのは,在来線にしか乗らない人。新幹線の高速移動に慣れている人ならば,まだ30分もあるのか,まだまだやれるじゃないか,と思う。

● かどうかは知らないけれども,時間感覚が研ぎ澄まされるのは,高速移動が身に染みている人じゃないかな。
 これが飛行機で国内や海外を飛び回っている人は,ぼくなんかとは世界が違っているはずだ。同じ時間でできると考えることが,まるで違うのじゃないか。

● ということはつまり,高速で移動する人とのんびり移動する人とでは,結果において人生の持ち時間に大差が生じるということではあるまいか。
 のんびり移動している人は,トータルで大損をこくことになる?

2016.05.28 ユニクロの感謝祭

● ユニクロが毎年5月と11月に開催するセール。ユニクロさくら店に行ってみた。たいへんなお客さん。
 なんか,ユニクロ=安い,っていうイメージは以前に比べるとだいぶ薄くなっているように思う。

● ユニクロってここ2年くらい,それまでやっていた特定商品の値引き販売をやめてたし,価格じたいを上げてきてた。そういう印象がある。
 お客さんは残酷なほど正直で,店内が閑散とするようになった。それでも利益は上がっているんだから,素人の印象と経営状況はリンクしないんだろうな。

● ところが,ここ数日は感謝祭。以前に戻って,かなりの賑わい。ぼくも半袖Tシャツを何枚かお買いあげ。
 重ねていうと,お客さんは残酷なほど正直だ。そして滑稽なほどゲンキンだ。

● ユニクロの品質はあまねく知られている。知られているから,価格反応性が高くなるのか。安けりゃこの際,まとめて買っておこう,となるのかね。
 なるんだね。少なくとも,ぼくはそうだね。

2016.05.28 さっそく,ヤフオクでSONYのXperia Z5に入札

● とりあえず,Compactではなくて,Premiumに入札してみた。もちろん,SIMフリー版。
 が,最高額入札者でいたのはほんの短い時間にとどまった。落札価格は7万円に近くなるようだ。

● っていうか,本気で落としに行っていない。今使っているF-02Eがまだまだ使えるし。バッテリー交換を3回もしているので,愛着もある。
 音楽のハイレゾ再生には対応していないけどね。

● ところで,auのXperia Z5をSIMフリー化したものも出ているんだけど,これにOCNのSIMを挿して使うことはできるんだろうか。通信方式が違うんだから,できないっぽいね。
 でも,通信方式が違うからauはiPhoneを導入できないって言われてたんだよね。どうなんだろうか。ま,どっちでもいいんだけどね。

● 誰か,くれる人はいないかねぇ。おれ,たくさん持ってるから,ひとつおまえにやるよ,ってさ。

2016年5月27日金曜日

2016.05.27 ワンセグが要らなくなると,自由度が高まる

● ぼくは情報難民なのか。SONYのXperia Z5 CompactにSIMフリー版があることを知らなかったんですよ。価格は47,000円くらいまで落ちてきたらしい。
 それなら,買いじゃないですか。

● って,これ,海外版のことですかね。それなら知っていたよ。だったら,Compactに限らず,PremiumにだってSIMフリー版はあるね。
 海外版となると,オサイフやワンセグはないのだろうね。

● でね,今は日本仕様のスマホ(docomo)をOCNのSIMで使っているんだけど,もうワンセグは要らないかなと思うんですよ。
 ここ2年ほどテレビはまったく見ていない。だからこそ,ふと見たくなったときに備えてスマホにワンセグはあったほうがいいかなと思ってたんだけど,もうその「ふと」もないようだ。

● ということになれば,次に買うスマホは日本仕様にこだわることもない。普通にSIMフリー版を買えばいい。
 最近では国内向けにもかなりの数のSIMフリー端末が出されているし,海外版をヤフオクなどで入手してもいい。

● 一気に選択肢が増えた感じがする。かつて煙草をやめたら不自由がだいぶ減った気がした。飛行機や電車の中で吸えないからという理由で乗る前に吸いダメしておく必要もなくなったし,喫煙所を探してウロウロする必要もなくなった。
 ワンセグをやめたら,同じようにグッと自由度が増した感じ。早い話が,docomoやauやSoftBankに縛られることがなくなるわけだから。

● ただし,スマホに求めたいことは2つある。ひとつは,バッテリーが長くもつこと。もうひとつは,音楽再生がハイレゾ対応であること。
 このふたつを満たすSIMフリー端末となると,Xperia Z5 Compact(の海外版)が候補の最右翼。

2016.05.27 伊勢志摩サミットのディナー

● 今日の下野新聞にメニューが載っていた。アワビ,伊勢エビ,松阪牛など,地元の人でも滅多には食べないであろう食材が並ぶ。
 でもあれだよね,これって一般大衆では絶対に手が出ないっていうものではないよね。

● 普通に仕事をして貯金して,しかも普段の生活を質素にすれば,1年に1回か2回は食べられるんじゃないかね。
 かつての絶対王政の時代のフランスのようなことはないやね。王様のルイ君が食べてるものを大衆が一生に一度でも食べられるかといえば,絶対的にノーだ。
 現代の日本ではそんなことはない。基本的にはいい時代に生きているんだと思う。

● いや,それはおまえの勘違いだよ。アワビでも伊勢エビでも松阪牛でも,ピンからキリまであってな。おまえが貯金した程度で食べられるのはキリのほうなんだよ。
 今回,各国首脳が食べたのはピンのほうなんで,一緒にしちゃダメなんだよ。
 
● というようなことはないと思うんでね。オバマとかキャメロンとかメルケルとか,さほどの美食家でもないだろうしね,たぶん。

2016.05.26 久しぶりに「ワカゾー」で飲む

● 先日も来たんだけど,休業日だった。火曜日が休業日になったようだ。同じ建物には他にもパブやワインバー(的なお店)があるんだけど,揃って火曜日が休業日。

● ここではポークステーキがぼくにとっての定番だ。中が見事なピンク色。豚肉も牛に劣らぬ旨さを持っているっていうのを,これで教えてもらった。
 量もたっぷりある。食べごたえ充分。これでハイボールだったら3杯は飲めるかな。

● キャベツを塩ダレで食べるのもそう。これは乙類焼酎に向くかもしれない。が,ハイボールでも何の問題もなし。

納豆オムレツ
● が,いつも同じでは進歩がない? 他にも多くの料理がメニューに並んでいるのだから,それも食べてみないとね。
 で,今回は納豆オムレツ。ふわふわのオムレツに納豆を載せ,そこにきざみ海苔と小口ネギを散らして,マヨネーズを。

● はい。旨かったっす。納豆とオムレツ。あるんだねぇ,この組合せ。オムレツっていうとケチャップがまず浮かんでくるけど,不味いケチャップはオムレツを壊す。
 単純に考えると,納豆+きざみ海苔+ネギ+マヨネーズ,と組合せが増えるほど,ミスマッチの確率も増える(その2乗で増えるんじゃないか)。きざみ海苔とネギはニュートラルだとしても,マヨネーズはどうか。ゆで卵にマヨネーズは子どもが大好きなものだけど,さらに納豆が加わるとなるとねぇ。

ソーセージ
● 次は,ソーセージのぐるぐる巻き。はぁ,これも旨いんだわ。ハイボールがどんどん進む。勘定のこともあるので,あまり進まなくてもいいんだけどね。
 肉って加工したほうがいいのか,そのまま喰ったほうが旨いか。っていう単純比較は知恵のない人間が考えそうなことだな。

● でも,そこをあえて比較してみると,加工が適切ならば手間をかけた分,旨くなるような気がする。が,自信はない。どうなんだろうなぁ。
 ぼくは適切に加工された食肉を食べた経験がほぼないと思うのでね。生ハムもコンビニ製品しか食べたことがない。あれは生ハムなんだろうか。

2016.05.23 「登竜」で飲む 6回目

安ウィスキーの水割りでありんす
● またも月曜日。「登竜」に寄ってしまった。
 今回は肉野菜炒めでなく,別なので飲んでみたい。飲むのは同じだ。安ウィスキー「富士山麓」の水割りだ。なぜなら,これが一番安いから。

● で,何を注文したかといえば,ガクッと力が抜けてしまうのだけども,レバニラ炒め。いたって普通のレバニラ炒めだ。ニラ,モヤシ,ニンジンの細切り,豚のレバー。
 レバニラ炒めにしろ,肉野菜炒めにしろ,いたって普通のこの味が,大衆の支持を得ているんだろうね。普通だから旨いっていうか,もともと旨いものの普通なんだから旨いに決まっているっていうか。

レバニラ炒めでごわす
● レバニラ炒めも量が多い。一人で来るのは王道を外している。それは前回も感じたこと。だけど,ぼくにはこういうところで一緒に来る相手がいない。
 かつ,量が多くても,水割り2杯でちょうどなくなるくらいに,ぼくはガツガツ喰うので,量を持てあますことはない。何品も取ることができないっていうだけ。
 いろいろ食べてみたいという向きは,何がなんでも数人で来ることだねぇ。

● 基本的に「登竜」は食べるところだ。だから飲むのはもういいけれども,食べるのはこれで終わりにするわけにはいかない。
 麺を喰わねば。さて,何にしようか。前回はとんこつしょう油ラーメンだった。これはこういうものかとわかった。際物ではないけれども,前回で気がすんでいる。

しょう油ラーメンでおじゃる
● 気になるのは季節限定のざるラーメンだ。「登竜」の麺を味わうには格好の食べ方のようにも思える。麺を味わうなら,ざる蕎麦のように汁につけてすすりこむのが一番じゃないか。
 というようなことを考えながら,結局はしょう油ラーメンにした。王者の風格に抗しきれなかったといいますか。

● しめて2,122円。腹がパンパンになってしまった。だけれども,また食べに来るに決まっている。

2016.05.22 吉野家に2日連続で

牛丼+生卵
● 21日は牛丼(並)+生卵。
 つい最近まで,吉野家では牛ネギ玉丼しか頼まなかった。そこからネギを抜いただけなんだけどね。

● 牛(豚)丼に唐辛子をふる。卵に醤油をほんの少し加える。卵をよくかき混ぜる。かき混ぜたら丼にかけて,さらによくかき混ぜる。
 よくかき混ぜたら,ガッガと食べる。

● 旨い。これは完全にひとつのご馳走たり得る。
 直接には,成毛眞『これが「買い」だ』に教えてもらったんだけど,うむ,これは貴重な情報だった。成毛さん,よくぞ教えてくれた。

牛ネギ玉丼
● で,22日は牛ネギ玉丼を再び食べてみた。ネギについてくるタレが味を壊してしまう。これをずっと食べてきたのかと,不思議な気がするほどだ。
 今月の1日に「一度やったら気がすんだ。次はネギ玉丼に戻そうと思う」なぞと書いているんだけど,いやいや,逆の結果になってしまった。

こんなふうにして食べる
● 卵かけ丼は牛丼でも豚丼でも旨いんだけど,どちらかといえば牛丼を推奨。440円はお得感あり。生卵を省くと380円になるわけだけど,60円追加すべし。

2016.05.21 ブログ,Twitter,Facebookの違い 2

● ネットを何のために使うのか。大きくザックリ言えば,2つしかないと思う。
 ひとつは,情報の収集。情報の中にはエンタテインメント的な情報も含む。スマホをネットにつないでゲームに興じるのも情報収集に含まれる。YouTubeで動画を見たり音楽を聴くのも,同じだ。

● もうひとつは,他との交流だ。コミュニケーションというやつ。
 普通に雑談をする。一方的に自分の意見を述べる。あるいは,人を騙すというコミュニケーションもある(それをコミュニケーションと呼ぶのかどうかは,言葉の問題)。
 リアルにあることはネットにもある。

● ので,ネットを使っている場合(ほとんどの人は使っているわけだが),情報収集にどのくらい(さらに,そのうちエンタテインメント系にどのくらい),コミュニケーションにどのくらい(交流か一方通行か)使っているかをチェックすると,自分のネットの使い方がどうなのか把握しやすくなると思う。

● ブログは基本的に一方通行型の交流ツールだ。言いたいことを言う。読みたいやつが勝手に読んでくれればいい。
 コメントやトラックバックはあるけれど,ここで行われる交流は「どうもどうも」「今日は良いお天気で」「ご精がでますなぁ」という以上のものになることはあまりない(たまにはある)。

● Twitterも一方通行型だ。基本的に不特定多数が相手だからだ。この点ではブログと同じだ。クローズドの世界でやりとりする設定ももちろんできるんだろうけど,ブログやTwitterでそれをやっている人はあまりいないのじゃないか。
 Twitterの醍醐味のひとつは,大海に出るところにあると思う。

● Twitterはまた情報収集のツールとしても便利に使える。自分が気になる人をフォローしてその人の発言を読んでいくことができる。フォローしている人の数が一定数を超えると,Twitterだけでスポーツ,芸能界,政治,経済,国際など,ニュースはほぼ知ることができる。しかも,自分の気になる人の解説付きで。
 ただ,気になるからフォローしているわけだから,自分の「気になる」から離れていく広がりは初めから内包されていない。

● Facebookは相互交流に向いたツールだ。Facebookの投稿も基本的にはフローで流れていくが,流れる速度はTwitterほど速くはない。
 相互交流に向いたツールではあるけれどリアルの交流のようなインパクトはない。あたりまえの話で,Facebookで使える交流手段は文字と写真(動画も含む)に限られるからだ。
 リアルでは顔色や声質の変化を感じることができる。空気の震えや場の雰囲気を味わいながらのやりとりになる。現場の臨場感がある。Facebookにそれはない。

● Facebookユーザーの多くは3桁の“友だち”がいるようだ。が,実際に交流を維持できるのはその中の一部だろう。
 結婚式の披露宴に何百人と呼んだところで,新郎なり新婦が実際に交際できる範囲は自ずと限られる。山の賑わいとしての数だとすれば,Facebookの“友だち”もまた同じ。

● Facebookは基本的に閉じられた世界での交流になる(のだと思う)。世界を閉じないと交流は生まれないのかもしれない。

2016.05.20 ブログ,Twitter,Facebookの違い

● きわめて初歩的な整理。
 ブログの特徴はストック性にある。だんだんエントリーが溜まってアーカイブ化していく。
 対して,Twitterはフローの代表だ。ツイートの寿命は極端に短い。できては消える泡のようなものだ。その代わり,伝播性は最もある。

● Facebookは情報伝達より交流のためのツールだ。が,ていねいに作っていけば,良質な日記にもなるのじゃないか。
 紙の日記は文字だけになるけれども,Facebookは写真を付けるのが普通だから,文字だけでは残しようのないものも残すことができる。
 おしなべて,デジタルは写真が好きだ。文字も音声も画像もまったく同じように処理できるわけだから,デジタルではこれらの区別はない。

● ぼくはまずブログからデジタルの世界に入ったわけだけど,ほとんど文字だけでやってきた。大昔,画像はデータ容量が大きくて表示するのに時間がかかった。その状況から意外に自由になれないでいたのかもねぇ。
 今でもブログは基本的にそうだ。が,Twitterを始める前に比べれば,写真が増えていることも確かだ。

● 写真を使うと文字だけでは残せないものを残せるわけだが,じつのところ,文字で残せないようなものは残す必要がないものであることが多い。写真を多用するTwitter,Facebookでは,実質情報量はさほど盛りこめないのかもしれない。そういうものがネット上に大量に蓄積されることになる。
 しかし,そのことと自身の満足感は別であって,そうした瑣末なものが残って溜まっていくのは,なぜだかとても嬉しいし,安心感がある。

● ブログ,Twitter,Facebookを併用する場合,同じネタをTwitter→Facebook→ブログと使い回せるといい。まったく同じにものを3つにアップするのではなく,仕上がりは変えなければならないが。
 同じように,せっかく撮った写真なのだから,写真もTwitter→Facebook→ブログと使い回せればいい。同じネタを使い回せば,自ずとそうなるわけだが。

● このようにして,益体もない情報が大量に加速度的に増殖していくことになる。

2016.05.19 スマホのATOKは賢くない

● 昔,FEPと呼ばれた“かな漢字変換”ソフト。やはりATOKだよね,ってことになると思う。ATOKが付いてくるから,ワープロソフトは一太郎を買うっていう人が,かつてはいたと思う。かく申すぼくがそうだった。

● 今はATOKを単体で買って,ATOKでワードを使っている。ま,ワードに限らず,日本語入力はすべてATOKのお世話になっている。
 今は,Google日本語入力を使っている人が多いんだろうか。無料だし。

● ともあれ。パソコン用のATOKはきわめて優秀。ピッタリと変換してくれるのももちろんだけど,痒いところに手が届くような配慮がある。郵便番号から住所を出すなどというのは,序の口だもんね。よくもまぁ,こんなところまで,と感嘆することしきり。

● しかし。スマートフォン用のATOKにパソコン用と同様の賢さを期待すると,裏切られますな。当然ちゃ当然。使えるメモリもまるで違うんだろうから。
 ぼくのスマホはATOKがデフォルトですよっていうのが売りのひとつで,それに惹かれて購入した部分もある。

● でも,さほどに賢いという感じは受けないんですよね。かつてのWinCE機のATOKもそうだったな。おまえ,ほんとにATOKかよと思ったものだ。
 スマホのATOKも融通が利かないんだよね。仕方がないんだけどね。律儀に単文節ごとに変換していくしかないですよね。

2016年5月21日土曜日

2016.05.18 短期間で伸びた人が長くその水準を保つ

● 日本将棋連盟の谷川浩司会長。今はB1にいるけれども,長くA級にとどまった。かつてタイトル戦を戦った同世代の棋士は,とっくにB2だのC1に墜ちていた。
 猛スピードで駆けあがり,21歳で史上最年少の名人になった。そういう人が長くピークを保つようだ。

● これ,ブログのPVもそうだね。アップしてから短期間でどっとPVがついたエントリーほど,息長く読んでもらえる。それが今までの経験則だ。
 爆発力が大きいほど,寿命も長い。太く短く,細く長く,というのはない。太くて長いか,細くて短いか,どちらかだ。

● ぼくのブログはあまり読まれない,凡百きわまるブログのひとつだけれども,それでもほんのときたま,PVが2,000を超えるエントリーが産まれることがある(たった2,000かよ,ってのはなし)。
 それは必ず上記のパターンを辿っている。

● 問題は,どうすればそういうエントリーを産むことができるのかっていう,そこのところの公式は存在しないようだってこと。
 これはもう,事前にはまるでわからない。

2016.05.17 「はま寿司」で飲む 3回目

● 飲んでばかりだな。この日は「はま寿司」のさくら店。マグロの刺身とあともう一品取って,ハイボールを2杯か3杯飲んで,寿司を喰って帰ろうと思った。

● まずは,その刺身で角ハイを1杯飲んだ。が,もう一品(たこ焼きを注文した)のほうがなかなか届かなかったので,飲むのは1杯でやめ,食べるほうに移ってしまった。

● 回転寿司の魅力っていうのは2つあって,ひとつは価格が安いこと。もうひとつは,敷居が低いことだ。
 が,それは食べる場合の話であって,飲むとなると少し話が違ってくる。アルコール関連はさほどに安いわけではない。普通の居酒屋でも実質で回転寿司店で飲むより安いところがあるかもしれない。
 サイドメニューで儲けるような仕組みになっているっていうか,そうじゃないと経営的に厳しくなるんだろうな。

● ということなので,回転寿司店で飲むのはこれで打ちどめにしようと思う。
 寿司は寿司であってそれなりに旨いんだけど,なぜか唐突に回転寿司はもういいかなぁと思った。
 まさかもう回転寿司店に行かないということはあり得ないので,しばらくすればこの店でパクパク食べているんだろうけどね。

2016年5月20日金曜日

2016.05.16 「登竜」で飲む 5回目

● 前回は9日,その前は2日。どうも月曜日は「登竜」の日になりつつあるような。もちろん,そんな必然性は何もないのだが。
 「登竜」の肉野菜炒めで水割りを飲みたい。何をするわけでもないんだけど,月曜日はエネルギーを消耗する。帰りに元気をチャージしたくなる。

● という理屈をつけなくてもねぇ。要は,肉野菜炒めを喰いたいとふと思うわけで。ふと思ってしまったらもうそれは退けようがないわけで。
 で,肉野菜炒めを注文して,水割りをグビグビと。

● この肉野菜炒め,何せ量が多い。こういう店は一人じゃなくて数人で来て,何品かを取り分けて楽しむのが王道なのだろう。
 そこに一人で来ているのが間違い。ラーメンを食べるだけなら一人で全然OKなんだけど,飲むとなると一人はちょっとどうなんだろうな。

● といっても,ぼくは一人が好きだ。ご飯はみんなで食べたほうが美味しいというけれど,ぼくは一人で食べたほうが旨い。
 “みんなで食べたほうが美味しい”というのは,ホテルとかレストランとかで食べるのを想定した言葉だろうか。だとしたら,そんなところにぼくが出入りすることはない。

● 飲むのも一人が気楽だ。家での一人飲みも辞すところではないけれども,外で一人で飲むのは最高だ。
 そこが旨い料理を出す店なら,最高中の最高だ。というわけで「登竜」に来ているわけだが。

● ぼくは少しずつ多種類を食べたいという女性的嗜好はどうも持ちあわせていないようで,旨いものならそれだけあればいいと思うタイプだ。たくさん食べても飽きないというか。
 であるからして,この肉野菜炒めで水割りを2杯飲んだ。飲むのは,この程度でいい。

とんこつしょう油ラーメン
● さて,前回はこのあとにあり得ない注文をしてしまった。飲んだあとに食べるんだから,どうやったって麺に限るわけなんだけど(冬なら鍋の残りにご飯もあり),餃子定食って何んなんだよ。
 今回は,とんこつしょう油ラーメンにしてみた。とんこつといっても,博多ラーメンのようではない。そこは「登竜」のとんこつであって,とんこつよりもしょう油が勝る。
 うむ,やはり麺がいい。

2016.05.15 宇都宮大通りのラーメン屋

● その店でつけ麺を食べた。じつは,この店に入るのは,今日で3回目。1回目はつけ麺を食べ,2回目には普通の醤油ラーメンを食べた。
 で,今日,またつけ麺を食べてみた。

● というくらいだから,ぜんぜん不味くないんですよ。不味くないっていうか旨いんです。
 だけれども,たとえて言うと,電気掃除機できれいにした部屋のたたずまいなんですよね。きれいなんだけども,そのきれいさにエッジが立っていない。
 ここがたとえば,「みやこ家」とは違うところなんだな。

● 東京ではこうした店の店員はとっくに東洋系外国人になっている。宇都宮あたりもだんだんそうなってきた。
 この店も外国人だけになったようだ。もともと,店主も中国系あるいは韓国系の日本人かもしれない。

● こちらも意識を切り替えないといけない。日本人のサービスを受けられるところは縮小している。で,彼らの対応が日本人より明らかにダメだってことはない。
 マニュアル化が可能なのか。マニュアルを作って,それを基本に時々注意を与えれば,外国人でも日本式接待をそっくり真似ることができるのかもねぇ。

2016.05.14 数年ぶり? 烏山の「ステーキハウス クローバー」

「クローバー」外観
● 以前は,家族でよく行ったものだ。が,ここのところ,家族でご飯を食べること自体がめっきり減ってしまって,「クローバー」に限らず,家族でどこかに食べに行くことがなくなった。
 その理由はきわめて明快なんだけど,ここに書くことではない。

● この日は,その「クローバー」へ親子3人で出かけることができた。着いたのは11:30前だった。が,すでに駐車場はだいぶ埋まっていた。大型バスも1台停まっていた。
 で,長く待合室で過ごすことになった。団体での予約が複数あったようだ。でも,この待合室,けっこう快適に過ごすことができる。

サラダ
● というのは,各種雑誌のバックナンバーが揃っているからで,ぼくは古い自転車雑誌を2冊読んで時間をつぶせた。
 もっと待っていてもよかったくらいだけど,正午過ぎに名前を呼ばれた。

● テーブルについて,オーダー終了。ランチだから,迷うことはない。
 まず,サラダ。何の変哲もないこのサラダが旨い。理由のひとつはドレッシング。2種あるうちのグリーンドレッシングが,ぼく的にはお薦め。

メインの肉
● メインの肉とご飯。パンも旨いことは知っているけれども,ご飯がいい。米がね,いいんでしょうね。スルッと喰える。
 肉の部位は決していいところではないと思う。わが家ではモツステーキと呼んでいる。が,旨いんだ,これが。

● 最後にアイスクリーム。小さかった頃の息子はこのサクランボを好んでいた。そんなことを思いだした。
 コーヒーか紅茶かアイスクリームを選べる仕組みで,アイスクリームにすると熱いウーロン茶が付いてくる。このウーロン茶に至るまで手抜きはない。

アイスクリームとウーロン茶
● こちらが支払った金額以上のものを返してもらっている。そこはハッキリそう感じる。ので,可能ならば毎日でも行きたいが,いろいろと事情があって,こうまで空いてしまった。
 次はあまり空けないで行ければ。

● 最近は(最近でもないのか),焼肉とかしゃぶしゃぶとかの食べ放題の店がけっこうできて,肉好きにはありがたい。
 のだけれど,そういう店より「クローバー」でしっかり喰ったほうがいいな。酒は飲みづらいんだけどね。烏山駅からはどうしたってタクシーになってしまうから。

2016.05.13 能力についての一考察(?)

● ぼくの周りにもいわゆる優秀な人がいる。東大を卒業している人とかね。東大を出ていれば優秀なのか,学校の勉強ができたからといって社会人としても優秀なのか,と言われるかもしれないけれども,これについてはYesと答えておこう。
 そうじゃない場合もたぶんある。ただし,滅多にはない。だから,あると目立つ。

● でね,たとえば東大を卒業しているような人で,いい歳して一兵卒ってのもあるわけですよ。
 そういう人って,自身の能力を十全に発揮しているんだろうか。能力をあまさず外に出しているんだろうか。

● おそらく仕事では出していないんだろう。出しているんだったら,望む望まないにかかわらず,一兵卒ではいられないだろうからだ。
 では,仕事以外のところで出しているんだろうか。たとえば,雑誌や学会誌に論文を書く。たとえば,研究会を作って活動している,といった。

● そういうことをしていればむしろ安心なのだが,たんに仕事をやっているだけだと,能力が不良化したりはしないんだろうか。
 仕事だけでいっぱいいっぱいになっているわけではないはずだ。もしそうなら,数少ない例外ってことになるけれど。

● 能力って十全に発揮していないと(外に出していないと)中で腐ることがあるように思う。能力が目減りするという意味ではなくて,発揮されることのなかった能力が細菌のように悪さをする。
 そいういうことがあるんじゃなかろうか。

2016年5月19日木曜日

2016.05.12 ベネッセの原田会長兼社長,辞任

● 読売新聞の記事。就任早々,顧客情報の流出が起きてしまって,顧客の減少が止まらず,それが理由の退任。
 顧客情報の流出については,彼に責任はないはずだ。が,顧客減少に為す術なく(いろいろと手は打ったんだろうけど)2年を経過したことには,責任を問われたということ。

● アップル,マクドナルドと社長職を渡り歩き,ベネッセに移った。アップルでの業績を見込まれてマクドナルドに声をかけられ,マクドナルドでの業績を見込まれてベネッセに声をかけられたのだろう。
 が,アップルやマクドナルドでの業績のどこまでが彼の功績に帰すべきものなのか。

● オーケストラの演奏は,その功罪は指揮者が負うべきものとされる。良くも悪くも指揮者の責任。実際,同じオーケストラでも指揮者が替わると演奏が変わると言われる。
 同じ理屈を企業経営にあてはめていいのかどうか。企業経営において何が最善手なのか。外部環境によって大きく変わってくるだろう。ここはオーケストラとはまったく違うところだ。

● アップルやマクドナルドでは外部環境に恵まれただけなのかもしれない。彼の手腕がどうのこうのではなくて。
 マクドナルドでは躓きのキッカケを作っての退任だったと記憶する。その後の長引くマクドナルドの不振は,彼の後を引き継いだCEOの責めに帰される。のだが,食い逃げの感を残したようにぼくは思う。

● この記事の中でもプロ経営者という言葉が出てくるんだけど,そんなものが成立するんだろうか。
 プロ経営者ならば,情報流出によるものだろうが何だろうが,顧客減少を打開するか,できないまでも空気が変わってきたぞと従業員に思わせるところまでは,持っていけなければいけなかったはずだ。難事中の難事だろうけど。

● 結局,不振の原因が明らかになったときにそこに居合わせた責任者が辞めないと,仕切り直しの気が揃わないのだろうな。そういう国で,プロ経営者などというものが成立する余地は1ミリもないように思われるのだが。

2016.05.11 味噌汁かけごはん

● ネギと油揚があった(余っていた)ので,それを使い切るために味噌汁を作ってみたよ,と。けっこうな量になってしまうので,3日間は飲み続けなければならないね,と。

● ごはんに汁をかけて食べるのが,おしなべて好きなんだよね。永谷園のお茶づけ海苔もそうだし,丼モノもその延長だと思う。
 ぶっかけという語感で伝わってくるもの。それが好きだってことなんですが。宴会の最後にごはんと汁ものが出てくることがあると,ババッとごはんにかけてガーッと掻きこみたくなる。
 ごはんにかける汁ものが味噌汁であっても,それは同じ。

● どんなふうにして食べるのであっても,決め手はごはんだ。永谷園の海苔茶づけだからといって,炊きたてでないごはんでいいということにはならない。味噌汁をかけて食べるんだから,ごはんなって冷えていてもいいということにはならない。
 ごはんは炊きたてであること。そこさえクリアされていれば,おかずは味噌汁のみというのでも,ぼく的にはぜんぜんOKだ。

● 逆に,10品を超える山海の珍味があっても,ごはんが炊きたてでなかったら,ちゃぶ台をひっくり返すという挙に出ようかと考える(考えるだけ)。
 ま,その場合は,ごはんじゃなくて酒にすればいいだけなんだけどね。

2016年5月11日水曜日

2016.05.10 味噌汁を作って自分の耄碌に気がついた

● ひっさしぶりに味噌汁を作ってみた。冷蔵庫にネギと油揚があって,しかもそろそろ消費期限が切れそうだ。一気に使ってしまうには味噌汁にするのがいい。
 でもって,ネギと油揚の具だくさんの味噌汁を作ってみた。もちろん,味噌は濃いめである。薄味の味噌汁など味噌汁のうちに入らない。

● べつに難しいものじゃないから,すぐにできた。けっこうな量になってしまうので,今日から3日間はもつだろう。

● 飲んでみるとなかなか旨い。お,充分じゃん,なかなかいいぞ,オレ。
 ところが,味にどうもシックリこないところがある。なんでだ? わかった。ダシだ。ダシが足りない。

● あたりまえだ。ダシをとっていなかった。カツ節も煮干しも入れていない。これじゃダシはでないわなぁ。
 で,どうしたかというと,「味の素」をパパパッと振りかけた。ずいぶんマシになった。

● ぼくの味覚はこんなもの。何だか情けなくなってきた? そんなことはない。こんなものでいいと思っている。

2016.05.10 神社で何かを祈る女子高生

● ぼくの前を歩いていた女子高生がいた。行き先はひとつしかない。駅だ。ぼくも駅に向かっている。
 その子が駅ではない方向に曲がった。その先には小さな神社がある。

● 彼女がその社の前で手を合わせて何かを祈っていた。まさか,合格祈願ではないだろう。まだちょっと早い。
 自身の心身に辛い状況を抱えているんだろうか。家庭に問題があって悩んでいるんだろうか。

● 自分自身を考えても,高校の3年間はこれまでの人生で最も辛い,というか思うに任せない,時期だった。当時のぼくには神様に手を合わせるという発想は浮かばなかったけど,彼女も当時の自分と同じなのかとも思った。
 が,おそらくそうではないのだろうな。同じ悩みはないものな。ぼくにはぼくの,彼女には彼女の,固有の悩みがある。安易に共通項で括ってはいけないものがある。

● その彼女のたたずまいが美しかった。乙女とはこういうものだと思わせるものがあった。立ちどまってしげしげと眺めたわけではない。歩きながらチラッと見ただけだ。ひと目で充分だった。
 祈りには,それが現世利益を願うものであっても,カタルシス効果がある。彼女もそれで幾分なりともスッキリできれば,その分,自分で自分を救ったことになる。

2016.05.09 「登竜」で飲む 4回目

● 黄金週間が終わってしまった。終わってしまった黄金週間を惜しむように,帰りに「登竜」に寄った。
 まぁ,理由は何でもいいわけで,要は「登竜」で飲みたかったよ,と。

キャベツ盛り
● 前回,肉野菜炒めを頼んだらかなり旨かったので,また食べたいと思った。量がかなりある。これだけで,水割り2杯は軽く飲める。ま,野菜だから,がっつり喰ってもそうそう胃にもたれることもない。
 でも,今までに頼んだことのないのも注文してみたい。で,“キャベツ盛り”っていうのを頼んでみた。150円。
キャベツ盛りについてきたキムチ
 キャベツが盛られた皿とソースの皿と2つ。キャベツをソースにつけて喰うわけだけど,このソースは・・・・・・。キャベツの新しい食べ方,発見。
 小皿のキムチも付いてきたんだけど,これで150円でいいんだろうか。

● 肉野菜炒め。やっぱり旨い。ガツガツ喰う。これで水割りを2杯飲めた。予定どおりだ。キャベツ盛りに付いてきたキムチとツキダシで,3杯目の水割り。

肉野菜炒め。量多し。
● 〆をざるラーメンにするかトンコツ醤油ラーメンにするかで迷った。ざるラーメンは5~9月の期間限定だろう。冷えた中華麺を汁につけて食べるのも旨い。
 だけど,まだ食べたことのないトンコツ醤油ラーメンにも惹かれる。どっちにしようか。

餃子定食
● 結局,ありえない〆になった。餃子定食を注文しちゃったんだよぉ。なんでだ,オレ。おかしいだろ,これ。ご飯,半分残しちまったよ。
 この決定に至る経路は何なんだかな。自分でもまったくわからない。餃子でもう1杯飲みたいと思ったんだろうか。

● 以上で,2,073円。3杯目の水割りの勘定が付いていなかったっぽい。それをいちいち訂正するほど,ぼくは野暮じゃない。

2016.05.07 研究のテーマは現場にあり

● 東京経済大学の学生募集広告。中央線の車内にあったもの。
 見にくい写真なので,コピーを転載しておくと「ペット産業,都市農業,観光など「現場」から,研究はスタートします。」というもの。

● 大学って象牙の塔のイメージがあって,先生方も浮き世離れしている感じ。大学の教師だから務まっているんであって,これが企業や役所だったら3日で首になるか辞めるんじゃないか,と揶揄される人たち。
 ので,研究というのは現場から遠いものじゃないかと受けとめる。

● 特に哲学とか数学とかっていうのは。思弁の世界で。
 でも,いわゆる社会科学においては,現場からスタートするのだろう。現場じゃなかったら,どこからスタートするのか,という話だ。

● だから,企業でも役所でも現場で仕事をしている人は,研究テーマの宝庫にいるようなものなのだろう。
 が,ぼくはまったくテーマを発掘することができなかった。

● その理由をつらつらと考えてみる。
 文書になっているかいないかは別にして,その仕事の進め方に関する規範のようなものがあって,そのとおりにやることに汲々としていたからだろう。
 現場の中にいて,現場から規範を照らすという発想ができなかったような気がする。現場を規範に合わせようとしていた。
 現場の外側に現場を指導する規範があるという感覚。これは大学時代に持ってしまったものか。そこからついに自由になれなかった。

● これを敷衍していくと,自分の外側に自分を指導する規範があるという感覚になる。自分が規範を作るという発想にはどうやっても辿りつかない。
 小学生のときから規範は先生が与えてくれるもので,それは疑うべからざるものと思ってしまっていた。その水準をずっと越えることができないまま,人生の終盤まで来てしまったということか。

2016.05.07 蚕糸の森公園

● 高円寺の「蚕糸の森公園」に行く機会があった。名前の由来は,ここに「農商務省原蚕種製造所」があったこと。後に,蚕糸試験場がつくばに移転したので,跡地を公園にしたものらしい。

● 防災公園にもなっている。だから園内の樹木は防火樹林として植樹された。が,そんなことは基本どうでもよくて,気持ちよい樹木が目に優しい。眼福だ。
 このあたりは区画の細かい住宅地になっているので(地価がバカ高くなると,どうしたってこうなってしまうんだろう),この公園は貴重じゃなかろうか。

● あるいは,地元の人というより,よそからやってきている人が多いのかもしれない。チャリダーの憩いの場でもあるようだったから。
 この日は暖かくて天気が良かったので,公園のベンチに座ってボーッとするのは相当に気持ちが良かった。

● 何せ,歩道も渋滞するほどの人がいるのだ。そこをスポーツバイクで走っているやつもいる。車道を走れよ,車道を。
 その歩道からそれて公園内に入ると,パッと雰囲気が変わる。いいなぁ。

2016.05.05 宇都宮ララスクエア前の風景

● ふらんすへ行きたしと思へどもふらんすはあまりに遠し,というとき。このララスクエア2階入口前のベンチに腰をおろしてみる。
 ゆるやかな緑の樹木がパリのモンパルナスを思わせる。あたかもパリに来たような気分になれる・・・・・・なわけはない。

● どうしたって,田舎都市の鄙びた風景ではある。ベンチもけっこう湿気っている感じで,あまり座りたいと思わせるシロモノではない。
 しかも鳩がいる。座っていると鳩が寄ってくる。ここで飲食している人がいるんだろうな。ひょっとすると,餌代わりにパンをちぎって与えたりする人がいるのかもしれない。
 とてもじゃないけど,パリに来た気分どころの話ではない。

● ではあるんだけど,ここはわりと好きな場所のひとつだ。普通は通過するだけなんだけど,時折,ベンチに座ってボーッとする。
 ララスクエアで買いものをしたあと,ここに座って中身をゆっくり確認する。買ったのが筆記具であれば,ちょっと分解してまた元に戻してみる。スマホ用のイヤホンであれば,箱から出して長さを調節し,スマホにつないで少し音楽を聴いてみる。

● 樹木が日陰を作ってくれるので,夏は避暑地(?)になる。文庫本を2,3ページ読んでみる。トロトロと眠りたくなる。

2016.05.04 Twitterの使い方に変化

● Twitterでは約50人をフォローしている。ほかに,フォロー返しのフォローが80人ほど。かつては律儀にフォローを返していたんだけど,最近は放置を決めこんでいる。
 したがって,フォロワーは頭打ち。それでいいと思っている。

● フォローしている50人のツイートもあまり読まないようになった。時々,思いだしたように読む程度。律儀に読まなきゃというのは卒業。
 では何をしているのかといえば,もっぱら自分の意見や好みや出来事をツイートしている。人様のツイートは読まないんだから,自分のツイートも読まれないだろうねぇ。

● で,TwitterはSNSというよりは,ところかまわず自分の意見を垂れ流すためのツールのように思えてくる。そのためのツールとしてはTwitterはかなり秀逸なのではないか。
 一方,Facebookは特定の人との交流を継続,深化させるのに向いているように思われる。

● 垂れ流しに向いたTwitterには,瞬間性が強く感じられる。できては消える泡のようなもので,ツイート後,すぐに賞味期限が来て,消滅していく。
 たぶん,ツイートの賞味期限は15分くらいではないか。だから,Twitterには心やすく垂れ流すことができるのだ。

● その点,Facebookの投稿は長く残る感じがする。残るんだから,Twitterのようにところかまわず垂れ流してしまうと,自分のタイムラインが汚れる。
 ある程度は選んだうえで投稿しないといけない。TwitterとFacebookの切り分けを考えるときは,このあたりがポイントになるだろう。

● ってか,すでに多くの人はそのようにしているに違いない。少しやっていれば誰でもわかることだろうから。

2016年5月10日火曜日

2016.05.03 矢板駅の駅舎

● 写真のような駅舎なんですが。昔は,どの駅もこんなふうだった。平屋建ての瓦屋根。
 その何の変哲もない駅舎が,今では少なくなってしまった。

● 新幹線が通るようになったり(那須塩原駅),区画整理がなされて駅の東西を結ぶ通路が作られたり(氏家駅),無人駅になったり(烏山駅),駅自体が観光施設的になったり(真岡駅),いろんな理由があるんだろうけど,そうなると駅舎も建て替えられる。

● そうして,瓦屋根の平屋駅舎がどんどん少なくなっていく。矢板駅はその少なくなった駅舎のひとつだ。
 なんだか,ホッとするたたずまいだ。願わくば,この駅舎がずっとこの場所にあってくれるように。

● っていってもね,しょせんは部外者の感傷だ。JRや地元の事情が優先する。それでいい。
 ただね,かつてのような経済成長や都市開発はもうあり得ないんでしょ。人口も減っていく。現状の景観が今までよりは残りやすくなるんでしょうね。

2016.05.02 「登竜」で飲む 3回目

● 黄金週間の中日。というより,まだ残りが多い。その麗しい日の夜に,みたび「登竜」に寄ってみた。
 酒は前回と同じでウィスキーの水割り。これが一番安い300円だから。

肉野菜炒めで水割り
● その水割りにあわせて,これまで頼んだ料理は,メンマとホルモン炒め,餃子,ニラキムチ。今日は肉野菜炒めにしてみた。
 この肉野菜炒めが旨かった。これは家庭じゃできない。充分な火力でササッと炒めないと,こうまでシャキッと仕上がることはないだろう。
 化学調味料はもちろん使っている。天然の素材でダシを取れなどと無茶をいうつもりはまるでない。小さい頃から化学調味料になれているしね。

● ともあれ,この食感だ。歯ごたえだ。サクッ,シャキッ,サクッ,シャキッ。水割りにも合うけれども,これに一番合うのはご飯だろうな。
 こう思うあたり,ぼくも根っからの酒飲みではないらしい。

● こうまで旨い肉野菜炒めを出す居酒屋はあるだろうか。ないなら,この肉野菜炒めだけのために,「登竜」に来る価値がある。
 じつは,ここまでの肉野菜炒めを出す居酒屋を,ぼくは2つほど知っている。が,どちらも仕事帰りに寄っていけるところじゃないんだよ。

● この肉野菜炒めで,ぼくの内部での居酒屋としての「登竜」の位置はググッとアップ。また行って,もう一度,肉野菜炒めを食べたい。

醤油ラーメン
● 〆は言わずもがなラーメンになる。前々回はしなそば,前回は塩ラーメン。
 で,今日は醤油ラーメンにした。ラーメンの王道。醤油にあらずんばラーメンにあらず。大いに満足。

● 結局,今日は,肉野菜炒めで水割り2杯,そのあとに醤油ラーメンというおとなしい注文で店を出た。勘定は2千円ちょっと。
 B級グルメっていうんでしょうね。グルメはB級に限るね。

2016年5月6日金曜日

2016.05.01 久しぶりにマクドナルドに入ってみた

● 首都圏に行くと,マック復活の兆しを感じる。衰退のきっかけを作った元社長は受験産業に移って,しゃあしゃあと社長を続けているけれど,残って再建に奮闘してきた人たちは大変だったろう。
 途中で,中国のトバッチリを受けた。これも大きかった。この業界(に限らないのだが)はイメージが大切だ。

● いったん負のスパイラルにはまると何をやってもうまくいかない。裏目に出るところまではいかなくても,効果がまるで見えない。
 そうしている間にも,外部から負が入ってくる。負がたまってしまう。そんな感じだったろうか。

● ここに来て,復活の気配を感じる。お客さんが戻ってきたように思える。あくまで首都圏に限った印象ではあるんだけど。
 何が理由なのか。わからない。社会の気分が変わったんだろうか。

● が,気配であって,マックの経営に関する諸々の数字はどうなっているのか。これからということだろう。
 宇都宮ではまだまだ気配さえない。その宇都宮のマックに久しぶりに入ってみた。ソーセージマフィンセット。安さはいつだって魅力のひとつのようだ。

2016.05.01 吉野家で卵かけ牛丼と豚丼

吉野家の豚丼
● 4月30日の深夜に宇都宮駅着。宇都宮駅構内の吉野家で牛丼を食べた。生卵を一緒に注文。生卵をよく溶かし,醤油を4滴加えて,牛丼にかける。よく混ぜて喰う。
 これまでネギ玉丼を注文するのが常だった。この日はネギを除いて生卵だけにした。40円安くなるんだけど,40円を惜しんだわけではない。

● 成毛眞『これが「買い」だ』を読んでいたら,成毛さんがマイクロソフト時代にやっていた接待の話が出ていて。
 11時頃から初めて朝の4時まで。4軒回る。4軒目が吉野家で,牛丼と生卵を注文する。やりようによっては,これがかなり旨くなるらしい。スプーンで食べる。
 それを読んだもんだから,自分でもやってみよう,と。

● 成毛さんは卵かけご飯が好物のようで,それはぼくも同じなんだけど,彼のように作り方にこだわりがない。凡百の卵かけご飯を数十年にわたって食べ続けてきてしまったのだろう。
 凡百であっても,卵かけご飯は旨いんだけどね。

● 翌日(つまり今日)の朝も吉野家。復活した豚丼&生卵。390円。生卵に醤油4滴加えるのを忘れてしまったけれど,豚丼に生卵をかけて,よく混ぜて喰うと豚丼も美味しい。
 でも,一度やったら気がすんだ。次はネギ玉丼に戻そうと思う。